12 ,2008
翠滴 2 GLAMOROUS 6 (16)
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レンタカーを降り、しばし佇んだ。
過去に栄華を誇った豪商の屋敷は静寂の中で息を潜めていた。白くどこまでも続きそうな真一文の漆喰の塀に、中から大木の桜の枝が塀を覆うように張り出しており、少し柔らかくなった秋の日差しが影を落としている。
瓦屋根を頂いた大きな門のまえに立つ。長年の風雪に耐え灰褐色にやけた扉が年季を語り長い間、開けられた事が無いということを物語っていた。その扉に寄り添い額をあてる。固く閉ざされた門はまるで、この屋敷の主と同じように自分を拒絶しているようだ。
手を伸ばし、指の先で門扉に穿たれた鋲や、扉板に刻まれた年輪を辿る。
あれから2年、まさか再びこの地に足を向ける日が来ようとは思ってもいなかった。
しかし、ここに来るより他に周の消息を知る術を思いつかなかったのだ。
目立たぬように柱の蔭に取り付けられたインターホンを押してみるが返答は無い。顔も合わせないうちから、拒絶されるのが恐くて電話は入れてこなかった。
単純にここに来れば、周に会えると思っていた。考えてみれば、愚かな事だ。
東京に戻ろうか・・。
1週間後にグラマラスのオープニングレセプションを控えている。
結局プロデュース全般を手掛る事になり多忙を極めた河村の仕事が少しずつ所員に割り振られた。残業厳禁も一時的に撤廃されている。大森とのMAMについての報告書など、休日でも東京に戻れば片付けるべき仕事は山積みである。
「見学は出来ないですよ」
諦めて戻ろうかと思ったところに声を掛けられた。
突然耳にした人の声に驚いて振返ると、きのこやアケビ、山菜の入った円い籠を抱えた20代後半の女性が立っていた。エプロンを掛けた腰の辺りから女の子が顔を出している。
享一の顔を認めるや、女性の顔がぱっと明るくなった。
「あれぇ、享一さんじゃないですか。なんか立派になっちゃって、わかんなかったわ。もう、お仕事されてんの?」
「利根さん、お久し振りです。この春、就職したんです」
彼女の通園用の軽自動車を借りて周と新幹線の駅のある街まで、ドライブしたのが、遠い昔だったのか ついこの間の出来事だったのか、時間の隔たりと記憶の鮮明さが自分の中でおかしな具合に交差する。
ただ、目の前の女の子は確実に大きくなっていた。
「こんにちは。未有ちゃん大きくなったね」
女の子は、更に母親の影に引っ込み、気をつけなければ聞き逃しそうな小さな声で 「こんにちは」 と答えた。その様子に利根さんが、内弁慶なんですよと笑う。
「永邨の人に会いに来たんですか?」
「え、ええ。仕事でこっち方面に来たついでに足を伸ばしたんです」
咄嗟に嘘が口をついて出た。
「ありゃ、それは残念だわ。周さん、享一さんがいらした一昨年結婚されたじゃないですか。皆さん、あれからずっと東京で、正月にちらっと帰って来られただけなんですよ」
周は東京にいる。
「ママァ、お家帰ろうよ」未有が母親のエプロンを引っ張った。
「そうだね、ジイジたちも待ってるもんね。じゃ、享一さんさようなら。もうすぐ雨が降ってくるから、道がぬかるまないうちに高速に出たほうがいいですよ」
利根親子と別れると、急いで車に乗り込んだ。
東京は広い。当てなど無かったが、ただ、周のいる街へ、一刻も早く戻りたかった。
その、スケッチは柔らかい鉛筆の線で描かれマーカーと色鉛筆を使って、アイボリーと深い緑色で色付けされたいた。
螺旋階段の手摺を植物の蔓が絡みつきながら上がっていく。
エロティックでありながら、甘さだけではない強さや生命力を感じさせる。
そのスケッチを最初に目にしたとき、瞬時にこの場所が浮かんだ。そして、このスケッチを描いたのが時見 享一だと聞かされて衝撃を受けた。
享一は、まだ自分を忘れずにいてくれる。この場所を、あの日、初めて心を添わせた情事を大事に心の中に持っていてくれた。その事実が、泣きたいほどに自分を感動させる。
享一が庄谷を去ってから、何度となくこの場所を一人で訪れた。
今、堂の周りには、あの夏の日の噎せるように濃厚な緑では無く、ひらひらと舞い落ちる色とりどりの落ち葉が積もり、萩や竜胆などの草花が そっと撫でるように注ぐ秋の光の中で静かに咲いている。
周は堂の入り口の階段に座り、深まる秋に衣を変化させる木々を眺めていた。
ふと思い出したように、自分の隣に置いたスケッチを持ち上げる。
その場に居坐ってから、もう何度もその動作を繰り返していた。
降り注いでいた陽射しが翳り、辺りを厚い雲の影が覆う。すると、スケッチの迸るような生命の精彩も急激に褪せていく。
享一は、”GLAMOROUS” のオーナーが自分だとわかっていて、このスケッチを出してきたのだろうか?
