02 ,2012
ユニバース 12
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「私の妻と子供は表向きは事故で亡くなったことになっている。だが、本当はローズ・フィーバーにやられて死んだんだよ」
ノアは真乃を凝視する。子供の頃、真乃に妻子を事故で亡くしたことを聞かされ、ノアは子供心に真乃に同情していた。
自分の妻子を殺したウイルスの宿主であるルドガーと、研究をするヴィンセントに近付いた真乃の真意とは。想像の先にある真実に、ノアは慄えた。
真乃は血の気の失せたノアの頬を、子供にするようにそっと撫でた。咄嗟に真乃の手から身を躱したノアを、寂しそうに凝視めて口を開いた。
「そう、復讐だよ。私は自分の家系に現れる特異なウイルスを使って覇権を手に入れようし、その愚かな目論見のために私の妻子を奪ったヴィンセントが許せなかった」
温和な真乃に似合わぬ憎しみの感情が、時間を突き抜けてその目に蘇った。愛するものを失う生々しい痛みが、真乃の顔を更に歪ませる。
「妻子のことは隠してヴィンセントに近付き、彼から孫のルドガーの身代わりになるアンドロイドを作って欲しいと頼まれた時、息子の身代わりと名前をつけ、大切に開発していたTOI‐零を提供することを決めた」
真乃は言いながら、床に崩れ落ちたレイを見下ろした。
床に散らばる金の髪、無造作に投げ出される長い手足。人の手で造られた最高に美しいレプリカだ。
悔恨と愛おしさが複雑に混じった瞳で、息子の身代わりであった男を真乃は見詰めた。
「君はTOI‐零に、名前をつけてくれたんだね。TOI-零はね、もともと新世界政府から依頼を受けて開発を始めた、戦闘用のアンドロイドだった。だが、政府の意向に納得できなかった私は、開発途中でプロジェクトを降りたんだ。なのに私は結局、TOI-零を私個人の兵器として使ってしまった」
改めて自分に襲い掛かる後悔を振り払うように、真乃は苦しげに首を横にふった。
「TOI‐零は、ルドガーとの同期化が終わると同時に完全に機能を停止する」
ノアは口を引き結んだまま、目を見開いた。
「ルドガーを葬る為に、レイを・・・殺す・・・・・?」
「すまない。TOI‐零がここまで自我を確立することも、お前と愛し合うようになることも、想定外だった」
自分の言った言葉の意味を理解する事を、脳や心が拒んでいる。
背後で開く扉の音にもノアは振り返ることも出来ず、真乃の撤回の言葉を待ち続けた。
遠慮がちな声で名を呼ばれ、ようやく我に返った。
顎鬚を生やした痩せぎすな男が開けた扉から、か細い弦の旋律が室内に流れ込む。前髪を揺らし冷たい夜気が、物悲しい調べと一緒に死臭を運んできたようにぞっとした。
その臭いは薔薇の香に似ていて、誰もが薔薇の運命から逃れることは出来ないことを物語っているようだった。
「そろそろ、よろしいでしょうか。主人が待ちかねております。真乃殿、ご子息をお借り致しますよ」
慇懃に戸口で頭を下げる男を無視して、真乃を睨み続ける。この数分で、真乃は一気に憔悴し、実年齢より老けたように見えた。優しい過去の記憶が催した、真乃への懐かしさや思慕はノアの中で姿を変えた。
「レイは、もうTOI‐零じゃない。あんたは、孫を犠牲にしたヴィンセントと同じだ。俺から・・・ふたりとも奪うなら、俺はあんたを赦さない。レイが赦していても、俺だけはあんたを赦さない」
自分の死を受け入れることに、何の疑問も持たないアンドロイドの無垢さが哀れで腹立たしい。
震える唇でそれだけ言うと、ノアは男に従い部屋を出た。
武将の手。そう呼びたくなるようなごつごつと節だった手がノアの頤を持ち上げた。石でもを削り出して造られたかと思わせる手の動きは、無骨に見えて意外に慎重で品がある。
ノアは眉を顰めると、頭を緩慢に動かし手から頤を外した。
目の前には、見たことも無いような豪勢な食事が並んでいる。身体検査の意味も兼ね、服も夏の民族に残る伝統衣装の長袍(チャンパオ)に着替えさせられた。光沢のある濃紺に鈍色の鳳凰が染め抜かれ、右肩の下と脇を布を結んだ一文字ボタンで留めている。夏も同じ装いで黒のチャンパオの胸の辺りに銀糸で龍が刺繍されていた。
