07 ,2011
rose fever 10
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<ローズ・フィーバー 10>
広いベッドの上で、湿った吐息が絡み合う。
先を急ぐ細く掠れた声がその先の行為を強請り、男に跨る見事な凹凸のついた肢体が悩ましげに躰を反らせた。白い手がもどかしげに肌に纏わりつく皺くちゃのスリップの裾を捲る。
そのままずらそうとした手を、男の手が止めた。
「なによ・・迅」
不満と喘ぎの中間の甘えた声で女は男を責めた。責められた男の目は括れたウエスト越しに、扉にもたれて立つ人物と目を合わせ、口角だけで笑う。今夜、自分が本当に待っていたのは、扉にもたれている男の方だ。
「もう、迅ったら、何笑ってるのよ?」
ネイルを施した指先が迅の顎にかかり、自分に向かせた。冷静な灰色の瞳が一瞬だけ女の顔を見、視線を戻す。
「息子にストリップを見られてもいいなら、別に止めはしないが」
「息子?」
細かいラインストーンが散りばめられた長い睫に囲まれた目が、灰色の視線を追って振り返る。扉口に立つノアと目が合った途端、女は絹を引き裂く叫び声を上げ、露出した白い尻をノアに向けたまま伏せ豊満な胸を隠した。
「嫌がらせかよ」
「何が?」
ステップフロアーになった寝室と一体化したこの部屋は、その3方で豪奢な大都市の夜を眼下に捉える。ノアは夕方と同じように窓辺に立ち、その表情を深夜の貌に変えた大都市を見下ろしていた。
足下に、星の数より多い光の屑が隙間なく散らばっている。
人の数だけ、誰かの思いだけ深く浅く、遠く近く、光のひとつひとつが、ささやかにそして精一杯の輝きを放つ。小さな光の粒の下で、人々は夢を見、または愛するものと手を取りながら眠りにつく。
光も闇も、善も悪も。
眩しい太陽のように笑うダンテとジャスも、消息の途絶えたジタンも、狂気を抱えたホーリーさえも、全てをその懐に抱き込み煌びやかな摩天楼の夜は静かに横たわっていた。
顔を上げると、この夜から弾きだされた他所者と、ガラスの中で目が合った。自分と同じく記憶の中に大きな空白を持つ男。自分が何処から来たのかも判らない男。
自分には、迅と出会ってからの記憶しかない。
フリーエリアの森の中で、迅に保護されたのが12年前。
何度照合してもらっても、新世界における同じ年代の子供の出生記録の中に自分と一致するデータは見つからなかった。
ガラスの中の男が、帰依すべき場所は他にあるのだと告げる。
慰めだ。もう信じない。
何年も、誰かが自分に手を差し伸べてくれるのを、迎えに来るのを待ち続けた。
あの時、400Mの空中で自分に向けて伸ばされた手を、本当は取りたかったのかもしれない。
目を閉じれば、瞼の裏はまだ青色に染まっている。輝かしい鮮やかさは既に褪せていたが、ただ静かで透明な藍と華やかなターコイズが重なり合う。
ぼんやり、夜の帳に包まれた摩天楼を見ながら、心は抜けるような空色の瞳と、房になって零れる金の髪を思い起していた。
夜色の髪と瞳を持つ自分とは対照的な、昼の陽光を集めたような男だった。
落下するWBを操り、スピードと一体となって爆走した男が黄昏の空に残した見事な軌跡は今も感嘆の震えとなって胸に残る。
瞬時に自分を狙った暗殺者を拘束したかと思えば、あっさり放り出し、プロの狙撃を躱す。まさか不死身とか?あいつはバケモノなのか。ガラスに映る男の顔が、面白そうに笑う。
言語に難があって、とびきり澄んだ青い瞳を持ち、行動と優しげな容姿が笑えるくらい合致しない変な男。
そういえば名前も知らないことに気が付いた。
あの男の事、少し調べてみようか。
「嫌がらせとは、また人聞きの悪い」
女を帰した迅が乱れたシャツもそのままに、グラス片手にカウチに身を沈め悠然と足を組む。その迅を摩天楼が囲む。新世界の寵児。自分にとって迅はこの世界そのものだ。
ガラスの中で迅がグラスを掲げる。
「お前も、飲むか?」 迅に背中をむけたまま、いらないと答えた。
膝くらいの高さの段差で仕切られた下の寝室では、キーパーと呼ばれる家事専用ロボットが女の匂いの残るベッドのリネンを替えている。
迅が所有するこの高性能ロボットは、人型を模して造られており、金属製の顔に全く表情がないことを省けば、人間とほぼ遜色のない動きをする。
