03 ,2010
翠滴 3 born 5 (88)
「検査の結果は良好だったようだな」
自分のラップトップの蓋を閉じながら河村が言った。SDカードを抜きケースに収める。
自社ブランドも出すセレクトショップ、”GLAMOROUS”の3Fにある日本トリニティのオフィスの一室で周と向かい合っていた。
つい今しがたまで、手狭になったオフィスの拡張計画についてこのビルの設計者でもある自分と代表である永邨 周、それに代表補佐の鳴海 基弥の3人で話し合っていた。
鳴海が業務に戻るのを見計らったかのように河村は口を開いた。
鳴海の前で享一の話題を出すのはご法度のような気がしたからだ。鳴海が享一を快く思っていないことは薄々感じてはいたが、享一が吐血して倒れたと聞いてヴィラに駆けつけた時の、鳴海の冷笑がいつまでも頭に残る。
享一だけでなく、破れたシャツを纏った周の顔にも酷い打撲の痕があった。
一体あの部屋で何があったのか。
ソファに白けた顔で座る辰村という男は、我関せずといった具合で黙ってタバコをふかしていた。男から漏れ出す危険な匂いがあの部屋の空気を更に重くしていた。
敗れたシャツの上に上着を羽織った周が享一を抱きかかえ「車をかせ」と一言いわなかったら、みなあの場所で蝋人形のように固まったままだったかもしれない。あの緊迫した重い空気の中で、事態の説明を求めるのは無謀というものだった。
その後も、辰村という男に対する忠告を自分から一度しただけで、周からは何も聞かされてはいない。
「ああ。そろそろ流動食を始めてもいいと内科医に言われた。この後、粥用の米を買いに行くつもりだ」
真顔の癖にどこか弾んだ響きを持つ周の声に、河村が小さく噴出した。
「なんだ、気持ちの悪い」
自分は周が10代の頃から知っている。その大半は、神前雅巳の愛人としての立場にあった。
礼節こそはわきまえているが、美しい貌に老成した冷めた瞳と不機嫌そうな印象が強い男だった。
自分が周のそんな部分に強く惹かれた時期もあったことを思い出す。
周は享一と出会い、確かに変わった。
享一の計算の出来ない素直で一途な性格が、周を惹き込み変えていったに違いなかった。
「お前が甲斐甲斐しく誰かの世話をする日が来ようとはな。入院させずに連れて帰るとお前が言った時は冗談かと思った。まあ、あの程度の潰瘍ならわざわざ入院するまでもないって話だったけどな」
「親父さんの病院に貢献してやれなくて悪かったな」
「まだ間に合うぞ。今なら先週退院した、政治家先生がマスコミ対策で泊まったVIP室が開いているそうだ。何なら押さえておこうか?エルミタージュほどではないが完璧な健康管理付で、長期療養にはもてこいだ。残念ながら他のヤツの設計だが、どの病室もホテル並みに快適だぜ」
河村の言葉に微妙な嫌味を読み取り、周はラップトップ越しに河村を見上げた。
「俺が聞いた見立てでは、潰瘍は大したこともない上に順調に快復に向かっていて、早ければ2週間ほどで仕事にも復帰できるってことだったぞ。誰が一ヶ月の入院なんて、享一に言ったんだ」
ちらりとまたカラーコンタクトの嵌った黒い瞳がこちらを見る。
謀を画策する男のにやりと悪戯めいた笑いが整った顔に愛嬌を添える。周が神前 雅巳と一緒にいた時にはこんな顔の出来る男だとは思わなかった。
「享一は体を壊しても仕事を休まないタイプだから、このままだと過労死の危険がある。と言ったら、療養を兼ねて経過を見ましょうという事になったんだ。人間味のある内科医の厚意だ」しれっと嘯いて見せ、念のためとばかりに釘を指してきた「他言は無用だぞ」。
呆れるばかりだ。
「享一には・・・だろう。それより、お前たちは実際どうなってるんだ?薫から享一が大学時代に付き合っていたガールフレンドとの間に子供がいたって話しを聞いたが、本当なのか?享一の潰瘍はそのことが原因か?」
周は黙って自分のPCも閉じ立ち上がると外出の用意をはじめた。沈黙が答えることを拒否する代わり河村の問いを肯定する。河村は短い溜息をついた。
「驚いたな。小坂さんは・・・ああ、享一を診た内科医なんだが。潰瘍はともかくとして、享一をいちど心療内科に見せることを勧めていたぞ」
春用の薄手のコ-トを手にした周が振り返り、目が合った。
「全て語らずともわかっているといった顔だな。小坂さんとは話したのか?」
「ああ、電話をもらった。手に負えない時は世話になるかもしれないと言ってある」
支度を整えた周が内線で鳴海に出掛ける旨を短く伝える。本気で米を買いに行く気らしい。
「それじゃあ、俺は上にあがって享一の見舞いでもしてから帰るかな」
追い出さんばかりに部屋のドアを開けて待つ周の前を通りながら呟やくと、腕をがしっと掴まれた。同じ高さにある黒い目が険しい眼光を飛ばしてくる。笑い出しそうになった。
