03 ,2010
翠滴 3 born 2 (85)
「十二指腸潰瘍と栄養失調だそうだ」
「え?」
何の感情も込められずにさらりと告げられた言葉に短く問い返してしまった。
「ストレス性の十二指腸潰瘍と軽い栄養失調。1週間の安静と3週間の休養であわせて1ヶ月、ここに入院してもらう」
「ストレス・・・。あの、ここに入院って・・・・?」
「圭太の実家が運営する病院は満床だった。ここなら圭太の親父さんか内科医が往診してくれるそうだ。ベッドが空くまでここで待機してもらう」
ベッドが空くまでの待機・・・・・何かを期待していた訳ではないと言い聞かせつつも、気持ちのどこかが萎びていく。
河村の実家はそこそこの規模を持つ総合病院を経営していると聞いたことがある。今の話からすると河村が車で自分の実家が経営する病院に運んでくれたらしい。河村は自分達が別れたことはまだ知らないようであったから、他の病院に運ぶことはせず、このペントハウスに運んできてしまったのかもしれない。
周も運び込まれるのが病人とあっては、さすがに嫌だとは言えなかったのだろうか。
ストレスで十二指腸潰瘍・・・自分の精神の弱さが露呈したみたいで情けなく恥しかった。
周がベッドが空くまでの我慢だと思って自分をおいてくれているのならこれ以上の迷惑を周にかけるのは偲びない。かといって、今すぐどうこうしようにも体が重く腕一本、持ち上がらなかった。
思いあぐねて見上げた周の顔の側面に濃い痣が残っている。その痣によって周の凛々しい美貌を損なわれるわけではなく、却って雄っぽい色香が強調される。
この傷は、自分が周につけた傷に違いがなかった。
「周、その・・・」謝罪を簡単に口するのが躊躇われ、言葉は一旦宙に浮いたものの、そのまま喉の奥に引っ込んでしまった。
周は黙ったままハンガーにかかる点滴のパックを取り替え、享一の腕に刺さる針から伸びたチューブに繋がる管も取り替えた。
空になったパックをゴミ箱に放り込むと、やっと口を開いた。すっと滑らかに寄せられた流し目にどきりとする。
「瀬尾が、気になるか?」
翠の瞳が昏く揺らめく。
正直に頷いた。周の傷が自分のつけたものであるなら、瀬尾の遭った災難もまた半分は自分のせいだ。何より、和輝には瀬尾が必要だ。
「瀬尾は今朝ドミニカの首都、サントドミンゴで開放されたと連絡があった」
「ドミニカ?」
馴染みの薄い国名を出され、その国がどの辺にあったのか頭の中を検索する。が、大雑把に中南米のどこかというイメージがヒットしたくらいだった。
「ドミニカ共和国はカリブ海の島国だ。五体満足で内臓も無事だと辰村は言っていた」
ごく自然に周の口から出た辰村の名前に、躰が小さくピクリと震えた。安堵と気がかりが同時にやってくる。生命の危険に晒されていたのであろう瀬尾の無事を喜ぶより、周と辰村の関係のほうが気になる自分は本当に情の薄い人間なのだと思った。
「辰村は・・・・?」
もう会わないとさっき河村に話していたのではなかったか。
「辰村とは、弟の方が代表をしている会社と一部提携する事になった。もともと、そっちの狙いが目的で近づいてきた男だ」
そうだろうか。あの男の眼は本気だった。
燃え上がる情念と本物しか求めない審美眼の鋭さが、あの男の執着心を周に向けさせたのは間違いなかった。本当のところ自分が倒れた後2人はどうなったのか?だが、それを口にしない周に向かって想像の密約を聞き出す術も、妙案も自分にはない。
黙って唇を噛みしめるしかなかった。
頭のすぐ横でマットがたわんだ。周の顔が近づいてくる。
吐息が唇にかかり、柔らかく重なる感触を期待した唇が勝手にわなないた。だが、間近に見る深緑に沈む瞳を穿つ顔は、瀬尾の命乞いの時に見せたのと同じ冷え切った厳しい表情をしている。
