11 ,2008
翠滴 1-11 秋空 2 (39)
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巧みにカムフラージュされた自分の部屋に入ると、天井までの大きな嵌め殺しのガラス窓の前に神前 雅巳(かんざき まさみ)が立っていた。着替えを終えた神前は、バランスのとれた190cmの長躯に、上質な生地の白いシャツにアイボリーのスラックスを穿いている。自分の優れた容姿を熟知し、いつも一番効果的な見せ方をする。嫌味な男だ。
「いい部屋だね。設計は圭太?」
「はい、河村さんにお任せしました。」
「ふうん・・どうせ、圭太の押し売りだろう?
圭太は周(あまね)のこと、随分と気に入ってるからね」
「使い勝手は良いので、お願いしてよかったと思っています」
神前は鼻で笑ったが、半分は当たっていた。隠し部屋の相談を持ちかけた新進気鋭の建築家は、この部屋の設計を自分がやるといって聞かなかった。
「もっとこっちに来て、花婿姿を見せてください。」
後ろのガラスに、神前の前に進み出る自分の姿が映っている。情けない顔の、紋付袴を着た敗北者の男だ。神前の指が紋付の襟を辿る。着物の袖の下で握り締めた拳が下げられたまま震えている。襟を弄んでいた神前の指が周を捕らえて唇を重ねてきた。今し方、享一の唇から移し閉じ込めたぬくもりが奪い取られそうで思わず顔を逸らすと、神前が片頬を上げて可笑しそうにをその様子を見遣った。
「袴姿が よく似合っているね。素敵だよ、周」
同じ言葉でも、愛しい人の口から聞くのとは、どうしてこうも違うのか?
「約束通り、周の初夜を私にくれるのでしょう?」
「・・・神前様が、約束を守ってくださるのなら、この夜を差し上げます」
「いい心掛けだね、周。じゃあ、もう逃げるのは無しだよ」
再び唇が重なり、神前の優しい口調とはかけ離れた力で背中を戒められ、空いた片手は袴の紐を解いてゆく。合わされた唇から大切なぬくもりが消え去って、更に氷のようにつめたく冷え切っていくのを感じて、周は絶望に目蓋を下ろした。
「ねえ、周 私はきみの結婚を完全に許した訳ではないということを、忘れてはいけないよ」
神前は耳元に唇を寄せ、周の心に刻みつけるように言うと、続いて帯も解き黒い紋付の下に優雅な仕草で手を這わせ 足許に落ちた袴の上にバサリと軽い衣擦れの音を立てて落した。自分に数々の優雅な動きと愛撫の仕方を教え込んだ、爪の先まで美しく手入れされた手。
所詮、自分はこの手からは逃げられないのか・・・?
その手が、襦袢の掛け襟の間に忍び込み胸の突起を探り尖った爪で引掻くと、周の口から痛みに耐える押し殺した声が漏れる。すべてを取り払われ、全裸で神前の前に立つ。
「完璧な美だ。やはり周はこの姿が一番、美しい。
さあ 周、顔を上げてお前の中で最も美しい翡翠の瞳をみせておくれよ
可愛いサクラさんを守りたいなら、教えた通りその瞳で私を誘惑して見せて」
周は屈辱に震える躯を神前に寄せて、小さな声で教え込まれている言葉を口にした。
「今夜・・私を貴方の奴隷にしてください・・・」
キョウイチ・・・・。俺は、間違っていた。堕ちるのは自分一人でいい。
明るく柔らかい自然光が部屋を満たしている。頭が割れるように痛かった。久し振りに目にする和室の天井に訳が判らず、記憶を手繰り寄せようとするが、控えの間を出たところで途切れており、その先が曖昧でどうしてもはっきりとした記憶とならななかった。
「頭・・・、重い・・」
どうやってこの部屋に戻ったのか、何故この部屋なのか?此処のところの自分の生活を考えると、無意識に戻ったにしても、戻る部屋は周の部屋に向いそうにも思える。障子を見ると、透過してくる光は既に眩しく、昼近い時間である事が判った。
「あっ!ティーンズ!」
美操達は朝一で騰真氏達と一緒に東京へ戻ると言っていた。部屋を飛び出した。
広い屋敷の中は静まり返っていて、人のいる気配は無かった。夢の後のように、昨日の祝言の名残も無く、全て片付けられていて、何もなかったように元通りだ。
「夢?な訳ないよな」
きっと、あの二人なら、騰真氏と一緒になった時点で機転を利かせて、帰る前に享一に声を掛けるという危険を冒したりはないだろう。
2人が東京に戻る前にもう一度、会っておきたかったのに・・と、そう思うと残念だった。
耳鳴りがしそうな程の静寂に、閑散とした屋敷に独りぼっちで残されたような気になり、すぐに周の顔が見たくなって周の部屋に急いだ。もう起きているだろうか?
