06 ,2010
翠滴 3 月櫻 3 (118)
肩の上に和輝の頭がことんと落ちた。続いて、腕の中の体重が重みを増す。
「和輝、寝たみたいだ」
「たくさん泣いたもの、疲れたのね。冷えてきたし、後ろのチャイルドシートに降ろしてくれる?」
穏やかだった日中の気温も陽が落ち、時間が経つにつれ外気の冷たさが増してゆく。
名残惜しさをねじ伏せ、和輝を後部座席のシートに下ろすと離れた身体の間に冷たい空気が流れ込む。
早くドアを閉めてやらないと、そう思いつつも眠る和輝の頭を何度も撫でた。
もう一度、笑った顔が見たい。
いつまでも和輝から離れられないでいる享一を、運転席の由利は何も言わずに待ち続けた。
「由利、和輝のリュックある?」
「あるわよ。どうしたの?」
由利が助手席の足元に手を伸ばし、和輝のリュックを取り出して享一に渡す。
「ありがとう」
ファスナーを開けて青い毛糸の紐を手繰り寄せ、小さな手縫いのお守り袋を引っ張りだす。薄汚れたギンガムチェックの巾着にクマの刺繍。和輝が後生大事に持っていた由利の手作りのお守り袋だ。
不揃いな縫い目やいびつに盛り上がった刺繍の苦戦の跡に、手芸が苦手なのだろう由利の一生懸命さと和輝への愛情がより鮮明に見えた。
青い紐を緩め、中から白い紙にくるまれた小さな包みを取り出す。
「それは・・・・?」 由利の問いかけに享一が包みを開けると、プラチナの蔦が絡まった美しい指輪が出てきた。同じデザインの指輪が、享一の指で共鳴するように輝きを放つ。
「綺麗な指輪・・・。あんないい男をゲットしちゃうなんて、なんだか妬けちゃうわね」
笑いを含んだなかば揶揄うような由利の言葉に、紅潮した顔が苦笑する。
「で、指輪の彼。あなたをお待ちかねみたいだけど?」
振り返ると真紅のスポーツカーにもたれて立つ周の背中が、享一たちの話が終わるのを辛抱強く待っている。別に急かしてくる訳ではないが、手持ち無沙汰に待つには潮風が冷た過ぎる。
「長いこと引き止めて、ごめんなさい。こんな形でだったけれど、会えてよかったわ。元気でね、時見君」
運転席のドアが閉まった。
静かな駐車場にエンジン音があがる。
動き出した車の後部座席を見る。外灯に照らされた幼い寝顔は千年の眠りにでもついたのか、目蓋を上げそのつぶらな瞳を享一に再度見せることは無い。
濃紺のアウディはゆっくり発進すると、瀬尾が姿を消した同じゲートから出て行った。
道路を遠ざかるヘッドライトの光も消えると、誰もいなくなった駐車場に真っ暗な海から潮騒が押し寄せてくる。春の夜の冷たい潮風に煽られ、瞳に湛える涙も急速に冷え落ちていった。
いつまでも車の消えた方を向いて立ち尽くす享一の冷えた身体を、長い腕が後から包み込む。
涙が乾くのを待って、自分に回された腕を解き周と向き合った。
黒い瞳が真っ直ぐに自分を見ている。その下に隠された翠の瞳は享一の表面だけではなく、心の中までをも見透かし、胸で緩やかに鼓動を早め出した心臓まで掌握している。
「周の瞳が恋しい」 素直にそう告げるとカラーコンタクトを外してくれた。
瑞々しい翡翠の瞳が露になる。自分を見つめる強い眼差しが心を掻き立ててくる。
初めてこの瞳に見つめられた時のように、胸の内に鮮やかな極彩色のハレーションが起こった。
周になら泣いている姿を見せてもいい。
黙って周の左手を取り、手の中の指輪を嵌めた。
長い指を指輪が滑りあるべき場所に収まると、さまざまな感慨が胸を衝き、俯いた瞳からまた涙が零れ止まらなくなる。
濡れて冷たくなった頬を温かく大きな掌に包まれ、唇が重なった。
