10 ,2008
翠滴 1-6 月下 2 (18)
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享一は視線を外したまま説明した。
「恋歌ではなくて、ここに来る少し前に 絶交するくらいの決裂をしてしまったので
・・・・仲直りしたいって、事かな・・」
自分の名を歌に掛けるなんて、瀬尾らしいと思う。
瀬尾という男は、元来のロマンチストで自分の美意識に忠実であり、自分に絶対の自信を持つ野心家だ。
そんな瀬尾は、享一の物づくりに対する姿勢とセンスを認め、新しい建物を見に行ったり、図書館での調べ物をする時などよく付き合ってくれた。
友人の中でも信頼をおける親友といっても過言ないと思っていた。
「話を聞かせてもらっても?」と言って貰い、享一は頷いた。
誰かに聞いてもらうのも、いいかもしれない・・。
それまでの一連の出来事を、周は黙って聞いていた。
情けない結果だったけれど、享一の精一杯の気持ちをぶつけた恋だったと思う。
「俺は、まだ学生だし生活面でも経済面でも、まだまだ力は足りないけれど、
由利の全てを受け止めたい、そう思ったんです。
ただ、今頃になって、自分の理想を押し付けていた事に気付いてしまって、
彼女は・・・窮屈だったかも知れない」
由利の瀬尾への気持ちが膨らんでいった原因を作ったのは、
結局自分なのだと今では思う。
「初恋だったのですか?」
周がポツリと訊いてきた。
その声音がごく頼りなげで寂しげな感じがして、思わず顔を向けた。
周は相変わらず享一を見つめる瞳は、深く煙り瞳の底の方だけが月光を受けて
虹彩が冷たく光っている。深海のようだ。
時間も音も無く孤独だけが支配する静寂の世界。
2人して仄暗い海底に漂っているような気がした。一緒に手を取り月下のキラキラした水面に浮上したくて。無理矢理、口を抉じ開ける。
「俺、21ですし。いくらなんでも、初恋はないですよ」
明るい口調で言って、巧く出来る自信は無いが、無理に笑い顔を作った。
「俺の初恋って、小5ぐらいだったかなあ。ボーイスカウトの先輩に憧れました」
「・・・・・」
「もう名前も忘れちゃったんですけど、相手が中学生でやたらカッコよく思えて
たんですよ。罰ゲームだったけど、ファーストキスまでしちゃたし・・・
随分経って、もしかしてあれが初恋だったのかな・・なんて」
場を盛り上げるつもりでした幼い頃の恋バナに 周が無言で視線を寄越してくるのを見て、「ん?」・・・と、気が付いた。
「違いますよ!俺はソノ気は無いですから安心してください」
「ふふ、判ってますよ。女性と結婚を考えていたんですよね。」
薄めの綺麗な形の唇が優しげに綻ぶ。
「遭えなく撃沈しちゃいましたけどね、はは・・」と照れ隠しに笑った。
周は片膝を立ててその上に頬杖をつき、目を細めて微笑んだ。憂う表情も、リラックスする姿も、これほど絵になる男はいないだろう。周の前で、無理矢理でも笑うと、傷が癒えていくのを感じた。
その後、尽きぬ他愛も無い話に時間が過ぎ、月が大きく傾いた頃 欠伸がひとつ漏れた。もっと、周と話したい気もするのに、過剰摂取のアルコールも手伝って睡魔が忍び寄る。何の気なしにふっと口を吐いた。酔っ払いの戯言だ。
「周さんモテるでしょう?いいんですかぁ?俺なんか花嫁さんやっちゃってぇ」
「いいんですよ。惚れていますので」
「ふうーん」
半分寝ていた。
「眠そうですね。そろそろ、休みましょうか。明日は約束通り、裏山のお堂を
見に行きましょう」
「ふぁい」欠伸と同時に返事する。
花嫁役への嫌悪感は既に消えていた。ただの酔っ払いに成り下がり 時々、傾ぎそうになる躯を周に支えられながら部屋まで送ってもらった。
