01 ,2012
ユニバース 7
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再生が上手くいったというのに、世界の終わりみたいな顔をする。理由を尋ねると、ノアのつけた背中の傷がきれいに消えてしまったと肩を落とした。ノアが自分で掻き毟った胸の傷はとっくに消えている。
自分が引掻いた傷を、後生大事にされていた思うと、妙な心境だ。
不意にルドガーが跪いて、ノアに長い腕を伸ばした。
風がふたりの髪を揺らして回廊を吹き抜けいく。
「僕は研究所に君を連れて帰るようにプログラミングされている。ノア、どうか僕と一緒に来て」
その目は、オレンジの木の下で遊びに興じる子供達を見ていた。
「研究所にのゲートを開けるには、君のDNA認証が必要なんだ。ルドガーが人類を消滅させるのを止められるのは・・・彼を説得できるのは、君だけだから」
見上げてくる視線は固い意志を持つ。真っ青な空の色だ。
古い教会の回廊で、手を差し伸べて跪くルドガーには、中世期の騎士のような凛々しさと清々しさがあった。
――‐ 生まれや、その躰が尊いのではありません。
慈愛を持った彼の魂がこそ崇高であり、成した行いこそが尊いのです。
ルドガーに歩み寄ったノアは、差し出された手に自分の手を重ねた。
「条件がある」
オレンジの花の香る風が、ふたりの髪を煽る。
「ひとつは、何があっても俺をルドガーのところへ連れていくこと。例え、途中でお前の躰が壊れても、最後まで俺をラボに届けると誓ってくれ」
海辺で佇む少年が、あの場所からノアを見ている。あの場所でノアが行くのを、待っている気がした。
ルドガーはノアの手を載せたまま、誓いを示すように神妙な面持ちで頭を垂れた。
「それと、もうひとつ。今から、ルドじゃなく”レイ”って呼ぶから」
瞬時に頭を上げたルドガーの青い瞳が、これまでに見たこともないくらい大きくなった。
ルドガーでもルドでも東李でもない。
ましてや、シリアルナンバーでもない。ただのREI ―― レイ。
名前は、ひとつの魂とその人格を象るサインだ。
誰かのスペアなどではなく、ただひとりの存在として世界に向けて発信する符号だ。
突然、ノアを桐羽と呼ぶことをやめたルドガーの中にも、ノアという唯一の人間が存在している。
「僕の名前をノアが?」
「俺は自分の運命を、誰かの身代わりとか影武者の男に託す気はない」
ノアの世話をしてくれたロボットは、キーパーとしか呼ばれず、名前をつけてももらえなかった。
いきなり立ち上がった、長躯に思いっきり抱きしめられた。
「凄い・・・!ノア、大好き」
「骨が折れる、レイ」
名前を呼んだ途端、動きが止まる。
もう一度呼んで欲しいと強請られる。
はっきり「レイ」と、魂に刻み付けるように呼ぶと、震える腕で優しく抱きしめ直された。
「本当はね、ずっとずうっと前に君を見つけていたんだ」
「知ってるよ」
子供達がいなくなったオレンジの木の根元の芝の上にふたりで腰を下ろした。
時折りそよぐ風で、足元の木陰が長閑に揺れる。
世界の憂いも、人類の危機もここからは見えない。
「ルドガーの躰はね、もう長くはもたないんだ」
「それはどういうことだ」
黄色いオレンジの実を眺めていた青い瞳がノアに流された。内容とは違った意味の目尻の艶に、心臓がざわっとざわめく。
「ルドガーの躰は、ウイルスに侵されてる」
ノアは、もたれていた木の根から弾かれたように身を起こした。
「馬鹿な・・・ウイルスは宿主は感染しないはずだろう?」
「実験のせいだ。取り出して変異させたローズ・フィーバーウイルス細胞を、ヴィンセント博士はルドガーの躰にまた戻して変化をみる。それを何度も繰り返したんだ」
言いようのない怖気に襲われた。
血を分けた孫の躰を、モルモットとして扱う男は狂っていたとしか思えない。まさに、悪魔の所業だ。
人を、世界を消してしまいたいほどに憎むルドガーの心の傷を、一体誰が癒すことが出来るというのか。
「残された時間を、人類をこの世界から消すことに使うと決めた彼は、僕が君を見つかるまでのあいだ眠りにつくことにした。そうすることで命の時間を稼いでいるんだ。でも僕は、君を見つけたことを彼に知らせなかった」
