06 ,2012
筐ヶ淵に佇む鬼は 8
久しぶりに見た章俊は、円いレンズの眼鏡を掛けていたが、わたしが章俊を見間違うはずはない。
駆け寄ろうとしたわたしを、運転手の白い手袋をはめた手が制した。中年の運転手は怖い顔でわたしを睨みつけ、ゴミでも払うように立ち去れと手を振る。
章俊はわたしには気がついていないようだ。
後部座席から降りようとした章俊を、隣りに座る誰かの腕が引き戻した。2人は少し揉みあい、章俊を引っ張った側の男の横顔が顕になる。朔之介だった。
彼は章俊の顎を片手で捉えて引き寄せると、その唇に接吻けた。
章俊は一瞬、瞠目したが、やがて目を閉じて朔之介の接吻を受け入れた。章俊の顔は、そのまま朔之介の後頭部に隠されて見えなくなった。わたしの目の前で時間が止まる。
運転手は、わたしを殺してでも口を封じたかったのだろう。凄まじい殺意の篭った眼でわたしを睨んでいた。その顔が、さっきの奇面の顔と重なって全身が慄えた。それでもわたしはその場から動くことも、立ち去る事も出来なかった。
間も無くして後部のドアが開き、章俊が降りてきた。やや青ざめた顔で車の中の朔之介に恭しく一礼してドアを閉めると、力ない足取りでこちらに向かって歩いてくる。
わたしはもう、頭の中が滅茶苦茶で、何をどう受け止め考えればいいのかもわからなくなっていた。
章俊がわたしを見つけ、狼狽したように立ち止まった。
「けん坊……」
わたしの好きな、柔らかい筆で描いたような優しげな瞳は絶望に大きく身開かれ、上品な線で縁取られた唇は細かく戦慄いていた。
言葉が途切れ、凍りついたように向かい合って立つわたし達の横で車が停まる。
中からドアを開け、朔之介が章俊に声をかけてきた。
「章俊、乗るといい。やはり東郷まで送って行こう」
この前、会った時は章俊君と敬称がついていた。繋がりの深まりを匂わすように、章俊の名を馴れ馴れしく呼び捨てた男に、またあのどろりと重く濁った感情が湧く。
章俊は茫然と顔色を失ったまま、わたしから逃れるようにドアに手を掛けた。
わたしは章俊のその腕を掴み、力任せに引っ張った。
「けん坊! なにをするん……」
わたしは、章俊の腕を強く掴んで放さなかった。わたしを見る章俊の顔は明らかに怯え引き攣っている。だが、章俊を朔之介と行かせたくなかった。
「神主さんが殺されたんだ。章俊さん、僕と一緒に来て!」
「え………?」
章俊の目が動揺に激しく揺れ、眼鏡の奥で大きくなった.
夕刻、筐ヶ淵は警察やら村の人間で物々しい雰囲気に包まれた。
章俊はわたしを、叔父の家でも現場でもなく、村の小さな派出所に連れて行った。当然、巡査がひとり常駐するだけの小さな村の派出所では対処しきれず、その日のうちに県警から人が寄越された。
「けん坊、おつかれさん。疲れたやろ。大丈夫か?」
派出所を出るとゆるい夜風が緊張の残る皮膚を撫でてゆく。
第一発見者であるわたしは、面識のない警察官や強面の刑事に囲まれ、発見時の様子を繰り返し説明をする羽目になった。
死体発見時の様子から、警察は事件と事故の両方を視野にいれているらしかった。
章俊は、忙しい叔父や叔母の代わりに、放免されるまでわたしに付き合ってくれていた。
「見んでええもん見てもたな」
章俊の手がわたしの頭に載る。
不意に朔之介に接吻けられた時の章俊の様子が気になった。あの時、章俊の表情は朔之介の頭で隠れて見えなかった。章俊の手は朔之介の腕に添えられていたが、押し返しているのか、それとも引き寄せているのか、わたしにはわからなかった。
「章俊さん、眼鏡かけたんだね」
本当に訊きたいのは、そんなことではない。だが、わたしの侵入を許さない壁の前で、わたしは地団駄を踏むしかなかった。
「ああ、これ? 勉強のし過ぎやろか、急に視力が下がってしもて。けん坊も、勉強のやり過ぎには注意やで」
冗談めかして笑う章俊は、いつもの優しい章俊に違いなかった。それなのに、胸に広がる黒い霞はますます濃度を増してゆく。
