11 ,2011
Love or world 4
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天が裂け、目の前ですべてが消滅してゆくのをノアは見ていた。
摩天楼も、巨大なアスクレピオスのラウンジに立つノア・クロストも、画面が細かい粒子になって分散するように消えた。「空白」が目のすぐ前に迫っていた。逃げなければ、思っているのに足が動かなかった。
息を吸い込む自分の呼吸音で意識が戻った。
朝の蒼褪めた静寂が、辺りを満たしている。隣で眠るルドガーの、規則的な寝息に助かったと安堵の息をついた。
浮上する前の肉迫する光景が、まだノアの鼓動を乱していた。
起き上がってもう一度、深く息をついた。
風でモビールが揺れている。一時間。もっと短かったかも知れない。獅子と蝙蝠のあいのこみたいな魔物に助けてもらわなければ、戻れなかった。
砂の城、少年、棺・・・。ベッドに座り、ぼんやり思い返すノアの背中を広い胸がそっと抱いた。
「おはよう」
肩の上で囁かれた、短い言葉。
今なら、この声の持ち主が誰か。目を瞑っていても当てられる。
端っこがほんの少し欠けた掠れ気味の声。昔と比べ、随分と低くなって艶が増している。この声を、どうして忘れていたのだろう。
「ルド・・・・」
「思い出したんだ?」
腕の中で肯いた。腕を解いて振り返り、自分からまだ少し眠そうな空色の瞳の男を抱く。
自分より5つ年上の美しい兄はノアの誇りだった。
血など繋がっていなくとも兄として慈しみ、自分を愛してくれた。その土台があったからこそ、記憶をなくしても自分は誰かを愛したい、繋がっていたいと思えたのだと思う。
背中に廻った手がノアの創った傷に触れ、ルドガーの息が詰る。慌てて手を離し、意気消沈して詫びると、チャンスだからもっと抱きしめてと、屈託のない笑顔で言われた。
繊細な少年の頃にはなかった、暖かい陽射しのような大らかさに、子供ふたり分の孤独が慰められる。
結局、ノアは砂浜で少年の肩を抱きしめてやれなかった。
その分も、思いを込めて抱きしめた。
それからは、離れていたふたりの時間を取り戻すかのように、ほとんどの時間を一緒に過ごした。
リハビリを始めた足は思ったほど筋力も失われておらず、逆に調子がいいくらいで先進医療に舌を巻いた。
エリオットがノア専用にと、3人の使用人を連れてきたのには閉口した。即座に辞退すると、納得しきれない様子で、では私がなどと言い出しノアを困らせた。
自分の出自がわかったからといって、現在の生活をどうするとかすぐには決められない。
それに全てを思い出したわけでもなかった。
いくら仲のよい兄弟として幼い時期を過ごたからといって、長い年月の壁がすぐに取り払われるはずもなかった。
それに、大人になったルドガーはノアを恋愛の対象としてみている。
他愛のない話をする間も、ノアに注がれる青い瞳には、肉親の情以外の切羽詰った恋情の色が濃く浮かぶ。あまりにオープンでダイレクトに伝えられる恋心を、どう受け止めればよいのかわからない。その視線に煽られる自分にも、ノアは戸惑いを覚えていた。
ルドガーとの2度のキスは、ふたりの関係を簡単に変えてしまえるだけの威力を、充分すぎるほどに持っていた。
「ルドは、もっと気難しくてシャープな大人になると思ってた」
「がっかりした?」
温室にキャンドルと食事を運んでもらい、カウチで思い思いの格好で食べていた。大人たちに省みられることのない子供の頃、よく食べものを部屋に持ち込んでピクニックごっこをやった。
大きな鳥籠の形をした温室は、子供に戻ったふたりを優しく外界から隔ててくれた。
「いや・・・シャープっていうのはあるのかな。初めてアスクレピオスのラウンジで見た時、正直、カッコよすぎて妬けたもんな。でも、気難しいっていうのは違うな。大らかっていうか・・・・能天気?時々、年下に見える時がある」
言葉に出してからしまったと思ったが、ルドガーは気にしない様子で可笑しそうに笑った。
「あの時、君は下手糞ーって叫んだんだよね」
「聞こえたんだ。マシンからスーツから、何から何までマジでかっこよすぎて、嫉妬も相当混ざってたけどね。ガラス越しだったし、ジェット音で消されてると思ってた」
カウチにもたれてオードブルを食べていたルドガーの指が、隣で寝そべるノアの頬に触れる。
「君が無事でよかった」
触れられた皮膚に熱が篭るのを感じて、さりげなく姿勢を変えるふりをして指先から逃げた。
ルドガーはノアの戸惑いに気付いてたのか、自然な仕草で手を引っ込めた。
「やっぱり、俺を守る為にエンジンを切ったんだ」
あの時、黄昏に燃える空の中でルドガーはノアに手を伸ばした。
何もかも繋がった今、ひとしきり感慨となって降り積もる。
「僕が若く見えるのは、カプセルの中にいたせいもあると思う」
大人たちはルドガーが重い病に罹っていると言った。治療法が見つかるまで、眠って待つのだと。
