07 ,2011
rose fever 19
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<ローズ・フィーバー 19>
淡い光の中、迅の眼差が物思いに沈み、束の間会話が途切れた。
何事にも瞬時に決断をする迅のこんな顔は珍しい。
「アスクレピオス製薬は過去に一度、傾きかけた事がある」
「初耳だ」
「だろうな、お前は」 迅がグラスの向こうで薄く笑う。
自分は、迅に言われたからアスクレピオスに籍を置くだけだ。会社の沿革とか歴史には、毛の先程の興味も持った事は無かった。
自分の過去でさえ中途半端なのに、敢えて他人の・・・それも会社の過去など、殊更知る気も起こらない。
「その時期に政府からの依頼を受け、新薬開発の研究を手がけたが、完成間近で研究者である創始者の息子が全てのデータと自分の孫を連れて姿を消してしまった」
「孫も?」
爺さんは余程孫が可愛かったのか。当の孫からすれば相当迷惑な話だ。
「その孫っていうのが、つまり今の社主さんなんだろう。帰ってきたんだ。よかったじゃないか。そんな古い情報を今更浚って、何の役に立つんだ」
薬品の世界は時代と共に目まぐるしい進化を遂げる。
苦労して過去の新薬を掘り起こしたところで、それに変わる薬などいくらでも出ている。いまや薬品のみならず、流通から資源開発へと手広く分野を広げるアスクレピオスにとって、たいして重要な事項だとも思えない。
ノアはグラスを持った手の下で組んだ足をごそごそと組みかえた。
夏の仕掛けから覚めてからというもの、どうにも気持ちが落ち着かない。脚を動かす度、下肢に巻きつけたシーツに新しい皺が寄り、影の形が変わる。不安定な自分の心模様のようだと思う。
迅の手がノアから空になったグラスを取り上げ、ベッド脇のボードの上に置いた。
淡い光の中で寄り添う2つのグラスをノアは横目で見たあと、叛けるように自分の膝のシーツの影に視線を落とした。
「行方不明になった5歳の社主が見つかったのは18年後。成人してからだ。長年の捜索の末、ようやく見つけた時には、孫を連れ出した祖父はとっくに亡くっていた。社主は、祖父の友人である科学者夫妻の元に身を寄せていたが、祖父のことは全く覚えていないと言い張っている。お前には、それまで社主がどこで祖父と暮らしていたのか、その場所を探ってもらいたい」
迅の声に耳を傾けながらグラスを見つめていた黒い瞳が、ゆっくりグラスから視線を外す。
「場所?なんで?今更、場所なんか探して・・・」
迅がゆっくり覆い被さってきた。組んでいた足が解け、ベッドに座っていた躰が崩れて再びシーツの波間に沈められる。
「社主の祖父は、アスクレピオスの機密データも持ち出している。内容は古くとも、外に出れば充分にアスクレピオスの存続は危機に曝されることになる。それらを回収したい」
伏せた背中で迅の重みを受け止めた。
腿から脇腹に掛けて迅の手のひらが滑り、ノアの不安定な気持を払う。
「奴の中に沈む記憶をサルベージするんだ。まあ、引き上げるべき記憶が存在すればの話だがな」
「ヤツ・・・て、仮にも自分の会社の持ち主だろう。だいたい社主の存在なんて初めて聞いた。今はどこにいる?」
世捨て人になったらしい耄碌男にどうやって近付くか。淡く霞がかかる頭で考え始める。
夏へのダイブの時のようなヘマはしたくない。
「アスクレピオス製薬の第4研究所だ。手筈はこちらで整える」
「第4?うちの研究所は第3までじゃないのか?」
「4番目の研究所の存在は表向きには伏せられている。巷で俗に言われる須弥山(シュミセン)がそうだ」
脳内に閃光が走った。
須弥山・・・・。
躰の奥深く、封印を解いて覚醒した何かが、のそりと頭を擡げる。
「お前のまえにひとり潜入しだが、連絡が取れなくなっている。お前のよく知る男だ。余裕があれば、その男の行方も探って欲しい」
思わず、窓の外に目が向く。
様々な煌めきを放つ光の絨毯の中、一等眩しい高台の中心にぽっかり黒い穴が開く。
あの漆黒の闇の中に怪物が棲むのだと誰かが言う。
「いつから?」 煌く大都市に開いた闇を見詰めたまま、半ば上の空で聞いた。
「早いほうがいい。明日からでも」
小さな花が風に舞う。
血に濡れたジタンの顔が鮮明に蘇り、振り払うように緩く首を振った。
違う。あれは夏の脅かしに過ぎない。
「明日からじゃないと駄目か?」
「明日からだ」
行きたくない。
ジタンが呼んでいるのだろうか。そう思う一方で、己の深層心理の奥底で覚醒した何かが、彼の地に強く引き寄せられるのを感じる。
ダンテとジャスの2人に無性に会いたくなった。
「会いたい人がいる」 一度、任務に就けば個人的な付き合いの一切が制約される。
「駄目だ」
見返した灰色の目は、無機質なまでに冷静ないつもと変わらぬ眼差しを向けている。
「あんたは特別なわけ?」
「父親だからな」
男の唇に噛み付いた。
互いの吐息が縺れて乱れ、躰の奥底で鎮火していた熾火に再び熱が灯る。
呼吸を合わせても、カウントをしても、迅の心を読む事はできない。
だからこそ、こうやって肌を重ねることもできる。
皮肉なものだ。
本当に知りたい相手の気持ちには触れる事すら出来ない。
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<ローズ・フィーバー 19>
淡い光の中、迅の眼差が物思いに沈み、束の間会話が途切れた。
