04 ,2012
ユニバース 20 (最終話)
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白い砂。そして、色味の異なる空と海の2色の青。
何度目かの絶頂の後、気だるさの残る手脚を砂の上に投げ出した。心地良い疲れも、上がった息もこの心理世界ではメンタル面が引き起こす現象、つまり気のせいに過ぎない。それでも心が満たされた状態は、肉体の満足感とは比較にならないほど充足した気持ちになれる。
ノアの胴に腕を回したままのルドガーの緩く癖のある金髪を風が揺らす。
腕を伸ばして掻き上げてやると、長い腕に強く抱き寄せられた。
「桐羽がここに来たのは、TOI-零に頼まれて僕を説得するためだと思っていた」
「しないよ、説得なんて」
ルドガーが身を起こしてノアの腹に跨った瞬間、背景は須弥山のベッドルームに変わる。
4本のねじれた柱に囲まれたベッドの中で、何度目かの交歓を挑まれ、受け入れるために脚を開く。
「どうして?」
ノアの額を啄んだルドガーの唇が離れた刹那、下肢を熱い塊が突き上げた。仰け反った頸をルドガーが舌先で顎の先端まで舐め上げる。かっと全身が炎に焼かれたように熱くなり、追い上げる急速な律動に快感に極まった声をあげた。
生身の肉体の伴わない深層心理世界での精神的な快感は、自分の存在すら危うくなるほどに激しい。熱を放逐する快楽は、きりきりと舞い落ちる墜落の快美感を伴った。
「君は、僕が創ろうとしているふたりだけの世界をいらないといった」
陶酔から冷めやらぬ目蓋を無理にこじ開ける。黄昏の空に怒ったような積乱雲が、金と紫の複雑な影を織りなしながら輝く。摩天楼の夕暮れは美しくて寂しい。
「何故?」
ルドガーの腕に抱かれ、セットのような都市を見下ろす。見慣れたはずの大都市には誰もいない。外出禁止令の出た磨天楼も人影はなかったが、いいようのない虚無感がこの都市には漂う。
吹き上げる風がふたりの影をはためかす。深いクレバスのようなビルの谷間に落ちた自分たちの影が、ノアの寂しさを煽った。
「俺は小さい時、ルドの事は何でもわかっているつもりだった。」
まわりから敬遠され、ひとりぼっちだったルドガーを、孤独にしないことが小さな自分の使命だった。美しく聡明なルドガーの心の拠り所になれる自分が誇らしかった。
「でも違ってた。ルドの本当の寂しさや孤独なんて全然、理解なんかしてなかったんだ」
人が抱える孤独や憎しみは、だれにでも癒せるものではない。原因になった相手にしか昇華させてもらえない悲しみは、相手を失うことで行き場を失う。
「お祖父さんのこと、好きだったんだろう?」
ノアを抱く腕がびくりと慄えた拍子に、磨天楼が反転する。目を固く閉じた耳に、ガーゴイルが飛び立つ羽音を聞く。
深い緑とサーモンピンクのストライプの壁紙。
窓のカーテンを揺らす潮風が、モビールの月と星もくるくる回す。ここは、ルドガーのいた子供部屋で、ノアは時計の文字盤の絵がプリントされたベッドの上に座っている。
ルドガーはその憂いた横顔を窓辺にもたれて海に向けている。
「祖母が死ぬ前は、祖父も僕をとても愛して可愛がってくれた。祖母はね、怪我をした僕の血液にうっかり触れてしまって薔薇熱に感染して亡くなったんだ。だから、祖父が僕を憎むのは仕方がなかった」
「それは違う。ルドガーのせいじゃない。子供が怪我をしたら、驚いて駆けつけるのは当然だ」
ノアが熱を出しても、怪我をしてもいつもそばに居てくれたのは、家事専用ロボットのキーパーだった。今思えば、キーパーにもっと優しくしてやればよかったと思う。
