05 ,2010
翠滴 3 和輝 3 (104)
「いつからここに?」
「今。」
見つめる瞳はサングラスに隔てられているせいか、表情が読めない。いや、周がわざとわからなくしている。そんな気がした。周の前を通り過ぎ助手席のドアに手をかけもう一度周を見る。周の視線がいつもの特徴のある滑らかな動きで享一に向けられた。
「部屋がなくなってた。何か言いたいことは?」
心にあることとは別のことを口にしていた。
周の傍に居させてくれと嘆願し、離れたくないと豪語した手前、アパートの方向を振り返り感傷に浸る女々しい背中など見られたくはなかった。
享一の言葉に、周はほんの少し肩を竦めて見せる。その序(つい)でとばかり、黒い瞳が身体にフィットする黒いタートルを着た享一を満足げに眺めた。
「チャーミングだ、やっぱりよく似合う。今すぐ押し倒したくなるな」
「怒ったらいいのか、それとも笑えばいいのか、どんな顔をしたらいいのかわからなくなる」
滑らかな艶を引く真紅の車体に肘をかけた男の笑みが濃くなった。
「なら、笑えばいい。乗れよドライブに行こう」
「仕事は?まだ途中なんじゃないのか」
仰ぎ見た空の陽は傾いているもののまだ高い。
「ここのところ出張を断って仕事をしていたら、なんと諸々の案件と一週間分程の仕事が多めに片付いた。で、今日の残り半日をご褒美として鳴海から捥ぎ取った訳だ。乗れよ、海でも見に行こう」
一週間と半日では割が合わない気もするが、多忙を極める周がこういうイレギュラーな休みを取れることは滅多にない。基本仕事は自分の足で、というのが周のスタイルだ。外交や調査には出来る限り自分で出向き、関る人間や事案を確かめる。自分の食指が動けば時間を無視して夢中で働き続ける。根っからの仕事人間なのだ。
それが、自分がペントハウスに運び込まれた初めの頃、ダイニングテーブルに山積みの書類と仕事用のノートPC2台を置き、携帯を片手にモニターとにらみ合う姿を何度も見た。
傍にいてくれようとした周に、自分は随分と無理をさせてしまった。
言われるまま、車に乗り込む。革のシートに身を落ち着かせると久しぶりに乗るせいか、微かな違和感を感じた。何か初めての車に乗った時のような居心地の定まらなさに身体を浮かせて座りなおす。
「どうした?」
「いや・・・・それより、なんでここに来ている事がわかったんだ?」
サングラスをかけた横顔がフッと鼻で笑ったような気がした。
「東京での享一の行先なんて、たかが知れている。お前の性格を考えたら外出して真っ先にアパートに行く事くらい、すぐに見当がつく」
「は?」 見返した横顔は澄ましているが綺麗な形で閉じられた唇がどことなく得意げにも見える。なんだか面白くない。
走り出した車が小さな交差点に差し掛かり、道の向こうに享一のいたアパートが見えた。ほんの1~2数秒だった筈なのに、ちらりと見えた簡素な佇まいが目に焼きついて離れず、いつまでも同じ方向を見続けた。その後頭部を温かい大きな掌が包み、髪を大きく掻き混ぜると離れていった。
「何も忘れて欲しいわけではないし、その必要もない。この前も言った通り、享一の過去は享一のものだ。和輝はずっと変らずお前の子供だし、大切に思っていればいつか会える日が来る」
長いのか短いのか・・・その人生のどこかで、きっと。
周はやはり、不動産屋の前でアパートの方向を振り返る自分の事を、ずっと見ていたのだと思った。
その気もないのに、下の目蓋に温かいものが溜まる。自分より他の人間が自分と同じように考えていてくれたことが嬉しかったのかもしれない。
「周と一緒の人生なら、あっという間に終わってしまいそうだ」
「嫌というほど俺という男を堪能させてやるから、俺より長生きしてくれ」
いつか別れが来る時、それがどちらかの死によるものでならば諦めも付くのだろうか。
「俺が先かもしれないじゃないか」
「年功序列だろう」
「そんなものに年功序列なんかあるもんか。寿命が尽きれば誰だって死ぬんだから」
すっきりと輪郭の切り立った端正な男の横顔が軽く笑う。
真紅のスポーツカーはスピードを上げて首都高に乗り西へと走る。
「なあ、もしかしてこの車買い換えた?」
「今日、手許に届いたばっかりだ。よくわかったな」 嬉しそうな声が返ってきた。前と全く同じ車に乗っているくせに、気付いてもらえたことがよっぽど嬉しいらしい。
「加速する時のエンジンの音が前より軽い。・・・・前の車は?車検に出してたんじゃなかったのか?」
「本当はぶつけて、大破して、スクラップだ。圭太に言うなよ」
「え、いつ?」
サングラスを外し、驚いた顔で凝視する享一に翠の視線を流すと、凄みのある嗤いを浮かべた。
「お前が、俺の前で土下座したあの後すぐ」
言葉を失った享一を気にかけるでもなく、さらりと言葉を続ける。。
「腹が立ちすぎて、自分を失ってたんだな。地下駐車場で車を発車さようとして、気がついたら猛スピードで正面の柱にぶつけてた」
