02 ,2010
翠滴 3 傀儡 20 (77)
薄闇に空調の音だけがする。
部屋と同じく空調設備も古いのか、時折ブワンとくたびれた音を立て生温い風を狭い部屋の中に送り込んできた。
その微かな音にも、びくりと躰を震わせ、浅い眠りから目を覚ました。
目を覚まし自分の呼吸する音を聞き、胎児のように横たわるベッドのシーツを伝わる自分の心臓の音を感じて自分が生きている事を知った。そして、その度に小さな失望の溜息を吐いた。
享一が宿泊しているビジネスホテルに戻ってきたのは土曜日の夕方頃だった。
部屋に入るなり享一は服も脱がずベッドに潜り、自分の躰を丸め動かなくなった。
咽も渇かず空腹も感じない。
時折、睡魔が訪れて享一を浅い眠りへと攫った。そして、何度も同じ夢を見た。
周が、自分に銃口を向ける夢。
周に見放される事が、これほど自分を打ちのめすとは思っていなかった。
ペントハウスを訪れる前は、ダメでもともとだと思っていたのではなかったか?
いや、違う。どこかに、周なら自分を、自分の頼みを聞いてくれるのではないかという甘えがあった。
自分という人間の厚顔さや薄さが耐えられず、自分などこのまま消えてなくなればいいと何度も願う。
―――「想像力を欠いたその鈍さに虫唾が走りますね」
以前、鳴海から自分の想像力の貧しさを手痛く指摘された事があった。
あの時も、自分の不甲斐なさや未熟さが、周を窮地追いやった。自分の鈍さで周を再び傷つけ、こともあろうか、その尻拭いまでさせようとした自分が許せない。
その癖、いま自分の中に痼るのは、周への骨身が砕けてしまいそうなほどの痛みを伴う恋情と未練だ。
瀬尾の脅しがあったとしても、和輝を選び瀬尾に抱かれ、周に別れを告げたのは自分だった。周には、二度と会わない覚悟があったはずだった。
結局、自分は和輝の父親にもなれず、周の信頼のおける恋人にもなれなかった。
何者にもなれなかった自分を周が見捨てるのは当然だ。
浅い眠りの中の周が引き金を引く瞬間を、夢と現の狭間で何度も夢想した。周のもたらす死は甘美で、息を潜めて身を横たえた享一を陶酔させる。
暗闇にマナーモードに設定した携帯のバイブの音が響いた。その音も空調の音と共に暗闇の中で、もう何度も耳にした。ベッドサイドのスタンド台に組み込まれたデジタル時計は午前1時を示している。日付を見て自分が丸1日半ベッドに丸まっていた事に気がつき、ようやく身を起こした。全身がだるく胃に鈍く抉るような痛さがあった。
一旦止んだ携帯がまた鳴り出した。重い腕を伸ばし携帯を手に取る。
「もしもし」
『キョウか?』
「ああ」
小さな機械を通して7500km離れた男の声を伝える。もしもしと答えた瞬間、相手が安堵する様子が間合いや溜息、声音で伝わってくる。
『お前、心配させるなよ。何度、電話したと思ってるんだ?』
「悪い、寝てて全然気がつかなかった」
『具合でも悪いのか?』
「仕事が忙しかったから、疲れただけだ」
『そうか、それならいいんだ。何も変わったことは無いか?』
「ないよ。そっちは?」
空き巣に入られたことは口に出さなかった。それは、心配をかけたくないというよりは、早く通話を切り上げたいという気持ちからだったかもしれない。やはり、自分は薄情な人間なのだと思い至る。
『なかなかよさ気な物件が見つかったんだが、持ち主が旅行中で来週まで戻らないらしい。オーナーが戻るのを待って、売買契約を終らせてからそっちに戻りたいから、帰国は伸びそうだ』
世界中どこに逃げても同じだ。周の言葉が蘇る。
あの時、自分に引導を渡す周はどんな表情をしていただろう。享一を破壊しかねない程の烈火の怒りを滾らせ、朱に燃える翠の瞳。両眉の端を吊り上げ、自分を睨みつける修羅の容貌を美しいと思い、愛しいと想う。
先に起こりうる命の心配より、そんな事を気にしている自分は、もう死んでいるのも同じかもしれない。
「そうか、わかった。気をつけろよ。じゃ」
『あ?キョ・・・』
その後何か言おうとした瀬尾の声を断ち切るように携帯を切った。電源も落としてテーブルに置く。
瀬尾は惚れた相手が拙かったのだ。そして自分もまた、自分の分をわきまえず気高い魂を持つ高嶺の花に恋をしてしまった。かけがいのない存在だと思っていたのに、裏切ってしまった。
周には、自分のような愚かな人間ではなく、もっと上等な人間が似合う。
バンクーバーに移るなら、和輝は由利の元に戻した方がいい。唐突にそうひとつ思い至ると、享一はユニットバスのドアを潜り頬を濡らす未練を流すために湯を浴びた。
朝までの短い眠りの中でまた夢を見た。だが、渾沌とした心の奥底で蠢く何かは形を成さず、ただ激しい恋慕の想いに狂おしく身悶えるのみだった。
月曜の朝、享一は鉛のように重く感じる身体を無理に起こし、ホテルエルミタージュを訪れた。
竣工してから数ヶ月経った頃に行われる建物の検査だ。3ヶ月前、竣工間もないホテルに周と客としてこのホテルに泊まった。全室スイートのエルミタージュは150室の比較的小ぶりなホテルだが、モダンながらもノスタルジックな要素が建物や内装の細部にまで取り入れられ、選び抜かれたインテリアが訪れた客を極上の世界へと誘う。
ホテルそのものの優美さと、細かいところまで行き届いた最上級のもてなしが早くも国内外から高い評価を受けていた。
エルミタージュの設計者である河村を、享一はホテルのロビーで待った。
何度訪れても、思わず溜息が零れる素晴らしい空間だ。高い天井まで届くアーチ型の窓が連なり、細長いロビーに朝の日差しが明るく差し込んでいる。その日差しの向こうから、一人の男が歩いてきた。
窓と窓の影に入るたび、その男の掛けた眼鏡の奥の冷徹な目がこちらを真っ直ぐに見ているのがわかる。もしも視線が刀であったなら、間違いなく一突きにされているに違いない。そんな眼だ。
「お待たせしました。今日は小西に変わって私が検査に同行いたします」
享一の目の前で止まった鳴海の顔に皮肉めいた冷たい微笑が浮かぶ。
眼鏡を通しても鋭さの削がれる事のない視線は、享一を刺し貫いたまま逸らされることはなかった。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
鳴海さん、周に続いて久しぶりの登場ですv
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前回、電話で「キョウイチ」と呼ばれただけでぶったおれそうだった享一さんが瀬尾っちからの「キョウか」の声に空き巣の事も語らず、最後まで話も聞かずに切ってしまう。
本当に薄情です。
恋心に身悶えている享一さんが素敵…。
そして出た~鳴海さん! 昨日の「鳴海はお好きですか?」の問いかけはコレだったのでしょうか?
好きです。鳴海さん、さぁ、思う存分享一さんをいじめて下さい。