10 ,2011
怪物 16
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ルドガーが姿を見せなくなって数日が経った。
相変わらず時間を持て余していたが、肘から先が動かせるようになり、首も回せるようになった。
自分の身体が思い通りに動かせる。たったこれだけのことが、これほど嬉しいものだとは思わなかった。その喜びを誰かに聞いてほしいと思って見渡す部屋には誰もいない。
「きつくはござませんか?」
エリオットが血圧と体温を測り、腕に巻かれた栄養剤と薬品のパックを取り替えてくれる。
いなくなるまでは、すべてルドガーがやってくれていた。
四六時中くっついて、うるさいほどに世話を焼き、腕からでも栄養剤の味とかわかるのか?だの、自分のキスの方が怪我は絶対早く治るとか、薔薇のウンチクとか、わけのわからない馬鹿話や無駄口のオンパレードに、口の利けなかった自分はいつも怒っていた気がする。
挙句の果てに、動けない男の寝込みを襲って唇を奪うという暴挙に出た。
いや、本当は知っていた。
ルドガーのおしゃべりが鬱陶しくて寝たふりをしていると、ルドガーはそっと接吻けてきた。
額や頬、唇・・・。愛しい者にするように唇で優しくそっと触れ、離れていった。
そして、愛してると囁いた。
「あの・・・ルドガーさんは?」
「ルドガー様は、外出されておられます」
ノアがルドガーを嫌いだと怒鳴ったのを知っているのか、愛想も素っ気もない返事が返ってきた。
首を回すと、それまで天井だけだった景色が部屋全体に広がる。
広い部屋は、柔らかく落ち着いた色調の青い壁に囲まれていた。爽やかだが、温かみのある印象で、同じく青い瞳をもつこの部屋の主人を思い起こさせる。窓や天井の際の白い周り縁が美しい。
歴史を感じさせる重厚な調度品に斬新なデザインのテキスタイルがコーディネイトされており、部屋全体を若々しく品よく纏めている。
高い天井から吊り下げられた、大きなモビールが薔薇の庭からそよぐ風に揺れている。
星と月をモチーフにした子供向けのそれはとうに色褪せ、そこだけ時間が止まっていた。
祖父にひとり息子を連れ去られた両親が、わが子のために吊ったのをそのままにしていたのだろう。
エリオットがパックを固定するベルトを巻き終え、袖を下ろした。
「ありがとうございます」
エリオットは皺の入った口を両側に引いて微笑んだ。途端に愛嬌のある顔に変る。
そういえば、一度でもルドガーに礼を言ったことがあっただろうか?
「あの・・ルドガーさんの護衛は?」
「残った二人が行っております。きっと、この須弥山を出て早々ルドガー様に撒かれているでしょうな」
全く困った方ですと、ため息交じりに苦笑する。その苦笑にも、エリオットの主人への敬愛がにじみ出ていた。
トキは戻っていない。
生きているのか、どうなのか。ルドガーに掲げられたトキは、瀕死の状態だった。
例え生きていても、もうここへは戻っては来ないだろう。
トキは夏の送り込んだスパイだった。夏一族は結束力の強い一族だ。自分の配下を傷つけられて、黙っているような輩ではない。
「会社に・・・いえ、迅・クロストに連絡を取ってください。ボディガードの追加を。それと・・・私を迎えに来るようにと」
使用済みのパックを片付けていたエリオットの手がピタリと止まる。
弛んだ目蓋で小さくなった瞳を思案気に片方だけ上がり、チラリと横目で掛布に覆われたノアの下肢を見た。自分の失意や絶望が顔に出ないようにと、ノアは感情を殺し平静を装った。
「使える人材を派遣するよう、念を押してください」
間をおいて、「畏まりました」と手短に答えると、エリオットは部屋を出て行った。
ルドガーは簡単にやられるような男ではない。だが、夏の報復は気になった。
トキは夏を、劉桂と呼んでいた。トキが下っ端などではなく、夏に近い人間であれば、なお厄介だ。
トキが何を探ってこの須弥山に潜り込んだのか。聞いた気がするのに、撃たれた時の事を思い出そうとすると頭にロックが掛かったように思考が行き詰った。
