07 ,2010
翠滴 3 緑青 1 (124)
その邸宅は、都心に近い土地にちょっと呆れるくらい広い敷地を占めていた。
綺麗に丸く刈り込まれた柘植の向こうに、いつか和輝が行方不明になった公園の木々が濃厚な緑に輝く。
8ヶ月前、木々が冬枯れした木立の間を、和輝の名を叫びながら瀬尾と一心不乱に探し回った。キーンと音がしそうなほど静まり、冷えきった静寂で息がつまりそうになった。あの冬の森も今は燃立つような夏の緑に変り、当時の面影すらない。
公園の延長だと思っていた竹林は、隅々まで手入れの行き届いた日本庭園内に密生していた。
足元の大きな錦鯉が泳ぐ池の水面に、高気圧に膨れ上がった夏の青空が映る。
鯉が行き交う度、水面に浮かぶ純白の入道雲と土蔵の影もゆらりと揺れた。
じっと立っているだけで汗の滲む額をハンカチで拭うと、束の間緩い風を感じてまた新しい汗が噴出す。きりがないように思え、黒松の陰に身を寄せ体内に篭る熱を吐き出すように息を吐いた。
灰色の鈍い光を反射する瓦の真っ直ぐなスカイラインが、夏空にきりりとした緊張感を持たせている。つられるように享一も背筋を伸ばして気を引き締めた。
名匠と謳われる職人に建てさせたという日本家屋は一見、様式に則っただけの簡素な建物と見えなくもない。
ただ建築を生業とする享一には、その真の価値がよくわかる。
厳選された建材のみを使い、緻密に計算しつくした造られたその屋敷の、梁の出、土台の納まりのひとつひとつに、粋人であろう匠の技を感じた。
ただし、大きすぎる。個人の邸宅としては驚く程の大邸宅である。青い空に長々と連なる瓦屋根はまさに圧巻だ。
庭を仕切る木戸が開き、「享一」と顔を出した周が享一を呼んだ。
「待たせたな。高波氏は先客だそうだ。離れで待つように言われている。来いよ、こっちだ」
持っていた上着を着ようとすると、周にそのままでいいと言われ、手に持ったまま後について木戸を潜った。明るい場所から一歩踏み入れると、周りが暗転したように暗くなった。
「滑りやすいから気をつけろよ」
目はすぐに慣れキョロキョロしていると周に手を引かれた。
柔らかそうな苔に囲まれた飛石に、竹林を通した木漏れ日が所々落ちている。
ひんやりとした空気が流れる薄暗い竹林の小径を、周に手を引かれて歩いた。それでも熱を蓄積した皮膚に汗が噴出した。自分と違って、きっちりスーツを着込んでいる周の顔は汗ひとつかいておらず、涼しげですらある。
そういえば、周が暑いだの寒いだの口にしたのを聞いたことがない。心の鍛え方が違うと言うことだろうか。綺麗に切り立った横顔を盗み見た。
案外、単に鈍いだけだったりしてな。想像して笑いを噛み殺していると、翠の虹彩がすいと享一を見る。
「なに?」 この目に弱い。
「あ、いや。大きな家だと思って・・・」
どう見ても裏道としか思えない細い道を勝手知ったる我が家のように、周は享一の手を引いてどんどん進む。心なしか足取りが急いているように思えた。
「まあ、爺さんは自分は小っこいくせに自己顕示欲はひとの5倍くらいはありそうだからな。デカイものに惹かれるんだろう」
祝言の時に、自分に羽衣の「解釈」をした老人は確かに小柄であったが、自己顕示欲が強そうな人物には思えなかった。だが、買収騒動の折、テレビの中で報道陣の質問を煙にまくように笑っている姿に、一筋縄ではいかない老獪の姿を垣間見た気がした。
一線を退いても尚、政財界に多大なる影響力を持つ男。
高波グループの創始者 高波 清輝から2人揃っての呼び出しを受けたのは3日前だ。高波は周を相当に可愛がっているのか、外国から入港した船上のカジノに付き合えだの、面白い人間を紹介するから赤坂の料亭まで来いなどと、度々呼び出されることがあった。
今回はなぜ自分まで呼ばれたのだろうか?という問いに、周にしては珍しく困ったような渋い顔をする。そして明確な返答はくれず、祝言や辰村の件で高波には無碍に出来ない借りを作ってしまったとぼやいた。
暫しの憂慮の後、やはりひとりで行くと言い出した周に、自分から一緒に連れて行って欲しいと頼んだ。
無意識のうちに自分と同じ指輪の填る手をぎゅっと握った。
「享一・・・」 周が立ち止まる。
