01 ,2010
翠滴 3 傀儡 10 (67)
腕や頬や背中をいきかう温かい手のひらの気持ちよさに緩慢に意識が浮上した。
「もう、水泳はやらないのか?」と、
問いかける声に質問の内容など理解せず、気だるい息を吐く。
手のひらがまた頬を横切りクッションに埋まる頭髪を梳いた。
「お前の泳ぐ姿、好きだった」
2つ目の言葉を聞いて、ようやく言葉の意味が脳に浸透し、理解できた。
薄く開いた目の黒曜石の瞳だけを声のする方へと向ける。ボトムだけを身につけた瀬尾が、ベッドにうつ伏せている享一の傍に腰をかけて享一の頭を撫でている。柔らかなサイド照明だけ薄暗い部屋にエアコンのヒーターの低い音だけが響いていた。油断すればまたぬかるんだ眠りに沈んでいきそうだ。
床まで垂らされた分厚い遮光カーテンの隙間に、まだ蒼い早朝の光が縦に鋭い薄刃の線を引く。
朝が近い。
身体に熱っぽい重さを感じて、出勤時間までもう一眠りしたいと瞼を閉じる。その頬をまた瀬尾のゆびが撫で仕方なく目を開けた。
「そういえばお前、よく部活見に来てたな。あの時はマネージャーの吉沢かすみと付き合ってたんだっけ。知ってたか?お前が毎日プールサイドにやってくる度、女子部員の視線を独り占めにするから、お前は俺たち男子部員からはかなり煙たがられてたよ。本当、やな奴だった」
享一が冗談めかして鼻に皺を寄せ、見上げて笑う。
「お前を見てた」
瀬尾の硬い声に、瀬尾を揶揄う笑い声が朝の気配に吸い込まれ消えた。
代わって表情の消えた空ろな顔をクッションに隠す。
その頭を何度も瀬尾の手のひらが行きかった。
「キョウ、俺はあのプールで泳ぐお前に会って変わったんだ。教科書に載りそうなほど正確なフォームで水を切り泳ぐお前の姿を最初はただ上手いなって思っただけだった。お前が同じクラスの奴だって事にも気付かなかった」
「それが、お前がタイムを聞かされて嬉しそうにガッツポーズをして心の底から喜ぶ姿を見たとき、”こいつは生きている”って思った」
享一が少しずらして顔を向ける。瀬尾は立てた脚に肘をついてその上から弱く笑いかけた。
「生きているって、こういうことなんだって思った」
頭から瀬尾の手が離れた。
瀬尾の視線が享一から外れ、やや力強いラインの横顔を向ける。
その横顔をクッションの窪みから見上げた。
「今だから白状するけど、俺は前の学校で妊娠騒動を引き起こして退学になったんだ。外聞を気にした親父は、隣の県なら大丈夫だろうって、俺をあのお前のいた高校に放り込んだのさ。俺に精子の異常があるって分かったのも、本当はその時だった」
瀬尾の告白は、周に聞かされた話と一致する。
享一は外界を遮断するように瞳を閉じた。
「でも、お前に出会ってお前に近付きたい一心で俺は変わった。結局は親父の目論見どおりになったって訳だ。腹立たしさもあるが俺は自由になった。親父は俺が心を入れ替えたと思って、煩い口を挟まなくなったった。お前と同じ大学を選べたのも俺を大人しくさせておく為に親父が折れたんだ」
入院中の瀬尾を見舞った時に会った、瀬尾の兄を思い出した。見た目も肩書きも申し分ないはずなのに、どこか冷たく欠落した印象があった。まず、社会的な外聞を気にするという父親の存在の大きさを感じた。瀬尾は、その父親にずっと反発してきたのかもしれない。
唇を押さえられる感覚に我に返った。
目を瞑ったままの頬をすべる瀬尾の手の甲が、翻って唇を辿る。下唇を弄られ湿った内部に侵入してきた。
「疑って、悪かったな。お前が和輝を危険に晒すような事をするはずは無いのに」
「和輝?」
まだどこかうつつだった頭が和輝の名前で一気に覚醒し、クッションから顔を上げ上半身を起こした。
上半身の重さが掛かる腰に激しい疼痛が走り、呻きながら顔を顰め、ばすんと躰が落ちて羽毛の掛け布に埋もれる。
体中が熱っぽく、重ったるい。
「本当に悪かった。実は事故とピッキングの他にもちょっとあってな。疑心暗鬼になってた。今日からアメリカってこともあったし・・・・正直、焦ってたんだ」
「なんで、和輝を危険に晒らされるんだ?アメリカって、仕事で?和輝も連れて行くのか?」
矢継ぎ早な質問に瀬尾はずれた掛け布を享一に掛け直し息を吐いた。
「いや、和輝は従姉妹夫婦に頼んだ。仕事は昨日、事務所に辞表を出してきた」
「・・・どうして?」
腰に纏いつく鋭い痛みも忘れて、瀬尾の顔を見た。
瀬尾と再会した頃、意気揚々とどれだけ自分が今の仕事の話にやりがいを感じているのか話していたのを思い出す。徳山の自殺の話を聞いた時も、ダメージを受けた姿は見せながらも仕事に対する不満などひとつも漏らさなかった。
「俺はお前に黙っていた事がある。俺は、お前に目がくらんでとんでもないものを引っこ抜いてしまったらしいな」
自分を見下ろし苦い笑いを浮かべる瀬尾に訳がわからず、話が見えないと呟いた。
熱を持った身体が鉛のように重く、頭の中にも薄く靄がかかったようだ。
「前に、永邨がレンタルされていた話はしたよな。お前は知ってると言ってた・・・」
確かに周のレンタルの話を瀬尾の口から聞かされたことがあった。
瀬尾は、その話を脅しのネタとして使い、その夜ずっと親友だと思っていた男に抱かれた。胸に鋭い痛みが走り柔らかい羽毛の下で身を硬くする。
瀬尾は苦悶に強張る享一には何も言わず先を続けた。
「永邨のことを嗅ぎまわっていた時に、匿名のメールで永邨が売春まがいの事をやっていたという情報を送ってきた奴がいたんだ。最初は俺のことを知った誰かの悪戯か罠かとも思ったんだが、一応N・Aトラストと不自然な繋がりを持つと思われた企業や人物を・・・」
世の中には決して触れてはいけないものがある。
「まさか、調べたのか?」
享一は瀬尾の言葉を断った。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
イカン、展開が遅い・・・
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この二人は、こうやってきちんと向かい合うことがなかったんだと、いま初めて思いました。子どもをはさんで一緒に暮らしていても、根本にある気持ちには触れないできてしまった、そのつけは大きいような。
水面下でいろいろな動きがあるらしいのも、気になります。
いやいや、サスペンスドラマを見てるみたいだ。
続き続き♪