周は前のZを、こよなく愛していた。
その愛車の最期をまるで他人事のように話す周の横顔を、口を半開きにした享一が唖然と見つめる。
一見、クールで何事にも動じない周だが、その根底には激しい情熱と気性を持つ。
自分が瀬尾の為に頭を下げた事がどれだけこの男を怒らせ、傷つけたかということを享一は今更思い知った。
晴れていた空が、自分たちが目指す西の方角から現れた雲に覆われ翳り出した。陽光が途絶え、ボンネットにはっきりと映ったビルのスカイラインが後方に流れて行く。
「確かに、年功序列は関係ないな。人生はわからない。だからこそ、思い通りに生きてみたいと思うのだろうな」
まだ若い周の口をついて出た「人生」という言葉は、波乱の人生を自らの手で切り開いて生きる人間ならではの強さと重みを以て、胸に雷鳴のように響いてくる。
「周、今日は帰らないか。せっかく車が届いてドライブに誘ってくれてありがたいけれど、今日は帰りたい気分なんだ」
帰る場所がある。それは、それまでのひとりの体温ではなく、自分以外の誰かのぬくもりのある場所だった。まだ住み始めて一ヶ月もったっていないペントハウスが、そこで周と抱き合う時間が愛しい。
この人生の延長上に周がいて、そのどこかに和輝もいる。そしていつか終りが来る。
周の傍にいる人生は、本当にあっという間に過ぎてしまうに違いない。
「それも、大歓迎」
細まった周の艶やかな翆の眼が享一を捕え、また前を向く。
フェアレディが高速を降りる頃、ぽつりと最初の雨の雫がフロントガラスを濡らした。
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翠滴 3―1 →
「今。」
見つめる瞳はサングラスに隔てられているせいか、表情が読めない。いや、周がわざとわからなくしている。そんな気がした。周の前を通り過ぎ助手席のドアに手をかけもう一度周を見る。周の視線がいつもの特徴のある滑らかな動きで享一に向けられた。
「部屋がなくなってた。何か言いたいことは?」
心にあることとは別のことを口にしていた。
周の傍に居させてくれと嘆願し、離れたくないと豪語した手前、アパートの方向を振り返り感傷に浸る女々しい背中など見られたくはなかった。
享一の言葉に、周はほんの少し肩を竦めて見せる。その序(つい)でとばかり、黒い瞳が身体にフィットする黒いタートルを着た享一を満足げに眺めた。
「チャーミングだ、やっぱりよく似合う。今すぐ押し倒したくなるな」
「怒ったらいいのか、それとも笑えばいいのか、どんな顔をしたらいいのかわからなくなる」
滑らかな艶を引く真紅の車体に肘をかけた男の笑みが濃くなった。
「なら、笑えばいい。乗れよドライブに行こう」
「仕事は?まだ途中なんじゃないのか」
仰ぎ見た空の陽は傾いているもののまだ高い。
「ここのところ出張を断って仕事をしていたら、なんと諸々の案件と一週間分程の仕事が多めに片付いた。で、今日の残り半日をご褒美として鳴海から捥ぎ取った訳だ。乗れよ、海でも見に行こう」
一週間と半日では割が合わない気もするが、多忙を極める周がこういうイレギュラーな休みを取れることは滅多にない。基本仕事は自分の足で、というのが周のスタイルだ。外交や調査には出来る限り自分で出向き、関る人間や事案を確かめる。自分の食指が動けば時間を無視して夢中で働き続ける。根っからの仕事人間なのだ。
それが、自分がペントハウスに運び込まれた初めの頃、ダイニングテーブルに山積みの書類と仕事用のノートPC2台を置き、携帯を片手にモニターとにらみ合う姿を何度も見た。
傍にいてくれようとした周に、自分は随分と無理をさせてしまった。
言われるまま、車に乗り込む。革のシートに身を落ち着かせると久しぶりに乗るせいか、微かな違和感を感じた。何か初めての車に乗った時のような居心地の定まらなさに身体を浮かせて座りなおす。
「どうした?」
「いや・・・・それより、なんでここに来ている事がわかったんだ?」
サングラスをかけた横顔がフッと鼻で笑ったような気がした。
「東京での享一の行先なんて、たかが知れている。お前の性格を考えたら外出して真っ先にアパートに行く事くらい、すぐに見当がつく」
「は?」 見返した横顔は澄ましているが綺麗な形で閉じられた唇がどことなく得意げにも見える。なんだか面白くない。
走り出した車が小さな交差点に差し掛かり、道の向こうに享一のいたアパートが見えた。ほんの1~2数秒だった筈なのに、ちらりと見えた簡素な佇まいが目に焼きついて離れず、いつまでも同じ方向を見続けた。その後頭部を温かい大きな掌が包み、髪を大きく掻き混ぜると離れていった。
「何も忘れて欲しいわけではないし、その必要もない。この前も言った通り、享一の過去は享一のものだ。和輝はずっと変らずお前の子供だし、大切に思っていればいつか会える日が来る」
