06 ,2012
筐ヶ淵に佇む鬼は 9
「また落ちてしもたか。いったいどうなっとんや」
筐ヶ明神の夏祭りが、間近に近づいていた。空には目が痛くなるくらいの真白な入道雲が居座っている。
戦争中は放置され傷みが進んだ舞台の修復や参拝路の整備が、朝から村人総出で行われた。舞台の落ち葉や塵を掃き清めて補強し、崩れていた参道の雑草を抜く。幼い子供たちが作業する大人の間を走り回って怒られている。
その日、筐ヶ淵はいつもの物寂しい雰囲気が一転して、飛び交う怒声と笑い声で賑わっていた。
案じられていた舞台を水中で支える柱の不朽は認められなかったらしく、奉納舞も恒例通り納められることになった。
言えば怒られてしまうだろうが、章俊以外の者が舞う迦陵頻迦は、わたしにとっては猿回しにしか見えない。喜び合う大人たちの会話を、わたしは水面から伸びる柱を眺めながらきいていた。
筐ヶ淵は、底なしと言わている。ならばどうやって柱を立てたのだ。聞けば、舞台は筐ヶ明神の建立とともに古く、記録も残っていない。その構造や施工方法は未だ解明されていないという、なんともすっきりしない返答だった。
「ほんま、どうなっとんのや!」
「こりゃもう緩んでしもて使えん、新しい七五三縄を用意せなならんなあ」
「いらん悪戯しよってからに。藁はまだ残っとるか」
鳥居から苛立った声があがった。
幅員4メートルほどの参拝路を挟んで渡された鳥居の七五三縄は、何者かによって切られて以来、何度縄をかけなおしてもすぐに外れ落ちた。
―― 道が出来てしもうた、道が出来てしもうた。どうぞ、明神さん怒らでくんなさい。
朱の褪せた鳥居に手を合わせ、念仏のように唱えているのはわたしの祖母のマサヱだった。白内障の進んだ祖母は視力が弱く、わたしが手を引いて一緒に筐ヶ淵を訪れていた。
祖母はわたしの隣で深く腰をかがめて手を合わせ、延々小声で何かを唱えている。
「何で七五三縄を巻かなきゃいけないのかな。あんなとこに巻いちゃったら、誰も通れないじゃないか」
普通、鳥居にかけられる七五三縄は、貫と呼ばれる上から数えて二番目の横木の高さにかけられる。しかし筐ヶ明神の鳥居の七五三縄は、大人の腰の高さくらいにかけられていた。
わたしのつぶやきに、手を合わせていた祖母の声が、ふつりと途切れた。
「あそこを通るんは人ばっかりやあらへん。あてらが通したないんは、もっと別のもんなんや」
人ではない。祖母の言葉に、荒削りの不気味な面が浮かんで消える。背中を怖気が駆け上がった。
「願い事かよく叶うって、昔は遠い所からもたくさんの人が参拝にきたんだよね」
「ほんなこと、誰から聞いたんや」
祖母の染みと皺だらけの顔が、青黒く凝固したように見えた。皺を押しのけ開いた目は、優しい祖母ものと思えないほど鋭い。わたしは、はじめて見る祖母の厳しい表情にたじろいだ。
「誰って……、学校の誰かだったと思う」
わたしは即座に、願掛けをした人が成就のお礼に自分の身体の一部を奉納したという怖ろしい伝承ごと章俊を心の裏に隠した。
祖母が、わたしの瞳を覗きこむ。
白濁した祖母の瞳が、わたしが隠したものを見抜いているような気がして怖くなった。
「あそこを通るんは、自分の失くしたもんが恋しゅうて、成仏しきれん人間の魂や。そういう卑しい魂は、生きとる人間を巻き込もうとする。七五三縄は、こっちとあっちの行き来を断つための大事な役割をしてくれるんや」 少年雑誌で読んだ 「結界」 という言葉が頭に浮かんだ。
卑しい魂。自分の手や足や目玉を奉納した者の魂が、なくした身体の一部を偲んでここに戻って来る。それは悲しいことであって、卑しいというのとは違う気がした。
祖母の話は明言こそしなかったが、章俊から聞いた伝承を裏付けているようなものだった
「昔の話を知るもんは、もうこの村にもほとんどおらん。知っとるのはあてら老人ばっかり。それも墓に持って行ったらそれで消える。そしたら、願掛けに来る愚か者もおらんようになる」
祖母の呟きは、念仏のような硬い声だった。
だが、それが何だというのか。全ては過ぎ去った古の話だ。
戦闘機が遠い国から飛んできて、爆弾を落として家を焼く、人を殺す。今のわたしには古い迷信なんかより、現実の方がより恐ろしいことなのだ。