料理からエアフライの運転まで、プログラムをダウンロードすれば何もかも完璧にこなした。
しゃべらず、従順で、名前がない。
顔に表情をつけさせなかったのは迅の意向だ。人間に従うだけのロボットに人間らしい表情など必要ない、というのが迅の持論だからだ。
保護の後、迅に引き取られてこの家に暮らしていた時から、ノアはこのキーパーが苦手だった。
人にあらずというならば、人に似せて作らなければいい。子供心に、人と変わらぬ姿形をしながら、ペットほどの存在感も認められないキーパーを哀れだと思った。
名前すらつけてもらえぬキーパーの存在の希薄さが、時々自分の姿と重る。
それが堪らなくいやだった。
どれだけ尽くしても、誰に愛されるでも感謝されるでもない。それでもキーパーは大層なお辞儀をして部屋を出て行った。
「俺が来る事がわかってて、女連れ込んだんだろう?まったく、ギャーって叫びたいのはこっちの方だ」
「なんだ、イブ・ギャレットとは上手くいかなかったのか」
揶揄の混ざった素気無い言葉に、背を向けたノアの頬が暗がりの中で紅潮した。
「まさか、俺に監視でもつけるんじゃないだろうな?」
迅がさも面白そうに、薄い笑いを浮かべる。
「残念ながら私はそこまで暇でもないし、やりたい盛りの息子の素行にそれほど興味がある訳でもないんでね」
「父親みたいなもの言いはするな。一体、あんたは俺のなんのつもりなんだ」
温度をもたない灰色の瞳を見据える。
迅にとっては、自分の存在もまたキーパーや先の女と同じくらいの軽さしかない。
失笑と共に投げられた迅の突き放すような返答に、懲りない自分の甘さを思い知った。
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<ローズ・フィーバー 10>
広いベッドの上で、湿った吐息が絡み合う。
先を急ぐ細く掠れた声がその先の行為を強請り、男に跨る見事な凹凸のついた肢体が悩ましげに躰を反らせた。白い手がもどかしげに肌に纏わりつく皺くちゃのスリップの裾を捲る。
そのままずらそうとした手を、男の手が止めた。
「なによ・・迅」
不満と喘ぎの中間の甘えた声で女は男を責めた。責められた男の目は括れたウエスト越しに、扉にもたれて立つ人物と目を合わせ、口角だけで笑う。今夜、自分が本当に待っていたのは、扉にもたれている男の方だ。
「もう、迅ったら、何笑ってるのよ?」
ネイルを施した指先が迅の顎にかかり、自分に向かせた。冷静な灰色の瞳が一瞬だけ女の顔を見、視線を戻す。
「息子にストリップを見られてもいいなら、別に止めはしないが」
「息子?」
細かいラインストーンが散りばめられた長い睫に囲まれた目が、灰色の視線を追って振り返る。扉口に立つノアと目が合った途端、女は絹を引き裂く叫び声を上げ、露出した白い尻をノアに向けたまま伏せ豊満な胸を隠した。
「嫌がらせかよ」
「何が?」
ステップフロアーになった寝室と一体化したこの部屋は、その3方で豪奢な大都市の夜を眼下に捉える。ノアは夕方と同じように窓辺に立ち、その表情を深夜の貌に変えた大都市を見下ろしていた。
足下に、星の数より多い光の屑が隙間なく散らばっている。
人の数だけ、誰かの思いだけ深く浅く、遠く近く、光のひとつひとつが、ささやかにそして精一杯の輝きを放つ。小さな光の粒の下で、人々は夢を見、または愛するものと手を取りながら眠りにつく。
光も闇も、善も悪も。
眩しい太陽のように笑うダンテとジャスも、消息の途絶えたジタンも、狂気を抱えたホーリーさえも、全てをその懐に抱き込み煌びやかな摩天楼の夜は静かに横たわっていた。
顔を上げると、この夜から弾きだされた他所者と、ガラスの中で目が合った。自分と同じく記憶の中に大きな空白を持つ男。自分が何処から来たのかも判らない男。
自分には、迅と出会ってからの記憶しかない。
フリーエリアの森の中で、迅に保護されたのが12年前。
何度照合してもらっても、新世界における同じ年代の子供の出生記録の中に自分と一致するデータは見つからなかった。
ガラスの中の男が、帰依すべき場所は他にあるのだと告げる。
慰めだ。もう信じない。