――― 俺はお前を、自分の息子だと思ったことは一度もない
迅の言葉を聞いた瞬間に全てのことを理解した。自分は、迅の子供として愛されたかったのだと。
「ルド、ここをふたりの世界にしよう」
ルドガーが驚いた顔で振り返る。ベッドから降りて、窓辺に立つルドガーの肩に手を回す。
「俺はもう帰らない、ここにいる。ルドガーを、ひとりにはしない。どちらか先に死ぬまで一緒にいよう」
コールドスリープの蓋は開けてきた。現実のルドガーは、急激に上昇する体温で活発化したウイルスによってまもなく死ぬ。そしてここに残れば、ノアの現実の肉体も意識が戻らないまま息絶えるだろう。
肩に回した腕を乱暴に引き剥がされた。
ノアの手首を握ったルドガーの綺麗な青い目が怒ったように釣り上がる。
「桐羽は自分が何を言っているのかわかってない。同期化のできない僕はもうすぐ死ぬ。そうなれば桐羽はここに閉じ込められたまま、現実の戻れなくなるんだぞ」
「わかっている、でもあの世界が好きなんだ」
他人の深層心理の中を渡り歩きながら、帰れなくなるのではないかといつも怯えてた。帰るべき場所などどこにもなかったというのに。ここならいい。
「俺は、これ以上ローズ・フィーバーで誰にも死んでほしくない。俺にはつれない世界だったけど、それでも大切だと思える人たちに巡り会えた」
ジタンやダンテ、ジャス、夏やトキとだって時間があればもっといい関係を築けたかもしれない。
真乃とは気まずい別れ方をしたが、真乃ならきっとわかってくれる。
「ルドにとって俺が大切ならば、俺はルドとここにいたい」
愁眉の下の青い瞳が、ノアの心を推し量るように黒い瞳の奥を覗き込む。
「レイは・・・ノアは、あのアンドロイドが好きだったんだろう」
TOI-零ではなく、ノアのつけた名前で初めて呼んでくれた。
「いいんだ、もう。アンドロイドのくせに嫉妬深くて、馬鹿で底抜けに脳天気な奴だけど、ルド譲りの美形だしきっとまわりから可愛がられると思う」
手首を掴んでいたルドガーの手が、ノアの背中を抱く。
「ルド、もうなにも失いたくない。ひとりになりたくない、ひとりは嫌だ」
接吻けを深めながら、傾いだノアの躰をルドガーは愛おしげに押し倒した。子供の頃、じゃれあったり星や神話の話をしながら一緒に眠ったベッドに縺れながら倒れこむ。
「トウワ。僕のノワ(noir)」
「大好きだ。愛してる、ルド」
この言葉をもっとたくさん言われたかった。もっとたくさん言えばよかった。愛の理解出来ないアンドロイドにも、もっともっといっぱい言ってやればよかった。
抱き合い、キスをし、ふたりして堕ちてゆく果てに何があるのか。
どうか、この眠りを妨げないで。
・・・ノア。
誰かが呼んだ。暗い空から星が降ってくる。どの星も小さな星雲みたいにぼやけていて綺麗だ。
ぼわっと輪郭も曖昧な星が膨れ、こめかみをぬくもりが流れると視界がクリアになった。
大きな手が顔の両側を包んでいる。あったかい。
「よかった。ノア僕がわかる?」
馴染んだような、初めて聞くような。低めで、ちょっと角の丸く欠けた低い声。まろやかな声だと思う。
ふたりして堕ちる刹那、ルドガーはノアの手を放した。
必至で手を伸ばしたノアの手をルドガーは取らなかった。ひっそりと淋しげに微笑んでいる。
『君と僕では、墜ちる先が違う』
そう言ったルドガーの目が細まった瞬間、青く輝く閃光が視界を覆い、ノアの躰は弾き飛ばされた。
身体に抱きついてきた男の首をそっと手で撫でた。黒く焦げた弾痕は喉を貫通し、ノアは痛みに耐えるようにして目を閉じた。
「ごめん、レイ」
名前を呼ばれて、男は更にきつくノアを抱きしめた。
「おいて・・・置いていかれたと思った」
