09 ,2011
怪物 5
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自分たちより高く生い茂った薔薇の木が、天上でアーチを造り、月光から二人を隠した。
唇の狭間を割った舌の先が、内側の柔らかい肉壁を口角へと滑る。
瞬間、得体の知れぬ感覚が背を這い上がり、ルドガーを力一杯突き飛ばした。
よろめきもせずノアから離れたルドガーを、冴え冴えとした月明かりが照らす。
意外なくらい冷静な色で自分を見詰める青い瞳に、ルドガーを睨むノアの目が揺らぐ。
さっきまでの能天気なルドガーではない。摩天楼の上空で自分に手を伸ばし、マシンと共に墜落した男がそこに立っていた。
「ノアは好きな人、いるの?」
お前に関係ない。そう言いかけた言葉を呑み込み、硬い仕草で頷いた。
今後のことを考えれば、ここではっきりさせておいた方がいい。
「恋人?」
「そう。だからもう二度と、今みたいな真似はしないでくれ」
「その人、優しい?」
「それ・・は・・・」
答えるタイミングを外したノアに、無遠慮な質問が重なる。
「君を愛してくれている?ノア?」
「あなたには関係ない」
2人の間を、薔薇の花弁を伴う一陣の強い風が吹き抜け、黒と金の髪を弄ぶ。
ノアは蒼白な顔で薔薇の陰で佇み、答えられない質問をしたルドガーを憎憎しげに睨んだ。
「私は、あなたの護衛として雇われただけです。今後、一切私のプライベートに踏み込まないで頂きたい。正式な着任は明日からですので、今夜はこれで失礼します」
踵を返し、来た途をひとりで引き返す。
「ノア、待って」
呼び止めるルドガーの声が背中を追てきった。道らしいものはなく、来たときと同じ薔薇の木々の間を早足ですり抜けるように進んだ。
無心に歩き続け、気がつけば後を追ってくるルドガーの声も枝を掻き分ける音も消え、ひとり薔薇の木々に囲まれ方向を失っていた。歩を緩めて立ち止まり、屋敷を探して周囲を見渡す。
生い茂った薔薇が視界を覆い、自分の立ち位置すら掴めない。
所詮、建物の屋上にある庭園だ。道に迷うなど考えられない。そう考え、とにかく真っ直ぐ行けば須弥山の端にあたるはずだと、今度は普通の速度で歩きはじめだ。
だが、いくら行けど庭の端には辿り着かない。次第に焦りが出始めた。もう、15分は歩いている。
立ち止まれば、右手に小さな水路があり、傾いた月が水面に揺れている。数分前にも、水面に映るこの月を見た気がしら。
これは現実か?
ふと、夏の心理層に眠る貧しい運河の村を思い出した。時間に封印され永遠に目覚める事のない村。
これも誰かの心理層の中だとしたら?
そんなはずはない。
そう自分に言い聞かせながらも、緊張が高まっていく。
ノアの意識が目ざめた時、目の前には深い森があるだけだった。
記憶も、荷物も何もなかった。言葉は理解でき話せるのに、頭の中は白紙の状態だった。
行けども行けども森の中で、木と空と湖以外は何もない。聞こえてくるのは、風の音と雨音。雷鳴とそれに怯えて泣く自分の声。
自分はこの眠ったような森で、朽ちていくのだと思った。
たったひとりで死んでいくのだと思っていた。
あの朝、目の前に迅が現れるまで。
迅があの森から連れ出し、新たに与えてくれた新しい世界。
薔薇の香のするウイルスが愛しい人を殺す、恐ろしい世界。合成の食べ物を食べ、一箇所にたくさんの人が集まって住む。他人の頭の中を覗いてパワーゲームに勝つ、狂った世界。ダンテやジャスのように自分を思ってくれる人がいる、優しい世界。
迅が与えてくれたこの世界しか、自分の生きる場所はない。
追い払うことの出来ない甘い匂いに、息が苦しくなる。薔薇の匂いが閉じていた意識の蓋をこじ開けるのを感じた。。
突然、血に濡れたジタンの顔が浮かび、続いて口元を引き上げながら虚ろな目を向けるホーリーの生気の失せた顔が浮かぶ。
「ジタン・・・」
この須弥山で消息を絶ったジタン。
ジタンもこの庭で薔薇の匂いを嗅いだのだろうか。そして・・・。
「いやだ」
棺から流れ出す大量の血液。
血と同じ色の薔薇の花が、目の前で揺れる。
迅のくれた世界を薔薇が壊してゆく。この呪わしき花を、みながそうしたようにすべて取り除かなければ。
