06 ,2011
rose fever 7
←previous next→
<ローズ・フィーバー 7>
「ジャス、不具合のマシンって、もしかしてナイトブルーにシルバーのラインの入ったやつ?」
「ノア、まずはここに名前を入力してくれる?入店キー発行するわ」
受付カウンターに引っ張って行かれ、ハンディタイプの電子タブレットを渡された。
「ああ、最後にサインも忘れないで。ここのサークルの中を指で押すだけだから簡単よ。それと丁度いま、シュミレーションシートが空いてるの。子供騙しだけど、結構面白いわよ」
ぽっちゃりとした指先がタブレットの一角を指さす。
「あのさ、ジャスその・・・」
「もちろん試してみるわよね?」 おおらかで茶目っ気のある笑顔が見上げてくる。
それで確信した。客の個人情報を無闇に漏らせないジャスは、ノアの質問には答えられないのだ。
我ながらしつこいと思いつつ、下を向いて入店キー発行の操作を始めたジャスに食い下がる。エアフライのライダーへの興味が、どうしても”事情”を上回る。
「ねえ、ジャスって・・・うわ?」
身を乗り出したノアにベージュの塊がぶつかって来た。その瞬間、どろりと黒く濁った思念がノアの中になだれ込む。重い鋼の板で強打されるような衝撃がノアを襲う。息が詰った。
「失礼。ホーリーだが、表にあるモデルについて少し聞かせてもらいたいのだが」
ぶつかって来た男は紳士的な口調で軽く詫び、すぐに本題に入った。応えるジャスの声に、ホーリーに対する不快感の硬さが混ざるも、すぐいつもの営業的な愛想のよさをとり戻し応対を始める。
「ホーリー様ですね。すぐにご説明できるスタッフをご用意致しますわ。お待ちいただく間、こちらにご記入いただいても?」
男の前にも、ノアと同じタブレットが出され薄い手袋を嵌めた手が受け取った。
「ああ、今日はあまり時間がないんだ。早めに頼むよ」
やや温度の下がったこの場の空気を和らげようとしたか、ホーリーの片頬が緩んだ。いや、ホーリーと名乗った男はこの状況を楽しんでいた。
ふたりの会話が薄い膜の向こうから聞こえてくるような気がした。声の感じからして4~50代だろうか。
タブレットに記入するホーリーの身体はノアに接触したままだ。
おおよそ人の身体とは思えぬ硬い感触がノアの腕や脇腹に当たる。ホーリーは、痩せた身体をノアに寄せる事で上着の陰に抱えたものを周囲から隠していた。硬くて冷たくて、不吉な塊。
気づかれぬよう、男の思念に自分を同期化させていく。
自分の思考を完全にブロックし、ホーリーの心の扉に手を掛け重い扉を押し開いた。
思念がシンクロした途端に押し寄せる、気狂い染みた高揚感にブロックした心が軋んだ気がした。
昂り、澄み切った狂気の底に沈鬱とした泥濘が横たわり、破壊的かつ排他的なホーリーの本質が沈む。
自分に殺される被害者の流す血と涙にまみれ、恐怖に引き攣った懇願の顔に快感を覚える異常者。いまホーリーは自分が満たされるその瞬間を、自分の狂喜する欲望をぶるぶる震わせながら待ちわびていた。
小さなマイクで手の空いたスタッフを呼ぶジャスが、少し待ってと目でノアに合図する。
ノアは頷きながら、少し身体をずらして男との接触を解いた。
ほんの7~8秒の接触で気分が酷く滅入った。胸にタールのようなドロドロした澱が残っているような気がして、吐きたい気分だったが、今はそれどころではない。
男は猟奇的な嗜好を持ったプロの暗殺者だ。
そして、男はその紳士然とした表面とは間逆の狂った欲望をもって、チャンスの到来を待っている。
ターゲットはジャスか自分か?それともショウルームの客か。違う。
この男は誰の登場を待っている。
緊張に呼吸を浅くするノアの視界の端で小さなライトが点滅した。
新たなる来客の知らせにショウルームのエントランスを振り返ったジャスの表情が、嬉しげに綻ぶ。
「ミズ、ジャスティス」
低く厚みのある柔らかな声がジャスを呼んだのが合図だった。
「伏せろっ、ジャス!」 ノアの怒号が響く。
何もかもが、スロ-モーションのように思えた。
ホーリーの左手が上着の中に伸び、ジャスは叫びながらカウンターの陰にしゃがみこむ。
非常警報が店内に鳴り響いた。
ノアは上体を沈め、自分の肩越しに突き出されたホーリーの腕を足で薙ぎ払った。
反動で天井に発砲したあと、銃はホーリーの手を離れた。警報音に銃声と若い女の悲鳴が重なった。固い床の上を回転しながら滑ってゆく鈍色の銃に、店内が騒然となる。
身体を起こしたノアの目の前を、白銀の刃が一閃した。
刃先に触れた前髪が目の前で切断され、ハラハラと落ちてゆく。
ノアが抜きん出た反射神経の持ち主でなかったら、目蓋と鼻を同時に削ぎ落とされているところだ。
ノアの背中は後に柔らかく撓り、ぐるりと方向を変える。起き上がる反動でスピードをつけ、渾身の回し蹴りを見舞う。遠心で勢いがついた足は、スコンと宙を蹴った。
・・・・え?