声も項に埋もれた唇も、怯えたように細かく慄えている。人間より人間らしいこの男にあの言葉をたくさん言ってやりたい。ルドガーに言えなかった分まで、この男にたくさん。
慄える背中を抱きながら隣で静かに横たわる少年を見た。
少年から青年へ、過渡期を迎えたしなやかな肢体に生気はない。
美しく聡明な少年はいつだってノアの自慢だった。
ノアは冷たい頬を何度も撫でた。
そして、長い長い呪縛から解き放たれたように薄く笑んだ唇に接吻けた。

※版権はNさまにございます。お持ち帰りにはならないでください。
「ミカ!ミカエール!そっちにいっちゃダメだって」
サトウキビ畑の中を走り抜けていく小さな頭を、男が明るい金髪をなびかせて追いかける。不意に男の姿が消えた。次の瞬間、畑の反対側で男に抱き上げられた少女が、「レイ、ずるいっ!」 と声を上げて笑う。
少女の名前は古い教会のフレスコ画の天使から貰った。堕落の道連れにしようとしたサマエルより、神が救われたご加護厚き天使の名前だ。
「可愛いな、誰に似たんだ」
「彼女は私似よ」 言い切ったジャスに、娘は自分似だとダンテが反論する。
「ダメよ、これはだけは譲れない。見てよ、あの愛らしい瞳。私に生き写しじゃない、悪いけどあの子は私似なの」
エリオットが入れた紅茶を前に繰り広げられた長閑な諍いは、口達者なジャスに軍配が上がる。
空と海に囲まれた高台のテラスを、海風が吹き抜けた。
真乃が完成させたワクチンが世界の隅々まで行き渡り、ローズ・フィーバーウイルスは地上から消えた。
夏が無条件でワクチンを各国に送ったことで、世界に変化が訪れた。
牽制しあっていた国々の国交が回復し数々の協定が結ばれ、夏の主導によって資源の利権争いは一旦白紙に戻された。今、資源は搾取ではなく未来に向けての温存の方向で進められている。
「ノアはこの先もずっとここに住むつもりなの?」
「うん、ここが好きなんだ」
「そう。実は私達も新世界を離れようかと思う。ノアみたいに作物を自分て作って、自然の中でミカエルを育てたいの」
作られた自然と、クリーンな生活。人々は完全に管理された新世界の生活を捨て、都市から離れ始めた。
出生率も上がり、激減した地球上の人口は徐々に増えつつある。
ヴィンセントの研究施設は国連の管理下に置かれ、完全に封鎖されて静かな眠りにつく。
去年、島と施設の調査が終わるのを見計らい、昔の自分の家を移築してこの島に住み着いた。
レイと、なぜかエリオットも一緒に。
「ダディ、ママン! ハナちゃん脱皮したのよ」
ペットもいる。ノアは人喰いワニと呼んでいるが、須弥山に潜り込んだスパイを、本当は喰ったのかどうか。真相を教えてくれと頼んでも、エリオットは含んだ笑いをするだけで、なかなか口を割らない。3人ぐらいは固いのではないかと疑っているが、毎日の紅茶に何かを混ぜられても怖いから、何も言わない。
テラスに戻ってきたレイの腕から、少女が飛び降りた。
「レイったらひどいの。 ミカエルに、お口あーんしてくれたハナちゃんの頭を踏んづけちゃったのよ。ハナちゃんお洋服脱いだばかりなのに、かわいそう。でねミカエル、レイにメッてしたのに、レイったら笑うんだもん」
嘆いたり、怒ったり、すねたり。表情をクルクル変えて説明する娘を抱きあげるダンテとジャスの顔が引き攣った。当然の顔でノアの横に座り、嬉しそうに腰に手をまわす男を、軽く横目で睨みつける。
「ミカをハナに近づけるなって、俺は確かにいったよな?」
愛しげな目でノアの顔を凝視める瞳は、どこまでも抜ける夏の空のように青い。
レイの喉を貫通した銃弾は、レイの機能を完全に停止させた。
