12 ,2009
翠滴 3 傀儡 5 (62)
「さあ、座って」
ソファに座るとテーブルが遠くなる。花隈がソファとテーブルの間のラグに靴を脱いで直接座るのを見て享一もそれに倣った。
いつもの癖で、床に正座で座る。
安里に「姿勢が良いですね。日本人の鑑だ」と褒められ、花隈も「じゃ僕も」と足を折る。
何もかも自然な日常がここにある。
享一はぼんやりと柔らかい午後の日差しが落ちるテーブルに並べられた料理を眺めた。
食器とのミスマッチに目をつぶれば、それこそ雑誌に出てきそうな料理が並ぶ
前に聞いた花隈の評から、味がどうかわからないロシアンルーレットようなスリリングな料理たちだが、見た目は美しく安里のセンスの良さが伺えた。
「お昼だけど、今日は仕事休みなんだし少しぐらいはいいよね」
グラスに入ったシャンパンが出された。
白いテーブルに琥珀の影を落すグラスの内側で、小さな泡がキラキラと踊る。
たったこれだけのことで幸福感に酩酊しそうになる。
あまりにも低い自分の幸せの基準に苦笑しつつも、この穏やかな時間を愛しく思い噛み締めた。
ふと、瀬尾と3人でおでんを食べた時の和輝の嬉しそうな顔を思い出した。適当な鍋が無くて寸胴で大量に出来てしまった中身を見て和輝は家でおでんが食べられることに大喜びした。
喩えどんな味でも、和輝と笑いながら食べれば数百倍旨く感じるられるだろうにと、ここに和輝がいないことが、寂しく残念に思えた。
混沌とした闇の中で和輝の存在だけがはっきりとした輪郭を持ち、夜の海で明るい光を放つ灯台のように狂気の縁を彷徨う自分を此岸に繋ぎとめている。
もう10日以上会っていない。瀬尾は、もうしばらく親戚に預けるつもりだと言っていた。
早く、屈託のない元気な笑顔を会いたいと思う。
一通りの給仕を終えた安里が当然のように花隈の背中を長い足で囲むようにソファに座る。
享一は進められて、手前にあった茄子の田楽を取り口に運んだ。
柔らかい茄子を咀嚼し飲み込む。味はわからないがいつもより食欲が湧き、少し甘いような気もする。続いて隣の鯛の荒煮にも手を伸ばした。
その様子を見守る花隈たちと目が合い、気恥ずかしさに顔が熱くなる。
「お2人は、本当に仲がいいんですね」
享一の言葉に、アイコンタクトを取る仕草で顔を見合わせ笑う。
花隈は自分がゲイであることを憚らず公言し、恋人である安里もその上をいく。世界35カ国で発刊されるファッション雑誌のインタビューで、安里は自分はゲイだとカミングアウトしたのだと河村から聞いていた。モデルとして人気の絶頂にあった頃の話だと聞いた。
同性愛にも寛容な業界にいるからこそできた事だろうが、もしこれが自分が勤める旧体質の会社ならば間違いなく職場を去る結果となるだろう。
「僕は薫を口説き落とすのに。フランスと日本を100往復しました。日本の百夜通いの精神を信じたんです。3年かかってやっと振り向いてくれた。そんな薫を相手に愛の出し惜しみをするなんてナンセンスでしょう?」
「半分は、単に仕事が一緒になっただけじゃない」
「それは違う。ヘルシンキもNYもアルゼンチンも薫の仕事先の情報を僕がエージェントを通して把握し、スケジュールを合わせたんです」
「暇なフランス人だよねえ」
ひと笑い出した花隈を後ろから安里が抱き寄せる。
「ひどいな。言っておきますが、僕は半分は日本人ですよ」
「はいはい、わかってるよ。安里。君が100%フランス人だったら、君は僕と一緒になるためにあと、2サイクル百夜通いをする羽目になったと思うもの」
安里が嬉しそうに花隈の頭髪にキスを落とした。
その仕草が至極自然で、互いの信頼の深さが目に見えるようだ。
「日本人には隠すことを美徳と考える傾向がありますが、百夜通いのような熱烈なアピールをやっておきながら、後は秘する恋では無責任すぎるでしょう」