体勢を崩し、派手に尻餅をついたノアの足の間に、ナイフが音を立てて落ちてきた。
切れ味よさそうな刃に、困惑気味な自分の顔が映る。
刃渡り20センチほどのナイフは新品同様の白刃とは対照的に、柄は中心よりやや刃に近い部分が黒ずんで、手指の形にすり減っている。殺人鬼の癖と殺戮の記録を無理に見せられた気がして、嫌悪に眉を顰めた。
「あ・・・つっ」
打った腰に鈍痛が走る。
「ノア、大丈夫?痛くない?」 控えめなジャスの声。
差し出された女の子らしい可愛い色の爪がついた肉厚の手を、脂汗を垂らしながら丁重にお断りした。
空振りで大回転してコケるなんて、カッコが悪すぎる。
「全然・・・」 大丈夫じゃない。プライドが挫けてかなり痛いんだ。
痛みを堪えて立ち上がる。状況を把握したノアの口が、不機嫌っぽくグイとへの字に曲がる。
ホーリーは、突如湧いて出た第3の男に既に羽交い絞めにされていた。
一瞬の出来事だった。
ノアが身を挺してホ-リーの銃を薙ぎ払い、ナイフの一撃を避ける間に新顔は犯人をあっさり制圧。ケッカオーらいだと思いつつ、どこか割り切れない自分がいる。
平静を装ってシャツの乱れを整え、さしてついてもいない埃を払う。伸縮性のあるボタンダウンのシャツは流行の20世紀スタイルの復刻もので、目下、一番のお気に入りだ。
袖の皺をしつこく伸ばしつつ、ついでにガラスに映った自分を見ながら普段気にもかけない髪型も整えた。
腰が痛ぇ。
喉を締め上げる腕がほんの少し角度を変えただけで、ガラスに映るホーリーの細い喉がグエッと鳴る。
「おい、力を加減をしろよ。警察に引渡すまでに窒息させたら、なにかと面倒だぞ」
ガラスに映る意気消沈したホーリーは、痩せている他はこれといって特徴のない顔をしていた。
覇気もなければ存在感も薄い。この男が人ごみに紛れ込んだら、たぶん誰もこの男を見つけられない。
平凡な顔の下に、異常な心理と狂った欲望を隠して人の群れに紛れ込む。
ホーリー(聖なる)という偽名が、このどこにでもいそうな男の存在を一層不気味に思わせた。
「誰に頼まれたの?教えてくれないと、ノドつぶしちゃうよ?」
低く柔らかな声が、声音とは反比例の物騒なセリフを吐く。
いいわけないだろう。あらためて、声の方向に向き直った。
フルフェイスのメットに見覚えのあるライダースーツ。
「あ。」
同時に声を上げたライダースーツの男は、腕に捕らえたホーリーを放り出した。
previous / 目次 / next

<ローズ・フィーバー 7>
「ジャス、不具合のマシンって、もしかしてナイトブルーにシルバーのラインの入ったやつ?」
「ノア、まずはここに名前を入力してくれる?入店キー発行するわ」
受付カウンターに引っ張って行かれ、ハンディタイプの電子タブレットを渡された。
「ああ、最後にサインも忘れないで。ここのサークルの中を指で押すだけだから簡単よ。それと丁度いま、シュミレーションシートが空いてるの。子供騙しだけど、結構面白いわよ」
ぽっちゃりとした指先がタブレットの一角を指さす。
「あのさ、ジャスその・・・」
「もちろん試してみるわよね?」 おおらかで茶目っ気のある笑顔が見上げてくる。
それで確信した。客の個人情報を無闇に漏らせないジャスは、ノアの質問には答えられないのだ。
我ながらしつこいと思いつつ、下を向いて入店キー発行の操作を始めたジャスに食い下がる。エアフライのライダーへの興味が、どうしても”事情”を上回る。
「ねえ、ジャスって・・・うわ?」
身を乗り出したノアにベージュの塊がぶつかって来た。その瞬間、どろりと黒く濁った思念がノアの中になだれ込む。重い鋼の板で強打されるような衝撃がノアを襲う。息が詰った。
