11 ,2008
翠滴 1-9 漆黒の間 3 (31)
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享一自身が囚われる信条や拘りを自力で断ち切り、周の隣を生涯の居場所として選んでくれることを願い、天に唾吐き罵りこそすれ、爪の先ほども信じたことも無い神とか運命といったものを意識する。
享一に出会って、自分は変ったと思う。
享一との祝言に周は、自分の未来を賭けていた。
忌まわしい呪縛で繋がれた、腐臭を放つ因縁を片っ端から切り捨ててゆく。
現在も着々と計画を進め、過去の清算と決着をつけていっている。決して道は平坦ではなかったが、概ね成功したと言ってもいいだろう。
切り捨てたい因縁を持つ相手は皆、結婚という晴れがましい門出に、祝儀という形で周との関係に終止符を打つことを承諾した。ただ1人周に異常な執着を見せる男を省き、皆 それなりに周のことを考えてくれていた事に気付き、小さな感謝の念が湧き起こる相手すらいた事に、自分でも驚いた。
任期満了なのだと周は思う。
時間が止まったかのようなこの屋敷に自分を閉じ込め、生き地獄へと周を陥れた、伯父であり養父でもある永邨 騰真も、後継者を作るという周の一言に苦い顔をしながらも、頷いた。
騰真は自分の父親がカナダ人の愛人に産ませた、周達の父親でもあり、自分の兄弟でもある弟を忌み嫌った。父の亡き後、周達の母に横恋慕していた伯父は、半ば強引に母を2番目の妻として娶ったが、母も間もなく、父の後を追うようにその短命な命を閉じた。
騰真は、父と同じく弟と同じ翡翠の目をした周を嫌い、自分の眼の届くところへは置きたがらなかった。高校入学と同時に周は家を出され都内で1人暮らしを始める。その日から、騰真の元に身を置く美操達は、騰真にとって周を傀儡にかえる為の人質となり、後に騰真はそれを大いに利用した。
ただ、本宅には子種が無かった。騰真の後妻である3番目の妻には子供が出来ず、最初の妻との間に出来た1人息子は性的不能者で離婚暦があった。周が結婚した暁に、出来た子供の瞳が黒色の男児ならば、養子として騰真に渡す約束をした上で、結婚を承諾させた。
男の享一に子供なんぞ出来るはずが無い。身勝手な伯父貴に一矢報いてやると思うと愉快で、暗闇を享一の手を引き歩く周から、冷たく陰湿な笑いが漏れた。
「周さん?なんか笑ってる?」
「前にも言ったけど、2人の時は”さん”は無しだろ。
まあ、俺はいつでも呼び捨てで構わないんだけど?」
「ティーンズに勘繰られても、知らないよ」 享一が、そう言いながら笑った。
「ふうん・・・享一は、2人が俺達の関係を知らないと思ってるんだ・・」
「エ・・・・・ウソ・・ホントに?」
繋いだ掌が強張って、目を凝らしてみると暗闇に星の淡い光を受けて、頬を真っ赤に染めた享一の顔が浮かび上がる。固まりきったその顔を見ていると、可笑しくて笑いが込み上げた。
「さあ・・どうだろ」
一呼吸置いて、「・・・・揶揄ったな」と憤然と声を上げ、繋いだ手を離そうと引き抜いたところを更に捕まえ抱き込んだ。腕の中で文句を言いながらジタバタと藻掻く享一を、笑いながら更に強く抱きしめる。そのうち、抵抗を諦め力の抜けた身を預けてきて周を引き剥がそうと藻掻かかせていた腕をそのまま背中に回し「帰ろう」と呟く。
享一は、安心したのか時折、今のやり取りを反復し、楽しげに笑い声を立てながら歩く。
享一、女の感を侮るなよ。特に、あいつらの嗅覚ときたら警察犬並みで、俺達の関係なんて判り易い享一の態度の変化のお蔭で、あっさり看破されていた。東京に戻る際、「お兄様、お幸せに」などとぬかして、思い切り睨み付けたらキャアキャア黄色い声を上げながら楽しそうに帰っていった。
享一は女心だけではなく、恋心そのものに少し鈍感なところがある。恋愛に対してどちらかというと保守的な享一には、恋歌をメールしてくる瀬尾 隆典の想いなど、全く理解できなかっただろう。
俺が掴まえたからにはもう享一を、手離す気は無いから、関係ないけどね。
自分には享一がいればいい。
真直ぐで、繊細で柔らかな感情を持ち、真摯な透き通った瞳で、花弁のような唇を綻ばせはにかんだように笑う可愛い人。
食事の時、手を合わせる習慣があるのと同じように、何かを考える時、小首を傾げて視線を斜め上にもっていく癖が自分にあることを、本人は気がついているだろうか?