青い瞳の先でオレンジの枝が、風にそよぐ。子供達が走り回る修道院、丹念に手を入れられた薔薇の庭。アンドロイドは、この世界で愛する人を見つけてしまった。
「ぼんやり黄昏を見ていた君はちょっと疲れた感じで、今にも泣き出すんじゃないかと、僕は手を伸ばしたくて、いつもはらはらしてた。毎日、ラウンジに立つ君を見に行ったよ。君がいない日も、雨の日も行ったんだ」
「別に、日課にしてた訳じゃない」
そう言うと、照れたように「そうだね」と笑う。
「あんな危ない場所に立って、コソコソ見に来るくらいなら、堂々と会いに来りゃあいいじゃないか」
青い瞳が幸せな過去を回想するように細まって、「恋をしたんだ」と言った。
「僕は、すごく君に会いに行きたかった」 憂いを刷いた顔で笑う。
「僕ね、眠りについたルドガーにずっと一緒にいてあげるつもりだった。大好きな君がこの世からいなくなった後も、100年でも1000年でも。人間には無理でも、僕にならできる。地上に残ったローズ・フィーバーウイルスが死滅して、いつか世界が本当の終わりを迎える日までずっと」
「あの秘密のいっぱい詰ったラボと共に眠る彼の眠りを、妨げるものはないはずだった」
温かい手のひらがノアの顔を包んだ。
「彼を覚醒させることが出来るのは、この世界でたったひとつ、この綺麗な黒い瞳だけだったから」
愛情を湛える瞳を悲しげな青に染めながら微笑む。
「君に会って、僕の目が君の瞳をスキャンしてしまったら、彼は眠りから覚醒してすべてが動き出してしまう。わかっていたのにあの日、Boroth社のショウルームでホーリーを追いかけようとした君を、僕はつかまえてしまった」
柔らかい草の上に座っていながら、叩きつけられるような衝撃を感じた。
「ホーリーは君が言った通り、とても怖い殺人鬼だよ。君がホーリーを追いかけるのを、とても僕は見過ごせなかった」
頬を覆った手指が愛しげにノアの頬を撫でる。オレンジの華やかな香のする風が夕刻の庭を抜けていった。
「この目を潰したい」
ショウルームで目を合わせた時、青い虹彩の奥を光が走ったような気がしたのは、気のせいではなかった。地上400Mで手を伸ばしてきたのは、あれは近寄るなという合図だったのだ。
透明度の高い真っ黒な瞳が、罪の重さに瞠目し慄えた。
「そんな事言わないで。僕は、ノアを初めて見た瞬間、恋に落ちて、君のいるこの世界がすごく好きになった。ねえ、いま君の黒い瞳に僕が映ってるよ。僕は今すごく幸せなの、わかる?」
本当に幸せそうに笑った顔は泣きそうだった。黒い瞳の慄えは、唇や胸に伝播し苦しくなった。
「ルドガーの思考が完全に移ったら、お前は・・・レイはどうなるんだ? ルドガーが言ったみたいに、完全に消えてしまうのか」
「うん、今の僕は落下の衝撃でルドガーとのリンクが出来なくなっているけど、ラボに着いて僕の自律回路をルドガーと同期化させたら”僕”は消える。そうしたら、この躰は本物のルドガー・ヴィンセントのものになるよ」
事も無げに言う唇はアンドロイドのものなのか、人の心をもったレイのものなのか、判断がつきかねて、ノアは穏やかに揺れる木陰の下で薄く瞼を下ろした。
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自分が引掻いた傷を、後生大事にされていた思うと、妙な心境だ。
不意にルドガーが跪いて、ノアに長い腕を伸ばした。
風がふたりの髪を揺らして回廊を吹き抜けいく。
「僕は研究所に君を連れて帰るようにプログラミングされている。ノア、どうか僕と一緒に来て」
その目は、オレンジの木の下で遊びに興じる子供達を見ていた。
「研究所にのゲートを開けるには、君のDNA認証が必要なんだ。ルドガーが人類を消滅させるのを止められるのは・・・彼を説得できるのは、君だけだから」
見上げてくる視線は固い意志を持つ。真っ青な空の色だ。
古い教会の回廊で、手を差し伸べて跪くルドガーには、中世期の騎士のような凛々しさと清々しさがあった。
――‐ 生まれや、その躰が尊いのではありません。
