06 ,2011
rose fever 8
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<ローズ・フィーバー 8>
一体、何が起こったのか、わからなかった。
甲高く鳴り響く警報の中、拘束から逃れたホーリーが咳き込みながら逃げていく。
「な、んで?」 理由を考えるより先に、身体はホーリーの背中を追っていた。
酸欠状態にあったホーリーの足取りは重く、今なら簡単に捕まえられる。あの男を野放しにすれば、自分の中に禍根が残るに違いなかった。
ホーリーを追ってしなやかに跳躍するその身体が、後ろから拘束された。
「な・・・?なにやっ・・・放せっ!」
逃げるホーリーが途中で自分の銃を拾い、走りながら前方に構える。
退路を塞いだ店内案内用のガイドロボットが吹き飛び、続けて正面のガラスに穴が開いた。2度、3度。ガラスは砕け、ベージュ色の上着の背中がその隙間に身を躍らせる。
「お前、待てっ!」
ノアの叫び声に、ガラスを潜ったホーリーが振り返った。
平凡な顔に背中が寒くなるような凶悪な笑いを浮かべ、ゆっくり銃を持ち上げる。
拘束する腕の中でノアの身体が硬直する。
照準は背後で自分を羽交い絞めにする男。の、はずだが、2人の間には自分がいる。
幸せな夢の中になら囚われてもいいと、そう思ったこともある。だからって、こんな最悪な夢は好みじゃいない。そして、これは夢ではなく現実だったりするのだ。
ホーリーよ、間違いなく後ろの男に当てる自信はあるのか?思わず、人非人な問いが頭を掠める。
狙いを定めたホーリーが笑みを濃くする。
凄惨で狂気に満ちた笑みに、体温が一気に2度ほど下がった。
離れていてもホーリーの昏く興奮した息遣いが伝わってきそうだ。
銃口が青白く光った直後に頭の斜め上で何かが弾け、ジャスの悲鳴と共に床に硬いものが落ちる音がする。
瞬きした次の瞬間には、ホーリーの姿は消えていた。身体に回された男の両腕はノアの身体を抱きこんだまま、ぴくりともしない。
音からして、床に落ちたのはヘルメットだ。
首ごと持っていかれている可能性は・・・・?
店内に流れるBGMが、警報機の電子音と相俟って鼓膜を破りそうなくらいの大音響に聞こえる。
密着する背中にいやな汗をかく。
足元から得体の知れない震えが這い上がってきて、カタカタと小さく奥歯が鳴った。
その時、ノアを拘束する男の腕が震え出した身体を抱き締めた。
「ふるえてるよ?恐かったんだね。かわいそうに。大丈夫?」
耳に温かい吐息を感じ、ぎゅううっと更に腕が狭まる。瞬間、頭の中が沸いた。
前に足を振り上げ満身の力で男の脛を蹴る。振り返りざま後ろ手で肘鉄を喰らわした。
振り返り、自分の側頭を押えながら沈み込んでいく男を、腕を組んで睥睨する。
転がったメットの側面には、弾痕が深く抉った痕が残っていた。下を向く長めの金髪が覆う頭には、かすり傷ひとつない。
「さすが高級品」 厭味っぽく吐き捨てる。
「ノア・・・。ああ、大切なお客さまになんて事を」 両手で顔を覆ったジャスが目を丸くして突っ立っている。
暗殺者に射撃されて無事だった男は、肘鉄で負傷してしまった。
逃げたホーリーはこの男に執着をしていた、きっとまた狙ってくるだろう。
殺人鬼を捕まえるチャンスだったのに。
蹲る男の背中を見ていると腹の虫が騒ぎ出して、もう一発蹴りでも見舞ってやりたくなる。
遠巻きに自分たちを見ている他の客やジャスの手前、そこは荒々しく鼻息を吐いて抑えた。
「なんで放す?!あいつはイカれた殺人鬼野郎だ。必ずまたあんたを狙うぞ」
我ながら、地を這うような声だと思う。
「だって、あぶないもの。君がおいかけるのは、よしたほうがいいと思って」
スナイパーひとり制圧できなければ、今頃とっくに命を失っている。自分には百戦錬磨を切り抜けてきた経験と自信がある。ホーリーが殺人鬼に見えなかったのと同じように、自分も本職が透けて見えては困るのだが。
たかが肘鉄で蹲る男の、「君がおいかけるのは、よしたほうがいい」というフレーズに、我ながら青いと思う腸がぐつぐつと煮えた。
「危ないってな・・・うちのビルに突っ込むあんたの方が、よっぽど危ねえだろうがっ。そうだ、破損したラウンジのガラスは、お宅に弁償してもらうからな、そのつもりでいろよ!」
男は、側頭を押えたままの格好で蹲り、何も答えない。
これが地上400M空中で、エアフライのエンジンを切るという英断を下した男だとは到底思えない。
まさか・・・別人?