食卓にはノアと夏の2人。
天女のような給仕の女たちが引揚げると、美しくも悲しい弦の音色のだけが残った。真乃のいた離れで聴いた旋律は、男に夏の部屋に導かれる間ずっとノアに付きまとい、次第にその音を明瞭にしていった。どこかで聴き覚えがある気がして、あの楽器は何かと訊ねると、男は途端に蒼褪め、何も答えず薄気味悪そうにノアから目を逸らした。
細い絹糸が縺れ解けるような弦の響はいまやはっきりと、高低音の細部まで聞こえている。
か細く引き攣れるように啼いたかと思うと、ひらりと手を返し大らかで広がりのある悠久の大陸を謳う。
セントラル・アジアの次世代を担う重鎮として畏れられる男は、ノアの素っ気のない態度に別に気を悪くした風でもなく口角を上げて笑った。その風格のある巨躯を螺鈿の椅子の上で寛がせ、碧味を帯びた黒い瞳で穴の開きそうなほどにノアを凝視める。
「次に会う時は俺のものだと言ったのを、よもや忘れたのではなかろうな」
「のっけから、それですか?」
わざと慇懃に皮肉な笑みを作って返した。
隣接する次の間は、凝った螺鈿の施されたベッドが置かれた寝室になっている。
贅を尽くした屋敷は何世紀も前に建てられたものだ。と、いうのは夏 劉桂本人から聞いた。
「お前には貸しがある」
「冗談じゃない、嵌められたのは俺の方だ」
大陸の鷹揚さと、抜け目ない統率者の機敏性を併せ持つ男。
数ヶ月前、ターゲットであるこの男に、男娼に身を窶して近付いた。人口と国土、ともにその他の都市国家の郡を抜くセントラルアジアを統べようという男は、ノアの素性を知りながらトラップだらけの頭の中を覗かせた。罠だと気付かず、偽の機密を掴まされたノアは、知らぬうちにある条件を満たすことで起動する幻覚を、逆に心理層に刷り込まれた。
心の置く深くに隠してあった記憶を覗かれ、いじられた屈辱は、いま思い出すだけでも悔しさに腸が煮えたぎる。罠にかけた夏だけにではなく、逆に手玉に取られた自分の間抜けさ加減に、何百倍も腹が立った。
夏は喉の奥で嗤うと、白磁の杯に老酒を注いだ。
「先ずは、偉大なる科学者。真乃 遠海の息子、桐羽に。そして真乃の傑作、ルドガー・ヴィンセントの偽物に」
真乃とレイとノア。夏のカードは3枚に増えた。対して、自分が持つのはローズ・フィーバーウイルスの抗体を保持する、この躰ひとつ。
ルドガーとレイ。今は真乃の言葉を吟味し、解決策を考える余裕も時間も今の自分にはない。
こうしている間にも、薔薇の毒は世界中に広がってゆく。
杯に手を伸ばすと、弦の音がいっそう強くノアに纏わり付いてくる。
「あの弦楽器を奏でている楽師は、外で弾いているのか?」
これを風流と言うのだろうが、そろそろ外も冷気を帯びてきている。聴きたいのなら中に入れてやれ。そう進言しようとしたノアに夏が怪訝な顔をする。
「楽器?何のことだ」
「ヴァイオリンに似たあの音だ。ああそうだ、思い出した、あれは二胡という楽器だ」
そのまま杯を呷ろうとしたノアの手を、夏の手が捉えた。
「飲むな。この酒にはローズ・フィーバーウイルスが混入してある」
大地にどっしりと根を下ろしたような、重い夏の声が耳を打った。
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「私の妻と子供は表向きは事故で亡くなったことになっている。だが、本当はローズ・フィーバーにやられて死んだんだよ」
ノアは真乃を凝視する。子供の頃、真乃に妻子を事故で亡くしたことを聞かされ、ノアは子供心に真乃に同情していた。
自分の妻子を殺したウイルスの宿主であるルドガーと、研究をするヴィンセントに近付いた真乃の真意とは。想像の先にある真実に、ノアは慄えた。
真乃は血の気の失せたノアの頬を、子供にするようにそっと撫でた。咄嗟に真乃の手から身を躱したノアを、寂しそうに凝視めて口を開いた。
「そう、復讐だよ。私は自分の家系に現れる特異なウイルスを使って覇権を手に入れようし、その愚かな目論見のために私の妻子を奪ったヴィンセントが許せなかった」