慈愛を持った彼の魂がこそ崇高であり、成した行いこそが尊いのです。
ルドガーに歩み寄ったノアは、差し出された手に自分の手を重ねた。
「条件がある」
オレンジの花の香る風が、ふたりの髪を煽る。
「ひとつは、何があっても俺をルドガーのところへ連れていくこと。例え、途中でお前の躰が壊れても、最後まで俺をラボに届けると誓ってくれ」
海辺で佇む少年が、あの場所からノアを見ている。あの場所でノアが行くのを、待っている気がした。
ルドガーはノアの手を載せたまま、誓いを示すように神妙な面持ちで頭を垂れた。
「それと、もうひとつ。今から、ルドじゃなく”レイ”って呼ぶから」
瞬時に頭を上げたルドガーの青い瞳が、これまでに見たこともないくらい大きくなった。
ルドガーでもルドでも東李でもない。
ましてや、シリアルナンバーでもない。ただのREI ―― レイ。
名前は、ひとつの魂とその人格を象るサインだ。
誰かのスペアなどではなく、ただひとりの存在として世界に向けて発信する符号だ。
突然、ノアを桐羽と呼ぶことをやめたルドガーの中にも、ノアという唯一の人間が存在している。
「僕の名前をノアが?」
「俺は自分の運命を、誰かの身代わりとか影武者の男に託す気はない」
ノアの世話をしてくれたロボットは、キーパーとしか呼ばれず、名前をつけてももらえなかった。
いきなり立ち上がった、長躯に思いっきり抱きしめられた。
「凄い・・・!ノア、大好き」
「骨が折れる、レイ」
名前を呼んだ途端、動きが止まる。
もう一度呼んで欲しいと強請られる。
はっきり「レイ」と、魂に刻み付けるように呼ぶと、震える腕で優しく抱きしめ直された。
「本当はね、ずっとずうっと前に君を見つけていたんだ」
「知ってるよ」
子供達がいなくなったオレンジの木の根元の芝の上にふたりで腰を下ろした。
時折りそよぐ風で、足元の木陰が長閑に揺れる。
世界の憂いも、人類の危機もここからは見えない。
「ルドガーの躰はね、もう長くはもたないんだ」
「それはどういうことだ」
黄色いオレンジの実を眺めていた青い瞳がノアに流された。内容とは違った意味の目尻の艶に、心臓がざわっとざわめく。
「ルドガーの躰は、ウイルスに侵されてる」
ノアは、もたれていた木の根から弾かれたように身を起こした。
「馬鹿な・・・ウイルスは宿主は感染しないはずだろう?」
「実験のせいだ。取り出して変異させたローズ・フィーバーウイルス細胞を、ヴィンセント博士はルドガーの躰にまた戻して変化をみる。それを何度も繰り返したんだ」
言いようのない怖気に襲われた。
血を分けた孫の躰を、モルモットとして扱う男は狂っていたとしか思えない。まさに、悪魔の所業だ。
人を、世界を消してしまいたいほどに憎むルドガーの心の傷を、一体誰が癒すことが出来るというのか。
「残された時間を、人類をこの世界から消すことに使うと決めた彼は、僕が君を見つかるまでのあいだ眠りにつくことにした。そうすることで命の時間を稼いでいるんだ。でも僕は、君を見つけたことを彼に知らせなかった」
青い瞳の先でオレンジの枝が、風にそよぐ。子供達が走り回る修道院、丹念に手を入れられた薔薇の庭。アンドロイドは、この世界で愛する人を見つけてしまった。
「ぼんやり黄昏を見ていた君はちょっと疲れた感じで、今にも泣き出すんじゃないかと、僕は手を伸ばしたくて、いつもはらはらしてた。毎日、ラウンジに立つ君を見に行ったよ。君がいない日も、雨の日も行ったんだ」
「別に、日課にしてた訳じゃない」
そう言うと、照れたように「そうだね」と笑う。
「あんな危ない場所に立って、コソコソ見に来るくらいなら、堂々と会いに来りゃあいいじゃないか」
青い瞳が幸せな過去を回想するように細まって、「恋をしたんだ」と言った。
「僕は、すごく君に会いに行きたかった」 憂いを刷いた顔で笑う。
「僕ね、眠りについたルドガーにずっと一緒にいてあげるつもりだった。大好きな君がこの世からいなくなった後も、100年でも1000年でも。人間には無理でも、僕にならできる。地上に残ったローズ・フィーバーウイルスが死滅して、いつか世界が本当の終わりを迎える日までずっと」