薔薇は、この世界にあってはいけない花なのだ。
突発的に薔薇を素手で引きちぎっていた。
手当たり次第掴んでなぎ倒す。手のひらや、袖から出た手首が薔薇の棘で傷だらけになった。
ノアにもがれて捨てられた枝から花弁が大量に散り、ノアの靴は足下のまだ咲ききらない薔薇の花を踏みにじる。
「迅・・・・ジン!!」
無意識に迅の名前を叫びながら、狂ったように薔薇の苗を引き抜く身体を、背後から捕まえられた。
「ノア・・・・やめて!ノアっ!!」
「放せっ。この花が世界を壊す前に全部抜かなければ」
「違うよ!ノア、ローズフィーバーと薔薇は関係ない!やめて・・・・薔薇が可哀相だ」
腕の中で足掻き続けたノアの動きが止まった。
「あ・・・」
ルドガーの声に我に返り、憑き物が落ちたように掴んでいた薔薇の枝を手放す。
うす紫に近いピンクの大輪の薔薇が、ノアの足元に落ち花弁をいちまい額から外した。
見回せば、無残に引き抜かれちぎられた薔薇の残骸が、足元を埋めていた。 手首から先についた傷の痛みが実感となって、罪悪感と一緒にノアを襲う。
長い腕が胸と肩に巻きつき、背中を抱く。荒れた呼吸で上下する背中にルドガーの体温が重なり、次第に興奮も収まっていった。
自分の起こしたパニックによって、引き起こされた惨状に愕然とした。
「ごめんね、ごめんね。ひとりにして」
全身から力が抜け、視界が霞む。
初めての庭で1人にして悪かった。ルドガーはそう謝っただけだ。
なのに、頬を温かいものが伝う。ルドガーの言葉の何が自分の琴線に触れたのかわからないまま、涙はノアの頬を濡らし続けた。
ルドガーが、涙の止まらなくなったノアの傷だらけの手を自分の手で包み、血の滲んだ指先に唇をあてる。
そして呟いた。
「君はもっと可哀相だ」
「・・・・・・」
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自分たちより高く生い茂った薔薇の木が、天上でアーチを造り、月光から二人を隠した。
唇の狭間を割った舌の先が、内側の柔らかい肉壁を口角へと滑る。
瞬間、得体の知れぬ感覚が背を這い上がり、ルドガーを力一杯突き飛ばした。
よろめきもせずノアから離れたルドガーを、冴え冴えとした月明かりが照らす。
意外なくらい冷静な色で自分を見詰める青い瞳に、ルドガーを睨むノアの目が揺らぐ。
さっきまでの能天気なルドガーではない。摩天楼の上空で自分に手を伸ばし、マシンと共に墜落した男がそこに立っていた。
「ノアは好きな人、いるの?」
お前に関係ない。そう言いかけた言葉を呑み込み、硬い仕草で頷いた。
今後のことを考えれば、ここではっきりさせておいた方がいい。
「恋人?」
「そう。だからもう二度と、今みたいな真似はしないでくれ」
「その人、優しい?」
「それ・・は・・・」
答えるタイミングを外したノアに、無遠慮な質問が重なる。
「君を愛してくれている?ノア?」
「あなたには関係ない」
2人の間を、薔薇の花弁を伴う一陣の強い風が吹き抜け、黒と金の髪を弄ぶ。
ノアは蒼白な顔で薔薇の陰で佇み、答えられない質問をしたルドガーを憎憎しげに睨んだ。
「私は、あなたの護衛として雇われただけです。今後、一切私のプライベートに踏み込まないで頂きたい。正式な着任は明日からですので、今夜はこれで失礼します」
踵を返し、来た途をひとりで引き返す。
「ノア、待って」
呼び止めるルドガーの声が背中を追てきった。道らしいものはなく、来たときと同じ薔薇の木々の間を早足ですり抜けるように進んだ。
無心に歩き続け、気がつけば後を追ってくるルドガーの声も枝を掻き分ける音も消え、ひとり薔薇の木々に囲まれ方向を失っていた。歩を緩めて立ち止まり、屋敷を探して周囲を見渡す。
生い茂った薔薇が視界を覆い、自分の立ち位置すら掴めない。
所詮、建物の屋上にある庭園だ。道に迷うなど考えられない。そう考え、とにかく真っ直ぐ行けば須弥山の端にあたるはずだと、今度は普通の速度で歩きはじめだ。
だが、いくら行けど庭の端には辿り着かない。次第に焦りが出始めた。もう、15分は歩いている。
立ち止まれば、右手に小さな水路があり、傾いた月が水面に揺れている。数分前にも、水面に映るこの月を見た気がしら。
これは現実か?