何年も、誰かが自分に手を差し伸べてくれるのを、迎えに来るのを待ち続けた。
あの時、400Mの空中で自分に向けて伸ばされた手を、本当は取りたかったのかもしれない。
目を閉じれば、瞼の裏はまだ青色に染まっている。輝かしい鮮やかさは既に褪せていたが、ただ静かで透明な藍と華やかなターコイズが重なり合う。
ぼんやり、夜の帳に包まれた摩天楼を見ながら、心は抜けるような空色の瞳と、房になって零れる金の髪を思い起していた。
夜色の髪と瞳を持つ自分とは対照的な、昼の陽光を集めたような男だった。
落下するWBを操り、スピードと一体となって爆走した男が黄昏の空に残した見事な軌跡は今も感嘆の震えとなって胸に残る。
瞬時に自分を狙った暗殺者を拘束したかと思えば、あっさり放り出し、プロの狙撃を躱す。まさか不死身とか?あいつはバケモノなのか。ガラスに映る男の顔が、面白そうに笑う。
言語に難があって、とびきり澄んだ青い瞳を持ち、行動と優しげな容姿が笑えるくらい合致しない変な男。
そういえば名前も知らないことに気が付いた。
あの男の事、少し調べてみようか。
「嫌がらせとは、また人聞きの悪い」
女を帰した迅が乱れたシャツもそのままに、グラス片手にカウチに身を沈め悠然と足を組む。その迅を摩天楼が囲む。新世界の寵児。自分にとって迅はこの世界そのものだ。
ガラスの中で迅がグラスを掲げる。
「お前も、飲むか?」 迅に背中をむけたまま、いらないと答えた。
膝くらいの高さの段差で仕切られた下の寝室では、キーパーと呼ばれる家事専用ロボットが女の匂いの残るベッドのリネンを替えている。
迅が所有するこの高性能ロボットは、人型を模して造られており、金属製の顔に全く表情がないことを省けば、人間とほぼ遜色のない動きをする。
料理からエアフライの運転まで、プログラムをダウンロードすれば何もかも完璧にこなした。
しゃべらず、従順で、名前がない。
顔に表情をつけさせなかったのは迅の意向だ。人間に従うだけのロボットに人間らしい表情など必要ない、というのが迅の持論だからだ。
保護の後、迅に引き取られてこの家に暮らしていた時から、ノアはこのキーパーが苦手だった。
人にあらずというならば、人に似せて作らなければいい。子供心に、人と変わらぬ姿形をしながら、ペットほどの存在感も認められないキーパーを哀れだと思った。
名前すらつけてもらえぬキーパーの存在の希薄さが、時々自分の姿と重る。
それが堪らなくいやだった。
どれだけ尽くしても、誰に愛されるでも感謝されるでもない。それでもキーパーは大層なお辞儀をして部屋を出て行った。
「俺が来る事がわかってて、女連れ込んだんだろう?まったく、ギャーって叫びたいのはこっちの方だ」
「なんだ、イブ・ギャレットとは上手くいかなかったのか」
揶揄の混ざった素気無い言葉に、背を向けたノアの頬が暗がりの中で紅潮した。
「まさか、俺に監視でもつけるんじゃないだろうな?」
迅がさも面白そうに、薄い笑いを浮かべる。
「残念ながら私はそこまで暇でもないし、やりたい盛りの息子の素行にそれほど興味がある訳でもないんでね」
「父親みたいなもの言いはするな。一体、あんたは俺のなんのつもりなんだ」
温度をもたない灰色の瞳を見据える。
迅にとっては、自分の存在もまたキーパーや先の女と同じくらいの軽さしかない。
失笑と共に投げられた迅の突き放すような返答に、懲りない自分の甘さを思い知った。
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みなさま、最後までお読み頂きありがとうございました。
前話の第9話ですが、推敲段階のものが更新から2時間ほどの間、UPされていました。
更新直後に読まれた方は、大変読みにくい思いをされたのではないかと思います。
申し訳ございませんでした。
紙魚
前話の第9話ですが、推敲段階のものが更新から2時間ほどの間、UPされていました。
更新直後に読まれた方は、大変読みにくい思いをされたのではないかと思います。
申し訳ございませんでした。
紙魚
やっぱりパパ(?)と「ツーショット」になると、多分、今の段階では私しか期待していないような立ち位置を妄想してしまいます。
もうねっ、脳内に妄想の嵐が吹き荒れていて大変です(笑)。