モビールが風に揺れる。眺めていると、自分の中の憂慮も不安げに揺れ胸が騒ぎだす。
ここを去る前に一言、忠告をしておきたい。
あれだけ纏わりついていたくせに、好きだとまで言ったくせに、なぜルドガーは姿を現さないのか。
当たり前だ。自分がルドガーを拒否したのだから。
ルドガーの幼稚な言葉遣いや純粋さを馬鹿にしていた。尽くしてくれて好意を寄せられ、何を言っても許されると甘えていた。不具になった自分の怒りや不安で、ルドガーを突き刺したのだ。
ひとりの長い長い時間が苦痛だった。
思考を解き放てば、行き着くところはいつも同じになってしまう。
最後に見た、ルドガーの泣いた顔が頭から離れない。
大きく見開いた青い目から透明な雫をこぼし、その雫は下から見上げるノアの頬を濡らした。
子供のような澄んだ瞳で、置いていかれた子のように悲しそうに泣いた。
まだ濡れているような気がして、そっと自分の乾いた頬をさわってみる。
どこまでも高い空のように澄んだセルリアンの青い瞳。整った容姿と、人間離れした強さ。
単純で幼いかと思えば、殺人鬼より冷酷な目をする。
神の領域(須弥山)に棲み、薔薇を愛で、ノアを愛していると囁いた青い瞳の美しい怪物。
本当にもう、ここには来ない気なのだろうか。
ルドガーの自分への興味は、さっぱり消えてしまったのだろうか?
ふと、自分に向けられる好意を鬱陶しいと思っていたはずが、見捨てられたような気分になっている自分に気がつき、狼狽えた。
窓から流れ込む風に、薔薇の香が混ざる。
風で揺れるモビールの下にルドガーが立っていた。
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ルドガーが姿を見せなくなって数日が経った。
相変わらず時間を持て余していたが、肘から先が動かせるようになり、首も回せるようになった。
自分の身体が思い通りに動かせる。たったこれだけのことが、これほど嬉しいものだとは思わなかった。その喜びを誰かに聞いてほしいと思って見渡す部屋には誰もいない。
「きつくはござませんか?」
エリオットが血圧と体温を測り、腕に巻かれた栄養剤と薬品のパックを取り替えてくれる。
いなくなるまでは、すべてルドガーがやってくれていた。
四六時中くっついて、うるさいほどに世話を焼き、腕からでも栄養剤の味とかわかるのか?だの、自分のキスの方が怪我は絶対早く治るとか、薔薇のウンチクとか、わけのわからない馬鹿話や無駄口のオンパレードに、口の利けなかった自分はいつも怒っていた気がする。
挙句の果てに、動けない男の寝込みを襲って唇を奪うという暴挙に出た。
いや、本当は知っていた。
ルドガーのおしゃべりが鬱陶しくて寝たふりをしていると、ルドガーはそっと接吻けてきた。
額や頬、唇・・・。愛しい者にするように唇で優しくそっと触れ、離れていった。
そして、愛してると囁いた。
「あの・・・ルドガーさんは?」
「ルドガー様は、外出されておられます」
ノアがルドガーを嫌いだと怒鳴ったのを知っているのか、愛想も素っ気もない返事が返ってきた。
首を回すと、それまで天井だけだった景色が部屋全体に広がる。
広い部屋は、柔らかく落ち着いた色調の青い壁に囲まれていた。爽やかだが、温かみのある印象で、同じく青い瞳をもつこの部屋の主人を思い起こさせる。窓や天井の際の白い周り縁が美しい。
歴史を感じさせる重厚な調度品に斬新なデザインのテキスタイルがコーディネイトされており、部屋全体を若々しく品よく纏めている。
高い天井から吊り下げられた、大きなモビールが薔薇の庭からそよぐ風に揺れている。
星と月をモチーフにした子供向けのそれはとうに色褪せ、そこだけ時間が止まっていた。
祖父にひとり息子を連れ去られた両親が、わが子のために吊ったのをそのままにしていたのだろう。
エリオットがパックを固定するベルトを巻き終え、袖を下ろした。
「ありがとうございます」
エリオットは皺の入った口を両側に引いて微笑んだ。途端に愛嬌のある顔に変る。
そういえば、一度でもルドガーに礼を言ったことがあっただろうか?
