01 ,2011
レジ男 1
レジ男 1
何が珍しいワケではない。
だが俺はその場につっ立ったまま目を瞬かせた。
レジに立つパートの男。
大卒が就職にあぶれ、リストラの嵐が吹き荒れる無常の昨今、若い男がレジに立つのは今時の風景だ。
俺の目を釘付けにするのは男の手元。レジ台のカゴの中だった。
バーコードを赤い光でスキャンされた歯ブラシやシェービング缶、小分けパックの惣菜。なにもかもがひとり分の日用品と食品が整然とカゴを埋めてゆく。種類、高さ、幅。規律があるかのようなカゴの中は、それはそれは計算されたかのような美しさなのだ。
上の空で無差別に放り込み、カゴ2つに膨らんだ商品たちが、次とひとつのカゴに収まり秩序を取り戻してゆく。コンパクトにまとまったカゴは恋人との関係を精算し、今夜から独り暮らしに戻る自分の、清潔で整理整頓された生活そのものに見えた。
2時間ほど前の会社の階段室での言い争いを思い出せば、気分がどんより滅入ってすぐに怒りに代わる。
あんなヤツ・・・別れて、清々する。
別れた恋人の良平はだらしのない男だった。
乞われる形でスタートした同棲生活は、初っ端から衝撃の連続だった。 初めての同棲に甘い夢を抱きつつ、良平のマンションに踏み込んだ俺はその場で凍りついた。 どうやって中に入ればいいのか、わからなかったのだ。
雑誌や服、生活ゴミが堆積した廊下には踏み場がなく、ブルドーザーが必要なのではないかと思ったほどだ。
いや、ブルドーザーは隣にいた。
良平は嫌がる俺をひょいと抱き上げると、足で床に散らばるゴミをぞんざいに蹴散らし、「嫁入りみたいだろう」 などとぬかしながら魔の巣窟のその奥へと俺を運んでいった。
心霊スポットに無理矢理連れて行かれるようなおぞましさに、もちろん俺は半狂乱で抗議した。
だが、部屋の散らかりなんぞは、まだいいほうだった。流しで山積みになったコンビニのトレイの間から匂ってくる饐えた腐敗臭といったら・・・ 今思い出すだけでも、鼻を掻き毟りたくなる。
皺くちゃのシーツに放り込まれ、野獣のように襲ってきた良平を、俺は渾身のアッパーで弾き飛ばしてやった。それから夜を徹して部屋を片付け、洗い物をし、トイレを磨き、洗濯機を回し、掃除機をかけた。
ようやく全てが終わった時にはすっかり夜が明け、恋人は拗ねて不貞寝をしていた。 シーツのないベッドで高鼾を掻く同期の男を見ながら、それまで俺の部屋でばかり会いたがった理由を理解した。
不安という名の溜息がチリひとつ落ちていない床に転がった。
潔癖王子と陰口されるほど清潔好きな俺の人生初の同棲生活は、こうして愛の巣の扉が開いたその瞬間に儚く砕け、無残な現実を知ることとなる。
それでも、良平とは別れなかった。
私生活はともかく、会社での良平は俺の好みど真ん中の男だった。
同期の中でも飛びぬけて頭が切れ、大人っぽくて、締まった体躯にばりっとスーツを着こなす。何より、良平の顔はこれまで付き合ったどの男より好きな顔だ。 高い頬骨、太い眉。眼光鋭い一重の三白眼で見つめられると、もう堪らなかった。
良平がやらないのなら得意な自分がやればいい。家事の一切を、俺は引き受けた。
自分には好きな男と暮らすという、多少の苦労を差し引いても余りある悦びがある。
そう自分に言い聞かせた。
だが、ものごとには限界がある。もちろん愛にもだ。
昨夜、良平は女物のコロンと安物のボディソープの匂いをセットで身につけてご帰還あそばされた。怒り狂った俺は、作った晩飯を良平の目の前でゴミ箱にぶち込み、空になった皿を投げつけた。
皿は良平を逸れたが、壁で砕けて破片が良平の頬を掠め浅い傷をつけた。
一夜明け、関係を解消し自分のマンションに戻ることを告げた俺に、良平は傷害罪だの何だの難癖をつけて別れを撤回しろと迫った。最悪だ。
良平の浮気は病気みたいなもので、これまでも幾度となく苦い目に遭ってきた。発覚する度、言い争いになり、痴話喧嘩の末に宥められてうやむやのまま元の形に戻る。この繰り返しだった。
いい加減な生活態度同様、今回もなあなあで済まそうとした良平にとうとう俺はキレた。
好きだからこそ許してきたし、好きだからこそ限界だった。
「8,356円になります」
「はい・・・?」
我にかえって顔を上げると、自分をじっと見ているレジの青年と目が合った。
「ああ、悪い。いくらだって?」
「8,356円です」
レジスターの金額を指差しながら繰り返すと、気のせいか青年がくすっと笑った気がした。
青年がレジ袋に入れた卵のパックを、そっとカゴの上に置く。 誂えたかのような窪みにすっぽりとパックが収まった。
完璧だ。 秩序とはまさにこのことをいうのだ。