ふと、夏の心理層に眠る貧しい運河の村を思い出した。時間に封印され永遠に目覚める事のない村。
これも誰かの心理層の中だとしたら?
そんなはずはない。
そう自分に言い聞かせながらも、緊張が高まっていく。
ノアの意識が目ざめた時、目の前には深い森があるだけだった。
記憶も、荷物も何もなかった。言葉は理解でき話せるのに、頭の中は白紙の状態だった。
行けども行けども森の中で、木と空と湖以外は何もない。聞こえてくるのは、風の音と雨音。雷鳴とそれに怯えて泣く自分の声。
自分はこの眠ったような森で、朽ちていくのだと思った。
たったひとりで死んでいくのだと思っていた。
あの朝、目の前に迅が現れるまで。
迅があの森から連れ出し、新たに与えてくれた新しい世界。
薔薇の香のするウイルスが愛しい人を殺す、恐ろしい世界。合成の食べ物を食べ、一箇所にたくさんの人が集まって住む。他人の頭の中を覗いてパワーゲームに勝つ、狂った世界。ダンテやジャスのように自分を思ってくれる人がいる、優しい世界。
迅が与えてくれたこの世界しか、自分の生きる場所はない。
追い払うことの出来ない甘い匂いに、息が苦しくなる。薔薇の匂いが閉じていた意識の蓋をこじ開けるのを感じた。。
突然、血に濡れたジタンの顔が浮かび、続いて口元を引き上げながら虚ろな目を向けるホーリーの生気の失せた顔が浮かぶ。
「ジタン・・・」
この須弥山で消息を絶ったジタン。
ジタンもこの庭で薔薇の匂いを嗅いだのだろうか。そして・・・。
「いやだ」
棺から流れ出す大量の血液。
血と同じ色の薔薇の花が、目の前で揺れる。
迅のくれた世界を薔薇が壊してゆく。この呪わしき花を、みながそうしたようにすべて取り除かなければ。
薔薇は、この世界にあってはいけない花なのだ。
突発的に薔薇を素手で引きちぎっていた。
手当たり次第掴んでなぎ倒す。手のひらや、袖から出た手首が薔薇の棘で傷だらけになった。
ノアにもがれて捨てられた枝から花弁が大量に散り、ノアの靴は足下のまだ咲ききらない薔薇の花を踏みにじる。
「迅・・・・ジン!!」
無意識に迅の名前を叫びながら、狂ったように薔薇の苗を引き抜く身体を、背後から捕まえられた。
「ノア・・・・やめて!ノアっ!!」
「放せっ。この花が世界を壊す前に全部抜かなければ」
「違うよ!ノア、ローズフィーバーと薔薇は関係ない!やめて・・・・薔薇が可哀相だ」
腕の中で足掻き続けたノアの動きが止まった。
「あ・・・」
ルドガーの声に我に返り、憑き物が落ちたように掴んでいた薔薇の枝を手放す。
うす紫に近いピンクの大輪の薔薇が、ノアの足元に落ち花弁をいちまい額から外した。
見回せば、無残に引き抜かれちぎられた薔薇の残骸が、足元を埋めていた。 手首から先についた傷の痛みが実感となって、罪悪感と一緒にノアを襲う。
長い腕が胸と肩に巻きつき、背中を抱く。荒れた呼吸で上下する背中にルドガーの体温が重なり、次第に興奮も収まっていった。
自分の起こしたパニックによって、引き起こされた惨状に愕然とした。
「ごめんね、ごめんね。ひとりにして」
全身から力が抜け、視界が霞む。
初めての庭で1人にして悪かった。ルドガーはそう謝っただけだ。
なのに、頬を温かいものが伝う。ルドガーの言葉の何が自分の琴線に触れたのかわからないまま、涙はノアの頬を濡らし続けた。
ルドガーが、涙の止まらなくなったノアの傷だらけの手を自分の手で包み、血の滲んだ指先に唇をあてる。
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最後までお読み頂き、ありがとうございます♪(*^▽^*)
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当にいつもありがとうございます。
拙文しか書けない私、書いていく励みになります。
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凄い! 押し寄せる波のような素敵展開!
1日おきに更新を遂げていたのですね。 不覚にも気付かずに読み逃してました。
ああ~。
「君はもっと可哀想だ」って、お花の王子様が言ったOo。。( ̄¬ ̄*)ぽあぁん
薔薇の庭で迷子のシーン、今までの意識下に入る、それぞれのシーンとは趣が違うのだけれど、すべてのシーンが重なって手に汗を握りました。
ノアがパニックに陥るのも、納得!
そこに来て優しく慰めてくれるルドガ―!
震えが来ました(私に!)
次話も楽しみだけど、今回を味わい尽くしたいです。 ブラボー!