06 ,2011
rose fever 4
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<ローズ・フィーバー 4>
「ノア!」
ラウンジの灯りがつき、ガラスの前で膝を突いたまま放心していた状態から我に返った。
目の端に入ったハレーションで声の主を知る。
「まさかずっとここにいたの?」
「うん・・・まあね」
立ち上がったノアに声の主が急ぎ足で近付いてきた。
「こりゃあ、派手にやってくれたな。よくまあ無事で・・・怪我は?」
薄茶の目がガラスの亀裂を追い掛け、最後に首を横に振るノアを見た。
ピンクのシャツに黒いズボン。
ブルーのペイズリー柄のベストがサイケデリックなハレーションを起こしている。
激務からきたストレスの結果が、残念な中年太りと妙な色彩感覚となって現れた自称・元白皙の美青年は、表の仕事の同僚だ。
「ノアは今日まで外勤だったから、ここが内装工事で立ち入り禁止になっているのを知らなかったんだな」
「ふうん、だから誰もいなかったのか」 知っていた。
知っていたから、一旦帰りかけた足を誰もいないこの場所に向けたのだ。
黄昏に染まる世界を独りで見るために。
「今回の外勤は長かったみたいだけど、どうだった?セントラルアジアの連中相手は疲れただろう?」
ダンテはノアのアスクレピオス製薬における本当の仕事を知らない。
「別に、いつもと一緒だよ」
そう、いつもと一緒だ。
他人に成りすまして他国の要人に近付き、あの手この手で信頼させ、頭の中の機密を掻っ攫ってくる。
ただ今回は単独でダイビングしたせいで、ターゲットの意識下に張られたトラップに気づくのが遅れた。危うく戻って来られなくなるところを、命からがら逃げ帰った。
ふと今まで思いもしなかった考えが頭に過ぎる。
ターゲットの意識の中に捕らわれたまま帰れなくなったら、どうなるのだろう?
永遠にターゲットの記憶の中に閉じ込められるのだろうか?
もしそれが幸せな記憶の中であるなら、それも悪くないような気もする。
「ノア、涎が垂れてる」
「あ?」
はっと口を拭う仕草に、薄茶の目が嬉しそうに笑う。
他愛もないジョークに引っかかったことに気づいて眉をしかめ渋顔を作ると、ダンテは楽しくてたまらないといった風に腹を抱えて笑い出した。
つい引き込まれて、しかめた口元にも笑みとも苦笑ともつかない笑いが浮かぶ。
「ノアは普段はお澄ましキャラの癖に、ホントは結構天然なとこが大好きなんだよなあ」
「ダンテ、冗談はそのベストだけにしてくれ。さっきから、すっげえ目が痛い」
笑いながら並んで歩き出す。
2人がラウンジを出るのと入れ違いに、警官やらビル管理会社の制服を着た男達がなだれ込んだ。
目の前に横長の建物の真ん中、上部20階分をぶち抜いた巨大なアトリウムが現れる。
高さ100メートルの空間に渡された幾本かのデッキが向かいの役員棟とオフィス棟を結ぶ。その一本に
自体が発光し照明の役割をするデッキは、暗くなった巨大な空間に浮かんで見え、不思議な浮遊感を伴った。それはダイビングする時の感覚を思い出させる。
「さっきのあれWBの新型モデルだったね」
「うん。ダンテ、あのさ、」
幻想的な光の中を、中腹のエレベーターを目指して歩きながらぽつりぽつりと言葉を交わす。
「残念だけど、ダメ」
「あの、俺はまだなんにも言ってないんですけど?」
「ジャスに、WING3001の試乗を頼んでくれって言いたいんだろう?」
「あれ・・・・?」
あっさり図星をさされ、白々しい笑顔を顔に貼り付けた。
ジャスティ。通称ジャスはダンテのパートナーで、Boroth社のショールームで働いている。
ナイトブルーの機体が旋回し、今際のきわで息を吹き返す。