潮騒が湿った大気の中で抱き合う2人に押し迫る。
波の音に攫われないようにと接吻けを一層深め、肩と背中に回す指先に力を込めた。
「周、酒しか入ってないけど?」
コンビニの眩し過ぎるくらいの明りに照らされた車内で、渡された袋の中身を見て首をひねる。
運転席では自分のミネラルウォーターの蓋を開けながら周がチラリと視線を流す。袋の中には、ビールやチュウハイ、サワーといった種類の違う酒のビンや缶が7~8本。
どうして自分には水で享一にはアルコールなのだろうと、もう一度周に問いかける。
Zのエンジンをかけ、バックミラーを確認する横顔が冷たい薄笑いを浮かべた。
「消毒」と一言。「なんの?」と聞き返した次の瞬間、苦しげに顔を歪め唇を重ねてきた瀬尾の顔が脳裏に鮮明に浮かんだ。波乱の一日のあまりに激しい感情のアップダウンに、すっかり瀬尾とのキスの件が脳内から押し流されていた。
体温が一気に下がった気がして、膝の上のビンや缶を硬直して見つめる。心の中に苦しい脂汗をかいた。
だが、「消毒」などと言いながら、2人は少し前に涙の味がする接吻けを交わしたばかりだ。
だいたい、こんなに種類に違うものを次々飲んだら、ちゃんぽんに弱い自分のことだ。すぐに寝てしまうに違いない。そこまで考えて、ああ、そうなのかと思う。
疲れているのに妙に気が立ち、神経の昂ぶりが抑えられない。
いま、自分は空港で瀬尾と会って以来の緊張がずっと継続している感じだ。
これは、飲んで寝てしまえという周の心遣いだろうかと、自分に都合のいいように考えることにした。袋から一本取り出し、ハイボールと書かれた缶のプルトップを引っ張った。
「いただきます」
「どうぞ・・・」
瀬尾のキスを周はどう思っているのかと気になったが、今はそのことについて話す気力さえ湧かない。周の何も言わないところが、気遣いのようでもあるし、空恐ろしい気もする。
周の気持ちを考えると、取り返しのつかないことをしたのは確かだったが、あれは不測の事態だった。
喉に流し込むと臓腑を通り抜けて全身を巡っていくのを感じる。ぴりっとドライな口当たりの炭酸が舌の上で弾け、ウイスキーの香りが思考を奪う。
Zの振動も加わって、急速に体内にアルコールが浸透していく。
酩酊し始めた享一の視界を小さな白い花弁が横切った。
気温が低かったせいか、今年の東京の桜は開花から一週間以上経ってようやく八分咲きとなった。ヘッドライトに照らされた桜並木はまだ若い低木ながらも、今満開を迎えようとしている。街灯もない暗い道路際にひっそりと咲く桜の花に、漆黒の闇夜に深々と咲き誇る立派な桜の古木を思い出す。
この数ヶ月、何度もあの桜を夢想した。
自分の胸から吹き出したあの大量の花弁はどこにいったのか。
今また、夢うつつの暗闇の中を無数の花弁が一斉に舞う。
背中に伝わるエンジンの振動がとても心地いい。
疲労の色濃く滲んだ享一の寝顔から穏やかな寝息が上がり始めた。
運転席から伸びた手がほとんど中身の減っていない缶を持ち上げると、意識の失せた指はあっけなくその缶を手放した。
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「和輝、寝たみたいだ」
「たくさん泣いたもの、疲れたのね。冷えてきたし、後ろのチャイルドシートに降ろしてくれる?」
穏やかだった日中の気温も陽が落ち、時間が経つにつれ外気の冷たさが増してゆく。
名残惜しさをねじ伏せ、和輝を後部座席のシートに下ろすと離れた身体の間に冷たい空気が流れ込む。