「安里ったら、時代が違うじゃない。平安時代の日本人はもっとおおらかで情熱的だったのよ。大体、安里は正座を日本人の鑑って言ったり、今度は無責任って言ったり、一体どっちなの」
「ノン。僕の基準は僕の信念と薫。君です」
「もう・・・参ったわ」
黙って指を絡める2人を、掛け値なしに羨ましいと思う。自分はこんなに深く大らかに一人の人間を愛したことがあっただろうか。
恥ずかしいからと言葉を出し惜しみ、素っ気の無い態度で伸ばされた長い腕をすり抜けた。
その癖、たくさんの温もりと愛の言葉を貰った。
恋を確信する安里の物言いの一つ一つに封印した男の姿が蘇る。端整な顔に穿たれたブルーグレイの瞳や黒い髪も、何もかもが回路が直結したように周を思い起こさせ、胸が惑乱し始める。
「あのさ、サクラちゃん」
花隈が声の調子を落として聞いてきた。眉間に指を当て次の言葉を考えあぐねる様子を見るうちに、花隈が言わんとしていることを察した。
「花隈さん、俺・・・子供がいるんです」
2人の目が豆鉄砲を食らったように大きくなって固まった。安里が慎重に口を開く。
「それは、時見さんの子供・・・ということですか?」
「はい。前に付き合っていた女性との子供なんですけど結局、彼女は俺の友達と結婚してしまって。俺もずっとその事実を知らなかったんです」
「びっくりした。サクラちゃんに子供がいたなんて初耳だったから」
「驚かせてすみません。去年ふたりが離婚して、俺は親権を取った友人と一緒にその子供を育てることに決めたんです」
「なんでそうなるの?・・・サクラちゃんもしかして、その友達と付き合っているの?」
わからない。定期的に会い、会えば必ずセックスをする。それを「付き合う」というなら、そうかもしれない。
享一はゆっくり頷いた。
ずっと心の基盤の上で不安定に転がり続けていたものが、ぽっかりと空いた深みを見つけて落ち着いた。常に心がイラつき欲望だけを追い求め、精神が磨耗するだけの安定だが、訳も無くただ諦めがついた。
もうどこにも行きようがない。一度、瀬尾を求めてしまったこの指は、一番守りたいと願ねがった男に触れるには汚れすぎていた。
「サクラという呼び名も、もともと周がつけたものですし、もうその名で呼ばないでください」唇に周の名を載せると、胸の奥にキリキリと鋭く尖った切っ先で抉られるような痛みを感じた。
周が一度目の祝言の時にくれた『サクラ』という名前を、痛みと一緒に捨ててゆく。
花隈とも、もう会うことはないという予感がする。
「まったく、どの口が言ってんだか」
前にも葉山のバー、シーラカンスで同じ科白を吐かれたことがある。あの時は、憎々しいと言いたげな程の花隈の厳しい目つきに享一も反発した。
だが今は、哀憐を滲ませる花隈の目を享一は正視出来ず、下を向いた。
「僕にはね、シーラカンスでサクラちゃんと再会した時も今も、サクラちゃんの本当に気持ちが透けて見えてるよ。君は」
そこで言葉が途切れた。背後にいる安里が広い花隈の背中をそっと摩っている。
頑なに下を向いた享一の肩が震え、短くなった前髪の下で、大粒の涙が零れ落ちた。
この先を聞けば、自分が折れてしまう。だから言わないでくれ。と、言外に語る享一に花隈は背中の安里の手の温もり分け与えるように、濡れた享一の頬に手を伸ばした。
こんな涙、自分のどこに残っていたのだろうか。
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ソファに座るとテーブルが遠くなる。花隈がソファとテーブルの間のラグに靴を脱いで直接座るのを見て享一もそれに倣った。
いつもの癖で、床に正座で座る。
安里に「姿勢が良いですね。日本人の鑑だ」と褒められ、花隈も「じゃ僕も」と足を折る。
何もかも自然な日常がここにある。