整然と纏まったカゴの中身と、浮気男との別れを決意した自分に、拍手喝采だ。
「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
丁寧にお辞儀をしてくれるレジ男君に晴れやかな笑顔を残して、レジを後にした。
良平にそそのかされて、自分のマンションを売るような真似をしなくて正解だった。
秩序と法則、そして衛生で守られた新しい生活よ、ウェルカムだ。
意気揚々とスーパーを出た俺に、晩秋の冷たい風が吹きつける。
がっくりと自分の肩が落ちるのを自覚した。
良平が好きだった。
掃除も洗濯も嫌じゃなかった。料理だって良平が食べてくれると思ったから腕を振るった。
良平が自分に甘えて、まかされっきりになっている生活を、幸福だと思っていた。
もし良平が謝ってちゃんと言い訳してくれたら、俺はきっと許していたと思う。
売り言葉に買い言葉みたいな別れ方なんて。
後悔と未練がしこりになって残っている自分が惨めで情けなくなる。
しかも、良平とは同じ職場だ。社内で鉢合わせしでもしたらどんな顔をしたらいいのかわからない。
当分の間、総務部のあるフロアーと食堂は鬼門だ。
ふと、視線を感じて振り返るとレジ男と目が合った。
店の前をいつまでも去らない買い物男を不審に思っているのかもしれない。
どうにもアクションに困っていると、レジ男はふっと柔らかい笑顔を浮かべ、「またどうぞ」 と口の形だけで言い、ぺこりと頭を下げてくれた。
次に進む
何が珍しいワケではない。
だが俺はその場につっ立ったまま目を瞬かせた。
レジに立つパートの男。
大卒が就職にあぶれ、リストラの嵐が吹き荒れる無常の昨今、若い男がレジに立つのは今時の風景だ。
俺の目を釘付けにするのは男の手元。レジ台のカゴの中だった。
バーコードを赤い光でスキャンされた歯ブラシやシェービング缶、小分けパックの惣菜。なにもかもがひとり分の日用品と食品が整然とカゴを埋めてゆく。種類、高さ、幅。規律があるかのようなカゴの中は、それはそれは計算されたかのような美しさなのだ。
上の空で無差別に放り込み、カゴ2つに膨らんだ商品たちが、次とひとつのカゴに収まり秩序を取り戻してゆく。コンパクトにまとまったカゴは恋人との関係を精算し、今夜から独り暮らしに戻る自分の、清潔で整理整頓された生活そのものに見えた。
2時間ほど前の会社の階段室での言い争いを思い出せば、気分がどんより滅入ってすぐに怒りに代わる。
あんなヤツ・・・別れて、清々する。
別れた恋人の良平はだらしのない男だった。
乞われる形でスタートした同棲生活は、初っ端から衝撃の連続だった。 初めての同棲に甘い夢を抱きつつ、良平のマンションに踏み込んだ俺はその場で凍りついた。 どうやって中に入ればいいのか、わからなかったのだ。
雑誌や服、生活ゴミが堆積した廊下には踏み場がなく、ブルドーザーが必要なのではないかと思ったほどだ。
いや、ブルドーザーは隣にいた。
良平は嫌がる俺をひょいと抱き上げると、足で床に散らばるゴミをぞんざいに蹴散らし、「嫁入りみたいだろう」 などとぬかしながら魔の巣窟のその奥へと俺を運んでいった。
心霊スポットに無理矢理連れて行かれるようなおぞましさに、もちろん俺は半狂乱で抗議した。
だが、部屋の散らかりなんぞは、まだいいほうだった。流しで山積みになったコンビニのトレイの間から匂ってくる饐えた腐敗臭といったら・・・ 今思い出すだけでも、鼻を掻き毟りたくなる。
皺くちゃのシーツに放り込まれ、野獣のように襲ってきた良平を、俺は渾身のアッパーで弾き飛ばしてやった。それから夜を徹して部屋を片付け、洗い物をし、トイレを磨き、洗濯機を回し、掃除機をかけた。
ようやく全てが終わった時にはすっかり夜が明け、恋人は拗ねて不貞寝をしていた。 シーツのないベッドで高鼾を掻く同期の男を見ながら、それまで俺の部屋でばかり会いたがった理由を理解した。
不安という名の溜息がチリひとつ落ちていない床に転がった。
潔癖王子と陰口されるほど清潔好きな俺の人生初の同棲生活は、こうして愛の巣の扉が開いたその瞬間に儚く砕け、無残な現実を知ることとなる。
それでも、良平とは別れなかった。
私生活はともかく、会社での良平は俺の好みど真ん中の男だった。
同期の中でも飛びぬけて頭が切れ、大人っぽくて、締まった体躯にばりっとスーツを着こなす。何より、良平の顔はこれまで付き合ったどの男より好きな顔だ。 高い頬骨、太い眉。眼光鋭い一重の三白眼で見つめられると、もう堪らなかった。
良平がやらないのなら得意な自分がやればいい。家事の一切を、俺は引き受けた。