いまの時代、伝承を知ったからといって真に受けて、自分の手足を差し出すものなどいない。なぐさめにそう声を掛けかけて、わたしは黙り込んだ。祖母が頑なに信じている信仰を、わたしがとやかく言うのは違っている気がしたのだ。
「ええか、健吉。明神さまの事は、なにがあっても口にしたらあかんのやで」
祖母の念押しは、筐ヶ淵の入り口に立つ章俊を見つけたわたしの耳には届かなかった。
一段と痩せ、髪も癖がわかるほどに伸びた章俊は、線の細くなった面で物憂げに舞台の修復作業を見るとはなく眺めている。その顔が手を振るわたしに気がついて、緩く綻んだ。それだけで、わたしの胸は高鳴り、歓喜する自己を抑えられなくなる。
章俊に駆け寄ろうと足を踏み出した時だ。
「お母ちゃん、有一兄イが帰ってきたで!」
四郎の叫ぶ声に、作業をしていた者たちが一斉に振り返った。
平井口側。章俊の立つ位置から反対側の参拝口に、人だかりができている。団子になった人の群れがゆっくり割れ、ひとりの男が前に出た。
「おお、ほんまに有一やで!」
戦地から帰郷した有一は、その足で筐ヶ明神に来たのだろう。ボロ布のごとく破れて黒く乾いた血に染まり、雑巾よりまだひどいと思われた軍服は、有一がいかに過酷で悲惨なな状況を潜り抜け、生還したのかを物語っているようだった。
陽に灼け肉が削げ落ちた容貌は、有一を一段と精悍な顔つきに仕上げていた。雑草を抱えた小百合ネエや、妙齢の少女たちは喜ぶ頬を顔をそっと紅らめた。
近くで見ようと集まってきた人々に囲まれ、有一の姿は再び見えなくなる。優秀で次期青年団長候補として村人の信望も厚かった有一は、村人にとってまさに希望の光だった。
人垣をかき分けて泣き崩れる母親の前に行くと、有一は地面に膝をついて深々と頭を下げた。
「多賀有一、恥を忍んで只今戻りました。長らく、ご苦労をおかけしました」
肩を抱き合う母子の姿に、あちらこちらから嗚咽の声が漏れてくる。誰もが歓喜に胸を熱くし、その光景に見入っていた。ひとり以外は。
「アキはどこだろうか。 だれか見ていませんか」
章俊は、見開いた瞳の睫毛を慄わせ自分を探す有一を見つめている。ふたりの仲の良さは、村の者ならみな知っている。親友の帰還に感極まって章俊は言葉も出ないのだろうと、誰もがそう思った。
「章俊さん、よかったなあ」
有一が戻れば、亡霊のようだと噂されるようになった章俊も、きっと元の朗らかな章俊に戻るはずだと、みな期待している。それはわたしにも喜ばしい事であるはずなのに、わたしの胸には薄い切な色の雲が立ち込めていた。
村人越しに章俊を見つけた有一が立ち上がった。大人びて男らしさの増した顔が、章俊を見つけ燦然と輝きだす。
「アキ! いま帰ったぞ」
軍靴の踵を響かせ、有一は章俊のもとに向かった。だがひきつけを起こしたように声をあげ、章俊は後ろに蹌踉めき尻餅をついた。
「ひ……ぃ。あ、あ」 これまで見たこともないくらい取り乱した章俊は、尻餅のまま後ずさろうとする。
わたしは最初、章俊は嬉しさのあまり自失状態になっているのかしらと思った
開いた唇は何かを言おうとしているようだが、歯の根が合わず、音が短く途切れるばかりで言葉にはならない。眼鏡の奥ので怯えたように有一を見る章俊の眼が一瞬、外れた。色を失くした唇の震えが止まる。
「………」
本能的に章俊の視線を追った。驚く村人たち、静かな筐ヶ淵、木の香りも新しい舞台、七五三縄が外れた鳥居の、その先。視界に嵌った奇妙な光景に、わたしは引き攣れた叫び声を上げそうになった。
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Σ( ̄□ ̄ :)ハッ? 如何して そんな顔を!?
そ・そ・そうかぁーー!
遅すぎた、遅すぎたんだぁ~~ガ━━━(||゚ω゚||)━━━ン!
朔之介の慰み者として 息するだけの人形と化した章俊
今更 有一と 以前の様には なれっこない。
運命は、何と過酷なの!
もし 章俊が、有一を信じて待ち続けていれば... もし 有一が もっと早く帰っていれば...
幼いけん坊と 同じ考えをしていた 自分が情けないです。
大人歴が長いと言うのに・・・ショボ─llll(。i _ i。)llll─ン...byebye☆