ルドガーの希望で儀式はふたりでよく遊んだ草原で行われた。ノアはコールドスリープの装置に眠るルドガーのために、ルドガーの好きだった白い花を摘んでカプセルに入れた。
白い棺に見えたのはコールドスリープ用のカプセルだった。
「病気は?子供の頃はよくわからなかったけれど、何の病気だったの?」
「僕が目覚めたときには君がいなくなっていて、僕は本当に悲しかった」
病の事はあまり語りたくないのか、少し間が開いて回顧するように呟いた。
養父でもあった真乃は、ノアにルドガーが目覚めるまでの間、たくさんの人の中で暮らす事を勧めた。ルドガーの祖父であるヴィンセント博士と共同のラボは人里を離れている上に大人しかいない。
真乃はノアは同世代の子供と育つべきだと主張した。
ルドガーが目覚めるまでという条件と、大都市に住むという魅力。大人の思惑など計る由もない子供はまだ見ぬ摩天楼に夢を馳せた。
出発の朝、カプセルの中の美しい眠人にキスをして、真乃の旧式のエアフライに乗った。
記憶はそこで一旦途切れ、深い森の中での目覚めに繋がる。
「事故だったって、真乃博士は言ってた。フリーエリアで墜落したんだ。僕はスリープから覚めてからずっと、君を探し続けた」
ルドガーと自分の時間の隔たりの差を感じて切なさを覚えた。
自分にはルドガーを忘れた12年の年月が流れたが、眠っていたルドガーにはその半分しか経っていない。しかも、目覚めてからの6年をルドガーは一途にノアを探す事に費やしていた。
キャンドルが燃え尽きた。
揺れる焔と同時に会話が途切れた温室は、静寂と透明な月の光で満たされる。
気まずさに新しいキャンドルに伸ばした腕を大きな手に掴まれ、ルドガーにそれと伝わるほどびくりと震えた。
「桐羽」
静かな熱を孕んだ青い虹彩に見詰められ、身動きが取れなくなる。
張り詰めた均衡を破る、いい言葉が見つからない。
ゆっくり顔を近づけたルドガーの吐息が唇を掠める。
瞳に篭る圧倒的な想いの重みに潰されそうになって、目を閉じた。
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天が裂け、目の前ですべてが消滅してゆくのをノアは見ていた。
摩天楼も、巨大なアスクレピオスのラウンジに立つノア・クロストも、画面が細かい粒子になって分散するように消えた。「空白」が目のすぐ前に迫っていた。逃げなければ、思っているのに足が動かなかった。
息を吸い込む自分の呼吸音で意識が戻った。
朝の蒼褪めた静寂が、辺りを満たしている。隣で眠るルドガーの、規則的な寝息に助かったと安堵の息をついた。
浮上する前の肉迫する光景が、まだノアの鼓動を乱していた。
起き上がってもう一度、深く息をついた。
風でモビールが揺れている。一時間。もっと短かったかも知れない。獅子と蝙蝠のあいのこみたいな魔物に助けてもらわなければ、戻れなかった。
砂の城、少年、棺・・・。ベッドに座り、ぼんやり思い返すノアの背中を広い胸がそっと抱いた。
「おはよう」
肩の上で囁かれた、短い言葉。
今なら、この声の持ち主が誰か。目を瞑っていても当てられる。
端っこがほんの少し欠けた掠れ気味の声。昔と比べ、随分と低くなって艶が増している。この声を、どうして忘れていたのだろう。
「ルド・・・・」
「思い出したんだ?」
腕の中で肯いた。腕を解いて振り返り、自分からまだ少し眠そうな空色の瞳の男を抱く。
自分より5つ年上の美しい兄はノアの誇りだった。
血など繋がっていなくとも兄として慈しみ、自分を愛してくれた。その土台があったからこそ、記憶をなくしても自分は誰かを愛したい、繋がっていたいと思えたのだと思う。
背中に廻った手がノアの創った傷に触れ、ルドガーの息が詰る。慌てて手を離し、意気消沈して詫びると、チャンスだからもっと抱きしめてと、屈託のない笑顔で言われた。
繊細な少年の頃にはなかった、暖かい陽射しのような大らかさに、子供ふたり分の孤独が慰められる。
結局、ノアは砂浜で少年の肩を抱きしめてやれなかった。
その分も、思いを込めて抱きしめた。
それからは、離れていたふたりの時間を取り戻すかのように、ほとんどの時間を一緒に過ごした。
リハビリを始めた足は思ったほど筋力も失われておらず、逆に調子がいいくらいで先進医療に舌を巻いた。
エリオットがノア専用にと、3人の使用人を連れてきたのには閉口した。即座に辞退すると、納得しきれない様子で、では私がなどと言い出しノアを困らせた。
自分の出自がわかったからといって、現在の生活をどうするとかすぐには決められない。
それに全てを思い出したわけでもなかった。
いくら仲のよい兄弟として幼い時期を過ごたからといって、長い年月の壁がすぐに取り払われるはずもなかった。
それに、大人になったルドガーはノアを恋愛の対象としてみている。
他愛のない話をする間も、ノアに注がれる青い瞳には、肉親の情以外の切羽詰った恋情の色が濃く浮かぶ。あまりにオープンでダイレクトに伝えられる恋心を、どう受け止めればよいのかわからない。その視線に煽られる自分にも、ノアは戸惑いを覚えていた。