真乃の手動メンテナンスをレイが渋った時に、真乃が使う手だった。頸の後ろのあるポイントに衝撃を与えると停止命令が作動し、2時間経てば自動的に再起動する。人間ではないレイは、首を撃たれたくらいで死にはしない。
ルドガーと同期化するはずの自分を、直前で停止させたノア。
頸を撃ちぬかれた時、レイはノアがどうするつもりなのかを理解した。自分をおいてゆくのだと。
停止する直前の、驚きから置き去りにされた幼い子供のような、今にも泣きそうになったレイの顔は、今でもノアの頭からはなれない。
ノアがルドガーの中から戻って以降、レイは前にも増してノアから離れなくなった。レイの自律回路は「好きな人に捨てられる恐怖」を知った。同期化が終われば強制的に機能が止まることになっていたと教えても、レイの中に生まれた恐怖は消えなかった。
毎夜、繋がりを解いてもレイは眠らずに自分を見ていることを知っている。
「ねえノア、パパがダディなのに、どうしてミカはジャスのことマミーって呼ばないんだろう?」
相変わらず方向が明後日の脳天気なレイの返答に、すこんと気が抜ける。
「ミカエル様、お気をつけ下さい。むやみに手を出されますと、噛み千切られます。私はもう5回もやられておりますから」
エリオットも身体の3分の1をフェムトで再生していた。そこまで痛い目に遭いながら、ハナと別れられないその人喰い鰐ラブなエリオットの趣向は、ノアには理解はできない。フェムトの影響で老化が緩やかになったエリオットは益々元気で、日々手強くなる一方だ。
何の枠もない、気ままなこの暮らしの唯一の規律だと思えば、鬱陶しさも幾分和らぐのだが。
「こんな何にもないとこ、退屈しないか? 僕なら2日で飽きる」
「これから農業開拓をしようって男が何いってんだよ?」
「状況が違うよ。ここには、人が住んでいない。僕達が帰ったら寂しくなるんじゃない?」
「全然」
少し前、真乃が去ったのと入れ違いで、夏が雲英を伴ってやって来た。
ノアと酷似した雲英を初めて見たレイは「歳をくっても、綺麗だ」と顰蹙発言をし、夏に殺気を帯びた目で睨まれていた。ジタンがローザと教会の子供たちを連れて、キャンプに来たりもする。
静かに暮らすつもりが退屈すらできないし、常に視界に入ってくる男のお陰で寂しくもない。
時々、海を見下ろす草原や、庭のパーゴラに巻きついた薔薇の木陰に、少年の幻を見ることがある。
そんな時、すごく寂しくなる。
「ノア・・・」
胸に詰まる寂寥感を感じる時、そっと延ばされる手はノアの頬と心を同時に慰めてくれる。
ふと、ルドガーが傍にいる気がして青い瞳の中を覗きこみそうになって立ち上がった。
サトウキビが長閑に揺れている。
「風が出てきたな、そろそろ中に入ろうか」
ユニバース
いま扉は開け放たれ、世界に光が満ちている。
* The end *
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白い砂。そして、色味の異なる空と海の2色の青。
何度目かの絶頂の後、気だるさの残る手脚を砂の上に投げ出した。心地良い疲れも、上がった息もこの心理世界ではメンタル面が引き起こす現象、つまり気のせいに過ぎない。それでも心が満たされた状態は、肉体の満足感とは比較にならないほど充足した気持ちになれる。
ノアの胴に腕を回したままのルドガーの緩く癖のある金髪を風が揺らす。
腕を伸ばして掻き上げてやると、長い腕に強く抱き寄せられた。
「桐羽がここに来たのは、TOI-零に頼まれて僕を説得するためだと思っていた」
「しないよ、説得なんて」