二人の目の前に、趣のある数奇屋造りの離れが現れた。享一の感覚からすると、自分たちのいる位置はさっきひとりで周を待っていた場所からそんなに離れた場所ではない。周がわざと屋敷の裏を遠回りしてここに来た事に気がついた。
「帰りたければ、この小径を抜ければ誰にも会わずに門のところまで出ることが出来る。Zで帰るなら、駐車場のゲートは開けておくよう言っておく」
まるで、享一が先に帰る事を望んでいるような物言いだ。周は、まだ自分を周の背負う世界から遠ざけようとしている。
「周、俺は帰らないよ」
「享一」 周の深い翠の瞳が諭すように享一を見つめる。
譲る気はない。
強い決意を漲らせ、享一は静かに周を見返した。
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翠滴 1―1 →
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綺麗に丸く刈り込まれた柘植の向こうに、いつか和輝が行方不明になった公園の木々が濃厚な緑に輝く。
8ヶ月前、木々が冬枯れした木立の間を、和輝の名を叫びながら瀬尾と一心不乱に探し回った。キーンと音がしそうなほど静まり、冷えきった静寂で息がつまりそうになった。あの冬の森も今は燃立つような夏の緑に変り、当時の面影すらない。
公園の延長だと思っていた竹林は、隅々まで手入れの行き届いた日本庭園内に密生していた。
足元の大きな錦鯉が泳ぐ池の水面に、高気圧に膨れ上がった夏の青空が映る。
鯉が行き交う度、水面に浮かぶ純白の入道雲と土蔵の影もゆらりと揺れた。
じっと立っているだけで汗の滲む額をハンカチで拭うと、束の間緩い風を感じてまた新しい汗が噴出す。きりがないように思え、黒松の陰に身を寄せ体内に篭る熱を吐き出すように息を吐いた。
灰色の鈍い光を反射する瓦の真っ直ぐなスカイラインが、夏空にきりりとした緊張感を持たせている。つられるように享一も背筋を伸ばして気を引き締めた。
名匠と謳われる職人に建てさせたという日本家屋は一見、様式に則っただけの簡素な建物と見えなくもない。
ただ建築を生業とする享一には、その真の価値がよくわかる。
厳選された建材のみを使い、緻密に計算しつくした造られたその屋敷の、梁の出、土台の納まりのひとつひとつに、粋人であろう匠の技を感じた。
ただし、大きすぎる。個人の邸宅としては驚く程の大邸宅である。青い空に長々と連なる瓦屋根はまさに圧巻だ。
庭を仕切る木戸が開き、「享一」と顔を出した周が享一を呼んだ。
「待たせたな。高波氏は先客だそうだ。離れで待つように言われている。来いよ、こっちだ」
持っていた上着を着ようとすると、周にそのままでいいと言われ、手に持ったまま後について木戸を潜った。明るい場所から一歩踏み入れると、周りが暗転したように暗くなった。
「滑りやすいから気をつけろよ」
目はすぐに慣れキョロキョロしていると周に手を引かれた。
柔らかそうな苔に囲まれた飛石に、竹林を通した木漏れ日が所々落ちている。
ひんやりとした空気が流れる薄暗い竹林の小径を、周に手を引かれて歩いた。それでも熱を蓄積した皮膚に汗が噴出した。自分と違って、きっちりスーツを着込んでいる周の顔は汗ひとつかいておらず、涼しげですらある。
そういえば、周が暑いだの寒いだの口にしたのを聞いたことがない。心の鍛え方が違うと言うことだろうか。綺麗に切り立った横顔を盗み見た。
案外、単に鈍いだけだったりしてな。想像して笑いを噛み殺していると、翠の虹彩がすいと享一を見る。
「なに?」 この目に弱い。
「あ、いや。大きな家だと思って・・・」
どう見ても裏道としか思えない細い道を勝手知ったる我が家のように、周は享一の手を引いてどんどん進む。心なしか足取りが急いているように思えた。
「まあ、爺さんは自分は小っこいくせに自己顕示欲はひとの5倍くらいはありそうだからな。デカイものに惹かれるんだろう」
祝言の時に、自分に羽衣の「解釈」をした老人は確かに小柄であったが、自己顕示欲が強そうな人物には思えなかった。だが、買収騒動の折、テレビの中で報道陣の質問を煙にまくように笑っている姿に、一筋縄ではいかない老獪の姿を垣間見た気がした。
一線を退いても尚、政財界に多大なる影響力を持つ男。