「面会謝絶だ」
「なんでだ、顔見て帰るくらいいいだろう?」わざと惚けてやる。
「圭太には前科があるからな」
「何が言いたい」
「いまの享一は目に毒だ。俺は静に恨まれるのは御免だ」
「ああ?」
この男、一体何を企んでいるのやら。
享一との過去をいまだに根に持っている事だけは、確かなようだ。
まったく顔に似合わず執念深いヤツだ。
「よくわからんが、楽しんでるみたいだな」
「圭太」
勝手にやってくれとばかりに肩をひとつ竦め部屋を出るとまた引き止められた。
廊下には誰もおらず、日々眩しくなる春の日差しが濃い色のタイルカーペットにくっきりとした並行四角形を落とす。振り返ると思慮に惑うような、今まであまり見た事のない表情をして立つ周がいた。
確実に前より表情が豊かになった。これも享一の影響なのだろう。
「どうした、周」
「俺がまだ会った事も自分の子でもない子供の事を思うのは、傲慢だろうか」
「背景にもよるな。その子が自分の大切に思う相手の子供なら、相手を慈しむのと同じ感情が起ったとしてもおかしくはないんじゃないのか。それより、お前が俺にそんな事を聞くなんて、嬉し過ぎてキスしたくなるな」
「まっぴらごめんだ」
言われた本人は一瞬で真顔に戻り、次に口の片端を上げ不敵に笑うと、階下のショップに続く螺旋階段を早足で下りていった。
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翠滴 1―1 →
翠滴 2―1 →
翠滴 3―1 →
自分のラップトップの蓋を閉じながら河村が言った。SDカードを抜きケースに収める。
自社ブランドも出すセレクトショップ、”GLAMOROUS”の3Fにある日本トリニティのオフィスの一室で周と向かい合っていた。
つい今しがたまで、手狭になったオフィスの拡張計画についてこのビルの設計者でもある自分と代表である永邨 周、それに代表補佐の鳴海 基弥の3人で話し合っていた。
鳴海が業務に戻るのを見計らったかのように河村は口を開いた。
鳴海の前で享一の話題を出すのはご法度のような気がしたからだ。鳴海が享一を快く思っていないことは薄々感じてはいたが、享一が吐血して倒れたと聞いてヴィラに駆けつけた時の、鳴海の冷笑がいつまでも頭に残る。
享一だけでなく、破れたシャツを纏った周の顔にも酷い打撲の痕があった。
一体あの部屋で何があったのか。
ソファに白けた顔で座る辰村という男は、我関せずといった具合で黙ってタバコをふかしていた。男から漏れ出す危険な匂いがあの部屋の空気を更に重くしていた。
敗れたシャツの上に上着を羽織った周が享一を抱きかかえ「車をかせ」と一言いわなかったら、みなあの場所で蝋人形のように固まったままだったかもしれない。あの緊迫した重い空気の中で、事態の説明を求めるのは無謀というものだった。
その後も、辰村という男に対する忠告を自分から一度しただけで、周からは何も聞かされてはいない。
「ああ。そろそろ流動食を始めてもいいと内科医に言われた。この後、粥用の米を買いに行くつもりだ」
真顔の癖にどこか弾んだ響きを持つ周の声に、河村が小さく噴出した。
「なんだ、気持ちの悪い」
自分は周が10代の頃から知っている。その大半は、神前雅巳の愛人としての立場にあった。
礼節こそはわきまえているが、美しい貌に老成した冷めた瞳と不機嫌そうな印象が強い男だった。
自分が周のそんな部分に強く惹かれた時期もあったことを思い出す。
周は享一と出会い、確かに変わった。
享一の計算の出来ない素直で一途な性格が、周を惹き込み変えていったに違いなかった。
「お前が甲斐甲斐しく誰かの世話をする日が来ようとはな。入院させずに連れて帰るとお前が言った時は冗談かと思った。まあ、あの程度の潰瘍ならわざわざ入院するまでもないって話だったけどな」
「親父さんの病院に貢献してやれなくて悪かったな」
「まだ間に合うぞ。今なら先週退院した、政治家先生がマスコミ対策で泊まったVIP室が開いているそうだ。何なら押さえておこうか?エルミタージュほどではないが完璧な健康管理付で、長期療養にはもてこいだ。残念ながら他のヤツの設計だが、どの病室もホテル並みに快適だぜ」
河村の言葉に微妙な嫌味を読み取り、周はラップトップ越しに河村を見上げた。
「俺が聞いた見立てでは、潰瘍は大したこともない上に順調に快復に向かっていて、早ければ2週間ほどで仕事にも復帰できるってことだったぞ。誰が一ヶ月の入院なんて、享一に言ったんだ」
ちらりとまたカラーコンタクトの嵌った黒い瞳がこちらを見る。
謀を画策する男のにやりと悪戯めいた笑いが整った顔に愛嬌を添える。周が神前 雅巳と一緒にいた時にはこんな顔の出来る男だとは思わなかった。