ルドガーとの2度のキスは、ふたりの関係を簡単に変えてしまえるだけの威力を、充分すぎるほどに持っていた。
「ルドは、もっと気難しくてシャープな大人になると思ってた」
「がっかりした?」
温室にキャンドルと食事を運んでもらい、カウチで思い思いの格好で食べていた。大人たちに省みられることのない子供の頃、よく食べものを部屋に持ち込んでピクニックごっこをやった。
大きな鳥籠の形をした温室は、子供に戻ったふたりを優しく外界から隔ててくれた。
「いや・・・シャープっていうのはあるのかな。初めてアスクレピオスのラウンジで見た時、正直、カッコよすぎて妬けたもんな。でも、気難しいっていうのは違うな。大らかっていうか・・・・能天気?時々、年下に見える時がある」
言葉に出してからしまったと思ったが、ルドガーは気にしない様子で可笑しそうに笑った。
「あの時、君は下手糞ーって叫んだんだよね」
「聞こえたんだ。マシンからスーツから、何から何までマジでかっこよすぎて、嫉妬も相当混ざってたけどね。ガラス越しだったし、ジェット音で消されてると思ってた」
カウチにもたれてオードブルを食べていたルドガーの指が、隣で寝そべるノアの頬に触れる。
「君が無事でよかった」
触れられた皮膚に熱が篭るのを感じて、さりげなく姿勢を変えるふりをして指先から逃げた。
ルドガーはノアの戸惑いに気付いてたのか、自然な仕草で手を引っ込めた。
「やっぱり、俺を守る為にエンジンを切ったんだ」
あの時、黄昏に燃える空の中でルドガーはノアに手を伸ばした。
何もかも繋がった今、ひとしきり感慨となって降り積もる。
「僕が若く見えるのは、カプセルの中にいたせいもあると思う」
大人たちはルドガーが重い病に罹っていると言った。治療法が見つかるまで、眠って待つのだと。
ルドガーの希望で儀式はふたりでよく遊んだ草原で行われた。ノアはコールドスリープの装置に眠るルドガーのために、ルドガーの好きだった白い花を摘んでカプセルに入れた。
白い棺に見えたのはコールドスリープ用のカプセルだった。
「病気は?子供の頃はよくわからなかったけれど、何の病気だったの?」
「僕が目覚めたときには君がいなくなっていて、僕は本当に悲しかった」
病の事はあまり語りたくないのか、少し間が開いて回顧するように呟いた。
養父でもあった真乃は、ノアにルドガーが目覚めるまでの間、たくさんの人の中で暮らす事を勧めた。ルドガーの祖父であるヴィンセント博士と共同のラボは人里を離れている上に大人しかいない。
真乃はノアは同世代の子供と育つべきだと主張した。
ルドガーが目覚めるまでという条件と、大都市に住むという魅力。大人の思惑など計る由もない子供はまだ見ぬ摩天楼に夢を馳せた。
出発の朝、カプセルの中の美しい眠人にキスをして、真乃の旧式のエアフライに乗った。
記憶はそこで一旦途切れ、深い森の中での目覚めに繋がる。
「事故だったって、真乃博士は言ってた。フリーエリアで墜落したんだ。僕はスリープから覚めてからずっと、君を探し続けた」
ルドガーと自分の時間の隔たりの差を感じて切なさを覚えた。
自分にはルドガーを忘れた12年の年月が流れたが、眠っていたルドガーにはその半分しか経っていない。しかも、目覚めてからの6年をルドガーは一途にノアを探す事に費やしていた。
キャンドルが燃え尽きた。
揺れる焔と同時に会話が途切れた温室は、静寂と透明な月の光で満たされる。
気まずさに新しいキャンドルに伸ばした腕を大きな手に掴まれ、ルドガーにそれと伝わるほどびくりと震えた。
「桐羽」
静かな熱を孕んだ青い虹彩に見詰められ、身動きが取れなくなる。
張り詰めた均衡を破る、いい言葉が見つからない。
ゆっくり顔を近づけたルドガーの吐息が唇を掠める。
瞳に篭る圧倒的な想いの重みに潰されそうになって、目を閉じた。
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■最後までお読み頂き、ありがとうございます♪(*^▽^*)
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
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ノア君の失われた記憶も戻り、少しずつ謎が解け始めているような。
ルド君の謎はまだまだですが、二人の関係がはっきりしたことで、ノア君の気持ちがルド君に振れる素地が整いつつありますね。
ああ、やっぱり迅さまは孤高の月ってことになるのかぁ、それはそれで美味しいですが(笑)。
私は今、ほのぼの(?)した話を書いています。
まあね、50代のオヤジ同士じゃ(そして片方はノンケで「恋知らず」だし)、大好きなキス・シーンも期待できませんわ。いいのか、それで、BLとして。