自分には好きな男と暮らすという、多少の苦労を差し引いても余りある悦びがある。
そう自分に言い聞かせた。
だが、ものごとには限界がある。もちろん愛にもだ。
昨夜、良平は女物のコロンと安物のボディソープの匂いをセットで身につけてご帰還あそばされた。怒り狂った俺は、作った晩飯を良平の目の前でゴミ箱にぶち込み、空になった皿を投げつけた。
皿は良平を逸れたが、壁で砕けて破片が良平の頬を掠め浅い傷をつけた。
一夜明け、関係を解消し自分のマンションに戻ることを告げた俺に、良平は傷害罪だの何だの難癖をつけて別れを撤回しろと迫った。最悪だ。
良平の浮気は病気みたいなもので、これまでも幾度となく苦い目に遭ってきた。発覚する度、言い争いになり、痴話喧嘩の末に宥められてうやむやのまま元の形に戻る。この繰り返しだった。
いい加減な生活態度同様、今回もなあなあで済まそうとした良平にとうとう俺はキレた。
好きだからこそ許してきたし、好きだからこそ限界だった。
「8,356円になります」
「はい・・・?」
我にかえって顔を上げると、自分をじっと見ているレジの青年と目が合った。
「ああ、悪い。いくらだって?」
「8,356円です」
レジスターの金額を指差しながら繰り返すと、気のせいか青年がくすっと笑った気がした。
青年がレジ袋に入れた卵のパックを、そっとカゴの上に置く。 誂えたかのような窪みにすっぽりとパックが収まった。
完璧だ。 秩序とはまさにこのことをいうのだ。
整然と纏まったカゴの中身と、浮気男との別れを決意した自分に、拍手喝采だ。
「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
丁寧にお辞儀をしてくれるレジ男君に晴れやかな笑顔を残して、レジを後にした。
良平にそそのかされて、自分のマンションを売るような真似をしなくて正解だった。
秩序と法則、そして衛生で守られた新しい生活よ、ウェルカムだ。
意気揚々とスーパーを出た俺に、晩秋の冷たい風が吹きつける。
がっくりと自分の肩が落ちるのを自覚した。
良平が好きだった。
掃除も洗濯も嫌じゃなかった。料理だって良平が食べてくれると思ったから腕を振るった。
良平が自分に甘えて、まかされっきりになっている生活を、幸福だと思っていた。
もし良平が謝ってちゃんと言い訳してくれたら、俺はきっと許していたと思う。
売り言葉に買い言葉みたいな別れ方なんて。
後悔と未練がしこりになって残っている自分が惨めで情けなくなる。
しかも、良平とは同じ職場だ。社内で鉢合わせしでもしたらどんな顔をしたらいいのかわからない。
当分の間、総務部のあるフロアーと食堂は鬼門だ。
ふと、視線を感じて振り返るとレジ男と目が合った。
店の前をいつまでも去らない買い物男を不審に思っているのかもしれない。
どうにもアクションに困っていると、レジ男はふっと柔らかい笑顔を浮かべ、「またどうぞ」 と口の形だけで言い、ぺこりと頭を下げてくれた。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
みなさま、お久しぶりでございます。
何気に更新のやり方を忘れている紙魚です。
お年始のご挨拶もせず、ひたすら潜りっぱなしで大変失礼を致しました。
そして、久しぶりの更新ですのに、内容は起伏の無い、Rも無い、リハビリのような短編です。
このコメントを書きながら、キスくらいどこかに入れようかな・・・と思い始めました・・・・
それくらい今回ラヴいシーンはないです。まあええわ~、とお思いの方、どうぞお付き合いお願いします。
更新は、一日おきで4~5話で収まると思います。
紙魚


みなさま、お久しぶりでございます。
何気に更新のやり方を忘れている紙魚です。
お年始のご挨拶もせず、ひたすら潜りっぱなしで大変失礼を致しました。
そして、久しぶりの更新ですのに、内容は起伏の無い、Rも無い、リハビリのような短編です。
このコメントを書きながら、キスくらいどこかに入れようかな・・・と思い始めました・・・・
それくらい今回ラヴいシーンはないです。まあええわ~、とお思いの方、どうぞお付き合いお願いします。
更新は、一日おきで4~5話で収まると思います。
紙魚


今日、村を散歩してて良かったぁ~ルン♪ (≧▽≦) ルン♪
「レジ男」ってタイトルが 面白い!
すぐに 目に付いたし~(◎◎)b✫
潔癖症な彼と 不潔症(?)な良平との同棲生活の ”終わり”から 物語が”始まる”だなんて 設定も 興味惹かれますね。
紙魚さまの新作品が 読めるなんて 嬉しい☆彡ワァ──o(。´・∀・`。)o──ィ♪byebye☆