09 ,2010
眠りの海で青い魚は恋をする 2
この記事は第2話です。1話から読まれる方は眠りの海で青い魚は恋をする 1へどうぞ。
『眠りの海で青い魚は恋をする 2』
「和輝?」
隆典は目を見開き、玄関のドアを大きく開けた。
和輝が彼と会うのは六年ぶり、高校二年の夏休み以来である。背はあの頃より十センチ高くなり、面差しも大人びたものに変わったと自覚している和輝に比べ、隆典はさほどに変わっていない。子供と大人とでは、これほどに時間の進み具合は違うものなのかと、和輝は今更ながらに二十一才の年齢差を、そして自分の若さを痛感した。
しかしまったく変わっていないと言えないことにも気づく。目線の高さが同じくらいになったせいか、隆典は小さく見えた。心なしか顎が細くなり、頬に影も入って、それが全体的に小さくなった印象を与えているのだろう。
――少し、痩せたな
和輝は自分より大きな彼しか知らない。肩が並ぶ日の来ることを想像出来ずにいた。それでも早く大人になって、彼の前に立ちたかった。会いたくても会えずにいた六年の年月が、和輝の願いを叶えてくれたかのようだ。
「大きくなったな。すっかり見違えた。事前に聞いていたのに驚いたよ」
和輝は大学の卒業旅行先にカナダを選んだ。
前回訪れた時、大学受験が終わるまで来るなと隆典に言われた。受験が終わると、今度は隆典の多忙を理由に断られ続ける。大学の三年、四年次は和輝自身が就職活動や卒業制作で忙しくなった。アルバイトをする暇がなく、それまでの貯金は見る間に雑多なことに消え、渡航費を捻出する余裕がなかった。隆典も由利も、成人した息子に遊びのための小遣いや旅費を都合する考えがない。またその教えが浸透した和輝は、言えば援助してくれるであろう優しい『おじ』の享一に頼ることを好しとしなかった。誰よりも早く就職の内定を決めて卒業制作の目途をつけ、年末年始もなくアルバイトに明け暮れた。そうしてやっと卒業までの半月をカナダで過ごせる程度の資金を貯めたのである。
「卒業祝いと就職祝いを直接もらいに行くよ」
そう連絡すると、受話器の向こう側で隆典が声を上げて笑った。彼の笑い声に、和輝の耳の奥は熱くなった。
六年ぶりに訪れた懐かしいメゾネットタイプのコンドミニアム。通された居間はその住人同様、一見、変わっていなかった。
木製のアンティーク家具に、濃淡の差こそあれベージュ色で統一されたカーテンや布張りのソファやクッションは、南向きに大きく切り取られた掃き出し窓から入る陽光と相まって、暖かな印象を与えている。が、それらは以前と同じでありながら、部屋にはおよそ生活感がなかった。きれいに整頓され、無駄なものが一切ない。モデル・ハウスの一室のようで、なぜだかとても『他人行儀』な部屋だ。
ソファの続きに置かれたサイド・テーブルに、和輝は目を向けた。中央には自然の石目を木星に見立てた大理石の球体があって、それをずらす。和輝がつけた、あるはずの疵はなかった。確かに記憶の中のテーブルと同じであるのに。
壁紙もそうだ。落書きが消えている。和輝が初めてここを訪れた時に描いた青い魚群の拙い絵。美しさを計算された居間には不似合いに過ぎ、成長した和輝自身が恥ずかしくて「もう消したら?」と言っても、隆典は消さずにそのままにしていた。
「どうかしたのか?」
ぼんやりと立って、無意識に『思い出』を見出そうとしていた和輝に、背後から隆典の声がかかった。
「なんでもない」
和輝はそう言うとソファに腰を下ろした。ひどく居心地が悪い。ここも自分の家だと思っていたのに、動作の一つ一つに気を遣う。隆典は、ここで本当に生活しているのだろうかと疑いたくなるくらいだった。
少し離れて隆典が和輝の隣に座った。そこからはお定まりの会話だ。間近に迫った大学の卒業を祝う言葉から始まり、就職先について尋ねられた。和輝は由利と同じ建築の方向に進み、大手ゼネコンに就職が内定している。そのことを話すと、「蛙の子は蛙だな」と隆典が感慨深げに呟いた。
『蛙』とは誰を指すのか、流し見る先の隆典の横顔からは量れない。本来であれば設計の仕事に就く母親の由利のことだろうが、和輝にはもう一人、心当たりがあった。