自分の中に気まずい空気が流れ出した頃、男がゆらりと立ち上がった。
側頭を押えた男の身長は屈み気味なのにもかかわらず、頭3分の2こ分くらい高い。
間合いを詰めてくる予想外の長躯に自然と身体が引いた。
「いくら?」
「は?」
男が近づけた顔を上げた。押えていた手を離し、長めの髪を煩げに掻き上げる。鮮やかな紺碧の夏の空を思わせるサファイアブルーの瞳が現れ一瞬、言葉を失う。
「払うから・・・・ガラス代」
完全に方向を失った会話に、瞳に吸い寄せられた思考が戻り、脱力した。
「俺に払ってもらうわけじゃないし。そういうのはウチの経理か弁護士にでも聞いてくれ。ただな、あのガラスは特殊硬化ガラスだから。半端な額じゃないのは確かだろうな」
意地悪い笑みがノアの顔に貼り付いた。
「高いの?それじゃあ、苦情がきちゃうかな」
お前に行くのは、苦情じゃなくて請求書だ。憮然としたノアの顔にうんざりが加わる。
請求書に加え、もちろんアスクレピオス製薬顧問弁護士からの謝罪要請と、警察からの出頭命令も洩れなくついてくるだろう。
いちいち間の抜けた男の応えに、気持ちが逆撫でられイライラが増幅する。
正直、幻滅していた。
スピードと一体化し、絶体絶命の際で起死回生を果たした男。
手前勝手な想像で申し訳ないが、自分の中で出来あがったライダースーツの男像は、人並みはずれた肉体と強靭な精神を持つクールな男だった。間違っても、澄んだ子供の瞳で惚けたことを口にする優男ではない。
エアフライが夕陽を反射させながら視界から消えた時の、胸が踊るような高揚感と寂寥の思い。
再会しない方がよかった。
「ねえ、君・・。ノアっていうの?」
物思いに耽る顔を上げると、目前に黒いグローブの指先が迫る。
咄嗟にラウンジでの出来事が蘇り、男から身を引く。ラウンジで感じたのと同じく、自分に伸ばされる男の指先に得体の知れぬ畏れを感じた。明確な理由があるわけではい。本能に近い感覚。
だが、人並みはずれた反射神経と動体視力を自負するノアの動きよりもさらに早く、男の両手はノアの頬を捕まえていた。
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<ローズ・フィーバー 8>
一体、何が起こったのか、わからなかった。
甲高く鳴り響く警報の中、拘束から逃れたホーリーが咳き込みながら逃げていく。
「な、んで?」 理由を考えるより先に、身体はホーリーの背中を追っていた。
酸欠状態にあったホーリーの足取りは重く、今なら簡単に捕まえられる。あの男を野放しにすれば、自分の中に禍根が残るに違いなかった。
ホーリーを追ってしなやかに跳躍するその身体が、後ろから拘束された。
「な・・・?なにやっ・・・放せっ!」
逃げるホーリーが途中で自分の銃を拾い、走りながら前方に構える。
退路を塞いだ店内案内用のガイドロボットが吹き飛び、続けて正面のガラスに穴が開いた。2度、3度。ガラスは砕け、ベージュ色の上着の背中がその隙間に身を躍らせる。
「お前、待てっ!」
ノアの叫び声に、ガラスを潜ったホーリーが振り返った。
平凡な顔に背中が寒くなるような凶悪な笑いを浮かべ、ゆっくり銃を持ち上げる。
拘束する腕の中でノアの身体が硬直する。
照準は背後で自分を羽交い絞めにする男。の、はずだが、2人の間には自分がいる。
幸せな夢の中になら囚われてもいいと、そう思ったこともある。だからって、こんな最悪な夢は好みじゃいない。そして、これは夢ではなく現実だったりするのだ。
ホーリーよ、間違いなく後ろの男に当てる自信はあるのか?思わず、人非人な問いが頭を掠める。
狙いを定めたホーリーが笑みを濃くする。
凄惨で狂気に満ちた笑みに、体温が一気に2度ほど下がった。
離れていてもホーリーの昏く興奮した息遣いが伝わってきそうだ。
銃口が青白く光った直後に頭の斜め上で何かが弾け、ジャスの悲鳴と共に床に硬いものが落ちる音がする。
瞬きした次の瞬間には、ホーリーの姿は消えていた。身体に回された男の両腕はノアの身体を抱きこんだまま、ぴくりともしない。
音からして、床に落ちたのはヘルメットだ。
首ごと持っていかれている可能性は・・・・?