今では、食事で手を合わせる習慣は、すっかり自分や妹達に浸透していた。
この前、鳴海が無意識にやったのには食卓の全員が唖然とした。鳴海が赤面して何もなかったかのように食べ出し、皆の押し殺した笑いを買った。鳴海のああいう顔は、正直始めてみた。
享一がいると場が穏やかに和らぐ。
2週間の予定で帰郷した妹達が、結局夏休みいっぱい屋敷に居ついたのも、享一がいたからだ。享一は、個々の人間に付属する背景や付加価値等は一切無視して、その人間だけを評価する。だからこそ、媚やご機嫌伺いを気嫌うネコ気質の妹達は享一に懐いたのだろう。2人揃って誰か受け入れるというのはごく稀な事だ。享一には、控え目なくせに、人を惹きつける抗い難い程の魅力がある。
計画を成功させるために陥落すべき塞は、残すところ、神前 雅巳(かんざき まさみ)、唯1人。喰えない男で交渉の度に、のらりくらりとかわされ、苦戦こそしているが、祝言でのバカップル振りを見せつけて、美しい女に腑抜けにされ鼻の下を延ばす馬鹿男の醜態を晒して、何年もつまらぬ男に執心した自分のアホさ加減に気付かせてやる。
100年の恋ならぬ執着も、偏った情念もドライアイス並みに冷めて再起不能になればいい。
何もかも、享一となら巧くいく。自由と享一の両方を手に入れてやる。
だから、早く享一に俺の手を取らせて俺の隣にいたいと言わせたい。
祝言の日が迫り、制限時間を刻むカウントダウンに焦燥感を募らせているのは周も同じだ。
ふと、直ぐ斜め後ろを歩く享一の規則正しい呼吸に、享一の穏やかな心を感じる。もう、享一は同じ理由で涙を流すことはないだろう。脳裏に先程の、切なそうに綺麗な瞳からぽろぽろと涙を零して泣いている享一の顔が蘇った。いや、他の事で幾らでも啼かせてやろうと、周は直ぐ後ろの享一を振り向き、もし享一が見ていたら気絶しそうな程の色を湛えた目で薄く笑う。
この場所が享一の定位置になればいい・・・そう願いながら、漆黒の闇の間で繋いだ手を強く引き、ゾクゾクと弥が上にも昂ぶる熱を抑えながら帰路への歩を速めた。
享一自身が囚われる信条や拘りを自力で断ち切り、周の隣を生涯の居場所として選んでくれることを願い、天に唾吐き罵りこそすれ、爪の先ほども信じたことも無い神とか運命といったものを意識する。
享一に出会って、自分は変ったと思う。
享一との祝言に周は、自分の未来を賭けていた。
忌まわしい呪縛で繋がれた、腐臭を放つ因縁を片っ端から切り捨ててゆく。
現在も着々と計画を進め、過去の清算と決着をつけていっている。決して道は平坦ではなかったが、概ね成功したと言ってもいいだろう。
切り捨てたい因縁を持つ相手は皆、結婚という晴れがましい門出に、祝儀という形で周との関係に終止符を打つことを承諾した。ただ1人周に異常な執着を見せる男を省き、皆 それなりに周のことを考えてくれていた事に気付き、小さな感謝の念が湧き起こる相手すらいた事に、自分でも驚いた。
任期満了なのだと周は思う。
時間が止まったかのようなこの屋敷に自分を閉じ込め、生き地獄へと周を陥れた、伯父であり養父でもある永邨 騰真も、後継者を作るという周の一言に苦い顔をしながらも、頷いた。
騰真は自分の父親がカナダ人の愛人に産ませた、周達の父親でもあり、自分の兄弟でもある弟を忌み嫌った。父の亡き後、周達の母に横恋慕していた伯父は、半ば強引に母を2番目の妻として娶ったが、母も間もなく、父の後を追うようにその短命な命を閉じた。
騰真は、父と同じく弟と同じ翡翠の目をした周を嫌い、自分の眼の届くところへは置きたがらなかった。高校入学と同時に周は家を出され都内で1人暮らしを始める。その日から、騰真の元に身を置く美操達は、騰真にとって周を傀儡にかえる為の人質となり、後に騰真はそれを大いに利用した。
ただ、本宅には子種が無かった。騰真の後妻である3番目の妻には子供が出来ず、最初の妻との間に出来た1人息子は性的不能者で離婚暦があった。周が結婚した暁に、出来た子供の瞳が黒色の男児ならば、養子として騰真に渡す約束をした上で、結婚を承諾させた。
男の享一に子供なんぞ出来るはずが無い。身勝手な伯父貴に一矢報いてやると思うと愉快で、暗闇を享一の手を引き歩く周から、冷たく陰湿な笑いが漏れた。
「周さん?なんか笑ってる?」
「前にも言ったけど、2人の時は”さん”は無しだろ。