享一を支える周の手指が享一の躯を確かめるように移動するのを、享一自身一向に意に介する様子も無い。部屋の前の薄暗い廊下で、アルコールに蕩け切った邪気の無い瞳で周を見上げる。
周は、目線の先に自分の唇があることに気付くと、享一の頤に手を掛け上を向かせた。
顔の角度を変えることで少し開いた桜色の唇に、吸い寄せられるように唇を寄せて啄ばむと、享一がトロリと笑みを零す。軽々と悩殺してくる自覚の無い酔っ払いに、周は自分から仕掛けたくせに困ったように笑った。
「困った人です。早くおやすみなさい、明日はきちんと起きてくださいね」
「はひ。おやふみなさい」
警戒心の欠片も無く、無邪気に笑う享一を部屋に送り込んで引き戸を閉めた。
月明かりの下、器を引き取りに能舞台に戻る周の顔には、先程のはにかんだ笑顔の名残すら無く、獲物を捕獲し満足し舌なめずりする獣の非情な微笑が張り付いている。普通の人間がやると下品で傲慢な態度が、その美貌のおかげで気高さが崩れない。そのことが余計、周に邪な華を添えている。
「今更、断ろうなんて有り得ないでしょう?結構、単純ですね。可愛すぎますよ。
いっその事、いま食べてしまえばよかったかな」
小首を傾げ物憂げに、口先だけで紳士的な口調で呟いたかと思うと、オセロのピースを反転させるかの如く禍々しい生気を刷き、言い募る。
「享一 明日はたっぷりレクチャーしてやるから、覚悟しておけよ」
美しい相貌に捕食者の笑いを貼り付けたまま、月影に隠れた中庭の一角に突き出した、享一の部屋を眺めている。閉められた障子から享一の静かな寝息が伝わってくるようだ。
つと、その腰を背後から緩く抱かれ、振り向きもせず名前を呼んだ。
「鳴海」
「はい」
「頼みがある」
「貴方の部屋で伺いましょう」
月光が黒光りする床に抱き合う2人の影を落とした。
享一は視線を外したまま説明した。
「恋歌ではなくて、ここに来る少し前に 絶交するくらいの決裂をしてしまったので
・・・・仲直りしたいって、事かな・・」
自分の名を歌に掛けるなんて、瀬尾らしいと思う。
瀬尾という男は、元来のロマンチストで自分の美意識に忠実であり、自分に絶対の自信を持つ野心家だ。
そんな瀬尾は、享一の物づくりに対する姿勢とセンスを認め、新しい建物を見に行ったり、図書館での調べ物をする時などよく付き合ってくれた。
友人の中でも信頼をおける親友といっても過言ないと思っていた。
「話を聞かせてもらっても?」と言って貰い、享一は頷いた。
誰かに聞いてもらうのも、いいかもしれない・・。
それまでの一連の出来事を、周は黙って聞いていた。
情けない結果だったけれど、享一の精一杯の気持ちをぶつけた恋だったと思う。
「俺は、まだ学生だし生活面でも経済面でも、まだまだ力は足りないけれど、
由利の全てを受け止めたい、そう思ったんです。
ただ、今頃になって、自分の理想を押し付けていた事に気付いてしまって、
彼女は・・・窮屈だったかも知れない」
由利の瀬尾への気持ちが膨らんでいった原因を作ったのは、
結局自分なのだと今では思う。
「初恋だったのですか?」
周がポツリと訊いてきた。
その声音がごく頼りなげで寂しげな感じがして、思わず顔を向けた。
周は相変わらず享一を見つめる瞳は、深く煙り瞳の底の方だけが月光を受けて
虹彩が冷たく光っている。深海のようだ。
時間も音も無く孤独だけが支配する静寂の世界。
2人して仄暗い海底に漂っているような気がした。一緒に手を取り月下のキラキラした水面に浮上したくて。無理矢理、口を抉じ開ける。
「俺、21ですし。いくらなんでも、初恋はないですよ」