「瀬尾は無事だ。享一、お前が奴をどう思おうが勝手だが、ここにいる間は奴の名前を口に出すな」
それだけ言うと周はあっけなく身を離し、振り返りもせず部屋を出て行った。
ドアは開いたままだったが、置き去りにされたような寂しさに、視線は周の消えた寝室の入り口に縋りついた。
周の言い分は尤もで、恋人を寝取り自分を窮地に追い込んだ諸悪の根源のような瀬尾の名など、聞きたくもないだろう。それも、恋人だった男の口からなど、プライドの高い周には堪え難いに違いない。
自分をこのペントハウスに置くのだって河村の手前、仕方なくの事だ。
もう少しこの躰が動くようになったら、自分で入院できる病院を探してここを出よう。
周には何らかの形で償いたいとは思うが、何をすれば償えるのかどうすればいいのか。辰村とのことを聞き出せないのと同じで、手がかりすら掴めず、手段も何も思いつかなかった。
周が部屋を去って、しばらくすると窓の外で雪がちらつき始めた。そういえば、今晩は寒くなるといった河村が言っていた。
自分の現状と今後についてあれこれ考えれば、すぐに数々の現実問題にぶち当る。
まず会社だ。今日が検査の日から何日経ったのか全くわからなかったが、無断欠勤になっているのは間違いないだろう。それにアパートとホテルもほったらかしだ。
アパートは家賃が自動引き落としになっていて問題はないとして、ホテルは前払い式の安価なビジネスホテルだった。滞在費未払いの場合荷物がどうなってしまうのか、気になった。アパートから持ち込んだ少ない荷物の中には、母親に就職祝いで買ってもらったスーツも入っている。
就職と同時に実家を出た自分に母親が“奮発した”と贈ってくれたスーツは、周や河村が纏うものに比べれば安価でささやかなものではあったけれど、大切な服だ。
とにかく、ホテルに電話して自分の荷物の事を聞くしかない。
会社に関しては、病気で倒れたと説明すればわかってもらえるだろう。応急措置のような解決方法を頭に描き、その後の空白にため息をつく。
瀬尾との事については考えがまとまらなかった。どのような状態で解放されたのかはわからないが、自由になったのなら必ず戻ってくる。
今回のことで瀬尾も自分とはもう関わりたいと思わなくなるだろうし、自分ももう気持ちを誤魔化すことは出来ない。
瀬尾の出方次第だと思いながら、二人で歩く未来はもうどこにもないということだけは確信していた。
体力が戻ったら、病院のベッドの空きが出たら、ここを出る。
快復するまでは今しばらくかかるような気がしたが、病院のベッドなら明日にも空くかもしれない。その推測は享一の決心とは裏腹に、酷く享一を不安にさせる。
ここを出たら。その時こそ、周と完全に切れてしまうに違いなかった。
やがて訪れる周不在の世界に怯えながら、享一は浅い眠りに落ちていった。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
なんでまだRゾーンに入れていないのか。。。?
ドミニカ共和国。ビザもなしで瀬尾っちは無事戻ってこれるんでしょうか(笑)
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とりあえずペントハウスにいることを許された享一さん。
十二指腸潰瘍と栄養失調!!!ああなんて( )すみません、もう紙魚さん狙っているとしか思えない享一の( )っぷり。
周さん、享一を甘やかしたい気持ちをぐっと我慢の子なのでしょうか?
クールです。
今後の身の振り方を考える享ポン(いきなりポン)健気だ。
瀬尾さんは、なぜかドミニカで解放されて内蔵も無事(その言い方怖い)らしいし、ああ、もう、ここで1回幸せになって~と気をモミモミしています。
それで、もう1回不幸が来て「翠滴Ⅳ」スタート!!
ってのはどうでしょう?←勝手に~。