12 ,2008
翠滴 2 rain - 雨 1 (4)
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目が合った瞬間、バチッと音が鳴った気がした。ほんの2~3秒、怜悧な瞳に捕らえられ動けなくなった。片岡に倣って慌てて頭を下げた前を、男は他の役員達に促され会議室に消えていった。
「滅茶苦茶、格好いい人だったよな。何者だろな? あのオーラは、只者じゃねえよなあ」
ひとしきり感心する片岡を置いて歩き出す。早くこの場を離れたい。
「あ、おい時見、待てって。置いてくなって」
片岡が肩を並べた。
「見た目は整っているけど、冷たい印象がマイナスだな」
「おっ、むこう張ってんのかよ?イイ男対決?時見君、惜しいなあっ。身長で負け決定じゃん。しかも、ルックスもお前はどっちかつーと、可憐系だもんよなぁ。あ、でも俺は時見に一票だから、安心していいぞ」
どこまで本気なのか、人をおちょくっているだけなのか。片岡はこのテの冗談をよく口にする。いい奴だが、他の同期と同じでノリが軽い。
「バッカバカしい。勝手に言ってろよ、先行くからな」
相手にするまいと早足で歩き出す。
「だって、時見の立ち姿って水仙みたいで、楚々としててさ。オレ、気に入ってんだもんよ」
「水仙って、あの物欲しげに上向いて口開けて咲いてる、アレかよ」
「アー?ったく、身も蓋もねーな」片岡が隣で苦笑した。
当分の間、背の高い男にはムカつきそうだ。
フレックスをいいことに、普段より遅めに出社した社内では、旧臨海地区の再開発工事受注の話で持ち切りだった。
総額2000億円の大規模工事で施工会社も大手数社が参加する。享一の会社に来たのは敷地内に建設予定の美術館の施工工事だ。準大手の大森建設が、スーパーゼネコンに混ざって受注出来たのは奇跡に近い。
同僚との話の中で、先程の男がクライアント側の投資会社であるKNホールディングスの不動産開発室長の、神前 雅巳(かんざき まさみ)であることが判った。
施工を請け負った大森建設を視察に訪れたのだということだった。
室長クラス相手に役員たちがあそこまで腰を低くするものかと思ったが、神前はKNホールディングスの社長の息子で、将来多岐に広がった関連会社をグループごと継ぐ立場にあると聞かされた。どうりで専務を筆頭にみな平身低頭するわけだと、納得した。
席に着くと隣ブースの2年先輩の平沢がやってきた。
「時見、今度の計画で、お前の出向が決まったみたいだぞ」
「新人の俺が出向ですか?」
享一は怪訝な顔で尋ねた。
入社して半年。学生に毛の生えた程度の社会人モドキが、どこかに出向したとて先方の役に立てるとは思えない。
平沢は享一の考えを表情で察したのか、軽く笑った。
「出向先はアトリエ事務所だ。今回の再開発の美術館の設計をする河村圭太のとこらしい。新人希望ってのは、あちらサイドからの依頼で、リーマン思考に染まってない人間を寄越せって事だろ。この手の大規模物件は雑多な仕事も山程あるし、そっち要員って事かもしれんな」
つまり、雑用係だ。
アトリエの多くは、弟子取り的に所員を確保する。入所を希望するのは最終的に独立を目指す者が殆どで、同じ[モノ造り]を目指していても終身雇用を頭の片隅に置く享一のような”会社員”とは、スタンスや構え方が全く異なる。
河村圭太といえば、ここ数年で名前が売れだした若手建築家の一人だ。このところ、国内外で幾つも名のある賞を獲得している。ただ、小規模作品が主だっていると記憶していた。
「随分、小さな事務所も参加するんですね」
「今回の計画はゾーニングされいてテーマが分かれているし、河村は海外での評価も高いからな。売れっ子建築家なら問題無しということだろうよ。それに、今回のウチの参加もどういう訳か河村事務所のプッシュで、急に決まったらしいぞ」
そこで一旦言葉を切った平沢が居住まいを正す。
「時見は、元々アトリエ事務所 志望だったよな」
「ええ、まあ」
本当は尊敬する建築家が主宰するアトリエに就職したかった。だが実家は母子家庭で、学生の弟やこれから大学受験を控える妹もいる。結局、給料も安定し地元にも支社がある中堅ゼネコンの大森建設を選んだ。
「チャンスじゃないの。たとえ雑用でも外から推測するのと、その環境に身を置くのとでは雲泥の差だ。アトリエの仕事をしっかり見てこいよ」
アトリエは1人の優れた建築家に附いて、ものづくりを身近で吸収するチャンスの場であると同時に、企業とは違って人員が少ないため、1人でより多くのことをこなさなくてはならない。
当然、一人前に育つのもアトリエ所員の方が断然早い。
自分の目でアトリエの仕事が見られる。そう思うとワクワクしてきた。
昼前になって、設計室が俄かに騒がしくなる。主に女子社員の興奮したヒソヒソ声が耳につく。
モニターから目を放して声の方向を見やると、あの神前という男が大石部長に連れられて来ていた。
これから仕事を依頼する会社の仕事ぶりでも偵察しているのだろう。
椅子に座ったまま、間に立ちはだかる女子社員の隙間から、室内を見回す神前の横顔を観察する。
心当たりの無い既視感に、胸の奥が再びざわめき出す。
どこかで、会っただろうか?