日は高く昇り、日差しが強くなって中庭や地面、屋敷の瓦屋根に鮮かに反射し、日の当たらない屋敷内のこの静寂をより一層強調していた。早く、周に会いたい。
会って自分の中の一番素直な気持ちを伝えたい。周は受け入れてくれるだろうか?
渡り廊下に差し掛かった時、不思議な既視感がよみがえる。
昨夜、この廊下を誰かが歩いていた。それは、自分が今行こうとしているのと同じ方向に歩いていた気がする。この廊下を過ぎれば、その先にあるのは周の部屋への隠された入り口があるだけだ。月光に照らされた長躯の白い影。周と息を合わせ添うように舞う男だったような気がした。あれはジェラシーの生んだ幻だったのだろうか?
目の前に周の部屋に通ずる廊下が秘密の部屋を隠すように折れ曲がり、障子が拡散する柔らかい光の届かない暗い陰の向こうへと続いている。
無意識に足がそろりと音を立てずにその陰の中に踏み出した。男の幻を見たせいか、進んでいく歩とは裏腹に、なぜか心は警笛を鳴らしその先へ進むことを拒んでいた。
薄暗い廊下の中にカムフラージュされた物入れの扉があり、その前に立った。この先に部屋のあるフロアへ降りる階段がある。
躊躇いを憶えながらもその引き戸を開け階下を見下ろした。周の部屋の扉は開けられているようで室内を満たす淡い外光が階下の短い廊下と階段下までとどいている。
薄暗い階段を下りていった。
「周、起きてる?ちょっと、話が・・・」
ライトコートからの明るい光に満たされた室内に足を踏み入れ、享一は凍り付いた。
周はベッドにいた。裸でドアの方向に背中を向けてクッションに凭れる人物とキスをしている。行為に夢中なのか、享一が部屋に侵入してもこちらを向かなかった。周の頭が相手の項に移ったことで凭れている男の顔が露になり目が合うと、その人物は眼鏡を掛けていない顔にいつもの苦笑を浮かべた。
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巧みにカムフラージュされた自分の部屋に入ると、天井までの大きな嵌め殺しのガラス窓の前に神前 雅巳(かんざき まさみ)が立っていた。着替えを終えた神前は、バランスのとれた190cmの長躯に、上質な生地の白いシャツにアイボリーのスラックスを穿いている。自分の優れた容姿を熟知し、いつも一番効果的な見せ方をする。嫌味な男だ。
「いい部屋だね。設計は圭太?」
「はい、河村さんにお任せしました。」
「ふうん・・どうせ、圭太の押し売りだろう?
圭太は周(あまね)のこと、随分と気に入ってるからね」
「使い勝手は良いので、お願いしてよかったと思っています」
神前は鼻で笑ったが、半分は当たっていた。隠し部屋の相談を持ちかけた新進気鋭の建築家は、この部屋の設計を自分がやるといって聞かなかった。
「もっとこっちに来て、花婿姿を見せてください。」
後ろのガラスに、神前の前に進み出る自分の姿が映っている。情けない顔の、紋付袴を着た敗北者の男だ。神前の指が紋付の襟を辿る。着物の袖の下で握り締めた拳が下げられたまま震えている。襟を弄んでいた神前の指が周を捕らえて唇を重ねてきた。今し方、享一の唇から移し閉じ込めたぬくもりが奪い取られそうで思わず顔を逸らすと、神前が片頬を上げて可笑しそうにをその様子を見遣った。
「袴姿が よく似合っているね。素敵だよ、周」
同じ言葉でも、愛しい人の口から聞くのとは、どうしてこうも違うのか?
「約束通り、周の初夜を私にくれるのでしょう?」
「・・・神前様が、約束を守ってくださるのなら、この夜を差し上げます」
「いい心掛けだね、周。じゃあ、もう逃げるのは無しだよ」
再び唇が重なり、神前の優しい口調とはかけ離れた力で背中を戒められ、空いた片手は袴の紐を解いてゆく。合わされた唇から大切なぬくもりが消え去って、更に氷のようにつめたく冷え切っていくのを感じて、周は絶望に目蓋を下ろした。
「ねえ、周 私はきみの結婚を完全に許した訳ではないということを、忘れてはいけないよ」
神前は耳元に唇を寄せ、周の心に刻みつけるように言うと、続いて帯も解き黒い紋付の下に優雅な仕草で手を這わせ 足許に落ちた袴の上にバサリと軽い衣擦れの音を立てて落した。自分に数々の優雅な動きと愛撫の仕方を教え込んだ、爪の先まで美しく手入れされた手。
所詮、自分はこの手からは逃げられないのか・・・?
