08 ,2010
翠滴 3 緑青 7 (130)
空になった2つのチューブの残骸を見た老人の鋭い目が享一を射抜く。
「ほう、絵を見たいと君から頼まれた時、なにか目論んでの事やとは思うてましたけど。享一君は、僕の絵を焼きにここに来はったということですか」
「・・・・はい、間もなくこちらにも火がまわると思います。すぐに、ここから出ていただけますか?」
木のパネルに和紙を張って描かれた日本画は火の回りも速い。うっすらと辺りにきな臭い匂いが漂い始める。
高波は確認するよう鼻を鳴らしながら、隣室とつながる鉄の扉に緩慢に視線だけを向けた。自分の魂を傾けた作品群に火が放たれたというのに、全く落ち着き払ったものだ。しかも、享一が何かを企んでいるのを知っていて、高波は享一ひとりを部屋に残した。
高い天井にも煙が達したのか、けたたましい火災報知気の音が鳴り出した。いつまで経っても動こうとしない高波に享一が焦れ始め語気が強まる。
「高波さん、お願いです。早くここから出て下さい」
「僕が外に出て、それで君はどうするつもりですか。まさか、僕の絵と心中するつもりやありませんやろうな」
黙って享一が高波を見る。
土蔵の扉を外から激しく叩く音がした。
「享一っ。ここを開けろ、享一!」 外から周の声がする。扉は鉄製でおまけに厚い。
このまま火が回れば2人揃って蒸し焼きもあるかもしれない。
「私は死にません。周を残して死ぬわけにはいかない」
扉を打ち付ける音が変る。周が扉を蹴り破ろうとしているのがわかった。
けたたましい報知器の音が鳴り響く中、互いに睨みあう。と、高波の方頬がゆるりと崩れ、今までなりを潜めていた老獪がその顔に現れる。
「なるほど、周君の選んだ男なだけなことはありますな。見目は柔そうな優男に見えて、中身は強情な鋼柱が一本通っているとみえる」
過去に神前にも同じ事を言われたことがあった。周の選んだ男だと。
二人が自分の中の何を指して、そう言うのかはわからない。
「あなたが執念を込めて描きあげた絵を焼き払った罪を償う覚悟はできています。だが、殺人の罪まで犯して刑期を長くする気はありません。どうか、すぐに外へ逃げて下さい」
何か重量級の重たいシャッターの下りるような音が土蔵全体に響く。
「心配せんでも火はここまで回りません。この建物は一見土蔵に見えますけど、中身は最新の設備を備えた防火施設です。本来の目的は外からの火災から絵を守る事にありましたんやけど、これは全く逆ですな。もちろん、室内は消火設備も完備です」
そう言いながら高波は立ち上がり、壁際に設置しているパネルの蓋を開け中のボタンを押した。警報器が鳴り止む。
「・・・・・・」
「心配せんでも、紙は燃えるのが早い。消火栓が作動してもほとんどの絵はもう、あきませんやろ」
高波がポツリと言う。
「申し訳ありません」 享一は床に頭を付けて詫びた。
何が描かれていようと、今や灰と化そうとしている絵は高波が執念と心血を注いだものに違いはなかった。
「まあ、燃えてしもたもんは仕方ありません。ただ、ここの絵は既に周君に売却済みなのは承知の上ですか。周君が買い取った絵に伴侶の君が火を払うたんやから、僕も彼も文句は言えませんな」
「売却・・・?」 顔を上げた享一の顔が事情を呑み込めず唖然とする。
いくらで売却されたのかはわからないが、本当だとしたら自分は周の持ち物に火を放ったことになる。心の中で真っ青になった。
突然、静になったアトリエの電話が鳴り出す。高波が取り上げた受話器越しに、扉を開けろと要求する周の硬い声が聞こえてきた。
「何も、獲って喰おうかゆう魂胆はありませんで。君の細君にはもう少し話しがあります、母屋に喬純がおりますさかい時間でも潰してはったらどうですか」
何か抗議をしたのであろう周に短く笑って受話器を置き、享一を振り返った。
「さて享一君。『緑青』ですが、あの絵は君のものということになっています。あの絵は、どうしはりますか」
事情を飲み込みきれない享一が、怪訝な顔を向ける。
「それは・・・・どういう事でしょうか」
「『緑青』は、3年ほど前に4紀会に出展させてもらいましたんですが、審査員をやられてました作家の加納 太一氏にどうしてもと粘られて、とうとう根負けしてお売りしましたんです。その加納氏から先日、絵が返却されました」
高波の謂わんとすること察せず、享一は黙って高波の顔を見た。
「享一君にもらってほしいとのことですわ」
思わぬ言葉に驚いた享一の目が大きくなる。
「どうして・・・・」
「それは加納氏がこの絵を君に、ということですやろうか。それとも君等が親子である事実を僕がなんで知っているんか、ということですか?」