自分の頬に刺さる視線を感じたのか、隆典が和輝を見た。まともに目が合って、先に逸らしたのは隆典だ。『蛙』が誰なのか、その様子から和輝は察する。今や和輝は面差しのみならず声までもが時見享一にそっくりで、疑いようのない血の繋がりと濃さを現していたからだ。隆典の目の逸らし方は不自然だったが、和輝はそ知らぬふりをした。
久しぶりでぎこちない親子の会話は、時折、間を挟みながらもぼつぼつと続いた。
和輝は隆典に会ったら、話したいことがたくさんあった。会えなかった六年の出来事を話すつもりだったし、隆典の六年も聞きたかった。しかし彼の顔を見た途端、会いたかったことだけがクローズアップされる。用意した話の種は撒かれる時期を逸し、うまく話せない。
他人行儀な居間同様、居心地の悪さは否めず、それに伴って奇妙な緊張感が和輝を圧迫する。会話内の間(ま)が長くなり始めた時、電話が鳴った。和輝の緊張は緩んだ。
「すまない、和輝。トラブルが起こって、少し出かけてくる。そんなに遅くならないと思うけど」
「いいよ。ウィーク・デイだものね。本当は仕事なんじゃないの?」
「ちゃんと休みは取ってあるんだ。何しろ数年ぶりで息子に会えるんだからな」
隆典はそう言うと、くしゃくしゃと和輝の頭を撫でた。
着替えるために立ち上がり際、隆典は和輝の部屋はそのままだからと言い置いた。
「俺の部屋、まだあるの?」
「あたりまえじゃないか。ここは和輝の家でもあるんだから」
――俺だって、そう思ってた。でも…
同じで違うこともある。実際、この居間に限らず、廊下もキッチンも、どこかよそよそしい。壁紙は張り替えられ、カーテンもよく見ると模様が違っている。確かに長年住んでいるのだからリフォームはするだろうが、知らない間の変化はたとえ微細でも和輝を寂しくさせた。自分の部屋までなくなっているのではないかと思うのも仕方がない。
十分ほどしてチャコール・グレイのスーツに着替え、コートを手にした隆典が居間に入ってきた。ブリーフケースの中身を確認し、腕時計で時間を見る。仕事モードに入った隆典は、和輝の記憶の中の隆典だった。変わっていない彼の部分を見つけ、和輝は自然と笑みがこぼれ、その姿に見惚れた。
玄関ドアのところまでついて行く。隆典の背中に話しかけた。
「スーツ、似合うね。俺も就活でスーツ着たけど、借り物みたいだった」
ドアノブに手をかけた隆典は振り返った。
「着慣れているからさ。和輝だって、何年かすると身につくようになる。就職祝いに作ってやろうか? 良いテーラーを知っているから」
「だったら、一着くれない?」
「サイズが合わないだろう?」
「もう変わらないよ。背だって、ほら」
和輝は一歩近寄って、彼の目の前に立って見せる。「本当だ」と隆典は笑った。笑顔も昔の隆典のものに戻った。少しずつだが、時間が遡って行く。帰ってきたらまたぎこちなくなってしまわないだろうか。和輝は仕事の呼び出しが恨めしかった。
ドアを開けるとサングラスをした背の高い男が立っていた。
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『眠りの海で青い魚は恋をする 2』
「和輝?」
隆典は目を見開き、玄関のドアを大きく開けた。
和輝が彼と会うのは六年ぶり、高校二年の夏休み以来である。背はあの頃より十センチ高くなり、面差しも大人びたものに変わったと自覚している和輝に比べ、隆典はさほどに変わっていない。子供と大人とでは、これほどに時間の進み具合は違うものなのかと、和輝は今更ながらに二十一才の年齢差を、そして自分の若さを痛感した。
しかしまったく変わっていないと言えないことにも気づく。目線の高さが同じくらいになったせいか、隆典は小さく見えた。心なしか顎が細くなり、頬に影も入って、それが全体的に小さくなった印象を与えているのだろう。
――少し、痩せたな
和輝は自分より大きな彼しか知らない。肩が並ぶ日の来ることを想像出来ずにいた。それでも早く大人になって、彼の前に立ちたかった。会いたくても会えずにいた六年の年月が、和輝の願いを叶えてくれたかのようだ。