「あの秘密のいっぱい詰ったラボと共に眠る彼の眠りを、妨げるものはないはずだった」
温かい手のひらがノアの顔を包んだ。
「彼を覚醒させることが出来るのは、この世界でたったひとつ、この綺麗な黒い瞳だけだったから」
愛情を湛える瞳を悲しげな青に染めながら微笑む。
「君に会って、僕の目が君の瞳をスキャンしてしまったら、彼は眠りから覚醒してすべてが動き出してしまう。わかっていたのにあの日、Boroth社のショウルームでホーリーを追いかけようとした君を、僕はつかまえてしまった」
柔らかい草の上に座っていながら、叩きつけられるような衝撃を感じた。
「ホーリーは君が言った通り、とても怖い殺人鬼だよ。君がホーリーを追いかけるのを、とても僕は見過ごせなかった」
頬を覆った手指が愛しげにノアの頬を撫でる。オレンジの華やかな香のする風が夕刻の庭を抜けていった。
「この目を潰したい」
ショウルームで目を合わせた時、青い虹彩の奥を光が走ったような気がしたのは、気のせいではなかった。地上400Mで手を伸ばしてきたのは、あれは近寄るなという合図だったのだ。
透明度の高い真っ黒な瞳が、罪の重さに瞠目し慄えた。
「そんな事言わないで。僕は、ノアを初めて見た瞬間、恋に落ちて、君のいるこの世界がすごく好きになった。ねえ、いま君の黒い瞳に僕が映ってるよ。僕は今すごく幸せなの、わかる?」
本当に幸せそうに笑った顔は泣きそうだった。黒い瞳の慄えは、唇や胸に伝播し苦しくなった。
「ルドガーの思考が完全に移ったら、お前は・・・レイはどうなるんだ? ルドガーが言ったみたいに、完全に消えてしまうのか」
「うん、今の僕は落下の衝撃でルドガーとのリンクが出来なくなっているけど、ラボに着いて僕の自律回路をルドガーと同期化させたら”僕”は消える。そうしたら、この躰は本物のルドガー・ヴィンセントのものになるよ」
事も無げに言う唇はアンドロイドのものなのか、人の心をもったレイのものなのか、判断がつきかねて、ノアは穏やかに揺れる木陰の下で薄く瞼を下ろした。
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■最後までお読み頂き、ありがとうございます♪(*^▽^*)
ごめんなさい。ここまで来て、名前が変わりました。
この先どんどんオリジナルのルドガーに近付いて、ややこしくなりそうなので
これを機に、ルド君だけの名前を付けてあげたいとノアが言いまして、レイ(零)くんにしてみました。
思いっきり、シリアルナンバーやんって?面目ございません。その通りです。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
■ブログ拍手コメントのお返事は、*こちら*にさせていただいております♪

ごめんなさい。ここまで来て、名前が変わりました。
この先どんどんオリジナルのルドガーに近付いて、ややこしくなりそうなので
これを機に、ルド君だけの名前を付けてあげたいとノアが言いまして、レイ(零)くんにしてみました。
思いっきり、シリアルナンバーやんって?面目ございません。その通りです。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
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ルドガーがリンクしたTOI-零では無く別の存在、レイは、レイなのだと知らしめるものですね。
レイの歓喜する魂の震えが伝わって来ます!
業に囚われた祖父に繰り返された非情な行動は、恐ろしさを通り越して 悲しさを感じる。
ローズフィーバーと共に その業も ルドガーを侵食し、増殖されてる気がするな
レイは、無事にノアを ルドガーの許に連れて行く事ができるのか!
そして 迅は・・・!?
レイ、ガンバ!死ぬなよ!"o(・`ω´・)キュ!...byebye☆
P.S.”レイ”という名で 私のポンコツ脳でも ルドガーと区別がついて 分かり易いです。
ありがと~♪ヾ(^Д^*)ノ