2年前、自分勝手な欲望のためだけに享一を手に入れようとした。
心の支えが欲しかった。神前や他の顧客たちとの関係に慟哭を繰返す日々は精神を蝕み憔悴し荒ませた。身体は囚われていようとも、心だけでも逃げ込める場所が欲しかった。
神前から、「サクラ」を要求された時、自分は闇に身を置く人間なのだといやが上にも自覚させられた。その時、享一は自分にとって既に最愛の人間となり、何をおいても守りたい存在になっていた。
享一を自分の闇に引きずり込む事は出来ない。血を吐く思いで享一の手を離した。
河村が享一に恋愛感情を抱いていることは、神前から聞かされて知っていた。河村の真意も聞いた。 だが、河村の口から享一の名前を聞くと、どうしようもなく心が荒くれだち、自分にはその資格が無いにもかかわらず、河村を殴りたい衝動にかられた。
スケッチに込められたメッセージは、苦しい思いで保ち続けた自制心を容易く打ち壊し、すぐにでも享一のもとへ行き、捕えて抱きしめ、遠い場所へと攫ってしまいたい衝動に駆り立てる。
しかし、自分に纏いつき染み付いた闇がそれを許さない。
この闇を知ったら享一はきっと、自分を軽蔑する。
神前は狂人だ。平気で権力を振りかざし、かつ手段を選ばない男だ。
ほの暗い電灯の光の下で泣いている顔が浮かんだ。祝言の時の、悪戯に誘う目つきや驚いた時の顔、最後に見た怒りに震える顔も。この手は、その頬に触れることは許されない。
雨が、降り出した。
堂の横に止めた車の赤いボディに、幾筋もの雨だれが流れ始めた。
レンタカーを降り、しばし佇んだ。
過去に栄華を誇った豪商の屋敷は静寂の中で息を潜めていた。白くどこまでも続きそうな真一文の漆喰の塀に、中から大木の桜の枝が塀を覆うように張り出しており、少し柔らかくなった秋の日差しが影を落としている。
瓦屋根を頂いた大きな門のまえに立つ。長年の風雪に耐え灰褐色にやけた扉が年季を語り長い間、開けられた事が無いということを物語っていた。その扉に寄り添い額をあてる。固く閉ざされた門はまるで、この屋敷の主と同じように自分を拒絶しているようだ。
手を伸ばし、指の先で門扉に穿たれた鋲や、扉板に刻まれた年輪を辿る。
あれから2年、まさか再びこの地に足を向ける日が来ようとは思ってもいなかった。
しかし、ここに来るより他に周の消息を知る術を思いつかなかったのだ。
目立たぬように柱の蔭に取り付けられたインターホンを押してみるが返答は無い。顔も合わせないうちから、拒絶されるのが恐くて電話は入れてこなかった。
単純にここに来れば、周に会えると思っていた。考えてみれば、愚かな事だ。
東京に戻ろうか・・。
1週間後にグラマラスのオープニングレセプションを控えている。
結局プロデュース全般を手掛る事になり多忙を極めた河村の仕事が少しずつ所員に割り振られた。残業厳禁も一時的に撤廃されている。大森とのMAMについての報告書など、休日でも東京に戻れば片付けるべき仕事は山積みである。
「見学は出来ないですよ」
諦めて戻ろうかと思ったところに声を掛けられた。
突然耳にした人の声に驚いて振返ると、きのこやアケビ、山菜の入った円い籠を抱えた20代後半の女性が立っていた。エプロンを掛けた腰の辺りから女の子が顔を出している。
享一の顔を認めるや、女性の顔がぱっと明るくなった。
「あれぇ、享一さんじゃないですか。なんか立派になっちゃって、わかんなかったわ。もう、お仕事されてんの?」
「利根さん、お久し振りです。この春、就職したんです」
彼女の通園用の軽自動車を借りて周と新幹線の駅のある街まで、ドライブしたのが、遠い昔だったのか ついこの間の出来事だったのか、時間の隔たりと記憶の鮮明さが自分の中でおかしな具合に交差する。
ただ、目の前の女の子は確実に大きくなっていた。
「こんにちは。未有ちゃん大きくなったね」
女の子は、更に母親の影に引っ込み、気をつけなければ聞き逃しそうな小さな声で 「こんにちは」 と答えた。その様子に利根さんが、内弁慶なんですよと笑う。
「永邨の人に会いに来たんですか?」