明るい口調で言って、巧く出来る自信は無いが、無理に笑い顔を作った。
「俺の初恋って、小5ぐらいだったかなあ。ボーイスカウトの先輩に憧れました」
「・・・・・」
「もう名前も忘れちゃったんですけど、相手が中学生でやたらカッコよく思えて
たんですよ。罰ゲームだったけど、ファーストキスまでしちゃたし・・・
随分経って、もしかしてあれが初恋だったのかな・・なんて」
場を盛り上げるつもりでした幼い頃の恋バナに 周が無言で視線を寄越してくるのを見て、「ん?」・・・と、気が付いた。
「違いますよ!俺はソノ気は無いですから安心してください」
「ふふ、判ってますよ。女性と結婚を考えていたんですよね。」
薄めの綺麗な形の唇が優しげに綻ぶ。
「遭えなく撃沈しちゃいましたけどね、はは・・」と照れ隠しに笑った。
周は片膝を立ててその上に頬杖をつき、目を細めて微笑んだ。憂う表情も、リラックスする姿も、これほど絵になる男はいないだろう。周の前で、無理矢理でも笑うと、傷が癒えていくのを感じた。
その後、尽きぬ他愛も無い話に時間が過ぎ、月が大きく傾いた頃 欠伸がひとつ漏れた。もっと、周と話したい気もするのに、過剰摂取のアルコールも手伝って睡魔が忍び寄る。何の気なしにふっと口を吐いた。酔っ払いの戯言だ。
「周さんモテるでしょう?いいんですかぁ?俺なんか花嫁さんやっちゃってぇ」
「いいんですよ。惚れていますので」
「ふうーん」
半分寝ていた。
「眠そうですね。そろそろ、休みましょうか。明日は約束通り、裏山のお堂を
見に行きましょう」
「ふぁい」欠伸と同時に返事する。
花嫁役への嫌悪感は既に消えていた。ただの酔っ払いに成り下がり 時々、傾ぎそうになる躯を周に支えられながら部屋まで送ってもらった。
享一を支える周の手指が享一の躯を確かめるように移動するのを、享一自身一向に意に介する様子も無い。部屋の前の薄暗い廊下で、アルコールに蕩け切った邪気の無い瞳で周を見上げる。
周は、目線の先に自分の唇があることに気付くと、享一の頤に手を掛け上を向かせた。
顔の角度を変えることで少し開いた桜色の唇に、吸い寄せられるように唇を寄せて啄ばむと、享一がトロリと笑みを零す。軽々と悩殺してくる自覚の無い酔っ払いに、周は自分から仕掛けたくせに困ったように笑った。
「困った人です。早くおやすみなさい、明日はきちんと起きてくださいね」
「はひ。おやふみなさい」
警戒心の欠片も無く、無邪気に笑う享一を部屋に送り込んで引き戸を閉めた。
月明かりの下、器を引き取りに能舞台に戻る周の顔には、先程のはにかんだ笑顔の名残すら無く、獲物を捕獲し満足し舌なめずりする獣の非情な微笑が張り付いている。普通の人間がやると下品で傲慢な態度が、その美貌のおかげで気高さが崩れない。そのことが余計、周に邪な華を添えている。
「今更、断ろうなんて有り得ないでしょう?結構、単純ですね。可愛すぎますよ。
いっその事、いま食べてしまえばよかったかな」
小首を傾げ物憂げに、口先だけで紳士的な口調で呟いたかと思うと、オセロのピースを反転させるかの如く禍々しい生気を刷き、言い募る。
「享一 明日はたっぷりレクチャーしてやるから、覚悟しておけよ」
美しい相貌に捕食者の笑いを貼り付けたまま、月影に隠れた中庭の一角に突き出した、享一の部屋を眺めている。閉められた障子から享一の静かな寝息が伝わってくるようだ。
つと、その腰を背後から緩く抱かれ、振り向きもせず名前を呼んだ。
「鳴海」
「はい」
「頼みがある」
「貴方の部屋で伺いましょう」
月光が黒光りする床に抱き合う2人の影を落とした。
周さんったら人が悪いわぁ←何
そんな意地悪な笑みを見てみたいですw