06 ,2012
筐ヶ淵に佇む鬼は 7
✿ 怖い+不気味です。大丈夫な方だけお進み下さい ✿
梅雨が明け、勢力をつけた陽射しはジリっと山や野や畑、そこで働く人々を焼いた。
村は夏祭り再開が決まってからというもの、村には俄に活気づき、皆どことなく浮き足立っている。
戦争時の救いようのない逼塞感は、せせらぐ水のように人々の間を流れ去って行った。
人々は大日本帝国が見た長い夢から放り出され、自分を生かすのは己のみと地面を踏みしめた。失意と戸惑い、そして僅かな希望が混濁した時代を迎え、誰もが活路を見出そうと必死だった。
「けん坊、東郷さんに卵届けがてら、神主さんとこ寄ってお迎えは何時がええか聞いてきてくれへんか?」
その日の夜は、村の氏子たちが夏祭りに向けての段取りを話し合う。寄合所まで、高齢の神主のために迎え寄越すことになっていた。
戦地から戻った叔父は、足を負傷していた。歩けなくはないが、思うように畑仕事ができなくなった叔父は、畑を祖父母に任せ次男と東郷家の余った土地を借りて小さな養鶏所を始めた。
東郷の屋敷に持っていけと渡された竹籠の中を覗くと、大きさの揃わない9個の鶏卵が入っている。産みたての卵は滋養もあって美味いし、売ればいい金になる。養鶏場のおかげで叔父の家には生活に余裕が生まれ、その頃はまだ貴重だった卵を好きなだけ食べさせてもらえた。
この卵を章俊に食べてほしい。ぼんやりそんなことを考えながら歩いた。
章俊とは、東郷家の広間での話し合いを盗み聞きした日以来、会っていない。章俊は盗み聞きを咎めもせず、ひとりで危ないからと、筐ヶ明神の参道が終わる平井口まで送ってくれた。
あの日を境に、章俊は大学のある街からほとんど帰ってこなくなっていた。
そして有一もまた村には戻ってこなかった。終戦間際、有一のいた部隊は最も激しい前線に送らた。部隊は全滅したのだという。生き残った兵士は敵国に捕虜として捕らえられたが、有一の消息はわからないのだと叔母から聞かされた。
口には出さないが、みな有一は戦死したと思っている。
ある夜、有一の母親が家に来て、息子がお国の為に戦って勇敢に死んだんです。名誉なことです。と気丈に言い、声を殺して嗚咽する有一の母親を叔母は抱きしめた。
有一の弟の四郎は、威勢もふてぶてしさも相変わらずだった。ただ中学に上がってからは 以前のように子分を引き連れている姿は見なくなった。いつも単独で行動し、中学で一緒になった隣村のワルと衝突しては担任から呼び出されていた。そしてどういう心境の変化か、わたしといることが増えた。他愛もない会話の中、やはり四郎の口から有一の名前が出ることはない。
四郎は願掛けをしたのだ。四郎は有一が生きて戻ると信じていた。
章俊はどう思っているのだろう。幼馴染で親友。そんなものではない。天上の舞いを舞ったふたりには、簡単な言葉では言い表せない絆がある。地上にひとり取り残された迦陵頻伽。
東郷の人に章俊がいつ帰ってくるか尋ねてみようか。
鬼が取りにくる ーー あの気味の悪い伝承の話をしたのが、章俊と言葉を交わした最後の会話だった。小百合ネエの話では、章俊は東郷の家に帰ってきても用事が済めばさっさと大学に戻ってしまい、泊まることもほとんどないのだという。
「章俊さん、前みたいに冗談ゆうたり笑ったりせんようなって。なんや人が変わってしもたみたいやわ」
あの日、筐ケ明神の鳥居を見ていた章俊の横顔が忘れられない。
わたしは、章俊に会いたかった。
神主の住居は筐ヶ淵を少し過ぎた脇道にある。こじんまりとした木造の家屋で、敷地に筐ヶ明神の本殿と分けた小さな神殿と、お稲荷様を祀った祠がある。独身の神主はそこにひとりで住んでいる。
筐ヶ淵を通るなら、なるべく明るい時間の方がいい。
わたしは先に神主に会ってから、東郷家に行く事にした。もしかしたら偶然、章俊が戻ってきているかもしれない。そうしたら、少しでも長く章俊と話をしたい。
参拝路を兼ねた旧道は、新道の復旧で人の足が減ったせいか、道の真中にまで下草が生えていた。本来なら、神主の管理の範疇のはずだが、高齢の神主がひとりで参道の整備までするのは荷が重い。そろそろ代替わりをという話が持ち上がっていたのに、村の長老衆が頑なに反対していた。
筐ヶ淵に差し掛かった。