ルドガーが身を起こしてノアの腹に跨った瞬間、背景は須弥山のベッドルームに変わる。
4本のねじれた柱に囲まれたベッドの中で、何度目かの交歓を挑まれ、受け入れるために脚を開く。
「どうして?」
ノアの額を啄んだルドガーの唇が離れた刹那、下肢を熱い塊が突き上げた。仰け反った頸をルドガーが舌先で顎の先端まで舐め上げる。かっと全身が炎に焼かれたように熱くなり、追い上げる急速な律動に快感に極まった声をあげた。
生身の肉体の伴わない深層心理世界での精神的な快感は、自分の存在すら危うくなるほどに激しい。熱を放逐する快楽は、きりきりと舞い落ちる墜落の快美感を伴った。
「君は、僕が創ろうとしているふたりだけの世界をいらないといった」
陶酔から冷めやらぬ目蓋を無理にこじ開ける。黄昏の空に怒ったような積乱雲が、金と紫の複雑な影を織りなしながら輝く。摩天楼の夕暮れは美しくて寂しい。
「何故?」
ルドガーの腕に抱かれ、セットのような都市を見下ろす。見慣れたはずの大都市には誰もいない。外出禁止令の出た磨天楼も人影はなかったが、いいようのない虚無感がこの都市には漂う。
吹き上げる風がふたりの影をはためかす。深いクレバスのようなビルの谷間に落ちた自分たちの影が、ノアの寂しさを煽った。
「俺は小さい時、ルドの事は何でもわかっているつもりだった。」
まわりから敬遠され、ひとりぼっちだったルドガーを、孤独にしないことが小さな自分の使命だった。美しく聡明なルドガーの心の拠り所になれる自分が誇らしかった。
「でも違ってた。ルドの本当の寂しさや孤独なんて全然、理解なんかしてなかったんだ」
人が抱える孤独や憎しみは、だれにでも癒せるものではない。原因になった相手にしか昇華させてもらえない悲しみは、相手を失うことで行き場を失う。
「お祖父さんのこと、好きだったんだろう?」
ノアを抱く腕がびくりと慄えた拍子に、磨天楼が反転する。目を固く閉じた耳に、ガーゴイルが飛び立つ羽音を聞く。
深い緑とサーモンピンクのストライプの壁紙。
窓のカーテンを揺らす潮風が、モビールの月と星もくるくる回す。ここは、ルドガーのいた子供部屋で、ノアは時計の文字盤の絵がプリントされたベッドの上に座っている。
ルドガーはその憂いた横顔を窓辺にもたれて海に向けている。
「祖母が死ぬ前は、祖父も僕をとても愛して可愛がってくれた。祖母はね、怪我をした僕の血液にうっかり触れてしまって薔薇熱に感染して亡くなったんだ。だから、祖父が僕を憎むのは仕方がなかった」
「それは違う。ルドガーのせいじゃない。子供が怪我をしたら、驚いて駆けつけるのは当然だ」
ノアが熱を出しても、怪我をしてもいつもそばに居てくれたのは、家事専用ロボットのキーパーだった。今思えば、キーパーにもっと優しくしてやればよかったと思う。
――― 俺はお前を、自分の息子だと思ったことは一度もない
迅の言葉を聞いた瞬間に全てのことを理解した。自分は、迅の子供として愛されたかったのだと。
「ルド、ここをふたりの世界にしよう」
ルドガーが驚いた顔で振り返る。ベッドから降りて、窓辺に立つルドガーの肩に手を回す。
「俺はもう帰らない、ここにいる。ルドガーを、ひとりにはしない。どちらか先に死ぬまで一緒にいよう」
コールドスリープの蓋は開けてきた。現実のルドガーは、急激に上昇する体温で活発化したウイルスによってまもなく死ぬ。そしてここに残れば、ノアの現実の肉体も意識が戻らないまま息絶えるだろう。
肩に回した腕を乱暴に引き剥がされた。
ノアの手首を握ったルドガーの綺麗な青い目が怒ったように釣り上がる。
「桐羽は自分が何を言っているのかわかってない。同期化のできない僕はもうすぐ死ぬ。そうなれば桐羽はここに閉じ込められたまま、現実の戻れなくなるんだぞ」