早くドアを閉めてやらないと、そう思いつつも眠る和輝の頭を何度も撫でた。
もう一度、笑った顔が見たい。
いつまでも和輝から離れられないでいる享一を、運転席の由利は何も言わずに待ち続けた。
「由利、和輝のリュックある?」
「あるわよ。どうしたの?」
由利が助手席の足元に手を伸ばし、和輝のリュックを取り出して享一に渡す。
「ありがとう」
ファスナーを開けて青い毛糸の紐を手繰り寄せ、小さな手縫いのお守り袋を引っ張りだす。薄汚れたギンガムチェックの巾着にクマの刺繍。和輝が後生大事に持っていた由利の手作りのお守り袋だ。
不揃いな縫い目やいびつに盛り上がった刺繍の苦戦の跡に、手芸が苦手なのだろう由利の一生懸命さと和輝への愛情がより鮮明に見えた。
青い紐を緩め、中から白い紙にくるまれた小さな包みを取り出す。
「それは・・・・?」 由利の問いかけに享一が包みを開けると、プラチナの蔦が絡まった美しい指輪が出てきた。同じデザインの指輪が、享一の指で共鳴するように輝きを放つ。
「綺麗な指輪・・・。あんないい男をゲットしちゃうなんて、なんだか妬けちゃうわね」
笑いを含んだなかば揶揄うような由利の言葉に、紅潮した顔が苦笑する。
「で、指輪の彼。あなたをお待ちかねみたいだけど?」
振り返ると真紅のスポーツカーにもたれて立つ周の背中が、享一たちの話が終わるのを辛抱強く待っている。別に急かしてくる訳ではないが、手持ち無沙汰に待つには潮風が冷た過ぎる。
「長いこと引き止めて、ごめんなさい。こんな形でだったけれど、会えてよかったわ。元気でね、時見君」
運転席のドアが閉まった。
静かな駐車場にエンジン音があがる。
動き出した車の後部座席を見る。外灯に照らされた幼い寝顔は千年の眠りにでもついたのか、目蓋を上げそのつぶらな瞳を享一に再度見せることは無い。
濃紺のアウディはゆっくり発進すると、瀬尾が姿を消した同じゲートから出て行った。
道路を遠ざかるヘッドライトの光も消えると、誰もいなくなった駐車場に真っ暗な海から潮騒が押し寄せてくる。春の夜の冷たい潮風に煽られ、瞳に湛える涙も急速に冷え落ちていった。
いつまでも車の消えた方を向いて立ち尽くす享一の冷えた身体を、長い腕が後から包み込む。
涙が乾くのを待って、自分に回された腕を解き周と向き合った。
黒い瞳が真っ直ぐに自分を見ている。その下に隠された翠の瞳は享一の表面だけではなく、心の中までをも見透かし、胸で緩やかに鼓動を早め出した心臓まで掌握している。
「周の瞳が恋しい」 素直にそう告げるとカラーコンタクトを外してくれた。
瑞々しい翡翠の瞳が露になる。自分を見つめる強い眼差しが心を掻き立ててくる。
初めてこの瞳に見つめられた時のように、胸の内に鮮やかな極彩色のハレーションが起こった。
周になら泣いている姿を見せてもいい。
黙って周の左手を取り、手の中の指輪を嵌めた。
長い指を指輪が滑りあるべき場所に収まると、さまざまな感慨が胸を衝き、俯いた瞳からまた涙が零れ止まらなくなる。
濡れて冷たくなった頬を温かく大きな掌に包まれ、唇が重なった。
潮騒が湿った大気の中で抱き合う2人に押し迫る。
波の音に攫われないようにと接吻けを一層深め、肩と背中に回す指先に力を込めた。
「周、酒しか入ってないけど?」
コンビニの眩し過ぎるくらいの明りに照らされた車内で、渡された袋の中身を見て首をひねる。
運転席では自分のミネラルウォーターの蓋を開けながら周がチラリと視線を流す。袋の中には、ビールやチュウハイ、サワーといった種類の違う酒のビンや缶が7~8本。
どうして自分には水で享一にはアルコールなのだろうと、もう一度周に問いかける。