人の侵入を拒むかのように荒廃した参道はひっそりと静まり返り、人影もなければ風一つも吹かない。地面には太陽が照りつけているというのに、夕刻時のような物寂しさが緑灰色の水を湛える淵や取り囲む山林に漂う。
とっくに心細くなっていたわたしは、帰りは新道で帰るのだからと自分を励ました。
鬱蒼と茂る鎮守の杜に覆われた筐ヶ明神の鳥居は、打ち捨てられたかのように精彩を失っている。背後の樹々の暗がりと相まって、なお不気味だ。
全力で先を急ぎたいわたしの意志に反して不意に足が止まった。
この春、新道が復旧するまで、東郷の屋敷に行くときはこの筐ヶ淵の道を通っていた。その時の景色と何かが違う気がしたのだ。
雑木が密生する円い山の端、鎮守の森、鳥居、舞台、それらをを映す筐ヶ淵の水面に視線を落としたわたしは、恐怖で動けなくなった。
山影が落ちた黒い水面に、鳥居が逆さに映る。その鳥居の下に実際にはいない筈の人影があった。
白い装束を着た男が、赤い徴のついた奇妙な面をつけている。面と言うよりは、太い木を斧かナタで乱暴に叩き割って、口と目だけを繰り抜いたものを無理矢理、顔に覆っている感じだ。赤い色で斜めに3本、殴り描いたみたいな平行四辺形の徴が恐ろしい。穿たれた二つの黒い穴は間違いなくわたしを見ていた。
音も風もない静止した世界でわたしだけが慄え、全身に冷たい汗を滴らせていた。
その手が上がり、現実の鳥居の後ろの石段の上方を指さした。面で表情のない顔が、薄っすら笑ったように感じた。男が指し示す石段の奥は、両側から樹々の枝で隠れ、わたしの位置からだと屈まないとその奥までは見えない。
見るのは怖い。だが、この竦んだ状態のまま日暮を迎えるのはもっと怖い。わたしは、ぎこちなく動くからくり人形のように屈み、水面から鳥居、その奥へと視線を向けた。何もない。
恐々、視線を戻せば、水面に映る男の姿はもうなかった。
「あ……ない」
安堵もつかの間、そこで改めて鳥居を見、わたしは初めて鳥居に起こった異変に気がついた。
鳥居に幾重にも巻かれていた七五三縄が、誰かに真中でざっくり切り落とされていた。散らばった縄を追って更に石段の上に目をむける。
竹籠から落ちた卵の薄い殻が割れる湿った音で、わたしは呪縛から我に返った。どこかで停滞していた恐怖が、堰を切ったように押し寄せてきた。
わたしは神主のところには行かずに引き返し、養鶏場の叔父を目指して死に物狂いで走った。
鳥居のすぐ後ろは、神殿に通じる急勾配の石の階段になっていた。人が3人並んで登れるかという幅の狭い石段は、途中から覆いかぶさった木々に隠れてしまう。木々陰が落ちる薄暗い階段に不自然に投げ出された腕と、赤黒く染まった着物の袖をわたしは見てしまった。
陽も当たらず湿気って苔生した仄暗い階段に、かつては白かった着物の袖と、鶏の脚のような萎びた腕が白く浮き上がって見えた。
あれは神主さんだ。
じわりと慄えが来て、足が止まりそうになる。泣き出しそうになるのを堪えてわたしはひた走った。
神主はアイツに殺されたのだ。あの奇妙な面を被った男に。ここで止まれば、わたしもアイツに殺される。
平井口から新道に出たところで、わたしはやっと足を止めた。
くろがね4起より、もっと大きく立派な黒い車が、道路脇の大木の陰に停まっていた。
わたしが立ち止まったのは、その車が珍しい外国製の車だったからというのだけでない。車の後部座席に、章俊の顔を見つけたからだった。
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梅雨が明け、勢力をつけた陽射しはジリっと山や野や畑、そこで働く人々を焼いた。
村は夏祭り再開が決まってからというもの、村には俄に活気づき、皆どことなく浮き足立っている。
戦争時の救いようのない逼塞感は、せせらぐ水のように人々の間を流れ去って行った。
人々は大日本帝国が見た長い夢から放り出され、自分を生かすのは己のみと地面を踏みしめた。失意と戸惑い、そして僅かな希望が混濁した時代を迎え、誰もが活路を見出そうと必死だった。
「けん坊、東郷さんに卵届けがてら、神主さんとこ寄ってお迎えは何時がええか聞いてきてくれへんか?」