「失礼。ホーリーだが、表にあるモデルについて少し聞かせてもらいたいのだが」
ぶつかって来た男は紳士的な口調で軽く詫び、すぐに本題に入った。応えるジャスの声に、ホーリーに対する不快感の硬さが混ざるも、すぐいつもの営業的な愛想のよさをとり戻し応対を始める。
「ホーリー様ですね。すぐにご説明できるスタッフをご用意致しますわ。お待ちいただく間、こちらにご記入いただいても?」
男の前にも、ノアと同じタブレットが出され薄い手袋を嵌めた手が受け取った。
「ああ、今日はあまり時間がないんだ。早めに頼むよ」
やや温度の下がったこの場の空気を和らげようとしたか、ホーリーの片頬が緩んだ。いや、ホーリーと名乗った男はこの状況を楽しんでいた。
ふたりの会話が薄い膜の向こうから聞こえてくるような気がした。声の感じからして4~50代だろうか。
タブレットに記入するホーリーの身体はノアに接触したままだ。
おおよそ人の身体とは思えぬ硬い感触がノアの腕や脇腹に当たる。ホーリーは、痩せた身体をノアに寄せる事で上着の陰に抱えたものを周囲から隠していた。硬くて冷たくて、不吉な塊。
気づかれぬよう、男の思念に自分を同期化させていく。
自分の思考を完全にブロックし、ホーリーの心の扉に手を掛け重い扉を押し開いた。
思念がシンクロした途端に押し寄せる、気狂い染みた高揚感にブロックした心が軋んだ気がした。
昂り、澄み切った狂気の底に沈鬱とした泥濘が横たわり、破壊的かつ排他的なホーリーの本質が沈む。
自分に殺される被害者の流す血と涙にまみれ、恐怖に引き攣った懇願の顔に快感を覚える異常者。いまホーリーは自分が満たされるその瞬間を、自分の狂喜する欲望をぶるぶる震わせながら待ちわびていた。
小さなマイクで手の空いたスタッフを呼ぶジャスが、少し待ってと目でノアに合図する。
ノアは頷きながら、少し身体をずらして男との接触を解いた。
ほんの7~8秒の接触で気分が酷く滅入った。胸にタールのようなドロドロした澱が残っているような気がして、吐きたい気分だったが、今はそれどころではない。
男は猟奇的な嗜好を持ったプロの暗殺者だ。
そして、男はその紳士然とした表面とは間逆の狂った欲望をもって、チャンスの到来を待っている。
ターゲットはジャスか自分か?それともショウルームの客か。違う。
この男は誰の登場を待っている。
緊張に呼吸を浅くするノアの視界の端で小さなライトが点滅した。
新たなる来客の知らせにショウルームのエントランスを振り返ったジャスの表情が、嬉しげに綻ぶ。
「ミズ、ジャスティス」
低く厚みのある柔らかな声がジャスを呼んだのが合図だった。
「伏せろっ、ジャス!」 ノアの怒号が響く。
何もかもが、スロ-モーションのように思えた。
ホーリーの左手が上着の中に伸び、ジャスは叫びながらカウンターの陰にしゃがみこむ。
非常警報が店内に鳴り響いた。
ノアは上体を沈め、自分の肩越しに突き出されたホーリーの腕を足で薙ぎ払った。
反動で天井に発砲したあと、銃はホーリーの手を離れた。警報音に銃声と若い女の悲鳴が重なった。固い床の上を回転しながら滑ってゆく鈍色の銃に、店内が騒然となる。
身体を起こしたノアの目の前を、白銀の刃が一閃した。
刃先に触れた前髪が目の前で切断され、ハラハラと落ちてゆく。
ノアが抜きん出た反射神経の持ち主でなかったら、目蓋と鼻を同時に削ぎ落とされているところだ。
ノアの背中は後に柔らかく撓り、ぐるりと方向を変える。起き上がる反動でスピードをつけ、渾身の回し蹴りを見舞う。遠心で勢いがついた足は、スコンと宙を蹴った。
・・・・え?