「大きくなったな。すっかり見違えた。事前に聞いていたのに驚いたよ」
和輝は大学の卒業旅行先にカナダを選んだ。
前回訪れた時、大学受験が終わるまで来るなと隆典に言われた。受験が終わると、今度は隆典の多忙を理由に断られ続ける。大学の三年、四年次は和輝自身が就職活動や卒業制作で忙しくなった。アルバイトをする暇がなく、それまでの貯金は見る間に雑多なことに消え、渡航費を捻出する余裕がなかった。隆典も由利も、成人した息子に遊びのための小遣いや旅費を都合する考えがない。またその教えが浸透した和輝は、言えば援助してくれるであろう優しい『おじ』の享一に頼ることを好しとしなかった。誰よりも早く就職の内定を決めて卒業制作の目途をつけ、年末年始もなくアルバイトに明け暮れた。そうしてやっと卒業までの半月をカナダで過ごせる程度の資金を貯めたのである。
「卒業祝いと就職祝いを直接もらいに行くよ」
そう連絡すると、受話器の向こう側で隆典が声を上げて笑った。彼の笑い声に、和輝の耳の奥は熱くなった。
六年ぶりに訪れた懐かしいメゾネットタイプのコンドミニアム。通された居間はその住人同様、一見、変わっていなかった。
木製のアンティーク家具に、濃淡の差こそあれベージュ色で統一されたカーテンや布張りのソファやクッションは、南向きに大きく切り取られた掃き出し窓から入る陽光と相まって、暖かな印象を与えている。が、それらは以前と同じでありながら、部屋にはおよそ生活感がなかった。きれいに整頓され、無駄なものが一切ない。モデル・ハウスの一室のようで、なぜだかとても『他人行儀』な部屋だ。
ソファの続きに置かれたサイド・テーブルに、和輝は目を向けた。中央には自然の石目を木星に見立てた大理石の球体があって、それをずらす。和輝がつけた、あるはずの疵はなかった。確かに記憶の中のテーブルと同じであるのに。
壁紙もそうだ。落書きが消えている。和輝が初めてここを訪れた時に描いた青い魚群の拙い絵。美しさを計算された居間には不似合いに過ぎ、成長した和輝自身が恥ずかしくて「もう消したら?」と言っても、隆典は消さずにそのままにしていた。
「どうかしたのか?」
ぼんやりと立って、無意識に『思い出』を見出そうとしていた和輝に、背後から隆典の声がかかった。
「なんでもない」
和輝はそう言うとソファに腰を下ろした。ひどく居心地が悪い。ここも自分の家だと思っていたのに、動作の一つ一つに気を遣う。隆典は、ここで本当に生活しているのだろうかと疑いたくなるくらいだった。
少し離れて隆典が和輝の隣に座った。そこからはお定まりの会話だ。間近に迫った大学の卒業を祝う言葉から始まり、就職先について尋ねられた。和輝は由利と同じ建築の方向に進み、大手ゼネコンに就職が内定している。そのことを話すと、「蛙の子は蛙だな」と隆典が感慨深げに呟いた。
『蛙』とは誰を指すのか、流し見る先の隆典の横顔からは量れない。本来であれば設計の仕事に就く母親の由利のことだろうが、和輝にはもう一人、心当たりがあった。
自分の頬に刺さる視線を感じたのか、隆典が和輝を見た。まともに目が合って、先に逸らしたのは隆典だ。『蛙』が誰なのか、その様子から和輝は察する。今や和輝は面差しのみならず声までもが時見享一にそっくりで、疑いようのない血の繋がりと濃さを現していたからだ。隆典の目の逸らし方は不自然だったが、和輝はそ知らぬふりをした。
久しぶりでぎこちない親子の会話は、時折、間を挟みながらもぼつぼつと続いた。
和輝は隆典に会ったら、話したいことがたくさんあった。会えなかった六年の出来事を話すつもりだったし、隆典の六年も聞きたかった。しかし彼の顔を見た途端、会いたかったことだけがクローズアップされる。用意した話の種は撒かれる時期を逸し、うまく話せない。
他人行儀な居間同様、居心地の悪さは否めず、それに伴って奇妙な緊張感が和輝を圧迫する。会話内の間(ま)が長くなり始めた時、電話が鳴った。和輝の緊張は緩んだ。