「わかっている、でもあの世界が好きなんだ」
他人の深層心理の中を渡り歩きながら、帰れなくなるのではないかといつも怯えてた。帰るべき場所などどこにもなかったというのに。ここならいい。
「俺は、これ以上ローズ・フィーバーで誰にも死んでほしくない。俺にはつれない世界だったけど、それでも大切だと思える人たちに巡り会えた」
ジタンやダンテ、ジャス、夏やトキとだって時間があればもっといい関係を築けたかもしれない。
真乃とは気まずい別れ方をしたが、真乃ならきっとわかってくれる。
「ルドにとって俺が大切ならば、俺はルドとここにいたい」
愁眉の下の青い瞳が、ノアの心を推し量るように黒い瞳の奥を覗き込む。
「レイは・・・ノアは、あのアンドロイドが好きだったんだろう」
TOI-零ではなく、ノアのつけた名前で初めて呼んでくれた。
「いいんだ、もう。アンドロイドのくせに嫉妬深くて、馬鹿で底抜けに脳天気な奴だけど、ルド譲りの美形だしきっとまわりから可愛がられると思う」
手首を掴んでいたルドガーの手が、ノアの背中を抱く。
「ルド、もうなにも失いたくない。ひとりになりたくない、ひとりは嫌だ」
接吻けを深めながら、傾いだノアの躰をルドガーは愛おしげに押し倒した。子供の頃、じゃれあったり星や神話の話をしながら一緒に眠ったベッドに縺れながら倒れこむ。
「トウワ。僕のノワ(noir)」
「大好きだ。愛してる、ルド」
この言葉をもっとたくさん言われたかった。もっとたくさん言えばよかった。愛の理解出来ないアンドロイドにも、もっともっといっぱい言ってやればよかった。
抱き合い、キスをし、ふたりして堕ちてゆく果てに何があるのか。
どうか、この眠りを妨げないで。
・・・ノア。
誰かが呼んだ。暗い空から星が降ってくる。どの星も小さな星雲みたいにぼやけていて綺麗だ。
ぼわっと輪郭も曖昧な星が膨れ、こめかみをぬくもりが流れると視界がクリアになった。
大きな手が顔の両側を包んでいる。あったかい。
「よかった。ノア僕がわかる?」
馴染んだような、初めて聞くような。低めで、ちょっと角の丸く欠けた低い声。まろやかな声だと思う。
ふたりして堕ちる刹那、ルドガーはノアの手を放した。
必至で手を伸ばしたノアの手をルドガーは取らなかった。ひっそりと淋しげに微笑んでいる。
『君と僕では、墜ちる先が違う』
そう言ったルドガーの目が細まった瞬間、青く輝く閃光が視界を覆い、ノアの躰は弾き飛ばされた。
身体に抱きついてきた男の首をそっと手で撫でた。黒く焦げた弾痕は喉を貫通し、ノアは痛みに耐えるようにして目を閉じた。
「ごめん、レイ」
名前を呼ばれて、男は更にきつくノアを抱きしめた。
「おいて・・・置いていかれたと思った」
声も項に埋もれた唇も、怯えたように細かく慄えている。人間より人間らしいこの男にあの言葉をたくさん言ってやりたい。ルドガーに言えなかった分まで、この男にたくさん。
慄える背中を抱きながら隣で静かに横たわる少年を見た。
少年から青年へ、過渡期を迎えたしなやかな肢体に生気はない。
美しく聡明な少年はいつだってノアの自慢だった。
ノアは冷たい頬を何度も撫でた。
そして、長い長い呪縛から解き放たれたように薄く笑んだ唇に接吻けた。

※版権はNさまにございます。お持ち帰りにはならないでください。
「ミカ!ミカエール!そっちにいっちゃダメだって」
サトウキビ畑の中を走り抜けていく小さな頭を、男が明るい金髪をなびかせて追いかける。不意に男の姿が消えた。次の瞬間、畑の反対側で男に抱き上げられた少女が、「レイ、ずるいっ!」 と声を上げて笑う。
