12 ,2011
Love or world 19
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真鍮の把手を手前に引いた。特殊硬化ガラスの嵌る高さ3Mの木製扉は、その見た目の重厚感を感じさせない軽さで手前に開いた。クラシックな仕様の扉だが、外界と繋がるエレベーター同様、中身は堅牢な分厚い合金と複雑なメカニズムで完全管理されている。静脈認証できない人間が把手に触れても開かない仕掛けだ。
エレベーターの登録は抹消したくせに、庭と邸内の出入りは自由にさせる。
閉じ込めてしまえば、ノアがどこにも行くことは出来ないと踏んでいる。
甘さか余裕か。
ルドガーの意図とするところは、ノアにはもう判らなかった。
自分がこれから犯そうとしている大罪と、声にして認めたルドガーへの想いだけが頭を占拠し、ノアを衝き動かした。
堂々と扉を開け中に入ると、ノアは額だけでも美術品になりそうな絵画や、素人目にも価値の高さがわかる見事な調度品の数々が飾られた広い廊下を足早に駆け抜けた。
濡れた躰から滴る雨水が、精密な寄木の床にノアの軌跡を描いく。
エリオットが見たら、片眉だけを上げた上品な執事の口から厭味の一つ二つも飛び出しただろう。が、遠い昔の貴族の邸宅を彷彿させる豪奢な邸内も今は、死んだように静まり返っている。
メインホールに入ると、厚い雷雲の狭間で閃く稲光が、暗い室内を浮かび上がらせた。ノアは蛇紋岩と大理石で造られた暖炉に近付くと、その上の重いブロンズ製の燭台を掴んだ。
女神が薔薇の花と戯れる彫刻のついた燭台は、ルドガーと温室で深夜のピクニックをした時に灯りをともしたものだ。
運命のような再会をふたりで祝った月の夜。
月の光の満ちた温室で、ノアはルドガーのくれた甘く切ない接吻けに泣きそうになった。
ふたりを柔らかく照らしてくれてあの灯火は、もう消えてしまった。
燭台を強く握り直すと、ノアは廊下に出てエレベーターホールに戻った。
八角形の一辺に設えられた隠し扉を開け、更にその奥にある扉を開ける。
ここでも扉はノアの静脈を認証する。
警戒感を最高値に上げ、ノアは素早く次の行動に出た。
窓のない小さな部屋には、歴代のボディガードたちが警護時に携帯した、様々な形の通信機や武器の類が入った棚がところ狭しと並ぶ。
ノアは、ガラスを燭台で叩き割ると中からレーザーガンを取り出した。続けて背後のガラスを割り、取り出した拳銃の弾倉を確かめてズボンの背中に差す。
部屋の隅で静かに点滅する警報機も叩き潰すと、ノアは燭台を銃のあったケースの中にそっと置く。
俯き加減の女神の顔は、これから起こる悲劇を憂い目を背けているように見えた。
部屋を出て、ホールに戻る。
濡れて躰に貼り付くシャツとズボンが体温を奪い肌は冷え切っていたが、頭の芯は熱に浮かされるように高揚し、感覚は研ぎ澄まされていった。
薄暗いホールに出たところで、ノアは凍りついたように動きを止めた。
須弥山には怪物が棲む、一体誰が言ったのか。
ノアの血の足跡のついたエレベーター扉の前に、美しい怪物は立っていた。
「桐羽、足は大丈夫?」
ルドガーは憂いを含んだナイトブルーの眼差しを傾け訊ねてきた。
その眉間にノアは構えた銃の照準を定める。
この近さで銃口から逃げるのはまず、不可能だ。ルドガーは瞬きもせずノアを凝視めた。
ふっとその口許に、諦観を滲ませた皮肉気な微笑が浮かぶ。
「君なら、こうするかもしれないと思っていた」
「宿主が死ねば、出回ったウイルスが死滅した段階でローズ・フィーバーウイルスは地上から消える。俺には、世界の終末を傍観するなんて、そんなことは出来ない」
ルドガー
「愛か世界か・・・そう問えば、君は世界を選ぶんだね」
「違う、そうじゃない! 俺は愛も世界も両方取る。愛しているからこそあんたを殺し、この躰からワクチンを造った後に、同じ銃で俺も必ず死ぬ。ルドを、独りにしたりはしない」
美しい顔が悲しげに曇る。が、次の瞬間、悪魔の蠱惑と天使の純潔を混ぜあわせたような笑みを浮かべた。
「おかしな言い方をする。その言い方だと、僕の他にもルドガー・ヴィンセントがいるみたいだ。君の愛するルドは僕で、僕も君を深く愛しているよ。さあおいで、可愛い桐羽。濡れた服を着替えないと風邪を引いてしまう、足の手当てもしないとね」
