09 ,2011
怪物 7
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「冗談でございますよ」
「・・・・・は?」
ぽかんと固まったノアを後目に、エリオットは淡々と部屋の説明を始めた。入口と対角にあるドアの前で立ち止まり、そうそうとノアを振り返る。
「お隣はルドガー様のお部屋になっておりますが、この扉は有事以外ではお使いにはなれませんように」
そして棚から薬品のパックを出して手渡すと、「お大事になさいませ」と言って出て行った。
「冗談・・・?」 そうだろうか。
庭の秘密を打ち明けるように話すエリオットの顔には、冗談を言っているようなそぶりはなかった。
それとも、ノアの出所を知った上での牽制か。
聞く者に疚しい所があれば話は真実になり、なければ冗談で終わる。言葉の中に罠がある。
もちろんノアは前者だ。
冗談ですと微笑みながら、ノアの中に小さく鋭い薔薇の棘のような憂慮を植えつける辺り。一見従順な使用人に見えて、エリオットが気の抜けない相手であることはノアの中で確定した。
いまどき珍しい手動式のバスルームでシャワーを浴びると、手首から先がひりひりと痛んだ。
傷口をコーティングするスプレーを吹き、軽くタオルを巻いてベッドに潜る。温度調節機能のないベッドは、ぴんと張られたシーツの自然な冷たさが丁度いい。
パニックの興奮が消え去らない意識は清冽に覚醒し、ここに来てからの一連の出来事が脳内で駆け巡る。
過剰なセキュリティに護られた須弥山。製薬会社の研究所にしては、厳重すぎる気がする。
須弥山はその外観から要塞と形容される事があるが、中身はそれ以上に強固なシステムで護られている。新薬の研究施設だとは聞かされているが、内容は企業機密だと言う。
この須弥山には、何かある。
その須弥山の頂きに暮らす、ルドガーとエリオット。世界中から消えたはずの薔薇の庭。
消息の途絶えたジタン。薔薇の迷路に迷い込んだ者たちの末路は?
考えれば考えるほど思考だけが冴えて、疲れた身体から乖離していく。
目を閉じると、自分の脈拍にあわせて傷が痛んだ。
傷に付着した薔薇の毒が、熱を持ち始め、ゆっくり脳味噌を掻き回し始めた。指の先に軽く触れる唇の感触が、困惑と一緒に蘇る。薔薇に毒などない。わかっていても、この痺れるような熱の理由を他に思いつかない。
唇を割る舌先の柔らかさがフラッシュバックして、咄嗟に冷たいシーツに唇を押し付ける。
まさか、キスをされるとは思わなかった。
しゃべり方も、行動も幼稚に見えるルドガーがするとは思えない、エロティックな大人のキス。
どうしてルドガーは会って間もない自分に好意を寄せるのだろうか。
なぜ、薔薇を駄目にした自分を、可哀相だと言うのか。なぜ、辛そうな顔で指の先に接吻けたのか。
月の傾く庭を、手を繋いで歩いた。
空の上で自分に伸ばされた時、訳のわからない恐怖を感じたルドガーの手は、ノアの傷を気遣いそっと手を引いた。
半分眠りかけの重い身体をずらして、姿勢を変える。
シーツのまだ体温の移っていない場所に足を突っ込んで、息を吐いた。
ルドガーという男は、本当にわからない。人格がどこかが崩壊しているのか、または軽い多重人格障害の持ち主か。とにかく、子供みたいに一途な青い瞳が鬱陶しい。
自分の理解を超えた人間の事なんか、いくら考えてもわかるはずがない。なんにしても、明日になれば解任だ。ここを出てゆく前に、ジタンの事を調べなければ。
信じていたジタンの生死が、自分の中で曖昧になりかけているのが怖い。
あの執事が変な話をするからだ。思えば、自分はエリオットがずっと苦手だった。
ずっと・・・・?不可解な言葉がひとつ浮上し、掬って確かめようとした時には、思考も身体も崩れるようにシーツに融け出していた。訪れた睡魔に連れられて、意識はいつもの夢のなかに滑り落ちていく。
潮風の渡る草原の中に白い棺がある。
黄昏の空は高く、自分は金色の雲が棚引く。景色は何も変ってはいない。
だが夢の中の自分は子供で、花に埋もれて横たわるの人物を恋しがって泣いていた。泣きながら草の上にしゃがみ、白い箱を恨めしそうに睨んでいた。
絶対、離れない。自分はこのままここで死んでもかまわない。そんな子供らしからぬ強い覚悟が垣間見えて、胸が痛んだ。
『・・・・・ゥワ、可哀相に』
不意に、耳元で声がした。
咄嗟に振り返ったが、背後にも広がる草原には誰もいない。潮の混ざった風が草をなぎ、ノアの黒髪を弄る。
子供の自分は消え、だだっ広い草原に大人の自分だけが立っている。
名前を呼ばれた気がする最初の部分だけが聞き取れなかった。
いくら耳を澄ませても、もう耳殻をこする風の音しか聞こえない。
似た声の人物を知っていた。泣きそうな顔で可哀相といい、指の先に接吻けた男の声とよく似ていた。
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「冗談でございますよ」
「・・・・・は?」
ぽかんと固まったノアを後目に、エリオットは淡々と部屋の説明を始めた。入口と対角にあるドアの前で立ち止まり、そうそうとノアを振り返る。
「お隣はルドガー様のお部屋になっておりますが、この扉は有事以外ではお使いにはなれませんように」