長いのか短いのか・・・その人生のどこかで、きっと。
周はやはり、不動産屋の前でアパートの方向を振り返る自分の事を、ずっと見ていたのだと思った。
その気もないのに、下の目蓋に温かいものが溜まる。自分より他の人間が自分と同じように考えていてくれたことが嬉しかったのかもしれない。
「周と一緒の人生なら、あっという間に終わってしまいそうだ」
「嫌というほど俺という男を堪能させてやるから、俺より長生きしてくれ」
いつか別れが来る時、それがどちらかの死によるものでならば諦めも付くのだろうか。
「俺が先かもしれないじゃないか」
「年功序列だろう」
「そんなものに年功序列なんかあるもんか。寿命が尽きれば誰だって死ぬんだから」
すっきりと輪郭の切り立った端正な男の横顔が軽く笑う。
真紅のスポーツカーはスピードを上げて首都高に乗り西へと走る。
「なあ、もしかしてこの車買い換えた?」
「今日、手許に届いたばっかりだ。よくわかったな」 嬉しそうな声が返ってきた。前と全く同じ車に乗っているくせに、気付いてもらえたことがよっぽど嬉しいらしい。
「加速する時のエンジンの音が前より軽い。・・・・前の車は?車検に出してたんじゃなかったのか?」
「本当はぶつけて、大破して、スクラップだ。圭太に言うなよ」
「え、いつ?」
サングラスを外し、驚いた顔で凝視する享一に翠の視線を流すと、凄みのある嗤いを浮かべた。
「お前が、俺の前で土下座したあの後すぐ」
言葉を失った享一を気にかけるでもなく、さらりと言葉を続ける。。
「腹が立ちすぎて、自分を失ってたんだな。地下駐車場で車を発車さようとして、気がついたら猛スピードで正面の柱にぶつけてた」
周は前のZを、こよなく愛していた。
その愛車の最期をまるで他人事のように話す周の横顔を、口を半開きにした享一が唖然と見つめる。
一見、クールで何事にも動じない周だが、その根底には激しい情熱と気性を持つ。
自分が瀬尾の為に頭を下げた事がどれだけこの男を怒らせ、傷つけたかということを享一は今更思い知った。
晴れていた空が、自分たちが目指す西の方角から現れた雲に覆われ翳り出した。陽光が途絶え、ボンネットにはっきりと映ったビルのスカイラインが後方に流れて行く。
「確かに、年功序列は関係ないな。人生はわからない。だからこそ、思い通りに生きてみたいと思うのだろうな」
まだ若い周の口をついて出た「人生」という言葉は、波乱の人生を自らの手で切り開いて生きる人間ならではの強さと重みを以て、胸に雷鳴のように響いてくる。
「周、今日は帰らないか。せっかく車が届いてドライブに誘ってくれてありがたいけれど、今日は帰りたい気分なんだ」
帰る場所がある。それは、それまでのひとりの体温ではなく、自分以外の誰かのぬくもりのある場所だった。まだ住み始めて一ヶ月もったっていないペントハウスが、そこで周と抱き合う時間が愛しい。
この人生の延長上に周がいて、そのどこかに和輝もいる。そしていつか終りが来る。
周の傍にいる人生は、本当にあっという間に過ぎてしまうに違いない。
「それも、大歓迎」
細まった周の艶やかな翆の眼が享一を捕え、また前を向く。
フェアレディが高速を降りる頃、ぽつりと最初の雨の雫がフロントガラスを濡らした。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
記事の長さとエロマークについてのご意見、ありがとうございました。
当分は記事の長さは現状のままで、エロマークについても、自分でも曖昧な箇所が多いので
今のままで行くことにしました。はい、変らないです、何も(笑)
ご意見を下さったみなさま、大変参考になりました。ありがとうございました。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けない私ですがですが、書いていく励みになります。。
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記事の長さとエロマークについてのご意見、ありがとうございました。
当分は記事の長さは現状のままで、エロマークについても、自分でも曖昧な箇所が多いので
今のままで行くことにしました。はい、変らないです、何も(笑)
ご意見を下さったみなさま、大変参考になりました。ありがとうございました。
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周さまの手が頬から唇を辿るだけで、ぞくぞくします。
私の筆がこの境地に至るのは、まだまだ先だな~と実感中。
でも紙魚さんや某様方のエ○スに触発されて、私なりには頑張ってますよ~~(笑)。
ナルちゃんの名前が出て、「あ、そういえば、あの話…」と思ったのは内緒です(笑)。