まあ、俺はいつでも呼び捨てで構わないんだけど?」
「ティーンズに勘繰られても、知らないよ」 享一が、そう言いながら笑った。
「ふうん・・・享一は、2人が俺達の関係を知らないと思ってるんだ・・」
「エ・・・・・ウソ・・ホントに?」
繋いだ掌が強張って、目を凝らしてみると暗闇に星の淡い光を受けて、頬を真っ赤に染めた享一の顔が浮かび上がる。固まりきったその顔を見ていると、可笑しくて笑いが込み上げた。
「さあ・・どうだろ」
一呼吸置いて、「・・・・揶揄ったな」と憤然と声を上げ、繋いだ手を離そうと引き抜いたところを更に捕まえ抱き込んだ。腕の中で文句を言いながらジタバタと藻掻く享一を、笑いながら更に強く抱きしめる。そのうち、抵抗を諦め力の抜けた身を預けてきて周を引き剥がそうと藻掻かかせていた腕をそのまま背中に回し「帰ろう」と呟く。
享一は、安心したのか時折、今のやり取りを反復し、楽しげに笑い声を立てながら歩く。
享一、女の感を侮るなよ。特に、あいつらの嗅覚ときたら警察犬並みで、俺達の関係なんて判り易い享一の態度の変化のお蔭で、あっさり看破されていた。東京に戻る際、「お兄様、お幸せに」などとぬかして、思い切り睨み付けたらキャアキャア黄色い声を上げながら楽しそうに帰っていった。
享一は女心だけではなく、恋心そのものに少し鈍感なところがある。恋愛に対してどちらかというと保守的な享一には、恋歌をメールしてくる瀬尾 隆典の想いなど、全く理解できなかっただろう。
俺が掴まえたからにはもう享一を、手離す気は無いから、関係ないけどね。
自分には享一がいればいい。
真直ぐで、繊細で柔らかな感情を持ち、真摯な透き通った瞳で、花弁のような唇を綻ばせはにかんだように笑う可愛い人。
食事の時、手を合わせる習慣があるのと同じように、何かを考える時、小首を傾げて視線を斜め上にもっていく癖が自分にあることを、本人は気がついているだろうか?
今では、食事で手を合わせる習慣は、すっかり自分や妹達に浸透していた。
この前、鳴海が無意識にやったのには食卓の全員が唖然とした。鳴海が赤面して何もなかったかのように食べ出し、皆の押し殺した笑いを買った。鳴海のああいう顔は、正直始めてみた。
享一がいると場が穏やかに和らぐ。
2週間の予定で帰郷した妹達が、結局夏休みいっぱい屋敷に居ついたのも、享一がいたからだ。享一は、個々の人間に付属する背景や付加価値等は一切無視して、その人間だけを評価する。だからこそ、媚やご機嫌伺いを気嫌うネコ気質の妹達は享一に懐いたのだろう。2人揃って誰か受け入れるというのはごく稀な事だ。享一には、控え目なくせに、人を惹きつける抗い難い程の魅力がある。
計画を成功させるために陥落すべき塞は、残すところ、神前 雅巳(かんざき まさみ)、唯1人。喰えない男で交渉の度に、のらりくらりとかわされ、苦戦こそしているが、祝言でのバカップル振りを見せつけて、美しい女に腑抜けにされ鼻の下を延ばす馬鹿男の醜態を晒して、何年もつまらぬ男に執心した自分のアホさ加減に気付かせてやる。
100年の恋ならぬ執着も、偏った情念もドライアイス並みに冷めて再起不能になればいい。
何もかも、享一となら巧くいく。自由と享一の両方を手に入れてやる。
だから、早く享一に俺の手を取らせて俺の隣にいたいと言わせたい。
祝言の日が迫り、制限時間を刻むカウントダウンに焦燥感を募らせているのは周も同じだ。
ふと、直ぐ斜め後ろを歩く享一の規則正しい呼吸に、享一の穏やかな心を感じる。もう、享一は同じ理由で涙を流すことはないだろう。脳裏に先程の、切なそうに綺麗な瞳からぽろぽろと涙を零して泣いている享一の顔が蘇った。いや、他の事で幾らでも啼かせてやろうと、周は直ぐ後ろの享一を振り向き、もし享一が見ていたら気絶しそうな程の色を湛えた目で薄く笑う。
この場所が享一の定位置になればいい・・・そう願いながら、漆黒の闇の間で繋いだ手を強く引き、ゾクゾクと弥が上にも昂ぶる熱を抑えながら帰路への歩を速めた。
しかし、今回のこの記事の独白を読んでも、手放しで、かれが望むような幸せがこないような不幸予感が、つらいような感じ……
でもどうなるんでしょう。
そういえばラストまでいったんですね!
そこにいくまではもうすこしかかりますが、お疲れさまでした!