その日の夜は、村の氏子たちが夏祭りに向けての段取りを話し合う。寄合所まで、高齢の神主のために迎え寄越すことになっていた。
戦地から戻った叔父は、足を負傷していた。歩けなくはないが、思うように畑仕事ができなくなった叔父は、畑を祖父母に任せ次男と東郷家の余った土地を借りて小さな養鶏所を始めた。
東郷の屋敷に持っていけと渡された竹籠の中を覗くと、大きさの揃わない9個の鶏卵が入っている。産みたての卵は滋養もあって美味いし、売ればいい金になる。養鶏場のおかげで叔父の家には生活に余裕が生まれ、その頃はまだ貴重だった卵を好きなだけ食べさせてもらえた。
この卵を章俊に食べてほしい。ぼんやりそんなことを考えながら歩いた。
章俊とは、東郷家の広間での話し合いを盗み聞きした日以来、会っていない。章俊は盗み聞きを咎めもせず、ひとりで危ないからと、筐ヶ明神の参道が終わる平井口まで送ってくれた。
あの日を境に、章俊は大学のある街からほとんど帰ってこなくなっていた。
そして有一もまた村には戻ってこなかった。終戦間際、有一のいた部隊は最も激しい前線に送らた。部隊は全滅したのだという。生き残った兵士は敵国に捕虜として捕らえられたが、有一の消息はわからないのだと叔母から聞かされた。
口には出さないが、みな有一は戦死したと思っている。
ある夜、有一の母親が家に来て、息子がお国の為に戦って勇敢に死んだんです。名誉なことです。と気丈に言い、声を殺して嗚咽する有一の母親を叔母は抱きしめた。
有一の弟の四郎は、威勢もふてぶてしさも相変わらずだった。ただ中学に上がってからは 以前のように子分を引き連れている姿は見なくなった。いつも単独で行動し、中学で一緒になった隣村のワルと衝突しては担任から呼び出されていた。そしてどういう心境の変化か、わたしといることが増えた。他愛もない会話の中、やはり四郎の口から有一の名前が出ることはない。
四郎は願掛けをしたのだ。四郎は有一が生きて戻ると信じていた。
章俊はどう思っているのだろう。幼馴染で親友。そんなものではない。天上の舞いを舞ったふたりには、簡単な言葉では言い表せない絆がある。地上にひとり取り残された迦陵頻伽。
東郷の人に章俊がいつ帰ってくるか尋ねてみようか。
鬼が取りにくる ーー あの気味の悪い伝承の話をしたのが、章俊と言葉を交わした最後の会話だった。小百合ネエの話では、章俊は東郷の家に帰ってきても用事が済めばさっさと大学に戻ってしまい、泊まることもほとんどないのだという。
「章俊さん、前みたいに冗談ゆうたり笑ったりせんようなって。なんや人が変わってしもたみたいやわ」
あの日、筐ケ明神の鳥居を見ていた章俊の横顔が忘れられない。
わたしは、章俊に会いたかった。
神主の住居は筐ヶ淵を少し過ぎた脇道にある。こじんまりとした木造の家屋で、敷地に筐ヶ明神の本殿と分けた小さな神殿と、お稲荷様を祀った祠がある。独身の神主はそこにひとりで住んでいる。
筐ヶ淵を通るなら、なるべく明るい時間の方がいい。
わたしは先に神主に会ってから、東郷家に行く事にした。もしかしたら偶然、章俊が戻ってきているかもしれない。そうしたら、少しでも長く章俊と話をしたい。
参拝路を兼ねた旧道は、新道の復旧で人の足が減ったせいか、道の真中にまで下草が生えていた。本来なら、神主の管理の範疇のはずだが、高齢の神主がひとりで参道の整備までするのは荷が重い。そろそろ代替わりをという話が持ち上がっていたのに、村の長老衆が頑なに反対していた。
筐ヶ淵に差し掛かった。
人の侵入を拒むかのように荒廃した参道はひっそりと静まり返り、人影もなければ風一つも吹かない。地面には太陽が照りつけているというのに、夕刻時のような物寂しさが緑灰色の水を湛える淵や取り囲む山林に漂う。
とっくに心細くなっていたわたしは、帰りは新道で帰るのだからと自分を励ました。
鬱蒼と茂る鎮守の杜に覆われた筐ヶ明神の鳥居は、打ち捨てられたかのように精彩を失っている。背後の樹々の暗がりと相まって、なお不気味だ。
全力で先を急ぎたいわたしの意志に反して不意に足が止まった。
この春、新道が復旧するまで、東郷の屋敷に行くときはこの筐ヶ淵の道を通っていた。その時の景色と何かが違う気がしたのだ。
雑木が密生する円い山の端、鎮守の森、鳥居、舞台、それらをを映す筐ヶ淵の水面に視線を落としたわたしは、恐怖で動けなくなった。