何事にも瞬時に決断をする迅のこんな顔は珍しい。
「アスクレピオス製薬は過去に一度、傾きかけた事がある」
「初耳だ」
「だろうな、お前は」 迅がグラスの向こうで薄く笑う。
自分は、迅に言われたからアスクレピオスに籍を置くだけだ。会社の沿革とか歴史には、毛の先程の興味も持った事は無かった。
自分の過去でさえ中途半端なのに、敢えて他人の・・・それも会社の過去など、殊更知る気も起こらない。
「その時期に政府からの依頼を受け、新薬開発の研究を手がけたが、完成間近で研究者である創始者の息子が全てのデータと自分の孫を連れて姿を消してしまった」
「孫も?」
爺さんは余程孫が可愛かったのか。当の孫からすれば相当迷惑な話だ。
「その孫っていうのが、つまり今の社主さんなんだろう。帰ってきたんだ。よかったじゃないか。そんな古い情報を今更浚って、何の役に立つんだ」
薬品の世界は時代と共に目まぐるしい進化を遂げる。
苦労して過去の新薬を掘り起こしたところで、それに変わる薬などいくらでも出ている。いまや薬品のみならず、流通から資源開発へと手広く分野を広げるアスクレピオスにとって、たいして重要な事項だとも思えない。
ノアはグラスを持った手の下で組んだ足をごそごそと組みかえた。
夏の仕掛けから覚めてからというもの、どうにも気持ちが落ち着かない。脚を動かす度、下肢に巻きつけたシーツに新しい皺が寄り、影の形が変わる。不安定な自分の心模様のようだと思う。
迅の手がノアから空になったグラスを取り上げ、ベッド脇のボードの上に置いた。
淡い光の中で寄り添う2つのグラスをノアは横目で見たあと、叛けるように自分の膝のシーツの影に視線を落とした。
「行方不明になった5歳の社主が見つかったのは18年後。成人してからだ。長年の捜索の末、ようやく見つけた時には、孫を連れ出した祖父はとっくに亡くっていた。社主は、祖父の友人である科学者夫妻の元に身を寄せていたが、祖父のことは全く覚えていないと言い張っている。お前には、それまで社主がどこで祖父と暮らしていたのか、その場所を探ってもらいたい」
迅の声に耳を傾けながらグラスを見つめていた黒い瞳が、ゆっくりグラスから視線を外す。
「場所?なんで?今更、場所なんか探して・・・」
迅がゆっくり覆い被さってきた。組んでいた足が解け、ベッドに座っていた躰が崩れて再びシーツの波間に沈められる。
「社主の祖父は、アスクレピオスの機密データも持ち出している。内容は古くとも、外に出れば充分にアスクレピオスの存続は危機に曝されることになる。それらを回収したい」
伏せた背中で迅の重みを受け止めた。
腿から脇腹に掛けて迅の手のひらが滑り、ノアの不安定な気持を払う。
「奴の中に沈む記憶をサルベージするんだ。まあ、引き上げるべき記憶が存在すればの話だがな」
「ヤツ・・・て、仮にも自分の会社の持ち主だろう。だいたい社主の存在なんて初めて聞いた。今はどこにいる?」
世捨て人になったらしい耄碌男にどうやって近付くか。淡く霞がかかる頭で考え始める。
夏へのダイブの時のようなヘマはしたくない。
「アスクレピオス製薬の第4研究所だ。手筈はこちらで整える」
「第4?うちの研究所は第3までじゃないのか?」
「4番目の研究所の存在は表向きには伏せられている。巷で俗に言われる須弥山(シュミセン)がそうだ」
脳内に閃光が走った。
須弥山・・・・。
躰の奥深く、封印を解いて覚醒した何かが、のそりと頭を擡げる。
「お前のまえにひとり潜入しだが、連絡が取れなくなっている。お前のよく知る男だ。余裕があれば、その男の行方も探って欲しい」
思わず、窓の外に目が向く。
様々な煌めきを放つ光の絨毯の中、一等眩しい高台の中心にぽっかり黒い穴が開く。
あの漆黒の闇の中に怪物が棲むのだと誰かが言う。
「いつから?」 煌く大都市に開いた闇を見詰めたまま、半ば上の空で聞いた。
「早いほうがいい。明日からでも」
小さな花が風に舞う。
血に濡れたジタンの顔が鮮明に蘇り、振り払うように緩く首を振った。
違う。あれは夏の脅かしに過ぎない。
「明日からじゃないと駄目か?」
「明日からだ」
行きたくない。
ジタンが呼んでいるのだろうか。そう思う一方で、己の深層心理の奥底で覚醒した何かが、彼の地に強く引き寄せられるのを感じる。
ダンテとジャスの2人に無性に会いたくなった。
「会いたい人がいる」 一度、任務に就けば個人的な付き合いの一切が制約される。
「駄目だ」
見返した灰色の目は、無機質なまでに冷静ないつもと変わらぬ眼差しを向けている。
「あんたは特別なわけ?」
「父親だからな」
男の唇に噛み付いた。
互いの吐息が縺れて乱れ、躰の奥底で鎮火していた熾火に再び熱が灯る。
呼吸を合わせても、カウントをしても、迅の心を読む事はできない。
だからこそ、こうやって肌を重ねることもできる。
皮肉なものだ。
本当に知りたい相手の気持ちには触れる事すら出来ない。
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繊細で克明な描写に うっとり~アナタヮ*ゝω・)σ...ヽ(*・ω・*)/最高☆
謎を解くキーワード
須弥山、研究所にいる社主、行方不明のジタン、そして 夏の存在も まだ 関係ありかな?
ミステリアス・ファンタジー、楽しみ~♪゚+。ゥフフ(o-艸-o)ゥフフ。+゚byebye☆