一介の入社して間もない新入平社員と、大手銀行の開発室長に接点ははない。
大体、こんなインパクトの強い人間を一度見たら忘れる筈は無い。ジグソーのピースが上手く嵌らない時みたいに、心に引っ掛かってスッキリしない。
不意に、神前がこちらを向いた。
飛跳ねる心臓を抑え何喰わぬ顔で、モニターに視線を戻す。
「時見、悪いけどこのデータ、建築部の高見さんに渡しといて。で、返事は夕方までにメールで入れてくれるように伝えといて」
「わかりました」
この騒ぎに気付いていないらしい平沢から声を掛けられた。
立ち上がると、神前は同じ場所からまだこちらを見ている。平沢からファイルとCDを受け取る間も背中に視線を感じる。気付かない振りで軽く会釈し横を通り過ぎようとした時、神前が小さな声で何かを呟いた。
「サクラさん」
目が合った瞬間、バチッと音が鳴った気がした。ほんの2~3秒、怜悧な瞳に捕らえられ動けなくなった。片岡に倣って慌てて頭を下げた前を、男は他の役員達に促され会議室に消えていった。
「滅茶苦茶、格好いい人だったよな。何者だろな? あのオーラは、只者じゃねえよなあ」
ひとしきり感心する片岡を置いて歩き出す。早くこの場を離れたい。
「あ、おい時見、待てって。置いてくなって」
片岡が肩を並べた。
「見た目は整っているけど、冷たい印象がマイナスだな」
「おっ、むこう張ってんのかよ?イイ男対決?時見君、惜しいなあっ。身長で負け決定じゃん。しかも、ルックスもお前はどっちかつーと、可憐系だもんよなぁ。あ、でも俺は時見に一票だから、安心していいぞ」
どこまで本気なのか、人をおちょくっているだけなのか。片岡はこのテの冗談をよく口にする。いい奴だが、他の同期と同じでノリが軽い。
「バッカバカしい。勝手に言ってろよ、先行くからな」
相手にするまいと早足で歩き出す。
「だって、時見の立ち姿って水仙みたいで、楚々としててさ。オレ、気に入ってんだもんよ」
「水仙って、あの物欲しげに上向いて口開けて咲いてる、アレかよ」
「アー?ったく、身も蓋もねーな」片岡が隣で苦笑した。
当分の間、背の高い男にはムカつきそうだ。
フレックスをいいことに、普段より遅めに出社した社内では、旧臨海地区の再開発工事受注の話で持ち切りだった。
総額2000億円の大規模工事で施工会社も大手数社が参加する。享一の会社に来たのは敷地内に建設予定の美術館の施工工事だ。準大手の大森建設が、スーパーゼネコンに混ざって受注出来たのは奇跡に近い。
同僚との話の中で、先程の男がクライアント側の投資会社であるKNホールディングスの不動産開発室長の、神前 雅巳(かんざき まさみ)であることが判った。
施工を請け負った大森建設を視察に訪れたのだということだった。
室長クラス相手に役員たちがあそこまで腰を低くするものかと思ったが、神前はKNホールディングスの社長の息子で、将来多岐に広がった関連会社をグループごと継ぐ立場にあると聞かされた。どうりで専務を筆頭にみな平身低頭するわけだと、納得した。
席に着くと隣ブースの2年先輩の平沢がやってきた。
「時見、今度の計画で、お前の出向が決まったみたいだぞ」
「新人の俺が出向ですか?」
享一は怪訝な顔で尋ねた。
入社して半年。学生に毛の生えた程度の社会人モドキが、どこかに出向したとて先方の役に立てるとは思えない。
平沢は享一の考えを表情で察したのか、軽く笑った。