ドライバーとマシンが一体となってビルの谷間を閃光のごとく疾走し、ギラリと終日の残光を返しながら弧をかいて消えたマシンの姿が、眼孔の奥に鮮烈に焼きついて離れない。
最高の技術を搭載した憧れのマシンを自分で操ってみたくて堪らなくなっていた。
もちろんドライバーのテクに拠るところも大きいわけだが、優れたテクニックにマシンの性能がちゃんと応えてくれなければああいった飛行は出来ない。
豪快で大胆な飛びっぷりに体内中をアドレナリンが駆け巡り、全身が痺れた。
期待に輝きを増した黒い瞳が褐色の肌を持つダンテを熱心に見詰める。
見詰められたダンテは本当に弱った顔をした。
ダンテはこの美しい黒曜石で出来たような年下の友人に、とことん甘くて弱い。
「そんな目で見られると参っちゃうよ。3001の試乗は、売約の予定がある顧客のみにだけと絞られているそうなんだ。特にバイクタイプはドライバーの身体能力がものをいうから、誰にでもっていう訳にはいかないらしい」
身体能力だけなら充分に自信はあるが、購入者限定となるとノアには手も足も出ない。
WING3001はBoroth社が上流層の者たちに向けて開発した、いわば高級機だ。手の届かない高嶺の花にする事で金持ちの購買意欲を煽っているのだ。
そんなマシンに平凡な一般人は乗せられないということなのだろう。
予想はしていたが、高揚して膨らんだ気持ちが一気に萎む。
この新世界は、富裕層とそうでないもの、更にその中でも細かく分かれる階層社会だ。
人種、財産、地位。
一番ものを言うのは、もちろん富だ。
そんなことを考えながら、ある男の顔が脳裏に浮かんだ。灰色の冷たい瞳。機械の様な精緻で物事を判断する自分と同じ東洋の血を引く美しくも冷徹な男。
その男が一声かければ常識は覆り、ゲームは逆転する。
白は赤に、鮮やかなオレンジはさめざめとした青に色を変える。
頭の中で男の顔を黒く塗り潰す。
自分の人生にジョ―カーは必要ない。
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<ローズ・フィーバー 4>
「ノア!」
ラウンジの灯りがつき、ガラスの前で膝を突いたまま放心していた状態から我に返った。
目の端に入ったハレーションで声の主を知る。
「まさかずっとここにいたの?」
「うん・・・まあね」
立ち上がったノアに声の主が急ぎ足で近付いてきた。
「こりゃあ、派手にやってくれたな。よくまあ無事で・・・怪我は?」
薄茶の目がガラスの亀裂を追い掛け、最後に首を横に振るノアを見た。
ピンクのシャツに黒いズボン。
ブルーのペイズリー柄のベストがサイケデリックなハレーションを起こしている。
激務からきたストレスの結果が、残念な中年太りと妙な色彩感覚となって現れた自称・元白皙の美青年は、表の仕事の同僚だ。
「ノアは今日まで外勤だったから、ここが内装工事で立ち入り禁止になっているのを知らなかったんだな」
「ふうん、だから誰もいなかったのか」 知っていた。
知っていたから、一旦帰りかけた足を誰もいないこの場所に向けたのだ。
黄昏に染まる世界を独りで見るために。
「今回の外勤は長かったみたいだけど、どうだった?セントラルアジアの連中相手は疲れただろう?」
ダンテはノアのアスクレピオス製薬における本当の仕事を知らない。
「別に、いつもと一緒だよ」
そう、いつもと一緒だ。
他人に成りすまして他国の要人に近付き、あの手この手で信頼させ、頭の中の機密を掻っ攫ってくる。
ただ今回は単独でダイビングしたせいで、ターゲットの意識下に張られたトラップに気づくのが遅れた。危うく戻って来られなくなるところを、命からがら逃げ帰った。
ふと今まで思いもしなかった考えが頭に過ぎる。
ターゲットの意識の中に捕らわれたまま帰れなくなったら、どうなるのだろう?
永遠にターゲットの記憶の中に閉じ込められるのだろうか?
