12 ,2008
翠滴 2 溢れる水 2 (18)
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華やかな喧騒を逃れて大きなガラス扉の隙間から外に滑り出ると、目の前に青く発光するプールが静かに透き通った水を湛えて横たわっていた。
ホールで流れるジャズとグラスや金属の触れ合う音、ざわめきと人いきれまでもが微かに伝わってくる。
だが、ここはまるで別世界だ。
グラスのの中のシャンパンは手のひらの体温に温められて冷たさを失っていく。
プールの向うには大都会が夜の帳を降ろし、毒々しくも美しい煌めきを披露していた。人工の銀河・・・この光の洪水を人間が造り上げたのかと思うと、いつも畏怖と感嘆と、何故かほんの少しの切なさのようなものを感じた。
車のヘッドライトと赤いテ-ルランプの光の河と化した道路や、夜空に向かってひしめくビル郡。もう少し近付いて見たいと思う。が、如何せんここは23階だ、高所恐怖症の自分にテラスの縁まで行って手摺から夜景を眺めるという芸当をする度胸は無い。
今、仕事で扱っている物件が地上3層地下2層の低層の建物で本当によかったと思う。しかし、大森建設に戻った後は仕事は選べない。高層はできません、とは言えない状況が待っている。
克服しなければ、と思うと気が重い。享一は深い溜息を吐いた。
ふと、水面に小波を立てるターコイズを隔て、対角にあたるプールサイドの薄暗い場所に立つ人影に焦点が合った。その人影は、ずっとそこにいて享一を見ている。青い光が男の美しい顔と、品の良い光沢のあるグレーのスーツに淡く反射していた。
享一の瞳が瞠目し、指の間からバカラのフルートグラスが滑り落ちた。瞳はその人物に釘付けのままだ。
手から離れた黄金色の液体はそのまま透明の水と交ざり、美しい流線型のグラスは不思議な浮遊感を伴ってゆっくり揺れながらプールの底へと落ちていった。
享一の、言葉も無く 瞬きを忘れた瞳から、静かに涙が零れ落ちる。
その男は黒い瞳をしていた。享一はその黒い瞳の下に、自分を惑乱させ判断がつかぬ程に狂わせた、美しい翡翠の宝石が隠れている事を知っている。
イジメ防止…そんな言葉が甦る。
ほんの6~7Mしか離れていない。手を伸ばせば届くのではないか。
アマネ
口にする事を禁じられた名を、心の中で繰り返す。
とめどなく溢れる涙で、表情がよく見えない。
不意に周の背後から伸びた掌が、顔の前で散らばって周の顔を隠し、享一は我に返った。周の瞳が翳された指の間に消える。
周の後に長躯の影が重なり、広げた掌が下りて肩に回る。男は背後から周を抱くようにして、シャープな周の頬に唇を寄せる。神前・・・
周は享一を真直ぐ見ていたが、やがて神前を振り返り、言葉を交すとその場で身を翻した。
享一は、無意識に一歩を踏み出した。
「享一っ!」
グラリと傾いだ躰を力強い腕が抱き寄せる。足先が水面を掠めて音を立てた。
上半身が、ガクンと揺れて、睫から散らばった涙が青い光に吸込まれて消えていく。
一瞬、神前が振り返った気がした。室内からの逆光もあり暗かったが、その輪郭は確かに嗤っていた。
「享一、大丈夫か?」顔を声の方に向けると、河村が心配気に覗いてくる。
「圭…太さ…ん?」
享一は、河村の腕を乱暴にならない程度に振り解いた。
「大丈夫です…何でも、ありません……大丈夫です」
「って、顔じゃないな。今日はもう、帰るか?」
「すみません、帰らせてください」
「送ってやる」
「いえ、圭太さんは残って下さい。俺は大丈夫ですから」