体勢を崩し、派手に尻餅をついたノアの足の間に、ナイフが音を立てて落ちてきた。
切れ味よさそうな刃に、困惑気味な自分の顔が映る。
刃渡り20センチほどのナイフは新品同様の白刃とは対照的に、柄は中心よりやや刃に近い部分が黒ずんで、手指の形にすり減っている。殺人鬼の癖と殺戮の記録を無理に見せられた気がして、嫌悪に眉を顰めた。
「あ・・・つっ」
打った腰に鈍痛が走る。
「ノア、大丈夫?痛くない?」 控えめなジャスの声。
差し出された女の子らしい可愛い色の爪がついた肉厚の手を、脂汗を垂らしながら丁重にお断りした。
空振りで大回転してコケるなんて、カッコが悪すぎる。
「全然・・・」 大丈夫じゃない。プライドが挫けてかなり痛いんだ。
痛みを堪えて立ち上がる。状況を把握したノアの口が、不機嫌っぽくグイとへの字に曲がる。
ホーリーは、突如湧いて出た第3の男に既に羽交い絞めにされていた。
一瞬の出来事だった。
ノアが身を挺してホ-リーの銃を薙ぎ払い、ナイフの一撃を避ける間に新顔は犯人をあっさり制圧。ケッカオーらいだと思いつつ、どこか割り切れない自分がいる。
平静を装ってシャツの乱れを整え、さしてついてもいない埃を払う。伸縮性のあるボタンダウンのシャツは流行の20世紀スタイルの復刻もので、目下、一番のお気に入りだ。
袖の皺をしつこく伸ばしつつ、ついでにガラスに映った自分を見ながら普段気にもかけない髪型も整えた。
腰が痛ぇ。
喉を締め上げる腕がほんの少し角度を変えただけで、ガラスに映るホーリーの細い喉がグエッと鳴る。
「おい、力を加減をしろよ。警察に引渡すまでに窒息させたら、なにかと面倒だぞ」
ガラスに映る意気消沈したホーリーは、痩せている他はこれといって特徴のない顔をしていた。
覇気もなければ存在感も薄い。この男が人ごみに紛れ込んだら、たぶん誰もこの男を見つけられない。
平凡な顔の下に、異常な心理と狂った欲望を隠して人の群れに紛れ込む。
ホーリー(聖なる)という偽名が、このどこにでもいそうな男の存在を一層不気味に思わせた。
「誰に頼まれたの?教えてくれないと、ノドつぶしちゃうよ?」
低く柔らかな声が、声音とは反比例の物騒なセリフを吐く。
いいわけないだろう。あらためて、声の方向に向き直った。
フルフェイスのメットに見覚えのあるライダースーツ。
「あ。」
同時に声を上げたライダースーツの男は、腕に捕らえたホーリーを放り出した。
previous / 目次 / next

真剣に読んで下さってたのですね。
ありがとうございます!
や、駄洒落じゃないですよ、って言えば言うほど
墓穴を掘っているような・・・。
本当に暑いですね。
どうせお豆腐なら、冷奴がいいですv
コメント&ご訪問、ありがとうございます!