「すまない、和輝。トラブルが起こって、少し出かけてくる。そんなに遅くならないと思うけど」
「いいよ。ウィーク・デイだものね。本当は仕事なんじゃないの?」
「ちゃんと休みは取ってあるんだ。何しろ数年ぶりで息子に会えるんだからな」
隆典はそう言うと、くしゃくしゃと和輝の頭を撫でた。
着替えるために立ち上がり際、隆典は和輝の部屋はそのままだからと言い置いた。
「俺の部屋、まだあるの?」
「あたりまえじゃないか。ここは和輝の家でもあるんだから」
――俺だって、そう思ってた。でも…
同じで違うこともある。実際、この居間に限らず、廊下もキッチンも、どこかよそよそしい。壁紙は張り替えられ、カーテンもよく見ると模様が違っている。確かに長年住んでいるのだからリフォームはするだろうが、知らない間の変化はたとえ微細でも和輝を寂しくさせた。自分の部屋までなくなっているのではないかと思うのも仕方がない。
十分ほどしてチャコール・グレイのスーツに着替え、コートを手にした隆典が居間に入ってきた。ブリーフケースの中身を確認し、腕時計で時間を見る。仕事モードに入った隆典は、和輝の記憶の中の隆典だった。変わっていない彼の部分を見つけ、和輝は自然と笑みがこぼれ、その姿に見惚れた。
玄関ドアのところまでついて行く。隆典の背中に話しかけた。
「スーツ、似合うね。俺も就活でスーツ着たけど、借り物みたいだった」
ドアノブに手をかけた隆典は振り返った。
「着慣れているからさ。和輝だって、何年かすると身につくようになる。就職祝いに作ってやろうか? 良いテーラーを知っているから」
「だったら、一着くれない?」
「サイズが合わないだろう?」
「もう変わらないよ。背だって、ほら」
和輝は一歩近寄って、彼の目の前に立って見せる。「本当だ」と隆典は笑った。笑顔も昔の隆典のものに戻った。少しずつだが、時間が遡って行く。帰ってきたらまたぎこちなくなってしまわないだろうか。和輝は仕事の呼び出しが恨めしかった。
ドアを開けるとサングラスをした背の高い男が立っていた。
<<←前話 次話→>>
□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
すみません~~更新から3時間ほどの間、紙森さんが推敲される前の原稿を
UPしておりました。完全に私のポカミスでございます。
既にお読みのみなさま、そして何より著者であられます紙森さま、大変失礼いたしました。
明日、同じ時間に3話と4話をUPいたします。
瀬尾っちはカズキンを置いてお仕事に・・・仕事が恨めしいカズキン、可愛いっす!
次はいよいよ例のアノ男が登場?
『卯月屋novels』 ←こちらからどうぞ。
■拍手ポチ、コメント、村ポチといつもありがとうございます。


すみません~~更新から3時間ほどの間、紙森さんが推敲される前の原稿を
UPしておりました。完全に私のポカミスでございます。
既にお読みのみなさま、そして何より著者であられます紙森さま、大変失礼いたしました。
明日、同じ時間に3話と4話をUPいたします。
瀬尾っちはカズキンを置いてお仕事に・・・仕事が恨めしいカズキン、可愛いっす!
次はいよいよ例のアノ男が登場?
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タイトル「眠りの海で青い魚は恋をする」...深い意味を持った素敵なタイトルですね。眠りの海は・・・、青い魚は・・・って
21歳の和輝と 瀬尾の親子関係が 気薄となった今 これから どう変わって行くのか 楽しみです。
そして 明日 登場する <あの>男に 私を含め読者の皆は 初登場の時の様に 怖ろしい程の 妄想を抱くのでしょうね! あの時は ほんと 凄かったねー。ねー。
サイトに 毎日訪問してましたが、今日は アレ?別のサイトか!と思える位に 変わっていて ちょっと 吃驚しました。でも タイトルに相応しい雰囲気で とっても 素敵です♪
では また 明日! 今日も お元気で お過ごし下さい(^o^)ゞbyebye☆