04 ,2012
トラブル・トラベル・トラブル 4
さらりと抜けゆく風に深呼吸すると、濃厚な酸素で肺が満たされる。
軽く目を閉じると、気怠さがゆっくりとした波のように押し寄せてきた。思えば、バカンスに出たというのに、飛行機に乗った瞬間から緊張したり疲れたりの連続だ。
レセプションと言うにはあまりにも開放的なフロアは、壁の代わりにと床と同じ高さの水面と熱帯雨林の緑が囲んでいる。屋根の形の天井の梁で瑠璃色の羽根の先を銀朱に染めた小鳥が澄んだ声で啼いた。
「楽園だろうか、ここは」
ソファの背もたれに頭を載せ茫然と呟く享一に、東京と携帯でやり取りしていた周が、雨林の緑よりなお瑞々しい翠の瞳を細めて笑った。
古代王朝時代に作られたという広大な貯水池は、渓谷から引いた豊かな水をなみなみと湛え、水面に熱帯の森と周囲をかこむ山の峰々を映し込んでいた。
1人掛けのソファに優雅に足を組んで座る周の正面に、民族衣装で正装した身なりの良い男が座る。この一帯をリゾート開発したレインフォレストの代表、アグン・アグス氏だ。
線の細い控えめな面持に上品な身のこなし、経営者と言うよりは優雅に舞いでも踊りそうな風情だが、2、3言葉を交わしただけで、これは周に違わず相当なやり手だと直感した。
ビジネスの上では周のライバルになる相手だが、アグンは紳士的な態度で男の連れを同行した周の来訪を心から喜んでくれた。
アグンの計らいで、広大なホテルの敷地内を部屋付のバトラーに案内されて歩いた。
渓谷の傾斜を利用して 方形の貯水池を囲むように計画されたヴィラリゾートは、伝統的なスタイルを壊さず、かと言って土臭さはどこにもない。道に迷ったかと思えば、突然の目の前に大きな椅子の置かれたリビングが現れたりする。内と外が自然と融和するここちの良い空間が、驚きのタイミングで仕掛けられている。
敷地内ならどこにでも、ワインや食事を運んでくれる。好きな時に好きな場所で食事やピクニックが出来るというのも擽ったいサービスだ。ソフト・ハードが共に洗練された、まさに大人のリゾートの名に相応しいラグジュアリーさだ。
世界中のホテル通を唸らせ、1年先まで既に予約が埋まっているというのも頷けた。
だが対象が素晴らしければ素晴らしいほど、大切な人と見て味わいたくなるのが人の常だ。
同じビジネスの土壌に立つ二人の話が白熱するのはわかる。
周たちが池に張り出したリビングで、話し始めて3時間。話も終わる頃だろうと戻ってきた享一は、風の渡る水辺のデッキ・チェアで2杯目のソーダを啜りながら、ぼんやり二人のシルエットを見た。
アグンに紹介される時、恋人だと言いかけた周を遮って、友人ですと言いきったあとから周の機嫌が良くない気がする。食事中に向けられる微笑み目が笑ってなくて、合わせて笑う自分の顔が焦りで引き攣ってゆくのを感じた。
本の一冊でも持ってくればよかったと小声で愚痴りつつ、頭の中はどうやって周の機嫌をとりなそうかと必死に考えている。
本当に自分は周に弱い。
周の機嫌を取るのに一番最短な方法はわかっている。が、いかんせん今日は体調は芳しくない。
フライトに乱行に、誰かさんのせいで今日は車酔いまで加えてしまった。だがこのままでは明日、新たな嘔吐感をプラスすることにもなり兼ねない。そんなオプションは願い下げだ。
「ご気分の方はいかがですか?トキミ様」
名を呼ばれ、英語が変換できないうちに視線を上げると、昼間途中の村で水をくれた男が立っていた。
「あのような辺鄙な村でお見かけしましたので、今日はこちらに滞在されるのではないかと思っていました」
階段の途中で話していた時はわからなかったが、改めて見ると背が高い。垢抜けて見えたのは、あの村にいたからではなく、ホテルの優雅なインテリアの中にいても引けをとらない品の良さがある。
「昼間はありがとうございました、おかげで助かりました。あなたもこちらにご滞在を?」
「いえ、私はこのホテルで働かせて頂いているスタッフで、ソニと申します」
それで流暢な英語を話すのかと納得した。このホテルのスタッフは、レセプションから庭師に至るまで全員がきれいな英語を話し、ゲストの顔と名前をしっかり覚えている。