慈悲深い笑みを湛え、両手を広げたルドガーがゆっくり近付いてくる。
金の髪房が落ちる秀麗な額を狙ったまま、8角形のホールの壁沿いをノアも後ずさった。
照準を合わせるまでの決意と覚悟を裏切るように、指先が躊躇っている。
目の前に迫った男の顔に、屈託無い無邪気な笑顔や、ノアを好きだという時のはにかんだ上目遣いの表情、マシンに跨ったまま沈む陽光の中で接吻けを交した時の顔が次々と重なった。
愛しくて、恋しくて。
逢いたくて、逢いたくてたまらない。
ノアの胸は絶望的な慟哭の叫び声を上げる。
心を殺して構えたはずの銃口は、ノアの心の慄えを受けて揺らいだ。
憂いに濃く染まる瞳が、自分に向けられた銃口の震えを慈しむように細まる。
「この世界に、命を懸ける価値などありはしないよ」
疎外感と寂寥感に苛まれた子供時代。
手を伸ばしても手に入らない迅の心をひたすら求め続けた、辛く苦しい日々。
指を咥えて欲しいと思う羨望は、いつしか妬みや僻みにすり替わり、気がつけば心に砦を築き、極力自分の中に他人を入れないようになっていた。
だが、自分の世界はルドガーとの邂逅で変った。
心を開く高揚感を知り、愛することと受け入れることは同じだと知った。
ルドガーにはその機会も与えられなかった。
美しく聡明な子供でありながら誰からも愛されず、実の祖父すらその身体を研究材料としてしか見なしていなかった。
宿主という運命は、少年に孤独を強い、受けるべき愛を遠ざけた。
ルドガーの誰かに愛されたい、愛したいという当然の強い欲求は、ウイルスの免疫を持ち自分を慕うひとりの少年の出現で決壊を起こし、奔流となって少年に流れ込んだ。
ルドガーを、ひとりにはしない。
「1ヶ月後のダンテの結婚式に一緒に参列するって、ルドは俺と約束したんだ」
生まれ来る子供に名前を贈る。生まれてきてよかったと思える世界と共に。
名付け親になるという望みは叶わなくとも、新しい命はきっとこの世界を変えてくれる。
この世界を見限るわけには行かない。
「愛しているから、あんたを殺す。あんたも、ルドも俺が連れて逝く」
ほんの一瞬、ルドガーの瞳が揺らいだ。葛藤するような苦悶の表情が怜悧な顔を過ぎる。
「僕が・・・ルドだ」
「違う。あんたはルドじゃない」
確信しきった声に、ノアに迫るルドガーの顔が曳き歪んだ。恐怖にではない。明らかな嫉妬が、眇まった瞳の昏かりからノアを・・・・ノアが愛する者たちを憎悪を籠めて睨みつける。
「聞きわけがないね、桐羽。じゃあ、仕方がない」
ふたりの間の緊張感が一気に頂点に達した。
ノアがトリガーを引くのと、鳩尾に衝撃を受けるのは、ほぼ同時だった。
抗いようのない力に圧され、ホールの外の廊下まで吹き飛ばされた。
床を滑った躰が柱にぶつかり、背中と後頭部を強かに打ち付ける。
圧倒的に強い。躰に受けた蹴りの強さと切れのよい身のこなし。
絶対の殺傷力を売りにする銃の放ったエネルギー弾は、外しようのない至近距離にありながら、ルドガー額を掠りもしていない。
過去にもルドガーは、ホーリーの弾丸を避けていた。
銃撃や狙撃はしょっちゅうたが、ルドガーが実際に撃たれることはない。
寄木の床にうつ伏したノアに向かって足音が近付いてくる。
次に攻撃を受ければ間違いなくルドガーに囚われる。
痛みを殺して身を起こし、臨戦態勢を取った。そこで、ノアは自分の躰に違和感を覚えた。
躰が軽い。
「どうやら、フェムトは君に適合したみたいだね」
瞬発的に向けた銃を、ルドガーは笑いを浮かべながら払った。
指先に激しい痛みを残して手の中から消えた銃は、銃身が刃物で切られたようにスパンと分断されている。
自分の見ているものが信じられない。
愕然と見上げてぶつかったルドガーの瞳に、ノアは驚愕した。
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真鍮の把手を手前に引いた。特殊硬化ガラスの嵌る高さ3Mの木製扉は、その見た目の重厚感を感じさせない軽さで手前に開いた。クラシックな仕様の扉だが、外界と繋がるエレベーター同様、中身は堅牢な分厚い合金と複雑なメカニズムで完全管理されている。静脈認証できない人間が把手に触れても開かない仕掛けだ。