その手が、襦袢の掛け襟の間に忍び込み胸の突起を探り尖った爪で引掻くと、周の口から痛みに耐える押し殺した声が漏れる。すべてを取り払われ、全裸で神前の前に立つ。
「完璧な美だ。やはり周はこの姿が一番、美しい。
さあ 周、顔を上げてお前の中で最も美しい翡翠の瞳をみせておくれよ
可愛いサクラさんを守りたいなら、教えた通りその瞳で私を誘惑して見せて」
周は屈辱に震える躯を神前に寄せて、小さな声で教え込まれている言葉を口にした。
「今夜・・私を貴方の奴隷にしてください・・・」
キョウイチ・・・・。俺は、間違っていた。堕ちるのは自分一人でいい。
明るく柔らかい自然光が部屋を満たしている。頭が割れるように痛かった。久し振りに目にする和室の天井に訳が判らず、記憶を手繰り寄せようとするが、控えの間を出たところで途切れており、その先が曖昧でどうしてもはっきりとした記憶とならななかった。
「頭・・・、重い・・」
どうやってこの部屋に戻ったのか、何故この部屋なのか?此処のところの自分の生活を考えると、無意識に戻ったにしても、戻る部屋は周の部屋に向いそうにも思える。障子を見ると、透過してくる光は既に眩しく、昼近い時間である事が判った。
「あっ!ティーンズ!」
美操達は朝一で騰真氏達と一緒に東京へ戻ると言っていた。部屋を飛び出した。
広い屋敷の中は静まり返っていて、人のいる気配は無かった。夢の後のように、昨日の祝言の名残も無く、全て片付けられていて、何もなかったように元通りだ。
「夢?な訳ないよな」
きっと、あの二人なら、騰真氏と一緒になった時点で機転を利かせて、帰る前に享一に声を掛けるという危険を冒したりはないだろう。
2人が東京に戻る前にもう一度、会っておきたかったのに・・と、そう思うと残念だった。
耳鳴りがしそうな程の静寂に、閑散とした屋敷に独りぼっちで残されたような気になり、すぐに周の顔が見たくなって周の部屋に急いだ。もう起きているだろうか?
日は高く昇り、日差しが強くなって中庭や地面、屋敷の瓦屋根に鮮かに反射し、日の当たらない屋敷内のこの静寂をより一層強調していた。早く、周に会いたい。
会って自分の中の一番素直な気持ちを伝えたい。周は受け入れてくれるだろうか?
渡り廊下に差し掛かった時、不思議な既視感がよみがえる。
昨夜、この廊下を誰かが歩いていた。それは、自分が今行こうとしているのと同じ方向に歩いていた気がする。この廊下を過ぎれば、その先にあるのは周の部屋への隠された入り口があるだけだ。月光に照らされた長躯の白い影。周と息を合わせ添うように舞う男だったような気がした。あれはジェラシーの生んだ幻だったのだろうか?
目の前に周の部屋に通ずる廊下が秘密の部屋を隠すように折れ曲がり、障子が拡散する柔らかい光の届かない暗い陰の向こうへと続いている。
無意識に足がそろりと音を立てずにその陰の中に踏み出した。男の幻を見たせいか、進んでいく歩とは裏腹に、なぜか心は警笛を鳴らしその先へ進むことを拒んでいた。
薄暗い廊下の中にカムフラージュされた物入れの扉があり、その前に立った。この先に部屋のあるフロアへ降りる階段がある。
躊躇いを憶えながらもその引き戸を開け階下を見下ろした。周の部屋の扉は開けられているようで室内を満たす淡い外光が階下の短い廊下と階段下までとどいている。
薄暗い階段を下りていった。
「周、起きてる?ちょっと、話が・・・」
ライトコートからの明るい光に満たされた室内に足を踏み入れ、享一は凍り付いた。
周はベッドにいた。裸でドアの方向に背中を向けてクッションに凭れる人物とキスをしている。行為に夢中なのか、享一が部屋に侵入してもこちらを向かなかった。周の頭が相手の項に移ったことで凭れている男の顔が露になり目が合うと、その人物は眼鏡を掛けていない顔にいつもの苦笑を浮かべた。
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残すところ、あと一話となりました。今の心境は、ただ、ただ、感無量です。
明日、後記をUPしますが、ひとまず先にお礼が言いたくて書き込みました。
わたくし紙魚の書くものは、長くてかなり読みづらい文章だったのではないかと思います。
それなのに、最後までお付き合いくださった方々がいてくださったことに
感謝の気持ちでいっぱいです。2部の再開まで少し時間を頂く予定ですが、
なるべく早く更新したいと思います。2部も皆さまに読んでいただけるよう
がんばります。では、最後までお楽しみくださいませ。 紙魚

残すところ、あと一話となりました。今の心境は、ただ、ただ、感無量です。
明日、後記をUPしますが、ひとまず先にお礼が言いたくて書き込みました。
わたくし紙魚の書くものは、長くてかなり読みづらい文章だったのではないかと思います。
それなのに、最後までお付き合いくださった方々がいてくださったことに
感謝の気持ちでいっぱいです。2部の再開まで少し時間を頂く予定ですが、
なるべく早く更新したいと思います。2部も皆さまに読んでいただけるよう
がんばります。では、最後までお楽しみくださいませ。 紙魚

すみません気がつかなかったもしくは忘れていました……
いきなり周さんが受けでびっくりしました~笑
萌えますが(ぼそっ)