「今日はお父さんの葬儀だったんでしょう、もう職場に戻られてもいいんですか?」
「私は家よりこちらに詰めている時間のほうがもう長いので、ここにいるほうが落ち着くんです。葬儀は後3日は続きますので、荼毘のある最終日まで父の葬式には通いますけどね」
そう言ってひっそりと笑った男の顔に、昼間の思いつめたような横顔が重なる。
あの時、男は父親に詫びなければいけないと言っていた。詫びねばならないと思う程の気負いがありながら、どうして父親の傍にいてやらないのだろう。
ぼんやり考える享一の目前に現れたソニの顔に、享一の目が大きくなった。
「昼も思ったんですが、綺麗な目をされていますね。でも疲労が随分と残っている」
初対面の時にも顔を近づけられ、同じように驚いたが、今度は距離もなくおまけに腕や肩にソニの手が触れてきて固まった。
いくら助けてもらった相手とはいえ、会って間もない男に見つめられ触られて、どう対応すべきかと困惑する享一にソニが眉を下げる。
「失礼しました。最近、時々目が見えにくくなるんです。よかったら、今からスパの方へいらっしゃいませんか?」
え?と聞き返す享一に口許に愛嬌を浮かべたソニが頷いて見せる。チラリと周たちのいるリビングに目線を走らせて、恭しくお辞儀した。ゆっくり顔を上げ、優しい目で微笑んて享一に手を差し伸べる。
「お連れの方はまだお話が尽きないようですし、ディナーの時間までには終わります。どうぞ、お越しください。ホテル随一の腕を持つ私が、旅行の疲れをお取りしてさしあげますよ」
←前話 / 次話→

軽く目を閉じると、気怠さがゆっくりとした波のように押し寄せてきた。思えば、バカンスに出たというのに、飛行機に乗った瞬間から緊張したり疲れたりの連続だ。
レセプションと言うにはあまりにも開放的なフロアは、壁の代わりにと床と同じ高さの水面と熱帯雨林の緑が囲んでいる。屋根の形の天井の梁で瑠璃色の羽根の先を銀朱に染めた小鳥が澄んだ声で啼いた。
「楽園だろうか、ここは」
ソファの背もたれに頭を載せ茫然と呟く享一に、東京と携帯でやり取りしていた周が、雨林の緑よりなお瑞々しい翠の瞳を細めて笑った。
古代王朝時代に作られたという広大な貯水池は、渓谷から引いた豊かな水をなみなみと湛え、水面に熱帯の森と周囲をかこむ山の峰々を映し込んでいた。
1人掛けのソファに優雅に足を組んで座る周の正面に、民族衣装で正装した身なりの良い男が座る。この一帯をリゾート開発したレインフォレストの代表、アグン・アグス氏だ。
線の細い控えめな面持に上品な身のこなし、経営者と言うよりは優雅に舞いでも踊りそうな風情だが、2、3言葉を交わしただけで、これは周に違わず相当なやり手だと直感した。
ビジネスの上では周のライバルになる相手だが、アグンは紳士的な態度で男の連れを同行した周の来訪を心から喜んでくれた。
アグンの計らいで、広大なホテルの敷地内を部屋付のバトラーに案内されて歩いた。
渓谷の傾斜を利用して 方形の貯水池を囲むように計画されたヴィラリゾートは、伝統的なスタイルを壊さず、かと言って土臭さはどこにもない。道に迷ったかと思えば、突然の目の前に大きな椅子の置かれたリビングが現れたりする。内と外が自然と融和するここちの良い空間が、驚きのタイミングで仕掛けられている。
敷地内ならどこにでも、ワインや食事を運んでくれる。好きな時に好きな場所で食事やピクニックが出来るというのも擽ったいサービスだ。ソフト・ハードが共に洗練された、まさに大人のリゾートの名に相応しいラグジュアリーさだ。
世界中のホテル通を唸らせ、1年先まで既に予約が埋まっているというのも頷けた。
だが対象が素晴らしければ素晴らしいほど、大切な人と見て味わいたくなるのが人の常だ。
同じビジネスの土壌に立つ二人の話が白熱するのはわかる。
周たちが池に張り出したリビングで、話し始めて3時間。話も終わる頃だろうと戻ってきた享一は、風の渡る水辺のデッキ・チェアで2杯目のソーダを啜りながら、ぼんやり二人のシルエットを見た。
アグンに紹介される時、恋人だと言いかけた周を遮って、友人ですと言いきったあとから周の機嫌が良くない気がする。食事中に向けられる微笑み目が笑ってなくて、合わせて笑う自分の顔が焦りで引き攣ってゆくのを感じた。