店内に流れるBGMが、警報機の電子音と相俟って鼓膜を破りそうなくらいの大音響に聞こえる。
密着する背中にいやな汗をかく。
足元から得体の知れない震えが這い上がってきて、カタカタと小さく奥歯が鳴った。
その時、ノアを拘束する男の腕が震え出した身体を抱き締めた。
「ふるえてるよ?恐かったんだね。かわいそうに。大丈夫?」
耳に温かい吐息を感じ、ぎゅううっと更に腕が狭まる。瞬間、頭の中が沸いた。
前に足を振り上げ満身の力で男の脛を蹴る。振り返りざま後ろ手で肘鉄を喰らわした。
振り返り、自分の側頭を押えながら沈み込んでいく男を、腕を組んで睥睨する。
転がったメットの側面には、弾痕が深く抉った痕が残っていた。下を向く長めの金髪が覆う頭には、かすり傷ひとつない。
「さすが高級品」 厭味っぽく吐き捨てる。
「ノア・・・。ああ、大切なお客さまになんて事を」 両手で顔を覆ったジャスが目を丸くして突っ立っている。
暗殺者に射撃されて無事だった男は、肘鉄で負傷してしまった。
逃げたホーリーはこの男に執着をしていた、きっとまた狙ってくるだろう。
殺人鬼を捕まえるチャンスだったのに。
蹲る男の背中を見ていると腹の虫が騒ぎ出して、もう一発蹴りでも見舞ってやりたくなる。
遠巻きに自分たちを見ている他の客やジャスの手前、そこは荒々しく鼻息を吐いて抑えた。
「なんで放す?!あいつはイカれた殺人鬼野郎だ。必ずまたあんたを狙うぞ」
我ながら、地を這うような声だと思う。
「だって、あぶないもの。君がおいかけるのは、よしたほうがいいと思って」
スナイパーひとり制圧できなければ、今頃とっくに命を失っている。自分には百戦錬磨を切り抜けてきた経験と自信がある。ホーリーが殺人鬼に見えなかったのと同じように、自分も本職が透けて見えては困るのだが。
たかが肘鉄で蹲る男の、「君がおいかけるのは、よしたほうがいい」というフレーズに、我ながら青いと思う腸がぐつぐつと煮えた。
「危ないってな・・・うちのビルに突っ込むあんたの方が、よっぽど危ねえだろうがっ。そうだ、破損したラウンジのガラスは、お宅に弁償してもらうからな、そのつもりでいろよ!」
男は、側頭を押えたままの格好で蹲り、何も答えない。
これが地上400M空中で、エアフライのエンジンを切るという英断を下した男だとは到底思えない。
まさか・・・別人?
自分の中に気まずい空気が流れ出した頃、男がゆらりと立ち上がった。
側頭を押えた男の身長は屈み気味なのにもかかわらず、頭3分の2こ分くらい高い。
間合いを詰めてくる予想外の長躯に自然と身体が引いた。
「いくら?」
「は?」
男が近づけた顔を上げた。押えていた手を離し、長めの髪を煩げに掻き上げる。鮮やかな紺碧の夏の空を思わせるサファイアブルーの瞳が現れ一瞬、言葉を失う。
「払うから・・・・ガラス代」
完全に方向を失った会話に、瞳に吸い寄せられた思考が戻り、脱力した。
「俺に払ってもらうわけじゃないし。そういうのはウチの経理か弁護士にでも聞いてくれ。ただな、あのガラスは特殊硬化ガラスだから。半端な額じゃないのは確かだろうな」
意地悪い笑みがノアの顔に貼り付いた。
「高いの?それじゃあ、苦情がきちゃうかな」
お前に行くのは、苦情じゃなくて請求書だ。憮然としたノアの顔にうんざりが加わる。
請求書に加え、もちろんアスクレピオス製薬顧問弁護士からの謝罪要請と、警察からの出頭命令も洩れなくついてくるだろう。
いちいち間の抜けた男の応えに、気持ちが逆撫でられイライラが増幅する。
正直、幻滅していた。
スピードと一体化し、絶体絶命の際で起死回生を果たした男。
手前勝手な想像で申し訳ないが、自分の中で出来あがったライダースーツの男像は、人並みはずれた肉体と強靭な精神を持つクールな男だった。間違っても、澄んだ子供の瞳で惚けたことを口にする優男ではない。
エアフライが夕陽を反射させながら視界から消えた時の、胸が踊るような高揚感と寂寥の思い。
再会しない方がよかった。
「ねえ、君・・。ノアっていうの?」
物思いに耽る顔を上げると、目前に黒いグローブの指先が迫る。
咄嗟にラウンジでの出来事が蘇り、男から身を引く。ラウンジで感じたのと同じく、自分に伸ばされる男の指先に得体の知れぬ畏れを感じた。明確な理由があるわけではい。本能に近い感覚。
だが、人並みはずれた反射神経と動体視力を自負するノアの動きよりもさらに早く、男の両手はノアの頬を捕まえていた。
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コメントを拝読して読み返しましたら、ひゃああああー!でございました。
教えていただき、ありがとうございます。
超特急で手を入れましたです。いかがでしょうか~(焦
今回は、前に書いてあったもをまるまる書き直したのですが
頭の中の別の話と人称が混同してました。
鶏脳を駆使しての同時進行は、パーテション低すぎてかなーり無理があったようです。
おや、ノアが受けに見えてきましたか(笑)
前にいただいたコメントにあったご希望(?)シーンを
この先でほんのちょこっとだけ入れてみましたが、みなさまの反応やいかに。
コメント&ご訪問、ご指摘、感謝です~~~!!