「出向先はアトリエ事務所だ。今回の再開発の美術館の設計をする河村圭太のとこらしい。新人希望ってのは、あちらサイドからの依頼で、リーマン思考に染まってない人間を寄越せって事だろ。この手の大規模物件は雑多な仕事も山程あるし、そっち要員って事かもしれんな」
つまり、雑用係だ。
アトリエの多くは、弟子取り的に所員を確保する。入所を希望するのは最終的に独立を目指す者が殆どで、同じ[モノ造り]を目指していても終身雇用を頭の片隅に置く享一のような”会社員”とは、スタンスや構え方が全く異なる。
河村圭太といえば、ここ数年で名前が売れだした若手建築家の一人だ。このところ、国内外で幾つも名のある賞を獲得している。ただ、小規模作品が主だっていると記憶していた。
「随分、小さな事務所も参加するんですね」
「今回の計画はゾーニングされいてテーマが分かれているし、河村は海外での評価も高いからな。売れっ子建築家なら問題無しということだろうよ。それに、今回のウチの参加もどういう訳か河村事務所のプッシュで、急に決まったらしいぞ」
そこで一旦言葉を切った平沢が居住まいを正す。
「時見は、元々アトリエ事務所 志望だったよな」
「ええ、まあ」
本当は尊敬する建築家が主宰するアトリエに就職したかった。だが実家は母子家庭で、学生の弟やこれから大学受験を控える妹もいる。結局、給料も安定し地元にも支社がある中堅ゼネコンの大森建設を選んだ。
「チャンスじゃないの。たとえ雑用でも外から推測するのと、その環境に身を置くのとでは雲泥の差だ。アトリエの仕事をしっかり見てこいよ」
アトリエは1人の優れた建築家に附いて、ものづくりを身近で吸収するチャンスの場であると同時に、企業とは違って人員が少ないため、1人でより多くのことをこなさなくてはならない。
当然、一人前に育つのもアトリエ所員の方が断然早い。
自分の目でアトリエの仕事が見られる。そう思うとワクワクしてきた。
昼前になって、設計室が俄かに騒がしくなる。主に女子社員の興奮したヒソヒソ声が耳につく。
モニターから目を放して声の方向を見やると、あの神前という男が大石部長に連れられて来ていた。
これから仕事を依頼する会社の仕事ぶりでも偵察しているのだろう。
椅子に座ったまま、間に立ちはだかる女子社員の隙間から、室内を見回す神前の横顔を観察する。
心当たりの無い既視感に、胸の奥が再びざわめき出す。
どこかで、会っただろうか?
一介の入社して間もない新入平社員と、大手銀行の開発室長に接点ははない。
大体、こんなインパクトの強い人間を一度見たら忘れる筈は無い。ジグソーのピースが上手く嵌らない時みたいに、心に引っ掛かってスッキリしない。
不意に、神前がこちらを向いた。
飛跳ねる心臓を抑え何喰わぬ顔で、モニターに視線を戻す。
「時見、悪いけどこのデータ、建築部の高見さんに渡しといて。で、返事は夕方までにメールで入れてくれるように伝えといて」
「わかりました」
この騒ぎに気付いていないらしい平沢から声を掛けられた。
立ち上がると、神前は同じ場所からまだこちらを見ている。平沢からファイルとCDを受け取る間も背中に視線を感じる。気付かない振りで軽く会釈し横を通り過ぎようとした時、神前が小さな声で何かを呟いた。
「サクラさん」
それでこの展開って……かなり複雑というかなんというか……
1部の終わりでは、もうなにがなんだかわからない、という感想でした。
これで終わり? 話がぜんぜん見えない、と思った。
それが2部、3部とつづいていくのなら納得……
つまり1部では物語はぜんぜん終わっていなかったんだ。
というか、1部のおわりにかけてあらたなキャラが登場したんだもの、当然か。