「それにしてもけん坊は、視力がええんやなあ。筐ヶ淵を挟んでるのに、よう神主さんが倒れてるの見つけたな」
わたしは視力が良い、だから見なくてもよいものを見てしまった……。それが事実ならどれほど良かったか。
「俺やったら、見落としてたかもしれへん」
神主の身体の大半は、茂った木々の葉で隠れていた。斑に赤褐色に染まる着物の袖と、肘から先だけが見えていただけだ。
あの奇面を被った男に指し示されなければたぶん気付かなかった。
「神主さんの手と着物が白かったから」
奇面の男のことは、誰にも話さなかった。
ひとつは水面に姿を映し実際には存在しない男をどう説明して良いのかわからなかったのと、もう一つは口にすることが恐ろしかったからだ。できる事なら忘れてしまいたかった。あれは幻だった。気のせいだったと、その後も何度も自分に言い聞かせた。
「他には、なんも見んかった?」
「何も……って?」
「犯人に繋がるような何か」
わたしは章俊の顔を見た。
眼鏡を掛けた章俊の横顔からは、何も読み取れない。ただ清かな星明かりに映える柔らかそうな唇に、朔之介との接吻を思い出し、胸を焦がすばかりだった。
数日後、神主の死因は事故ということで片が付き、『事件』 はあっけなく幕を引いた。
それまで犯罪など全くの無縁だった村だ。やれ 「殺人事件だ」 「犯人探しだ」 と、騒然となっていた村人は、憑き物が落ちたみたいに落ち着きを取り戻した。
神主の死体は階段の途中に倒れており、その少し上段に生した苔が土ごと抉れているのが見つかった。長く降り続いた梅雨の雨でぬかるんでいた苔に、高齢の神主が足を滑らせて転落したのだろうという結論に至ったという話だった。 死後1週間以上は経っていたというのに、湿度と気温の加減で死体の腐敗は殆どなかったという。
事件は片付いたが、もう一つの出来事が村の老人たちを怯えさせた。
鳥居の七五三縄は警察の現場検証が終わって、すぐに新しいものが締め直された。
その七五三縄が、何度、締め直しても落ちてしまう。
夏祭りの取り止めも顔役たちの間で取り沙汰されたが、明神様のご機嫌を執り成さねば更なる災いも起こりかねぬと、祭の神事を隣村の宮司に頼むことになった。
別れ際、章俊が夏祭が終わるまで村に留まることを聞きつけたわたしの気持は、陰々とした仄暗さを残しながらも子供の単純さで浮上した。
その章俊は、夏祭りが近づくにつれ、いつも何かに気を取られているような虚ろな表情をするようになっていた。覇気がなく、村人から声をかけられても微かに微笑むだけですっと行き過ぎてしまう。
口の悪い者の中には、どんどん痩せ細ってゆく章俊を幽霊呼ばわりする者さえ出てきた。
なにやら妖しい色香が章俊から漂い出した頃、そんな章俊すら驚かせるような出来事が起こった。
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神主さん、事故で片付きました v
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拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
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悪趣味だな、朔之介って! この クソ野郎ーー!o(`ω´*)oフン!!!
妖しい色香を纏い やせ細っていく章俊の この変わり様には、もう何も言える言葉が見つからないです。
せめて せめて 有一が生きて帰って来てくれたら~~~(´。・ω・。`)シクシク
神主さんの死は、事故扱いですか。
しっかり調べないと 嫌な予感が・・・と、書こうとしたら 驚愕な出来事ってーー!Σ(・o・)b
最後に もう一回 言わせて下さい。
( ´。`)スゥーーー・・・ (っ`Д´)っ・:∴<<<朔之介のクソヤロー!
スッキリィ♪(*⌒ー⌒*)ゞ...byebye☆