11 ,2009
翠滴 3 breath 5 (52)
静かな室内にキーを叩く音が響く。
白を基準にした日本トリニティの代表執務室の飾り気の無い内装はシンプルながらも洗練された機能美で訪れる者をリラックスさせると共に、ほんの少し背筋を伸ばすことを要求する。
鳴海は、周が要求を出し河村圭太がデザインしたこの部屋を訪れる度、『禅の空間』だと思う。
ただ、この二ヶ月ほどの間でこの部屋にも変化が訪れていた。
ソファには無造作に毛布が置きっ放しにされ、キャビネットに隠されたミニバーの扉が開きミネラルのボトルや階下のイタリアンレストランの食器が詰まれているのが丸見えになっている。
以前ではありえない光景に、部屋主の心の乱れを感じ取った。
その当人は執務机に座り、デスクトップとノートPCに囲まれ憑かれたようにキーを打ち続けている。マシンガンのように叩き続けるキーの音が止むたびに、赤みを帯びた深い翠の瞳が2つの画面を行き来し、またキーを叩き始める。
もう何日も、ろくに眠れていないのだろう。
執務室と一般オフィスは電圧で不透明になる特殊ガラスで仕切られている。いつもは白濁して視線を遮るガラスが今日は透けており、その向こうに白い螺旋階段が見える。
店舗は営業中だが、休日のオフィスに上がってくるものは誰もいない。無人のオフィスでひっそり息を潜めている螺旋階段は、設計者である清艶な色香を放つ男を連想させ、横目で階段をチラリ認めた鳴海は眼を眇めた。
「この部屋は、確かにあなた専用に設えましたが、我が日本トリニティーは居住用として使用する許可を与えた覚えははありませんよ」
周はデスクの上のノートPCから顔を上げると、モニター越しに作業を中断させた男を面倒臭そうに睨みつけた。疲労の濃い表情の中で餓えた獣のような翠の瞳だけがぎらついている。
「あなたはいつからホームレスになったんですか?」
「失礼な奴だな。俺はちゃんと自分の部屋に戻っているぞ」
「着替えと風呂、必要最小限でしょう? その他の大半の時間をここで過ごしているなら、住んでるも同じでしょうが。今日は神が決めたもうた休息日です。あなたも部屋に戻って休まれてはどうですか」
「お前こそ、週に一度の日曜に、どこも行く宛がないのか。相変わらず寂しい男だな」
それはお互い様でしょうと、言いかけた言葉を鳴海は呑み込んだ。
再びキーの連打が再開されるが、鳴海の次の言葉でピタリと全ての動きが停止する。
「年末の報道はあなたが読んだ通り、クライアントたちが動いたようです」
「・・・・やはりな。警官がらみの事件がああいう形で表に出るのはおかしいと思った。で、影響は出ているのか?」
「瀬尾隆典の所属する法律事務所への依頼は激減していますね。弁護士業というのは一種サービス業と通じるところもありますから、一度ケチが付けば敬遠されるのも仕方ないでしょう。ただ、これであの方々が終わらせるとは思えない。この先、瀬尾の身に何も起こらないとは言い難いですね」
瀬尾と共にいる時見にも、なにもないとも言い切れない。
「問題は、クライアントたちとあなたの関係を、瀬尾がどこで知り得たかということです。あなたのレンタルに関しては、双方の間で形になるものは残さないということになっていた」
周が嫌悪の形相もあからさまに鼻を鳴らす。
鳴海の報告を全て聞いた周の身体が機能的なアーロンチェアーの背もたれに沈み、考え倦ねる表情を見せる。このように途方に暮れ、苦悶する周の姿を見るのは何年ぶりだろう。
10年前、周が各要人にレンタルされ出した頃は毎日見ていたような気がする。
だが、周は自分の降りかかる運命も、もともと持ち合わせた天性の才覚と強靭な精神力で鮮やかに切り返し自由を勝ち取った。
かつて、日本の巨大な根幹企業を買収される側に追い込み、自らの一族の持つ一流企業も解体した男が10代の頃と同じ表情を見せ思案に暮れている。
このまま瀬尾を放置すれば、一緒にいる時見や息子の和輝にも被害が及ぶかも知れず、かといって手を出せば瀬尾を救うことになる。
瀬尾隆典が和輝の父親であり続ける限り、時見の安全と瀬尾の保身を切り離すことは出来ない。
鳴海は表情を緩め、薄く口角を上げて嗤うと、ドアの横にあるスイッチに手を触れた。
一瞬でガラスが曇り、視界から螺旋階段が消える。
周が訝しむような表情を向けてきた。顔には何も言うなと書いてあるが、気にせずにしゃべり出す。
「さすがのあなたも、血の繋がりには勝てなかったということですか」
「何が言いたい」
周は鳴海の言葉を断ち切る勢いで立ち上がると、バーの冷蔵庫までいって、最後のミネラルのボトルを取り出した。冷えたボトルを手に振り返った周は、すぐ後ろに立った鳴海に虚を衝かれ一瞬たじろいだものの、すぐにぞんざいな態度を引っ張り出す。
「用が済んだんなら、さっさと帰れ」
「人に調べさせといて、それはないでしょう?」
周は鳴海の言葉を無視して、目の前で首を仰け反らせてミネラルを煽る。
鳴海の怜悧な目が、滑らかな動きを見せる周の喉を見つめ細まった。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
キリのいいところで切れませんでした・・残念。
先を期待させてしまう展開。先にお伝えしておかなくては・・・本編では、リバシーンは入りません。
期待してる(ごく一部の・・)方、ごめんよう。
紙魚
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
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思わせぶり過ぎます~。
「高くついたツケ」を今、支払うのか?!…と、欄外の作者コメを読むまで大いに期待してしまいました(アホですね・笑)。
それはともかく、周様を探るってことは、敵に回したら周様以上にやっかいで恐い人たちにも、都合の悪いことが出てくるってことですよね。
瀬尾っちを闇に葬るのは、周様やナルちゃん達より先に、クライアントの方々ってこともありうるわけですか。
周様が簡単に動かなかったのは、そう言うことも絡んでいるからなんですね。
物語の構築が深いです。先が読めません。
それにしても、煽られました。
いいの、ここから先は番外編が出るまで、脳内二次で凌ぎます(笑)