温和な真乃に似合わぬ憎しみの感情が、時間を突き抜けてその目に蘇った。愛するものを失う生々しい痛みが、真乃の顔を更に歪ませる。
「妻子のことは隠してヴィンセントに近付き、彼から孫のルドガーの身代わりになるアンドロイドを作って欲しいと頼まれた時、息子の身代わりと名前をつけ、大切に開発していたTOI‐零を提供することを決めた」
真乃は言いながら、床に崩れ落ちたレイを見下ろした。
床に散らばる金の髪、無造作に投げ出される長い手足。人の手で造られた最高に美しいレプリカだ。
悔恨と愛おしさが複雑に混じった瞳で、息子の身代わりであった男を真乃は見詰めた。
「君はTOI‐零に、名前をつけてくれたんだね。TOI-零はね、もともと新世界政府から依頼を受けて開発を始めた、戦闘用のアンドロイドだった。だが、政府の意向に納得できなかった私は、開発途中でプロジェクトを降りたんだ。なのに私は結局、TOI-零を私個人の兵器として使ってしまった」
改めて自分に襲い掛かる後悔を振り払うように、真乃は苦しげに首を横にふった。
「TOI‐零は、ルドガーとの同期化が終わると同時に完全に機能を停止する」
ノアは口を引き結んだまま、目を見開いた。
「ルドガーを葬る為に、レイを・・・殺す・・・・・?」
「すまない。TOI‐零がここまで自我を確立することも、お前と愛し合うようになることも、想定外だった」
自分の言った言葉の意味を理解する事を、脳や心が拒んでいる。
背後で開く扉の音にもノアは振り返ることも出来ず、真乃の撤回の言葉を待ち続けた。
遠慮がちな声で名を呼ばれ、ようやく我に返った。
顎鬚を生やした痩せぎすな男が開けた扉から、か細い弦の旋律が室内に流れ込む。前髪を揺らし冷たい夜気が、物悲しい調べと一緒に死臭を運んできたようにぞっとした。
その臭いは薔薇の香に似ていて、誰もが薔薇の運命から逃れることは出来ないことを物語っているようだった。
「そろそろ、よろしいでしょうか。主人が待ちかねております。真乃殿、ご子息をお借り致しますよ」
慇懃に戸口で頭を下げる男を無視して、真乃を睨み続ける。この数分で、真乃は一気に憔悴し、実年齢より老けたように見えた。優しい過去の記憶が催した、真乃への懐かしさや思慕はノアの中で姿を変えた。
「レイは、もうTOI‐零じゃない。あんたは、孫を犠牲にしたヴィンセントと同じだ。俺から・・・ふたりとも奪うなら、俺はあんたを赦さない。レイが赦していても、俺だけはあんたを赦さない」
自分の死を受け入れることに、何の疑問も持たないアンドロイドの無垢さが哀れで腹立たしい。
震える唇でそれだけ言うと、ノアは男に従い部屋を出た。
武将の手。そう呼びたくなるようなごつごつと節だった手がノアの頤を持ち上げた。石でもを削り出して造られたかと思わせる手の動きは、無骨に見えて意外に慎重で品がある。
ノアは眉を顰めると、頭を緩慢に動かし手から頤を外した。
目の前には、見たことも無いような豪勢な食事が並んでいる。身体検査の意味も兼ね、服も夏の民族に残る伝統衣装の長袍(チャンパオ)に着替えさせられた。光沢のある濃紺に鈍色の鳳凰が染め抜かれ、右肩の下と脇を布を結んだ一文字ボタンで留めている。夏も同じ装いで黒のチャンパオの胸の辺りに銀糸で龍が刺繍されていた。
食卓にはノアと夏の2人。
天女のような給仕の女たちが引揚げると、美しくも悲しい弦の音色のだけが残った。真乃のいた離れで聴いた旋律は、男に夏の部屋に導かれる間ずっとノアに付きまとい、次第にその音を明瞭にしていった。どこかで聴き覚えがある気がして、あの楽器は何かと訊ねると、男は途端に蒼褪め、何も答えず薄気味悪そうにノアから目を逸らした。
細い絹糸が縺れ解けるような弦の響はいまやはっきりと、高低音の細部まで聞こえている。
か細く引き攣れるように啼いたかと思うと、ひらりと手を返し大らかで広がりのある悠久の大陸を謳う。
セントラル・アジアの次世代を担う重鎮として畏れられる男は、ノアの素っ気のない態度に別に気を悪くした風でもなく口角を上げて笑った。その風格のある巨躯を螺鈿の椅子の上で寛がせ、碧味を帯びた黒い瞳で穴の開きそうなほどにノアを凝視める。