「あの・・ルドガーさんの護衛は?」
「残った二人が行っております。きっと、この須弥山を出て早々ルドガー様に撒かれているでしょうな」
全く困った方ですと、ため息交じりに苦笑する。その苦笑にも、エリオットの主人への敬愛がにじみ出ていた。
トキは戻っていない。
生きているのか、どうなのか。ルドガーに掲げられたトキは、瀕死の状態だった。
例え生きていても、もうここへは戻っては来ないだろう。
トキは夏の送り込んだスパイだった。夏一族は結束力の強い一族だ。自分の配下を傷つけられて、黙っているような輩ではない。
「会社に・・・いえ、迅・クロストに連絡を取ってください。ボディガードの追加を。それと・・・私を迎えに来るようにと」
使用済みのパックを片付けていたエリオットの手がピタリと止まる。
弛んだ目蓋で小さくなった瞳を思案気に片方だけ上がり、チラリと横目で掛布に覆われたノアの下肢を見た。自分の失意や絶望が顔に出ないようにと、ノアは感情を殺し平静を装った。
「使える人材を派遣するよう、念を押してください」
間をおいて、「畏まりました」と手短に答えると、エリオットは部屋を出て行った。
ルドガーは簡単にやられるような男ではない。だが、夏の報復は気になった。
トキは夏を、劉桂と呼んでいた。トキが下っ端などではなく、夏に近い人間であれば、なお厄介だ。
トキが何を探ってこの須弥山に潜り込んだのか。聞いた気がするのに、撃たれた時の事を思い出そうとすると頭にロックが掛かったように思考が行き詰った。
モビールが風に揺れる。眺めていると、自分の中の憂慮も不安げに揺れ胸が騒ぎだす。
ここを去る前に一言、忠告をしておきたい。
あれだけ纏わりついていたくせに、好きだとまで言ったくせに、なぜルドガーは姿を現さないのか。
当たり前だ。自分がルドガーを拒否したのだから。
ルドガーの幼稚な言葉遣いや純粋さを馬鹿にしていた。尽くしてくれて好意を寄せられ、何を言っても許されると甘えていた。不具になった自分の怒りや不安で、ルドガーを突き刺したのだ。
ひとりの長い長い時間が苦痛だった。
思考を解き放てば、行き着くところはいつも同じになってしまう。
最後に見た、ルドガーの泣いた顔が頭から離れない。
大きく見開いた青い目から透明な雫をこぼし、その雫は下から見上げるノアの頬を濡らした。
子供のような澄んだ瞳で、置いていかれた子のように悲しそうに泣いた。
まだ濡れているような気がして、そっと自分の乾いた頬をさわってみる。
どこまでも高い空のように澄んだセルリアンの青い瞳。整った容姿と、人間離れした強さ。
単純で幼いかと思えば、殺人鬼より冷酷な目をする。
神の領域(須弥山)に棲み、薔薇を愛で、ノアを愛していると囁いた青い瞳の美しい怪物。
本当にもう、ここには来ない気なのだろうか。
ルドガーの自分への興味は、さっぱり消えてしまったのだろうか?
ふと、自分に向けられる好意を鬱陶しいと思っていたはずが、見捨てられたような気分になっている自分に気がつき、狼狽えた。
窓から流れ込む風に、薔薇の香が混ざる。
風で揺れるモビールの下にルドガーが立っていた。
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■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
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それが、動けない身で 一人ポツンと置かれ 些細な空気の動きも分かるほど静寂な部屋に居ると あの鬱陶しさも 恋しくなるって!
ノアに嫌われたと思い ノアの傍に寄り付けないルドガー
”無邪気な怪物”は、ノアに何を望んでいるのやら・・・_s(・`ω´・;)ゞ .. んん??
って、現れたよ~~!∑(゚Д゚;) えっ...byebye☆