10 ,2010
In the blue.On the island. 6 (完)
揺られる感覚に目が覚めた。
廊下を周に抱かれて運ばれていた。天井で風雨に煽られた中庭の木々の影がゆれる。享一の息を吹き返す微かな気配に周が足を止めた。
「降りるから」 一体どれだけ声を上げたのか、と思うほど掠れた自分の声に苦笑した。つもりだったが、実際は口端すら上がっていない。
「このままベッドに運んでやるから、寝てていいぞ」
「でも、風呂に入らないと」
アイスやシャンパン、それに口に出すのも憚れるようなものやらで躰中ベトベトの筈だ。抱きかかえている周も汚してしまうと、硬い胸を押すと却って強く抱き直される。
「享一の躰は隅々まで綺麗にしたから、風呂の必要はない」
「え?」
そういえば、あの独特のつっぱったような感じや、ベタつきはどこにも感じられない。薄い外からの明りで、自分が寝巻き代わりにしているTシャツと薄手の綿パンを身につけているのがわかる。
「湯の使えるキッチンは便利でいいな。後始末も簡単だし、シャンプーするのも楽だし・・・・何よりも、享一がエロくて最高だった。たまにはベッド以外でやるのも悪くないな」
後半はひとり言のように含み笑う。瞬時に朱く染まり上がった享一が首を振った。
もちろん横にだ。
高い台の上に乗せられて光の下に何もかも曝け出して、周に乞われるままにポーズをとった。周の嬉しそうな顔に乗せられ恥を忘れて、ほいほい痴態を披露した。
周にいいように料理され、自ら恥を晒した自分が情けない。
そのことに興奮した自分は、もっと恥ずかしい。
「ちゃんとバニラアイスを自分で用意したところも享一は偉かった」
「は?」 用意ってなんだ?
「ナッツやドラフルーツの入ったフレーバーだったら、色々後が大変そうだからな」
あの『でかした』はそういう意味だったのか。単純に、周に褒められ喜んだ自分が悔しい気がしてきた。
「出来のいい生徒が持てて僕は満足です」 実際に満足げに微笑む薄い唇が、赤面した仏頂面の額にちゅっと音を立ててキスをする。
「頼むから、トレーナーはもう勘弁して・・・」 羞恥と割り切れない気持ちに染まった目許がうっすら涙目になる。
非日常的な状況に我を失った。そう思うことで自分を慰めた。
柔らかなベッドに下ろされる。ぼんやりと寝室を照らす間接照明に包まれて、使い慣れた枕代わりのクッションに顔を埋める。長い激務から解放され、頭を抱えたくなるような情交を経て、ようやく日常に戻れた安堵感に思わず言葉にならない声が漏れた。
ベッドに座った周の長い指が俯いた享一の髪を梳く。温かい掌に何度も撫でられ、あまりの心地よさにうとうとし始めころ、周が静かに話し始めた。
「俺は享一と再会するまで、誰かを自分に縛り付けたいと思ったことなど無かった」
クッションに埋もれた頭を少しずらして周を見上げる。
雨音は静かな夜に、しとしとと続いている。こんな夜は二人でいるのがいい。
「自分が大切な人だと思うなら尚のこと、その行動や思考を自分に縛りつけるという行為は愚かだと」
周は伯父の会社の駒として、8年という歳月を神前雅巳の愛人として過ごした。捕らわれ蹂躙され生殺しの状態で、あの狂気の男に繋がれ続けたのだ。
誇り高き男は怒りと屈辱を呑み込みながら、忍耐強く自由を手に入れるチャンスを探し続け、自分でその運命を切り開いた。普通の人間なら、途中で心が折れて全てを諦めていただろう。
いま見上げる横顔はただただ冷静で、表情らしいものはない。だが瞳の陰鬱とした翳りに、周に残る乾ききらない傷を見たようで、享一は我知らず身を起こした。
向かい合う形で周の前に座り、翠の瞳を凝視する。
しかし、享一を見返す翠の瞳からは翳りはきれいに消え去り、かわりに温かい指先が頬に当てられた。その指を享一の手が遮る。
「アマネ・・・」 黒曜石の強い眼差しを、翠の瞳がさりげなく躱す。
「特別な人がずっと変わらず特別であるために、大好きな人には自由でいてもらいたい。そうあるべきだと思っていた」
周は、自分は神前と同じ業の深い人間なのだと言った事があった。