そして棚から薬品のパックを出して手渡すと、「お大事になさいませ」と言って出て行った。
「冗談・・・?」 そうだろうか。
庭の秘密を打ち明けるように話すエリオットの顔には、冗談を言っているようなそぶりはなかった。
それとも、ノアの出所を知った上での牽制か。
聞く者に疚しい所があれば話は真実になり、なければ冗談で終わる。言葉の中に罠がある。
もちろんノアは前者だ。
冗談ですと微笑みながら、ノアの中に小さく鋭い薔薇の棘のような憂慮を植えつける辺り。一見従順な使用人に見えて、エリオットが気の抜けない相手であることはノアの中で確定した。
いまどき珍しい手動式のバスルームでシャワーを浴びると、手首から先がひりひりと痛んだ。
傷口をコーティングするスプレーを吹き、軽くタオルを巻いてベッドに潜る。温度調節機能のないベッドは、ぴんと張られたシーツの自然な冷たさが丁度いい。
パニックの興奮が消え去らない意識は清冽に覚醒し、ここに来てからの一連の出来事が脳内で駆け巡る。
過剰なセキュリティに護られた須弥山。製薬会社の研究所にしては、厳重すぎる気がする。
須弥山はその外観から要塞と形容される事があるが、中身はそれ以上に強固なシステムで護られている。新薬の研究施設だとは聞かされているが、内容は企業機密だと言う。
この須弥山には、何かある。
その須弥山の頂きに暮らす、ルドガーとエリオット。世界中から消えたはずの薔薇の庭。
消息の途絶えたジタン。薔薇の迷路に迷い込んだ者たちの末路は?
考えれば考えるほど思考だけが冴えて、疲れた身体から乖離していく。
目を閉じると、自分の脈拍にあわせて傷が痛んだ。
傷に付着した薔薇の毒が、熱を持ち始め、ゆっくり脳味噌を掻き回し始めた。指の先に軽く触れる唇の感触が、困惑と一緒に蘇る。薔薇に毒などない。わかっていても、この痺れるような熱の理由を他に思いつかない。
唇を割る舌先の柔らかさがフラッシュバックして、咄嗟に冷たいシーツに唇を押し付ける。
まさか、キスをされるとは思わなかった。
しゃべり方も、行動も幼稚に見えるルドガーがするとは思えない、エロティックな大人のキス。
どうしてルドガーは会って間もない自分に好意を寄せるのだろうか。
なぜ、薔薇を駄目にした自分を、可哀相だと言うのか。なぜ、辛そうな顔で指の先に接吻けたのか。
月の傾く庭を、手を繋いで歩いた。
空の上で自分に伸ばされた時、訳のわからない恐怖を感じたルドガーの手は、ノアの傷を気遣いそっと手を引いた。
半分眠りかけの重い身体をずらして、姿勢を変える。
シーツのまだ体温の移っていない場所に足を突っ込んで、息を吐いた。
ルドガーという男は、本当にわからない。人格がどこかが崩壊しているのか、または軽い多重人格障害の持ち主か。とにかく、子供みたいに一途な青い瞳が鬱陶しい。
自分の理解を超えた人間の事なんか、いくら考えてもわかるはずがない。なんにしても、明日になれば解任だ。ここを出てゆく前に、ジタンの事を調べなければ。
信じていたジタンの生死が、自分の中で曖昧になりかけているのが怖い。
あの執事が変な話をするからだ。思えば、自分はエリオットがずっと苦手だった。
ずっと・・・・?不可解な言葉がひとつ浮上し、掬って確かめようとした時には、思考も身体も崩れるようにシーツに融け出していた。訪れた睡魔に連れられて、意識はいつもの夢のなかに滑り落ちていく。
潮風の渡る草原の中に白い棺がある。
黄昏の空は高く、自分は金色の雲が棚引く。景色は何も変ってはいない。
だが夢の中の自分は子供で、花に埋もれて横たわるの人物を恋しがって泣いていた。泣きながら草の上にしゃがみ、白い箱を恨めしそうに睨んでいた。
絶対、離れない。自分はこのままここで死んでもかまわない。そんな子供らしからぬ強い覚悟が垣間見えて、胸が痛んだ。
『・・・・・ゥワ、可哀相に』
不意に、耳元で声がした。
咄嗟に振り返ったが、背後にも広がる草原には誰もいない。潮の混ざった風が草をなぎ、ノアの黒髪を弄る。
子供の自分は消え、だだっ広い草原に大人の自分だけが立っている。
名前を呼ばれた気がする最初の部分だけが聞き取れなかった。
いくら耳を澄ませても、もう耳殻をこする風の音しか聞こえない。
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■最後までお読み頂き、ありがとうございます♪(*^▽^*)
めずらしく偏頭痛で、今日は朝から全てを放棄状態です。
また台風ですね。前回の台風で被害を受けた地域に、二次災害とか
起こらなければよいのですけど。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
■ブログ拍手コメントのお返事は、*こちら*にさせていただいております♪
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あの初めて会った時から、惹かれはじめていたとも言えるんじゃないでしょうか。
片頭痛なのは、巨大な低気圧が接近しているせいでは?
私は最近、台風や台風並の低気圧が接近すると、頭痛が起こります。
お大事に~♪