少女の名前は古い教会のフレスコ画の天使から貰った。堕落の道連れにしようとしたサマエルより、神が救われたご加護厚き天使の名前だ。
「可愛いな、誰に似たんだ」
「彼女は私似よ」 言い切ったジャスに、娘は自分似だとダンテが反論する。
「ダメよ、これはだけは譲れない。見てよ、あの愛らしい瞳。私に生き写しじゃない、悪いけどあの子は私似なの」
エリオットが入れた紅茶を前に繰り広げられた長閑な諍いは、口達者なジャスに軍配が上がる。
空と海に囲まれた高台のテラスを、海風が吹き抜けた。
真乃が完成させたワクチンが世界の隅々まで行き渡り、ローズ・フィーバーウイルスは地上から消えた。
夏が無条件でワクチンを各国に送ったことで、世界に変化が訪れた。
牽制しあっていた国々の国交が回復し数々の協定が結ばれ、夏の主導によって資源の利権争いは一旦白紙に戻された。今、資源は搾取ではなく未来に向けての温存の方向で進められている。
「ノアはこの先もずっとここに住むつもりなの?」
「うん、ここが好きなんだ」
「そう。実は私達も新世界を離れようかと思う。ノアみたいに作物を自分て作って、自然の中でミカエルを育てたいの」
作られた自然と、クリーンな生活。人々は完全に管理された新世界の生活を捨て、都市から離れ始めた。
出生率も上がり、激減した地球上の人口は徐々に増えつつある。
ヴィンセントの研究施設は国連の管理下に置かれ、完全に封鎖されて静かな眠りにつく。
去年、島と施設の調査が終わるのを見計らい、昔の自分の家を移築してこの島に住み着いた。
レイと、なぜかエリオットも一緒に。
「ダディ、ママン! ハナちゃん脱皮したのよ」
ペットもいる。ノアは人喰いワニと呼んでいるが、須弥山に潜り込んだスパイを、本当は喰ったのかどうか。真相を教えてくれと頼んでも、エリオットは含んだ笑いをするだけで、なかなか口を割らない。3人ぐらいは固いのではないかと疑っているが、毎日の紅茶に何かを混ぜられても怖いから、何も言わない。
テラスに戻ってきたレイの腕から、少女が飛び降りた。
「レイったらひどいの。 ミカエルに、お口あーんしてくれたハナちゃんの頭を踏んづけちゃったのよ。ハナちゃんお洋服脱いだばかりなのに、かわいそう。でねミカエル、レイにメッてしたのに、レイったら笑うんだもん」
嘆いたり、怒ったり、すねたり。表情をクルクル変えて説明する娘を抱きあげるダンテとジャスの顔が引き攣った。当然の顔でノアの横に座り、嬉しそうに腰に手をまわす男を、軽く横目で睨みつける。
「ミカをハナに近づけるなって、俺は確かにいったよな?」
愛しげな目でノアの顔を凝視める瞳は、どこまでも抜ける夏の空のように青い。
レイの喉を貫通した銃弾は、レイの機能を完全に停止させた。
真乃の手動メンテナンスをレイが渋った時に、真乃が使う手だった。頸の後ろのあるポイントに衝撃を与えると停止命令が作動し、2時間経てば自動的に再起動する。人間ではないレイは、首を撃たれたくらいで死にはしない。
ルドガーと同期化するはずの自分を、直前で停止させたノア。
頸を撃ちぬかれた時、レイはノアがどうするつもりなのかを理解した。自分をおいてゆくのだと。
停止する直前の、驚きから置き去りにされた幼い子供のような、今にも泣きそうになったレイの顔は、今でもノアの頭からはなれない。
ノアがルドガーの中から戻って以降、レイは前にも増してノアから離れなくなった。レイの自律回路は「好きな人に捨てられる恐怖」を知った。同期化が終われば強制的に機能が止まることになっていたと教えても、レイの中に生まれた恐怖は消えなかった。