「だが、ここのところ日増しに擦れ違う時間が増えてきて、比例するように享一を独占したい気持ちが強くなる。独占欲が人一倍強く、嫉妬深くて傲慢な自分をいやが上にも見つけてしまう。今日みたいな自分の狭量さが、いまに享一を潰してしまうんじゃないか、そう思って不安になる時がある」
周は自分にスポーツクラブを諦めさせた事に対して、迷いと戸惑いを感じているようだった。
「神前と同じ轍を踏んではいけないと自分に釘を指しても、相手はただの同僚だとわかっていても、心の中に渦巻く嫉妬や邪推が抑えられなくなる」
「アマネ……」 シャープなラインを描く周の頬に今度は自分が手を伸ばした。
自信の塊のようなこの男が自分に感じる不安とは、一体どんなものなのだろうか。
「周、好きな人が出来れば、誰でも欲が深くなる。好きな相手には誰だってそうなるんじゃないかな。俺は、周が自分の傷や弱さも安心して見せられる相手になりたい。これは俺の欲で・・・業だ」
周が澱みのない翠の瞳を向けてきた。透き通っていて、どこまでも見通してしまいそうな俺の大好きな瞳だ。
「俺は、ちょっと鬱陶しいかなと思う反面、周のそんな嫉妬も俺を好きでいてくれる証かなって、嬉しかったりもするし、逆に周にもっと甘えて欲しいと思っているけど?」
指の先で、綺麗な翡翠の目がすうっと細まる。
「嬉しい・・・・?」
何か拙いことを言ったかもしれない・・・そう思ったときには唇が重なり、全身で周の重みを受け止めていた。
「それはよかった。享一の水着姿を他の男の目に晒すくらいなら、ここと大森建設のある区のスポーツクラブを全部潰してやろうかって思っていた」
耳元で声が笑う。享一も力の抜けた声で笑った。
「どう考えても、ソレ無理だろう。それより素直になって俺を説得した方がどう考えても早いって・・・ほら、説得してみて」
周の首に腕を回せば、薄い唇が喉を這い柔らかい耳の下を吸う。
自分でも恥ずかしくなるような甘い声が漏れた。
つまるところ、俺はこの男にどうしようもないくらい惚れている。
擦れ違った時間の分、いやそれ以上たくさんたくさん甘やかしたい。
雨はいつしか止み、ふたり分の重さを受け止める乾いたシーツの擦れる音だけが鼓膜を擽った。
― 終 ―
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翠滴 1―1 →
翠滴 2―1 →
翠滴 3―1 →
廊下を周に抱かれて運ばれていた。天井で風雨に煽られた中庭の木々の影がゆれる。享一の息を吹き返す微かな気配に周が足を止めた。
「降りるから」 一体どれだけ声を上げたのか、と思うほど掠れた自分の声に苦笑した。つもりだったが、実際は口端すら上がっていない。
「このままベッドに運んでやるから、寝てていいぞ」
「でも、風呂に入らないと」
アイスやシャンパン、それに口に出すのも憚れるようなものやらで躰中ベトベトの筈だ。抱きかかえている周も汚してしまうと、硬い胸を押すと却って強く抱き直される。
「享一の躰は隅々まで綺麗にしたから、風呂の必要はない」
「え?」
そういえば、あの独特のつっぱったような感じや、ベタつきはどこにも感じられない。薄い外からの明りで、自分が寝巻き代わりにしているTシャツと薄手の綿パンを身につけているのがわかる。
「湯の使えるキッチンは便利でいいな。後始末も簡単だし、シャンプーするのも楽だし・・・・何よりも、享一がエロくて最高だった。たまにはベッド以外でやるのも悪くないな」
後半はひとり言のように含み笑う。瞬時に朱く染まり上がった享一が首を振った。
もちろん横にだ。
高い台の上に乗せられて光の下に何もかも曝け出して、周に乞われるままにポーズをとった。周の嬉しそうな顔に乗せられ恥を忘れて、ほいほい痴態を披露した。
周にいいように料理され、自ら恥を晒した自分が情けない。
そのことに興奮した自分は、もっと恥ずかしい。
「ちゃんとバニラアイスを自分で用意したところも享一は偉かった」
「は?」 用意ってなんだ?