エレベーターの登録は抹消したくせに、庭と邸内の出入りは自由にさせる。
閉じ込めてしまえば、ノアがどこにも行くことは出来ないと踏んでいる。
甘さか余裕か。
ルドガーの意図とするところは、ノアにはもう判らなかった。
自分がこれから犯そうとしている大罪と、声にして認めたルドガーへの想いだけが頭を占拠し、ノアを衝き動かした。
堂々と扉を開け中に入ると、ノアは額だけでも美術品になりそうな絵画や、素人目にも価値の高さがわかる見事な調度品の数々が飾られた広い廊下を足早に駆け抜けた。
濡れた躰から滴る雨水が、精密な寄木の床にノアの軌跡を描いく。
エリオットが見たら、片眉だけを上げた上品な執事の口から厭味の一つ二つも飛び出しただろう。が、遠い昔の貴族の邸宅を彷彿させる豪奢な邸内も今は、死んだように静まり返っている。
メインホールに入ると、厚い雷雲の狭間で閃く稲光が、暗い室内を浮かび上がらせた。ノアは蛇紋岩と大理石で造られた暖炉に近付くと、その上の重いブロンズ製の燭台を掴んだ。
女神が薔薇の花と戯れる彫刻のついた燭台は、ルドガーと温室で深夜のピクニックをした時に灯りをともしたものだ。
運命のような再会をふたりで祝った月の夜。
月の光の満ちた温室で、ノアはルドガーのくれた甘く切ない接吻けに泣きそうになった。
ふたりを柔らかく照らしてくれてあの灯火は、もう消えてしまった。
燭台を強く握り直すと、ノアは廊下に出てエレベーターホールに戻った。
八角形の一辺に設えられた隠し扉を開け、更にその奥にある扉を開ける。
ここでも扉はノアの静脈を認証する。
警戒感を最高値に上げ、ノアは素早く次の行動に出た。
窓のない小さな部屋には、歴代のボディガードたちが警護時に携帯した、様々な形の通信機や武器の類が入った棚がところ狭しと並ぶ。
ノアは、ガラスを燭台で叩き割ると中からレーザーガンを取り出した。続けて背後のガラスを割り、取り出した拳銃の弾倉を確かめてズボンの背中に差す。
部屋の隅で静かに点滅する警報機も叩き潰すと、ノアは燭台を銃のあったケースの中にそっと置く。
俯き加減の女神の顔は、これから起こる悲劇を憂い目を背けているように見えた。
部屋を出て、ホールに戻る。
濡れて躰に貼り付くシャツとズボンが体温を奪い肌は冷え切っていたが、頭の芯は熱に浮かされるように高揚し、感覚は研ぎ澄まされていった。
薄暗いホールに出たところで、ノアは凍りついたように動きを止めた。
須弥山には怪物が棲む、一体誰が言ったのか。
ノアの血の足跡のついたエレベーター扉の前に、美しい怪物は立っていた。
「桐羽、足は大丈夫?」
ルドガーは憂いを含んだナイトブルーの眼差しを傾け訊ねてきた。
その眉間にノアは構えた銃の照準を定める。
この近さで銃口から逃げるのはまず、不可能だ。ルドガーは瞬きもせずノアを凝視めた。
ふっとその口許に、諦観を滲ませた皮肉気な微笑が浮かぶ。
「君なら、こうするかもしれないと思っていた」
「宿主が死ねば、出回ったウイルスが死滅した段階でローズ・フィーバーウイルスは地上から消える。俺には、世界の終末を傍観するなんて、そんなことは出来ない」
ルドガー
「愛か世界か・・・そう問えば、君は世界を選ぶんだね」
「違う、そうじゃない! 俺は愛も世界も両方取る。愛しているからこそあんたを殺し、この躰からワクチンを造った後に、同じ銃で俺も必ず死ぬ。ルドを、独りにしたりはしない」
美しい顔が悲しげに曇る。が、次の瞬間、悪魔の蠱惑と天使の純潔を混ぜあわせたような笑みを浮かべた。
「おかしな言い方をする。その言い方だと、僕の他にもルドガー・ヴィンセントがいるみたいだ。君の愛するルドは僕で、僕も君を深く愛しているよ。さあおいで、可愛い桐羽。濡れた服を着替えないと風邪を引いてしまう、足の手当てもしないとね」
慈悲深い笑みを湛え、両手を広げたルドガーがゆっくり近付いてくる。
金の髪房が落ちる秀麗な額を狙ったまま、8角形のホールの壁沿いをノアも後ずさった。
照準を合わせるまでの決意と覚悟を裏切るように、指先が躊躇っている。
目の前に迫った男の顔に、屈託無い無邪気な笑顔や、ノアを好きだという時のはにかんだ上目遣いの表情、マシンに跨ったまま沈む陽光の中で接吻けを交した時の顔が次々と重なった。
愛しくて、恋しくて。
逢いたくて、逢いたくてたまらない。