享一は困惑の表情でおし黙った。
父・加納 太一の小説の表紙を飾った『緑青』を見て、当然、父の名が出てくるだろうと覚悟はしていた。この老人なら自宅に享一を呼ぶと決めた段階で享一の全てを調べ上げているだろう。いや、もっと早い段階だったかもしれない。祝言の席に座るサクラを男だと見破った時点で、時見 享一という人間の一切合切を調べていたのかもしれない。
なぜ、父は周が描かれた「緑青」を享一に譲る気になったのだろうか。
「失礼ですが、高波さんはおいくらであの絵を父に売られたんですか?」
「5000万です」
「5000万・・・・・」 言葉を失った。
絵画の値段はよくわからないが、徳良 鳴雪 という雅号はあっても絵は高波の生業ではない。プロの画家でもない男の絵に5000万という値がつくものなのかと正直驚いた。
そのような高値で買い取った絵を、父はどうして享一に譲ろうと思ったのか。
ますます、父の考えている事がわからなくなり享一は当惑した。
「10日ほど前に、周君がこの絵を買い取りたいと加納氏に申し出まして。で、私が仲介役を買って出て、ここで顔合わせしました」
「周が、父と会ったんですか?」
周と父親が会ったというのは初耳だ。驚く享一に高波が乾いた声で嗤う。
「なんであの絵を欲しがるのかいうて、加納氏に訊かれた時の周君の返答は傑作でしたで」
からからと愉快そうに笑い続ける高波の楽しげな様子に、いやな予感が過ぎる。
どうやら、このご老公には悪意の無い意地悪を愉しむ節がある。
「単にモデルは自分やから買い取りたいんやって言うたらええのに、あの男は時見享一さんへの結納にするから、あの絵を譲れと正面切って言わはりましたんやで。それ聞いた時の加納氏の顔ときたら、面白おましたでぇ。鳩に豆鉄砲とは、まさにあの顔のことや」
そう言い高波は手で膝を打ち、一層愉快そうに笑う。一方、享一は開いた口を塞ぐのも忘れて笑う高波を呆然と見た。
<< ←前話 / 次話→ >>
目次を見る
翠滴 1―1 →
翠滴 2―1 →
翠滴 3―1 →
□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
もう、何も言いますまい・・・(どの口が言うんじゃ?
申し訳ございません。放置するつもりの伏線(享一のパパ)を拾ってしまったせいで
またラストがまた一話遠のきました。これを繰り返してまた30話とか書いたら計画性皆無のアホですね。
5000万円・・・どっからこんな数字が出てくるのか・・・羽衣爺さん(懐かしい呼び名だ) 身の程知らず
というか、強気です(;^_^A
メールをくださったあおあおさま、ありがとうございました。
ご返事を”もんもんもん”にUPさせていただいています。下記の*こちら*からお越しいただけます。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けませんが、書いていく励みになります。。
■拍手のリコメの閲覧は、サイト左上の”もんもんもん”の
ブログ拍手コメ・メールのお返事か、もしくは*こちら*からお越しくださいませ。
ランキングに参加しています
地味な話ですが、踏んでやってくださいませ。
↓↓↓


もう、何も言いますまい・・・(どの口が言うんじゃ?
申し訳ございません。放置するつもりの伏線(享一のパパ)を拾ってしまったせいで
またラストがまた一話遠のきました。これを繰り返してまた30話とか書いたら計画性皆無のアホですね。
5000万円・・・どっからこんな数字が出てくるのか・・・羽衣爺さん(懐かしい呼び名だ) 身の程知らず
というか、強気です(;^_^A
メールをくださったあおあおさま、ありがとうございました。
ご返事を”もんもんもん”にUPさせていただいています。下記の*こちら*からお越しいただけます。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けませんが、書いていく励みになります。。
■拍手のリコメの閲覧は、サイト左上の”もんもんもん”の
ブログ拍手コメ・メールのお返事か、もしくは*こちら*からお越しくださいませ。
ランキングに参加しています
地味な話ですが、踏んでやってくださいませ。
↓↓↓


享一くんってば、周さんの絵でキャンプファイアーしちゃったんですね。
周さん抜きで。
もしかして、この2人って、根本的に意志の疎通がなさ過ぎるとか。
しかもお父さんに打ち明けられている。
いやーー新婚時代からやりなおしたほうがいいから、あと、30話くらいは軽く続くんじゃないですか(嬉)
紙魚さんがんばれーーー