「ナッツやドラフルーツの入ったフレーバーだったら、色々後が大変そうだからな」
あの『でかした』はそういう意味だったのか。単純に、周に褒められ喜んだ自分が悔しい気がしてきた。
「出来のいい生徒が持てて僕は満足です」 実際に満足げに微笑む薄い唇が、赤面した仏頂面の額にちゅっと音を立ててキスをする。
「頼むから、トレーナーはもう勘弁して・・・」 羞恥と割り切れない気持ちに染まった目許がうっすら涙目になる。
非日常的な状況に我を失った。そう思うことで自分を慰めた。
柔らかなベッドに下ろされる。ぼんやりと寝室を照らす間接照明に包まれて、使い慣れた枕代わりのクッションに顔を埋める。長い激務から解放され、頭を抱えたくなるような情交を経て、ようやく日常に戻れた安堵感に思わず言葉にならない声が漏れた。
ベッドに座った周の長い指が俯いた享一の髪を梳く。温かい掌に何度も撫でられ、あまりの心地よさにうとうとし始めころ、周が静かに話し始めた。
「俺は享一と再会するまで、誰かを自分に縛り付けたいと思ったことなど無かった」
クッションに埋もれた頭を少しずらして周を見上げる。
雨音は静かな夜に、しとしとと続いている。こんな夜は二人でいるのがいい。
「自分が大切な人だと思うなら尚のこと、その行動や思考を自分に縛りつけるという行為は愚かだと」
周は伯父の会社の駒として、8年という歳月を神前雅巳の愛人として過ごした。捕らわれ蹂躙され生殺しの状態で、あの狂気の男に繋がれ続けたのだ。
誇り高き男は怒りと屈辱を呑み込みながら、忍耐強く自由を手に入れるチャンスを探し続け、自分でその運命を切り開いた。普通の人間なら、途中で心が折れて全てを諦めていただろう。
いま見上げる横顔はただただ冷静で、表情らしいものはない。だが瞳の陰鬱とした翳りに、周に残る乾ききらない傷を見たようで、享一は我知らず身を起こした。
向かい合う形で周の前に座り、翠の瞳を凝視する。
しかし、享一を見返す翠の瞳からは翳りはきれいに消え去り、かわりに温かい指先が頬に当てられた。その指を享一の手が遮る。
「アマネ・・・」 黒曜石の強い眼差しを、翠の瞳がさりげなく躱す。
「特別な人がずっと変わらず特別であるために、大好きな人には自由でいてもらいたい。そうあるべきだと思っていた」
周は、自分は神前と同じ業の深い人間なのだと言った事があった。
「だが、ここのところ日増しに擦れ違う時間が増えてきて、比例するように享一を独占したい気持ちが強くなる。独占欲が人一倍強く、嫉妬深くて傲慢な自分をいやが上にも見つけてしまう。今日みたいな自分の狭量さが、いまに享一を潰してしまうんじゃないか、そう思って不安になる時がある」
周は自分にスポーツクラブを諦めさせた事に対して、迷いと戸惑いを感じているようだった。
「神前と同じ轍を踏んではいけないと自分に釘を指しても、相手はただの同僚だとわかっていても、心の中に渦巻く嫉妬や邪推が抑えられなくなる」
「アマネ……」 シャープなラインを描く周の頬に今度は自分が手を伸ばした。
自信の塊のようなこの男が自分に感じる不安とは、一体どんなものなのだろうか。
「周、好きな人が出来れば、誰でも欲が深くなる。好きな相手には誰だってそうなるんじゃないかな。俺は、周が自分の傷や弱さも安心して見せられる相手になりたい。これは俺の欲で・・・業だ」
周が澱みのない翠の瞳を向けてきた。透き通っていて、どこまでも見通してしまいそうな俺の大好きな瞳だ。
「俺は、ちょっと鬱陶しいかなと思う反面、周のそんな嫉妬も俺を好きでいてくれる証かなって、嬉しかったりもするし、逆に周にもっと甘えて欲しいと思っているけど?」
指の先で、綺麗な翡翠の目がすうっと細まる。
「嬉しい・・・・?」
何か拙いことを言ったかもしれない・・・そう思ったときには唇が重なり、全身で周の重みを受け止めていた。
「それはよかった。享一の水着姿を他の男の目に晒すくらいなら、ここと大森建設のある区のスポーツクラブを全部潰してやろうかって思っていた」
耳元で声が笑う。享一も力の抜けた声で笑った。
「どう考えても、ソレ無理だろう。それより素直になって俺を説得した方がどう考えても早いって・・・ほら、説得してみて」
周の首に腕を回せば、薄い唇が喉を這い柔らかい耳の下を吸う。
自分でも恥ずかしくなるような甘い声が漏れた。
つまるところ、俺はこの男にどうしようもないくらい惚れている。
擦れ違った時間の分、いやそれ以上たくさんたくさん甘やかしたい。
雨はいつしか止み、ふたり分の重さを受け止める乾いたシーツの擦れる音だけが鼓膜を擽った。
― 終 ―
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翠滴 1―1 →
翠滴 2―1 →
翠滴 3―1 →
□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
残業疲れもなんのその。享一元気です(若いもの・・・(*ノェノ)キャ
何とか時間に間に合いましたε-(;ーωーA フゥ…。 このお話は今回でおしまいです。
リクエストを下さったAさま、最後までお読みくださったみなさま、本当にありがとうございました。
明日、ちょこっとご挨拶を挟んで夜からランキングを抜けます。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けませんが、書いていく励みになります。。


残業疲れもなんのその。享一元気です(若いもの・・・(*ノェノ)キャ
何とか時間に間に合いましたε-(;ーωーA フゥ…。 このお話は今回でおしまいです。
リクエストを下さったAさま、最後までお読みくださったみなさま、本当にありがとうございました。
明日、ちょこっとご挨拶を挟んで夜からランキングを抜けます。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けませんが、書いていく励みになります。。


最終回、享一がアマネさまと同じ土俵に乗った風格を出しましたね。
包み込むようなアマネへの愛!
甘えっ子になるアマネちゃま。
怒涛の「翠滴」本編から、嵐の中守られたペントハウスで甘く過ごす二人が読めてホント満足です。
明日の夜、ランキング抜けなのですね。
リンクから通わせて頂きます。
きっと、また素敵なお話が読めると信じて!
紙魚さんの素敵イラストも楽しみにしてます。
お忙しくなっている様子。お体に気をつけて!
私たちに「翠滴」を届けてくれた事に心から感謝します。
ありがとうございました。