毎夜、繋がりを解いてもレイは眠らずに自分を見ていることを知っている。
「ねえノア、パパがダディなのに、どうしてミカはジャスのことマミーって呼ばないんだろう?」
相変わらず方向が明後日の脳天気なレイの返答に、すこんと気が抜ける。
「ミカエル様、お気をつけ下さい。むやみに手を出されますと、噛み千切られます。私はもう5回もやられておりますから」
エリオットも身体の3分の1をフェムトで再生していた。そこまで痛い目に遭いながら、ハナと別れられないその人喰い鰐ラブなエリオットの趣向は、ノアには理解はできない。フェムトの影響で老化が緩やかになったエリオットは益々元気で、日々手強くなる一方だ。
何の枠もない、気ままなこの暮らしの唯一の規律だと思えば、鬱陶しさも幾分和らぐのだが。
「こんな何にもないとこ、退屈しないか? 僕なら2日で飽きる」
「これから農業開拓をしようって男が何いってんだよ?」
「状況が違うよ。ここには、人が住んでいない。僕達が帰ったら寂しくなるんじゃない?」
「全然」
少し前、真乃が去ったのと入れ違いで、夏が雲英を伴ってやって来た。
ノアと酷似した雲英を初めて見たレイは「歳をくっても、綺麗だ」と顰蹙発言をし、夏に殺気を帯びた目で睨まれていた。ジタンがローザと教会の子供たちを連れて、キャンプに来たりもする。
静かに暮らすつもりが退屈すらできないし、常に視界に入ってくる男のお陰で寂しくもない。
時々、海を見下ろす草原や、庭のパーゴラに巻きついた薔薇の木陰に、少年の幻を見ることがある。
そんな時、すごく寂しくなる。
「ノア・・・」
胸に詰まる寂寥感を感じる時、そっと延ばされる手はノアの頬と心を同時に慰めてくれる。
ふと、ルドガーが傍にいる気がして青い瞳の中を覗きこみそうになって立ち上がった。
サトウキビが長閑に揺れている。
「風が出てきたな、そろそろ中に入ろうか」
ユニバース
いま扉は開け放たれ、世界に光が満ちている。
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■最後までお読み頂き、ありがとうございます♪(*^▽^*)
みなさま、これにてユニバース、完結です。長い間お付き合い下さったみなさま、本当に有難うございました。
ここで語りだせば止まらなくなりそうなので、残りは後書きにてのご挨拶とさせて頂きます。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
■ブログ拍手コメントのお返事は、*こちら*にさせていただいております♪

みなさま、これにてユニバース、完結です。長い間お付き合い下さったみなさま、本当に有難うございました。
ここで語りだせば止まらなくなりそうなので、残りは後書きにてのご挨拶とさせて頂きます。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
■ブログ拍手コメントのお返事は、*こちら*にさせていただいております♪

気持よく泣いて下さったのですね、ありがとうございます。
ウイルスは消滅し、ノアたちは施設のある島で暮らし始めます。今は人が押し寄せてきていますが、やがて静かで穏やかな時間が訪れると思います。
最高にハッピーなエンディングとおっしゃっていただけて、ほっとしています。
本当は、結構際まで他のラストを用意していました。
でも書き進めていくうちに自然と今の形に変わっていったので、多分これが一番この物語に相応しい終わり方だったのだろうと思います。
労いの言葉をありがとうございます。
コメント&ご訪問、感謝です。