河村はこのオープニングセレモニーのプロデューサーも務めている。ホスト側の人間だ。この場を離れる訳にはいかない。手を捕られ、半ば強引に何かを握らされた。
「俺のマンションに行ってろ」
戸惑う享一に 「俺は、このキーが無ければマンションに入れない」 そう言い捨てると、河村は踵を返して会場に戻ろうとする。慌てて、鍵を返そうと手を伸ばすが身を躱された。
「俺は・・・、行けません」 立ち去る河村の背中に叫ぶ。
「俺に野宿させる気か?」
河村は扉の前で振り返ると、そのまま身体を華やかな世界に滑り込ませて消えた。
茫然と立ち竦む。美しく光るプールの青も、享一に感嘆をもたらした夜景も、今は色褪せ味気の無いものに変わってしまった。
唯一、周だけが艶やかな色を放ち、鮮烈な輝きを持って享一の心臓を縛り付けていた。
突然、総ての照明が落された。バァーンという大音響と共に一ヵ所だけがライトアップされる。会場からくぐもった音でDJの声が聞こえ、破壊的な音でヒップホップ系の音楽がなる。
”GLAMOROUS”のショーが始まったのだ。
防音サッシュを通してもガラスを振動させるほどの攻撃的な音が漏れてきて、享一の気持ちをザワザワと掻き立てた。
この暗闇のどこかに、周が いる。
「お客さん、どちらまで?」
タクシー運転手の問いになんと答えるか、返答に窮した。
手の中に、河村のマンションの鍵が掌と同じ温度になって収まっている。
あの会場の暗闇の何処かにまだ、周はいるのだろうか? 享一は今すぐ、タクシーを降りて会場に戻り周を探したくなる衝動を捩り伏せるように瞳を閉じた。涙でぼやけた周の顔と、暗がりの中で振り向いた神前の、勝ち誇ったように嗤った顔が頭から離れない。
フロントガラスに雨が落ちて街が滲み出した。
華やかな喧騒を逃れて大きなガラス扉の隙間から外に滑り出ると、目の前に青く発光するプールが静かに透き通った水を湛えて横たわっていた。
ホールで流れるジャズとグラスや金属の触れ合う音、ざわめきと人いきれまでもが微かに伝わってくる。
だが、ここはまるで別世界だ。
グラスのの中のシャンパンは手のひらの体温に温められて冷たさを失っていく。
プールの向うには大都会が夜の帳を降ろし、毒々しくも美しい煌めきを披露していた。人工の銀河・・・この光の洪水を人間が造り上げたのかと思うと、いつも畏怖と感嘆と、何故かほんの少しの切なさのようなものを感じた。
車のヘッドライトと赤いテ-ルランプの光の河と化した道路や、夜空に向かってひしめくビル郡。もう少し近付いて見たいと思う。が、如何せんここは23階だ、高所恐怖症の自分にテラスの縁まで行って手摺から夜景を眺めるという芸当をする度胸は無い。
今、仕事で扱っている物件が地上3層地下2層の低層の建物で本当によかったと思う。しかし、大森建設に戻った後は仕事は選べない。高層はできません、とは言えない状況が待っている。
克服しなければ、と思うと気が重い。享一は深い溜息を吐いた。
ふと、水面に小波を立てるターコイズを隔て、対角にあたるプールサイドの薄暗い場所に立つ人影に焦点が合った。その人影は、ずっとそこにいて享一を見ている。青い光が男の美しい顔と、品の良い光沢のあるグレーのスーツに淡く反射していた。
享一の瞳が瞠目し、指の間からバカラのフルートグラスが滑り落ちた。瞳はその人物に釘付けのままだ。
手から離れた黄金色の液体はそのまま透明の水と交ざり、美しい流線型のグラスは不思議な浮遊感を伴ってゆっくり揺れながらプールの底へと落ちていった。
享一の、言葉も無く 瞬きを忘れた瞳から、静かに涙が零れ落ちる。