享一はぼんやりと柔らかい午後の日差しが落ちるテーブルに並べられた料理を眺めた。
食器とのミスマッチに目をつぶれば、それこそ雑誌に出てきそうな料理が並ぶ
前に聞いた花隈の評から、味がどうかわからないロシアンルーレットようなスリリングな料理たちだが、見た目は美しく安里のセンスの良さが伺えた。
「お昼だけど、今日は仕事休みなんだし少しぐらいはいいよね」
グラスに入ったシャンパンが出された。
白いテーブルに琥珀の影を落すグラスの内側で、小さな泡がキラキラと踊る。
たったこれだけのことで幸福感に酩酊しそうになる。
あまりにも低い自分の幸せの基準に苦笑しつつも、この穏やかな時間を愛しく思い噛み締めた。
ふと、瀬尾と3人でおでんを食べた時の和輝の嬉しそうな顔を思い出した。適当な鍋が無くて寸胴で大量に出来てしまった中身を見て和輝は家でおでんが食べられることに大喜びした。
喩えどんな味でも、和輝と笑いながら食べれば数百倍旨く感じるられるだろうにと、ここに和輝がいないことが、寂しく残念に思えた。
混沌とした闇の中で和輝の存在だけがはっきりとした輪郭を持ち、夜の海で明るい光を放つ灯台のように狂気の縁を彷徨う自分を此岸に繋ぎとめている。
もう10日以上会っていない。瀬尾は、もうしばらく親戚に預けるつもりだと言っていた。
早く、屈託のない元気な笑顔を会いたいと思う。
一通りの給仕を終えた安里が当然のように花隈の背中を長い足で囲むようにソファに座る。
享一は進められて、手前にあった茄子の田楽を取り口に運んだ。
柔らかい茄子を咀嚼し飲み込む。味はわからないがいつもより食欲が湧き、少し甘いような気もする。続いて隣の鯛の荒煮にも手を伸ばした。
その様子を見守る花隈たちと目が合い、気恥ずかしさに顔が熱くなる。
「お2人は、本当に仲がいいんですね」
享一の言葉に、アイコンタクトを取る仕草で顔を見合わせ笑う。
花隈は自分がゲイであることを憚らず公言し、恋人である安里もその上をいく。世界35カ国で発刊されるファッション雑誌のインタビューで、安里は自分はゲイだとカミングアウトしたのだと河村から聞いていた。モデルとして人気の絶頂にあった頃の話だと聞いた。
同性愛にも寛容な業界にいるからこそできた事だろうが、もしこれが自分が勤める旧体質の会社ならば間違いなく職場を去る結果となるだろう。
「僕は薫を口説き落とすのに。フランスと日本を100往復しました。日本の百夜通いの精神を信じたんです。3年かかってやっと振り向いてくれた。そんな薫を相手に愛の出し惜しみをするなんてナンセンスでしょう?」
「半分は、単に仕事が一緒になっただけじゃない」
「それは違う。ヘルシンキもNYもアルゼンチンも薫の仕事先の情報を僕がエージェントを通して把握し、スケジュールを合わせたんです」
「暇なフランス人だよねえ」
ひと笑い出した花隈を後ろから安里が抱き寄せる。
「ひどいな。言っておきますが、僕は半分は日本人ですよ」
「はいはい、わかってるよ。安里。君が100%フランス人だったら、君は僕と一緒になるためにあと、2サイクル百夜通いをする羽目になったと思うもの」
安里が嬉しそうに花隈の頭髪にキスを落とした。
その仕草が至極自然で、互いの信頼の深さが目に見えるようだ。
「日本人には隠すことを美徳と考える傾向がありますが、百夜通いのような熱烈なアピールをやっておきながら、後は秘する恋では無責任すぎるでしょう」
「安里ったら、時代が違うじゃない。平安時代の日本人はもっとおおらかで情熱的だったのよ。大体、安里は正座を日本人の鑑って言ったり、今度は無責任って言ったり、一体どっちなの」
「ノン。僕の基準は僕の信念と薫。君です」
「もう・・・参ったわ」
黙って指を絡める2人を、掛け値なしに羨ましいと思う。自分はこんなに深く大らかに一人の人間を愛したことがあっただろうか。