「次に会う時は俺のものだと言ったのを、よもや忘れたのではなかろうな」
「のっけから、それですか?」
わざと慇懃に皮肉な笑みを作って返した。
隣接する次の間は、凝った螺鈿の施されたベッドが置かれた寝室になっている。
贅を尽くした屋敷は何世紀も前に建てられたものだ。と、いうのは夏 劉桂本人から聞いた。
「お前には貸しがある」
「冗談じゃない、嵌められたのは俺の方だ」
大陸の鷹揚さと、抜け目ない統率者の機敏性を併せ持つ男。
数ヶ月前、ターゲットであるこの男に、男娼に身を窶して近付いた。人口と国土、ともにその他の都市国家の郡を抜くセントラルアジアを統べようという男は、ノアの素性を知りながらトラップだらけの頭の中を覗かせた。罠だと気付かず、偽の機密を掴まされたノアは、知らぬうちにある条件を満たすことで起動する幻覚を、逆に心理層に刷り込まれた。
心の置く深くに隠してあった記憶を覗かれ、いじられた屈辱は、いま思い出すだけでも悔しさに腸が煮えたぎる。罠にかけた夏だけにではなく、逆に手玉に取られた自分の間抜けさ加減に、何百倍も腹が立った。
夏は喉の奥で嗤うと、白磁の杯に老酒を注いだ。
「先ずは、偉大なる科学者。真乃 遠海の息子、桐羽に。そして真乃の傑作、ルドガー・ヴィンセントの偽物に」
真乃とレイとノア。夏のカードは3枚に増えた。対して、自分が持つのはローズ・フィーバーウイルスの抗体を保持する、この躰ひとつ。
ルドガーとレイ。今は真乃の言葉を吟味し、解決策を考える余裕も時間も今の自分にはない。
こうしている間にも、薔薇の毒は世界中に広がってゆく。
杯に手を伸ばすと、弦の音がいっそう強くノアに纏わり付いてくる。
「あの弦楽器を奏でている楽師は、外で弾いているのか?」
これを風流と言うのだろうが、そろそろ外も冷気を帯びてきている。聴きたいのなら中に入れてやれ。そう進言しようとしたノアに夏が怪訝な顔をする。
「楽器?何のことだ」
「ヴァイオリンに似たあの音だ。ああそうだ、思い出した、あれは二胡という楽器だ」
そのまま杯を呷ろうとしたノアの手を、夏の手が捉えた。
「飲むな。この酒にはローズ・フィーバーウイルスが混入してある」
大地にどっしりと根を下ろしたような、重い夏の声が耳を打った。
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■最後までお読み頂き、ありがとうございます♪(*^▽^*)
今日は寒さも和らいで過ごしやすかったです。
夏劉桂、登場です。ごつい猪首のオヤジで手の甲に毛も生えています(笑)
乙女のBLで、こんな毛深い人はどうよ?と思いつつ、結構好きなキャラだったり。。。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
■ブログ拍手コメントのお返事は、*こちら*にさせていただいております♪

今日は寒さも和らいで過ごしやすかったです。
夏劉桂、登場です。ごつい猪首のオヤジで手の甲に毛も生えています(笑)
乙女のBLで、こんな毛深い人はどうよ?と思いつつ、結構好きなキャラだったり。。。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
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生み出された動機も 生まれてからも 決して幸せとは言えないレイ
それでも 真乃をパパと慕う姿が、不憫だわ~(ノω・、)
TOI-零に対して 今の真乃は、過去に己が出した答えに 迷いはないままなのでしょうか?
とうとう ラスボス夏の登場。
ノアは、以前の貸しを返す事が出来るのかな( ̄ー ̄)ニヤリ
そして 夏が、ノアが飲むのを止めさせた訳は 二胡の音色に原因が?
これって どうもノアだけが聞こえてるようですね。
もしかして 二胡の音色は、死へと誘うセレナード...♫
あちゃぁ~最後の後書きで知った!脳裏に浮かんだ!夏の容姿!
腕毛は許せる範囲だけど 手の甲ボウボウは・・・あっ私、胸毛もダメですぅ~~(冷汗)
ゲェ~"(ii〇ω〇)。o 0...byebye☆