「え、ええ。仕事でこっち方面に来たついでに足を伸ばしたんです」
咄嗟に嘘が口をついて出た。
「ありゃ、それは残念だわ。周さん、享一さんがいらした一昨年結婚されたじゃないですか。皆さん、あれからずっと東京で、正月にちらっと帰って来られただけなんですよ」
周は東京にいる。
「ママァ、お家帰ろうよ」未有が母親のエプロンを引っ張った。
「そうだね、ジイジたちも待ってるもんね。じゃ、享一さんさようなら。もうすぐ雨が降ってくるから、道がぬかるまないうちに高速に出たほうがいいですよ」
利根親子と別れると、急いで車に乗り込んだ。
東京は広い。当てなど無かったが、ただ、周のいる街へ、一刻も早く戻りたかった。
その、スケッチは柔らかい鉛筆の線で描かれマーカーと色鉛筆を使って、アイボリーと深い緑色で色付けされたいた。
螺旋階段の手摺を植物の蔓が絡みつきながら上がっていく。
エロティックでありながら、甘さだけではない強さや生命力を感じさせる。
そのスケッチを最初に目にしたとき、瞬時にこの場所が浮かんだ。そして、このスケッチを描いたのが時見 享一だと聞かされて衝撃を受けた。
享一は、まだ自分を忘れずにいてくれる。この場所を、あの日、初めて心を添わせた情事を大事に心の中に持っていてくれた。その事実が、泣きたいほどに自分を感動させる。
享一が庄谷を去ってから、何度となくこの場所を一人で訪れた。
今、堂の周りには、あの夏の日の噎せるように濃厚な緑では無く、ひらひらと舞い落ちる色とりどりの落ち葉が積もり、萩や竜胆などの草花が そっと撫でるように注ぐ秋の光の中で静かに咲いている。
周は堂の入り口の階段に座り、深まる秋に衣を変化させる木々を眺めていた。
ふと思い出したように、自分の隣に置いたスケッチを持ち上げる。
その場に居坐ってから、もう何度もその動作を繰り返していた。
降り注いでいた陽射しが翳り、辺りを厚い雲の影が覆う。すると、スケッチの迸るような生命の精彩も急激に褪せていく。
享一は、”GLAMOROUS” のオーナーが自分だとわかっていて、このスケッチを出してきたのだろうか?
2年前、自分勝手な欲望のためだけに享一を手に入れようとした。
心の支えが欲しかった。神前や他の顧客たちとの関係に慟哭を繰返す日々は精神を蝕み憔悴し荒ませた。身体は囚われていようとも、心だけでも逃げ込める場所が欲しかった。
神前から、「サクラ」を要求された時、自分は闇に身を置く人間なのだといやが上にも自覚させられた。その時、享一は自分にとって既に最愛の人間となり、何をおいても守りたい存在になっていた。
享一を自分の闇に引きずり込む事は出来ない。血を吐く思いで享一の手を離した。
河村が享一に恋愛感情を抱いていることは、神前から聞かされて知っていた。河村の真意も聞いた。 だが、河村の口から享一の名前を聞くと、どうしようもなく心が荒くれだち、自分にはその資格が無いにもかかわらず、河村を殴りたい衝動にかられた。
スケッチに込められたメッセージは、苦しい思いで保ち続けた自制心を容易く打ち壊し、すぐにでも享一のもとへ行き、捕えて抱きしめ、遠い場所へと攫ってしまいたい衝動に駆り立てる。
しかし、自分に纏いつき染み付いた闇がそれを許さない。
この闇を知ったら享一はきっと、自分を軽蔑する。
神前は狂人だ。平気で権力を振りかざし、かつ手段を選ばない男だ。
ほの暗い電灯の光の下で泣いている顔が浮かんだ。祝言の時の、悪戯に誘う目つきや驚いた時の顔、最後に見た怒りに震える顔も。この手は、その頬に触れることは許されない。
雨が、降り出した。
堂の横に止めた車の赤いボディに、幾筋もの雨だれが流れ始めた。
周も享一も気持ちが痛いほどお互いに向いているのに・・・。
周の闇も享一なら、救いだしてくれそうなのに・・・。
でも、このモヤモヤ感が、堪りませんが・・・。(フフッ・・・←悪です・・
享一のデザインした螺旋階段・・・素晴らしい・・目の前に浮かぶようです・・・。
さすが、紙魚さまですねぇ~。
細かな文章力、憧れます・・・。
またお邪魔しますね!