Zのエンジンをかけ、バックミラーを確認する横顔が冷たい薄笑いを浮かべた。
「消毒」と一言。「なんの?」と聞き返した次の瞬間、苦しげに顔を歪め唇を重ねてきた瀬尾の顔が脳裏に鮮明に浮かんだ。波乱の一日のあまりに激しい感情のアップダウンに、すっかり瀬尾とのキスの件が脳内から押し流されていた。
体温が一気に下がった気がして、膝の上のビンや缶を硬直して見つめる。心の中に苦しい脂汗をかいた。
だが、「消毒」などと言いながら、2人は少し前に涙の味がする接吻けを交わしたばかりだ。
だいたい、こんなに種類に違うものを次々飲んだら、ちゃんぽんに弱い自分のことだ。すぐに寝てしまうに違いない。そこまで考えて、ああ、そうなのかと思う。
疲れているのに妙に気が立ち、神経の昂ぶりが抑えられない。
いま、自分は空港で瀬尾と会って以来の緊張がずっと継続している感じだ。
これは、飲んで寝てしまえという周の心遣いだろうかと、自分に都合のいいように考えることにした。袋から一本取り出し、ハイボールと書かれた缶のプルトップを引っ張った。
「いただきます」
「どうぞ・・・」
瀬尾のキスを周はどう思っているのかと気になったが、今はそのことについて話す気力さえ湧かない。周の何も言わないところが、気遣いのようでもあるし、空恐ろしい気もする。
周の気持ちを考えると、取り返しのつかないことをしたのは確かだったが、あれは不測の事態だった。
喉に流し込むと臓腑を通り抜けて全身を巡っていくのを感じる。ぴりっとドライな口当たりの炭酸が舌の上で弾け、ウイスキーの香りが思考を奪う。
Zの振動も加わって、急速に体内にアルコールが浸透していく。
酩酊し始めた享一の視界を小さな白い花弁が横切った。
気温が低かったせいか、今年の東京の桜は開花から一週間以上経ってようやく八分咲きとなった。ヘッドライトに照らされた桜並木はまだ若い低木ながらも、今満開を迎えようとしている。街灯もない暗い道路際にひっそりと咲く桜の花に、漆黒の闇夜に深々と咲き誇る立派な桜の古木を思い出す。
この数ヶ月、何度もあの桜を夢想した。
自分の胸から吹き出したあの大量の花弁はどこにいったのか。
今また、夢うつつの暗闇の中を無数の花弁が一斉に舞う。
背中に伝わるエンジンの振動がとても心地いい。
疲労の色濃く滲んだ享一の寝顔から穏やかな寝息が上がり始めた。
運転席から伸びた手がほとんど中身の減っていない缶を持ち上げると、意識の失せた指はあっけなくその缶を手放した。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
ようやくBL路線に復帰。ア~、長かったε-(;ーωーA フゥ…
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けませんが、書いていく励みになります。。
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(*´ο`*)=3 はふぅん
消毒で済ませてくれたのね(今のところ…)
今朝、何度目かになるファミリーバランスを読み終わってから、和輝くんとの別れのシーンを読んで、享タンの気持ちに泣きたくなりました。
ところが、今度はアマネさまから父性愛が、享タンにドクドク!!
ホント、アマネさまも紙魚さんも、やり手だわ(*゚▽゚)*。_。)*゚▽゚)*。_。)ウンウン
享タンも読者もあなたのものよ~ん♬ ←ちょっときもちわるい(*`ε´*)ノ彡☆←こんな感じ