高波グループの創始者 高波 清輝から2人揃っての呼び出しを受けたのは3日前だ。高波は周を相当に可愛がっているのか、外国から入港した船上のカジノに付き合えだの、面白い人間を紹介するから赤坂の料亭まで来いなどと、度々呼び出されることがあった。
今回はなぜ自分まで呼ばれたのだろうか?という問いに、周にしては珍しく困ったような渋い顔をする。そして明確な返答はくれず、祝言や辰村の件で高波には無碍に出来ない借りを作ってしまったとぼやいた。
暫しの憂慮の後、やはりひとりで行くと言い出した周に、自分から一緒に連れて行って欲しいと頼んだ。
無意識のうちに自分と同じ指輪の填る手をぎゅっと握った。
「享一・・・」 周が立ち止まる。
二人の目の前に、趣のある数奇屋造りの離れが現れた。享一の感覚からすると、自分たちのいる位置はさっきひとりで周を待っていた場所からそんなに離れた場所ではない。周がわざと屋敷の裏を遠回りしてここに来た事に気がついた。
「帰りたければ、この小径を抜ければ誰にも会わずに門のところまで出ることが出来る。Zで帰るなら、駐車場のゲートは開けておくよう言っておく」
まるで、享一が先に帰る事を望んでいるような物言いだ。周は、まだ自分を周の背負う世界から遠ざけようとしている。
「周、俺は帰らないよ」
「享一」 周の深い翠の瞳が諭すように享一を見つめる。
譲る気はない。
強い決意を漲らせ、享一は静かに周を見返した。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
クーラーのあたり過ぎでしょうか、偏頭痛と足のむくみが酷いです。利尿剤飲んだら、さあ大変~。
面白いくらいトイレに行きたくなるんです。って、そんな話はどうでもいいですね。
ここからが本当のエピローグという感じです。サブタイトルは完結後に少し変えようと思いますが、
目次から読まれる分にはそんなに支障は無いと思います。
今週はなんとか更新が出来ましたが、来週は怪しい雲行きです。
下手したらまた一週間飛びそうな・・・とにかく、ひとりになれる時間を見つけて書きます。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けませんが、書いていく励みになります。。
■拍手のリコメの閲覧は、サイト左上の”もんもんもん”の
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お手数ですが、踏んでやってくださいませ。
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クーラーのあたり過ぎでしょうか、偏頭痛と足のむくみが酷いです。利尿剤飲んだら、さあ大変~。
面白いくらいトイレに行きたくなるんです。って、そんな話はどうでもいいですね。
ここからが本当のエピローグという感じです。サブタイトルは完結後に少し変えようと思いますが、
目次から読まれる分にはそんなに支障は無いと思います。
今週はなんとか更新が出来ましたが、来週は怪しい雲行きです。
下手したらまた一週間飛びそうな・・・とにかく、ひとりになれる時間を見つけて書きます。
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ほんの拙文しか書けませんが、書いていく励みになります。。
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いやーーーこの描写力少し分けてくれません?
>キーンと音がしそうなほど静まり冷えきった静寂で息がつまりそうになった。
ここ、ここ、こういう表現が好き(例を挙げればきりがないけれど)
やっぱり紙魚さんうまいなあ。
さんざんいちゃいちゃして、幸せな2人、と思いきや、まだ難題が控えているのかな? どうなるのか先が読めない。
更新首をながーくしてお待ちしています。
私のほうは、なかなかスライムから元にもどれず一週間お休みします。
偏頭痛と足のむくみ、人事ではありませぬ。
暑さもつらいですが、クーラーで冷えるのもつらい、どうせいちゅうんじゃ!←怪しい関西弁
なんとか乗り切りたいですね。
ではでは