山影が落ちた黒い水面に、鳥居が逆さに映る。その鳥居の下に実際にはいない筈の人影があった。
白い装束を着た男が、赤い徴のついた奇妙な面をつけている。面と言うよりは、太い木を斧かナタで乱暴に叩き割って、口と目だけを繰り抜いたものを無理矢理、顔に覆っている感じだ。赤い色で斜めに3本、殴り描いたみたいな平行四辺形の徴が恐ろしい。穿たれた二つの黒い穴は間違いなくわたしを見ていた。
音も風もない静止した世界でわたしだけが慄え、全身に冷たい汗を滴らせていた。
その手が上がり、現実の鳥居の後ろの石段の上方を指さした。面で表情のない顔が、薄っすら笑ったように感じた。男が指し示す石段の奥は、両側から樹々の枝で隠れ、わたしの位置からだと屈まないとその奥までは見えない。
見るのは怖い。だが、この竦んだ状態のまま日暮を迎えるのはもっと怖い。わたしは、ぎこちなく動くからくり人形のように屈み、水面から鳥居、その奥へと視線を向けた。何もない。
恐々、視線を戻せば、水面に映る男の姿はもうなかった。
「あ……ない」
安堵もつかの間、そこで改めて鳥居を見、わたしは初めて鳥居に起こった異変に気がついた。
鳥居に幾重にも巻かれていた七五三縄が、誰かに真中でざっくり切り落とされていた。散らばった縄を追って更に石段の上に目をむける。
竹籠から落ちた卵の薄い殻が割れる湿った音で、わたしは呪縛から我に返った。どこかで停滞していた恐怖が、堰を切ったように押し寄せてきた。
わたしは神主のところには行かずに引き返し、養鶏場の叔父を目指して死に物狂いで走った。
鳥居のすぐ後ろは、神殿に通じる急勾配の石の階段になっていた。人が3人並んで登れるかという幅の狭い石段は、途中から覆いかぶさった木々に隠れてしまう。木々陰が落ちる薄暗い階段に不自然に投げ出された腕と、赤黒く染まった着物の袖をわたしは見てしまった。
陽も当たらず湿気って苔生した仄暗い階段に、かつては白かった着物の袖と、鶏の脚のような萎びた腕が白く浮き上がって見えた。
あれは神主さんだ。
じわりと慄えが来て、足が止まりそうになる。泣き出しそうになるのを堪えてわたしはひた走った。
神主はアイツに殺されたのだ。あの奇妙な面を被った男に。ここで止まれば、わたしもアイツに殺される。
平井口から新道に出たところで、わたしはやっと足を止めた。
くろがね4起より、もっと大きく立派な黒い車が、道路脇の大木の陰に停まっていた。
わたしが立ち止まったのは、その車が珍しい外国製の車だったからというのだけでない。車の後部座席に、章俊の顔を見つけたからだった。
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■最後までお読み頂き、ありがとうございます♪(*^▽^*)
みなさん大丈夫でしたか?怖くなかったですか?
BLじゃないですね。カテ違いな気もしますが、次話はちょっぴりBLです❤
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拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
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そんな場所に帰るも 滞在するのも 苦痛なんでしょう。
淵の水面に映るは、人では非ざる 怪の者!
それは、鬼!?
誰かの願いを叶える為に 姿を現したのでしょうか
怪の者が、教える神主の死は 何を意味しているのでしょうね。
ただの 殺人事件では ないような... もっと 深い 深い 何かが...
数日前の深夜に 怪談話しで有名な稲川さんの番組が(再?)放送されてました。
素人さんが (体験した?)怖い話しをして それを稲川さんが、評価したり? 自分の体験を踏まえて 話しをしたり?する番組?です。
如何して ?マークが いっぱいかと言うと、怖すぎて ずっと音声を消してたからなの!(´>∀<`)ゝ))エヘヘ
今日の話しは、怖いだけじゃなく +(プラス)不気味~~です。
||||||(; ̄∇ ̄)||||||||||||ゾォー…byebye☆