恥ずかしいからと言葉を出し惜しみ、素っ気の無い態度で伸ばされた長い腕をすり抜けた。
その癖、たくさんの温もりと愛の言葉を貰った。
恋を確信する安里の物言いの一つ一つに封印した男の姿が蘇る。端整な顔に穿たれたブルーグレイの瞳や黒い髪も、何もかもが回路が直結したように周を思い起こさせ、胸が惑乱し始める。
「あのさ、サクラちゃん」
花隈が声の調子を落として聞いてきた。眉間に指を当て次の言葉を考えあぐねる様子を見るうちに、花隈が言わんとしていることを察した。
「花隈さん、俺・・・子供がいるんです」
2人の目が豆鉄砲を食らったように大きくなって固まった。安里が慎重に口を開く。
「それは、時見さんの子供・・・ということですか?」
「はい。前に付き合っていた女性との子供なんですけど結局、彼女は俺の友達と結婚してしまって。俺もずっとその事実を知らなかったんです」
「びっくりした。サクラちゃんに子供がいたなんて初耳だったから」
「驚かせてすみません。去年ふたりが離婚して、俺は親権を取った友人と一緒にその子供を育てることに決めたんです」
「なんでそうなるの?・・・サクラちゃんもしかして、その友達と付き合っているの?」
わからない。定期的に会い、会えば必ずセックスをする。それを「付き合う」というなら、そうかもしれない。
享一はゆっくり頷いた。
ずっと心の基盤の上で不安定に転がり続けていたものが、ぽっかりと空いた深みを見つけて落ち着いた。常に心がイラつき欲望だけを追い求め、精神が磨耗するだけの安定だが、訳も無くただ諦めがついた。
もうどこにも行きようがない。一度、瀬尾を求めてしまったこの指は、一番守りたいと願ねがった男に触れるには汚れすぎていた。
「サクラという呼び名も、もともと周がつけたものですし、もうその名で呼ばないでください」唇に周の名を載せると、胸の奥にキリキリと鋭く尖った切っ先で抉られるような痛みを感じた。
周が一度目の祝言の時にくれた『サクラ』という名前を、痛みと一緒に捨ててゆく。
花隈とも、もう会うことはないという予感がする。
「まったく、どの口が言ってんだか」
前にも葉山のバー、シーラカンスで同じ科白を吐かれたことがある。あの時は、憎々しいと言いたげな程の花隈の厳しい目つきに享一も反発した。
だが今は、哀憐を滲ませる花隈の目を享一は正視出来ず、下を向いた。
「僕にはね、シーラカンスでサクラちゃんと再会した時も今も、サクラちゃんの本当に気持ちが透けて見えてるよ。君は」
そこで言葉が途切れた。背後にいる安里が広い花隈の背中をそっと摩っている。
頑なに下を向いた享一の肩が震え、短くなった前髪の下で、大粒の涙が零れ落ちた。
この先を聞けば、自分が折れてしまう。だから言わないでくれ。と、言外に語る享一に花隈は背中の安里の手の温もり分け与えるように、濡れた享一の頬に手を伸ばした。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
長い!!みなさま、さぞ退屈だったのではないかと思います。
穏やかムードはここでおしまいです。次からはまた瀬尾っち登場。
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けない私ですがですが、書いていく励みになります。。
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こころ強い友人もいるし、前向きに考えて欲しいなあ。
でも、何かが起こっているふうなのが気になります。
退屈なんてとんでもない、ゆっくり、じっくり書いてください。
と、愛人として、最初のコメントをせねばと飛んできました(アドさん、るかさんに先を越されないように)