ノアの胸は絶望的な慟哭の叫び声を上げる。
心を殺して構えたはずの銃口は、ノアの心の慄えを受けて揺らいだ。
憂いに濃く染まる瞳が、自分に向けられた銃口の震えを慈しむように細まる。
「この世界に、命を懸ける価値などありはしないよ」
疎外感と寂寥感に苛まれた子供時代。
手を伸ばしても手に入らない迅の心をひたすら求め続けた、辛く苦しい日々。
指を咥えて欲しいと思う羨望は、いつしか妬みや僻みにすり替わり、気がつけば心に砦を築き、極力自分の中に他人を入れないようになっていた。
だが、自分の世界はルドガーとの邂逅で変った。
心を開く高揚感を知り、愛することと受け入れることは同じだと知った。
ルドガーにはその機会も与えられなかった。
美しく聡明な子供でありながら誰からも愛されず、実の祖父すらその身体を研究材料としてしか見なしていなかった。
宿主という運命は、少年に孤独を強い、受けるべき愛を遠ざけた。
ルドガーの誰かに愛されたい、愛したいという当然の強い欲求は、ウイルスの免疫を持ち自分を慕うひとりの少年の出現で決壊を起こし、奔流となって少年に流れ込んだ。
ルドガーを、ひとりにはしない。
「1ヶ月後のダンテの結婚式に一緒に参列するって、ルドは俺と約束したんだ」
生まれ来る子供に名前を贈る。生まれてきてよかったと思える世界と共に。
名付け親になるという望みは叶わなくとも、新しい命はきっとこの世界を変えてくれる。
この世界を見限るわけには行かない。
「愛しているから、あんたを殺す。あんたも、ルドも俺が連れて逝く」
ほんの一瞬、ルドガーの瞳が揺らいだ。葛藤するような苦悶の表情が怜悧な顔を過ぎる。
「僕が・・・ルドだ」
「違う。あんたはルドじゃない」
確信しきった声に、ノアに迫るルドガーの顔が曳き歪んだ。恐怖にではない。明らかな嫉妬が、眇まった瞳の昏かりからノアを・・・・ノアが愛する者たちを憎悪を籠めて睨みつける。
「聞きわけがないね、桐羽。じゃあ、仕方がない」
ふたりの間の緊張感が一気に頂点に達した。
ノアがトリガーを引くのと、鳩尾に衝撃を受けるのは、ほぼ同時だった。
抗いようのない力に圧され、ホールの外の廊下まで吹き飛ばされた。
床を滑った躰が柱にぶつかり、背中と後頭部を強かに打ち付ける。
圧倒的に強い。躰に受けた蹴りの強さと切れのよい身のこなし。
絶対の殺傷力を売りにする銃の放ったエネルギー弾は、外しようのない至近距離にありながら、ルドガー額を掠りもしていない。
過去にもルドガーは、ホーリーの弾丸を避けていた。
銃撃や狙撃はしょっちゅうたが、ルドガーが実際に撃たれることはない。
寄木の床にうつ伏したノアに向かって足音が近付いてくる。
次に攻撃を受ければ間違いなくルドガーに囚われる。
痛みを殺して身を起こし、臨戦態勢を取った。そこで、ノアは自分の躰に違和感を覚えた。
躰が軽い。
「どうやら、フェムトは君に適合したみたいだね」
瞬発的に向けた銃を、ルドガーは笑いを浮かべながら払った。
指先に激しい痛みを残して手の中から消えた銃は、銃身が刃物で切られたようにスパンと分断されている。
自分の見ているものが信じられない。
愕然と見上げてぶつかったルドガーの瞳に、ノアは驚愕した。
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■最後までお読み頂き、ありがとうございます♪(*^▽^*)
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
■ブログ拍手コメントのお返事は、*こちら*にさせていただいております♪

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ひゃあああ!ご指摘、本当にありがとうございました。
後で見直しましたら、もう一箇所・・・(恥・や、まだまだあるかも・・・ゾゾ。
冒頭文を気に入って頂き、ありがとうございました(*^▽^*)
毎回、お決まりの流れの殻を破りたいと思いながら、気がつけば自分節が
取れておらずジタバタしております。
癖になる痛さと仰って頂き、嬉しいです。
本当に、まだまだ修行ですね、道は険しいです~~(笑)
コメント&ご訪問、ありがとうございます!