もしそれが幸せな記憶の中であるなら、それも悪くないような気もする。
「ノア、涎が垂れてる」
「あ?」
はっと口を拭う仕草に、薄茶の目が嬉しそうに笑う。
他愛もないジョークに引っかかったことに気づいて眉をしかめ渋顔を作ると、ダンテは楽しくてたまらないといった風に腹を抱えて笑い出した。
つい引き込まれて、しかめた口元にも笑みとも苦笑ともつかない笑いが浮かぶ。
「ノアは普段はお澄ましキャラの癖に、ホントは結構天然なとこが大好きなんだよなあ」
「ダンテ、冗談はそのベストだけにしてくれ。さっきから、すっげえ目が痛い」
笑いながら並んで歩き出す。
2人がラウンジを出るのと入れ違いに、警官やらビル管理会社の制服を着た男達がなだれ込んだ。
目の前に横長の建物の真ん中、上部20階分をぶち抜いた巨大なアトリウムが現れる。
高さ100メートルの空間に渡された幾本かのデッキが向かいの役員棟とオフィス棟を結ぶ。その一本に
自体が発光し照明の役割をするデッキは、暗くなった巨大な空間に浮かんで見え、不思議な浮遊感を伴った。それはダイビングする時の感覚を思い出させる。
「さっきのあれWBの新型モデルだったね」
「うん。ダンテ、あのさ、」
幻想的な光の中を、中腹のエレベーターを目指して歩きながらぽつりぽつりと言葉を交わす。
「残念だけど、ダメ」
「あの、俺はまだなんにも言ってないんですけど?」
「ジャスに、WING3001の試乗を頼んでくれって言いたいんだろう?」
「あれ・・・・?」
あっさり図星をさされ、白々しい笑顔を顔に貼り付けた。
ジャスティ。通称ジャスはダンテのパートナーで、Boroth社のショールームで働いている。
ナイトブルーの機体が旋回し、今際のきわで息を吹き返す。
ドライバーとマシンが一体となってビルの谷間を閃光のごとく疾走し、ギラリと終日の残光を返しながら弧をかいて消えたマシンの姿が、眼孔の奥に鮮烈に焼きついて離れない。
最高の技術を搭載した憧れのマシンを自分で操ってみたくて堪らなくなっていた。
もちろんドライバーのテクに拠るところも大きいわけだが、優れたテクニックにマシンの性能がちゃんと応えてくれなければああいった飛行は出来ない。
豪快で大胆な飛びっぷりに体内中をアドレナリンが駆け巡り、全身が痺れた。
期待に輝きを増した黒い瞳が褐色の肌を持つダンテを熱心に見詰める。
見詰められたダンテは本当に弱った顔をした。
ダンテはこの美しい黒曜石で出来たような年下の友人に、とことん甘くて弱い。
「そんな目で見られると参っちゃうよ。3001の試乗は、売約の予定がある顧客のみにだけと絞られているそうなんだ。特にバイクタイプはドライバーの身体能力がものをいうから、誰にでもっていう訳にはいかないらしい」
身体能力だけなら充分に自信はあるが、購入者限定となるとノアには手も足も出ない。
WING3001はBoroth社が上流層の者たちに向けて開発した、いわば高級機だ。手の届かない高嶺の花にする事で金持ちの購買意欲を煽っているのだ。
そんなマシンに平凡な一般人は乗せられないということなのだろう。
予想はしていたが、高揚して膨らんだ気持ちが一気に萎む。
この新世界は、富裕層とそうでないもの、更にその中でも細かく分かれる階層社会だ。
人種、財産、地位。
一番ものを言うのは、もちろん富だ。
そんなことを考えながら、ある男の顔が脳裏に浮かんだ。灰色の冷たい瞳。機械の様な精緻で物事を判断する自分と同じ東洋の血を引く美しくも冷徹な男。
その男が一声かければ常識は覆り、ゲームは逆転する。
白は赤に、鮮やかなオレンジはさめざめとした青に色を変える。
頭の中で男の顔を黒く塗り潰す。
自分の人生にジョ―カーは必要ない。
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まだまだ導入部、どのようにお話が展開していくのか楽しみでなりません。
大丈夫、文章・描写のカッコよさ、美形の出現、充分に腐ゴコロを刺激しますから(笑)。
それに公言されているように、この先「BL」な要素がテンコ盛りなのでしょう?
きっと紙魚さんのお話ですから、華麗な世界が広がることと期待しております。
今、私が書いているのなんて、何てカテゴライズしていいやらわかりません。
「BL」ってすると、「うそつき」って言われそうだし、「現代モノ」ってすると普通(?)の読み手さんの眉根が寄りそうだし(なのに先々にはキス・シーンすらない・笑)。
本当は人様のお話を読んでいる時期じゃないのですが、我慢出来ませんです(ダメぢゃん)