本の一冊でも持ってくればよかったと小声で愚痴りつつ、頭の中はどうやって周の機嫌をとりなそうかと必死に考えている。
本当に自分は周に弱い。
周の機嫌を取るのに一番最短な方法はわかっている。が、いかんせん今日は体調は芳しくない。
フライトに乱行に、誰かさんのせいで今日は車酔いまで加えてしまった。だがこのままでは明日、新たな嘔吐感をプラスすることにもなり兼ねない。そんなオプションは願い下げだ。
「ご気分の方はいかがですか?トキミ様」
名を呼ばれ、英語が変換できないうちに視線を上げると、昼間途中の村で水をくれた男が立っていた。
「あのような辺鄙な村でお見かけしましたので、今日はこちらに滞在されるのではないかと思っていました」
階段の途中で話していた時はわからなかったが、改めて見ると背が高い。垢抜けて見えたのは、あの村にいたからではなく、ホテルの優雅なインテリアの中にいても引けをとらない品の良さがある。
「昼間はありがとうございました、おかげで助かりました。あなたもこちらにご滞在を?」
「いえ、私はこのホテルで働かせて頂いているスタッフで、ソニと申します」
それで流暢な英語を話すのかと納得した。このホテルのスタッフは、レセプションから庭師に至るまで全員がきれいな英語を話し、ゲストの顔と名前をしっかり覚えている。
「今日はお父さんの葬儀だったんでしょう、もう職場に戻られてもいいんですか?」
「私は家よりこちらに詰めている時間のほうがもう長いので、ここにいるほうが落ち着くんです。葬儀は後3日は続きますので、荼毘のある最終日まで父の葬式には通いますけどね」
そう言ってひっそりと笑った男の顔に、昼間の思いつめたような横顔が重なる。
あの時、男は父親に詫びなければいけないと言っていた。詫びねばならないと思う程の気負いがありながら、どうして父親の傍にいてやらないのだろう。
ぼんやり考える享一の目前に現れたソニの顔に、享一の目が大きくなった。
「昼も思ったんですが、綺麗な目をされていますね。でも疲労が随分と残っている」
初対面の時にも顔を近づけられ、同じように驚いたが、今度は距離もなくおまけに腕や肩にソニの手が触れてきて固まった。
いくら助けてもらった相手とはいえ、会って間もない男に見つめられ触られて、どう対応すべきかと困惑する享一にソニが眉を下げる。
「失礼しました。最近、時々目が見えにくくなるんです。よかったら、今からスパの方へいらっしゃいませんか?」
え?と聞き返す享一に口許に愛嬌を浮かべたソニが頷いて見せる。チラリと周たちのいるリビングに目線を走らせて、恭しくお辞儀した。ゆっくり顔を上げ、優しい目で微笑んて享一に手を差し伸べる。
「お連れの方はまだお話が尽きないようですし、ディナーの時間までには終わります。どうぞ、お越しください。ホテル随一の腕を持つ私が、旅行の疲れをお取りしてさしあげますよ」
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■最後までお読み頂き、ありがとうございます♪(*^▽^*)
性懲りもなく、何か釣り上げた模様v 享一はやっぱりこうでなくちゃ(笑
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
■ブログ拍手コメントのお返事は、*こちら*にさせていただいております♪
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ホテル…想像するだけで疲れたり(笑)や、楽しかったんですけどね~
はい、3時間です。男が3時間って、長すぎやろ!と自分でツッコミを入れつつ
享一の場合2時間くらいなら苦もなく待っていそうなので3時間にしました(長!
お仕事とか、今後の展望とかの中に周の意地悪も入っていて欲しいです。
享一はご機嫌取りのことを考えつつ、イケナイ方向に(笑)
こういう役回りなんですね、天然。
つかの間ですが、旅行気分に浸っていただけて嬉しいです。
アレヤコレヤで身体が重くてなかなか身軽に動けない我らですので、
気分くらい味わいたいですよね~~
コメント&ご訪問、ありがとうございます!