「享一は体を壊しても仕事を休まないタイプだから、このままだと過労死の危険がある。と言ったら、療養を兼ねて経過を見ましょうという事になったんだ。人間味のある内科医の厚意だ」しれっと嘯いて見せ、念のためとばかりに釘を指してきた「他言は無用だぞ」。
呆れるばかりだ。
「享一には・・・だろう。それより、お前たちは実際どうなってるんだ?薫から享一が大学時代に付き合っていたガールフレンドとの間に子供がいたって話しを聞いたが、本当なのか?享一の潰瘍はそのことが原因か?」
周は黙って自分のPCも閉じ立ち上がると外出の用意をはじめた。沈黙が答えることを拒否する代わり河村の問いを肯定する。河村は短い溜息をついた。
「驚いたな。小坂さんは・・・ああ、享一を診た内科医なんだが。潰瘍はともかくとして、享一をいちど心療内科に見せることを勧めていたぞ」
春用の薄手のコ-トを手にした周が振り返り、目が合った。
「全て語らずともわかっているといった顔だな。小坂さんとは話したのか?」
「ああ、電話をもらった。手に負えない時は世話になるかもしれないと言ってある」
支度を整えた周が内線で鳴海に出掛ける旨を短く伝える。本気で米を買いに行く気らしい。
「それじゃあ、俺は上にあがって享一の見舞いでもしてから帰るかな」
追い出さんばかりに部屋のドアを開けて待つ周の前を通りながら呟やくと、腕をがしっと掴まれた。同じ高さにある黒い目が険しい眼光を飛ばしてくる。笑い出しそうになった。
「面会謝絶だ」
「なんでだ、顔見て帰るくらいいいだろう?」わざと惚けてやる。
「圭太には前科があるからな」
「何が言いたい」
「いまの享一は目に毒だ。俺は静に恨まれるのは御免だ」
「ああ?」
この男、一体何を企んでいるのやら。
享一との過去をいまだに根に持っている事だけは、確かなようだ。
まったく顔に似合わず執念深いヤツだ。
「よくわからんが、楽しんでるみたいだな」
「圭太」
勝手にやってくれとばかりに肩をひとつ竦め部屋を出るとまた引き止められた。
廊下には誰もおらず、日々眩しくなる春の日差しが濃い色のタイルカーペットにくっきりとした並行四角形を落とす。振り返ると思慮に惑うような、今まであまり見た事のない表情をして立つ周がいた。
確実に前より表情が豊かになった。これも享一の影響なのだろう。
「どうした、周」
「俺がまだ会った事も自分の子でもない子供の事を思うのは、傲慢だろうか」
「背景にもよるな。その子が自分の大切に思う相手の子供なら、相手を慈しむのと同じ感情が起ったとしてもおかしくはないんじゃないのか。それより、お前が俺にそんな事を聞くなんて、嬉し過ぎてキスしたくなるな」
「まっぴらごめんだ」
言われた本人は一瞬で真顔に戻り、次に口の片端を上げ不敵に笑うと、階下のショップに続く螺旋階段を早足で下りていった。
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翠滴 3―1 →
□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
今日は河村再度登場。
自分が実は軟禁状態なのに気がつかない享一です(笑)
すみません!!気がつけば40000HIT超えていました!
更新の設定をする前に見たときは15人くらい余裕があったのに。。。
拙宅のようなジミジミブログに40000~~~!スゴイ。
これも、みなさまにお越し頂けたおかげです。
ありがとうございました!!
もし、キリバンを踏まれた自覚のある方、いらっしゃったらご一報くださいませ。
久しぶりにキリリクというのをやってみようと思います。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けない私ですがですが、書いていく励みになります。。
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自分が実は軟禁状態なのに気がつかない享一です(笑)
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これも、みなさまにお越し頂けたおかげです。
ありがとうございました!!
もし、キリバンを踏まれた自覚のある方、いらっしゃったらご一報くださいませ。
久しぶりにキリリクというのをやってみようと思います。
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享一はずーっと、軟禁されてればいいと思います。
まだ、お仕置きも残ってますし。
子供のこと、周にとっても享一の子どもだということは、特別なことなのですね。
なんだか、周が楽しそうでよかった、よかった。