その男は黒い瞳をしていた。享一はその黒い瞳の下に、自分を惑乱させ判断がつかぬ程に狂わせた、美しい翡翠の宝石が隠れている事を知っている。
イジメ防止…そんな言葉が甦る。
ほんの6~7Mしか離れていない。手を伸ばせば届くのではないか。
アマネ
口にする事を禁じられた名を、心の中で繰り返す。
とめどなく溢れる涙で、表情がよく見えない。
不意に周の背後から伸びた掌が、顔の前で散らばって周の顔を隠し、享一は我に返った。周の瞳が翳された指の間に消える。
周の後に長躯の影が重なり、広げた掌が下りて肩に回る。男は背後から周を抱くようにして、シャープな周の頬に唇を寄せる。神前・・・
周は享一を真直ぐ見ていたが、やがて神前を振り返り、言葉を交すとその場で身を翻した。
享一は、無意識に一歩を踏み出した。
「享一っ!」
グラリと傾いだ躰を力強い腕が抱き寄せる。足先が水面を掠めて音を立てた。
上半身が、ガクンと揺れて、睫から散らばった涙が青い光に吸込まれて消えていく。
一瞬、神前が振り返った気がした。室内からの逆光もあり暗かったが、その輪郭は確かに嗤っていた。
「享一、大丈夫か?」顔を声の方に向けると、河村が心配気に覗いてくる。
「圭…太さ…ん?」
享一は、河村の腕を乱暴にならない程度に振り解いた。
「大丈夫です…何でも、ありません……大丈夫です」
「って、顔じゃないな。今日はもう、帰るか?」
「すみません、帰らせてください」
「送ってやる」
「いえ、圭太さんは残って下さい。俺は大丈夫ですから」
河村はこのオープニングセレモニーのプロデューサーも務めている。ホスト側の人間だ。この場を離れる訳にはいかない。手を捕られ、半ば強引に何かを握らされた。
「俺のマンションに行ってろ」
戸惑う享一に 「俺は、このキーが無ければマンションに入れない」 そう言い捨てると、河村は踵を返して会場に戻ろうとする。慌てて、鍵を返そうと手を伸ばすが身を躱された。
「俺は・・・、行けません」 立ち去る河村の背中に叫ぶ。
「俺に野宿させる気か?」
河村は扉の前で振り返ると、そのまま身体を華やかな世界に滑り込ませて消えた。
茫然と立ち竦む。美しく光るプールの青も、享一に感嘆をもたらした夜景も、今は色褪せ味気の無いものに変わってしまった。
唯一、周だけが艶やかな色を放ち、鮮烈な輝きを持って享一の心臓を縛り付けていた。
突然、総ての照明が落された。バァーンという大音響と共に一ヵ所だけがライトアップされる。会場からくぐもった音でDJの声が聞こえ、破壊的な音でヒップホップ系の音楽がなる。
”GLAMOROUS”のショーが始まったのだ。
防音サッシュを通してもガラスを振動させるほどの攻撃的な音が漏れてきて、享一の気持ちをザワザワと掻き立てた。
この暗闇のどこかに、周が
「お客さん、どちらまで?」
タクシー運転手の問いになんと答えるか、返答に窮した。
手の中に、河村のマンションの鍵が掌と同じ温度になって収まっている。
あの会場の暗闇の何処かにまだ、周はいるのだろうか? 享一は今すぐ、タクシーを降りて会場に戻り周を探したくなる衝動を捩り伏せるように瞳を閉じた。涙でぼやけた周の顔と、暗がりの中で振り向いた神前の、勝ち誇ったように嗤った顔が頭から離れない。
フロントガラスに雨が落ちて街が滲み出した。
やってしまいました~~~ハハハ・・・・笑うしかない。。。ガクッ
この記事は、随分前に一部と同時進行で書いていたので
思いっきり勘違い~(汗
不器用なくせに、慣れない事はやるもんでないと反省してますm( _ _ )m
状況が、変わっていきます。もう少し、ご辛抱を・・・