11 ,2009
翠滴 3 breath 4 (51)
「俺は、目撃者探しは警察に任せるようにと何度も伝えたんだ。でも、自分も元警官だからノウハウはわかるからって・・・持病持ちの60がらみの男がたった一人で何が出来る?」
瀬尾はベンチに凭れ、半眼で空に浮かぶ過ぎさりし時間を見上げ、享一は手の中でどんどん冷たくなってゆく黒い液体を見つめた。
「でも、実際は自分の家族から犯罪者を出したことで元同僚や後輩からも敬遠され、力になってくれる人間もいなかったらしい。ロクに風呂にも入らず無精ひげも伸び放題で、飯の時間も惜んで現場に立ち続ける草臥れた老人の姿を哀れだと思った。だが徳山さんには、未熟な俺の同情なんかが触れることも許されないような鬼気迫る高潔さがあったよ」
そこで、瀬尾は一旦言葉を切った。
「俺は徳山さんの姿に『親』の執念を見たんだ」
「パパーー!」
声のする方に視線を向けると、その先にこちらに向かって走ってくる和輝の姿がある。
「パパ、あのね、練習終わったけど喬くんたちがもうちょっと遊ぼうって。行っていい?」
「いいよ。けど向こうの林の方とか行くなよ」
「わかった!」
瀬尾が「いい」と口にした時点で方向を変えて、糸の切れた凧状態ですっ飛んでいく後姿に2人して笑う。
グラウンドは森と言ってもいいくらいの背の高い雑木林に囲まれていた。チームの3分の1ほどの子供が残ってサッカーを続けていて、その中に和輝も混じっている。
「俺は、一年前のあの事件はてっきり正当防衛で片が付いたもんだと思ってた」
「誰もがそうなると思っていた。ところが事件の当日、現場で一緒だったって奴が証言を覆しやがった。被害者の2人が薬物摂取でラリっているところを私服警官だと名乗った徳山さんの息子が、ろくに動けない2人を一方的に攻撃したと証言したんだ」
違法な薬物を使用していたとしても、心神喪失状態の人間に一方的に手を出したとなると当然、正当防衛ではなくなるし情状酌量も厳しくなる。
「だがこれは、息子の証言と食い違う。男二人は若い女と揉めていて、止めに入った息子が警官と知った途端に刃物を出して襲ってきと言った。被害者の男たちは地元暴力団の構成員で、現場周辺で手広く薬や違法ハーブを捌いていたらしい。状況から考えて、男たちと女は取引で揉めていたと考えるのが順当だろうな。女は、息子が自分をかばって男たちと殴り合っている間に逃げたそうだ」
死を呼ぶ薬を売る男と、正義感から過失で相手を殺してしまった男。そして、全てを知りながら逃げた女。
正当防衛と殺人では、罪の深さも善悪の尺度も違う。
徳山は息子と警官である息子の正義感を救いたくて、現場に立ち続けていたのだろう。
「徳山さんは、目撃者とその現場から消えた女を探していたんだ」
「それだったら、なんで自殺なんか・・・・・・」
徳山は終焉の日、病院の屋上で自分の胸を打ち抜いた。息子を思う父親の自殺。
自殺という単語は、重苦しい瘴気を放ちながらこの事件に纏わりつく。
瀬尾も瘴気に取り憑かれたのだろうか。徳山の自殺あとから仕事に没頭していた。深夜、突然疲れた顔で享一のアパートを訪れ、溺れる者のように享一に掻き抱くと、来た時と同じくふらりと帰ってゆく。
もしかしたら瀬尾は、徳山の意志を引き継いでその女を捜しているのかもしれない。
「直接の原因は病気だ。亡くなるひと月前に徳山さんはくも膜下出血で倒れたんだ。半身に後遺症が残り、息子のために現場に立てなくなった徳山さんは自分は役立たずだと自分を随分責めていた。鬱病を併発して裡に篭るようになり、見舞いに行っても会えないことが多くなった」
瀬尾は徳山の入院中、足繁く徳山を見舞っていたのだろうか。
仕事という垣根を超えて、徳山の力になろうとする瀬尾の人間臭さは嫌いではない。
どうして瀬尾とこんな関係でしか、付き合えなくなってしまったのだろうか。
「徳山さんは病を抱えた自分が、妻や息子の足手纏いになることを怖れていた。家族を不幸にした自分の父親と自分が重なったんじゃないかと思う」
「自分の父親?」
「徳山さんは生前、自分はアル中で暴力を振るう父親のもとに生まれ、小学校すらまともに行かせて貰えなかったと言っていた。16で母親が死んだと同時に家を飛び出して苦労した末、警官になったんだそうだ。学歴がないからキャリアにもなれない。警察という機関の底辺で、父親を反面教師に実直な自分の正義感だけをを頼りに生きた強い人だった」
瀬尾の言葉が途切れた。グラウンドでは、お揃いのユニフォームを着た子どもたちがサッカーに興じている。小奇麗な身なりの保護者たちが自分の子供にほがらかな声援を送っている。
徳山の生きてきた世界とは、遠く隔たった光景だと享一は思った。
「息子といったって、もう立派な社会人なんだぜ。でも徳山さんにとっては、いつまでも可愛い子供のままだったんだな。なんであんな強い人が自分の子供のことになると、盲目になっちまうのかな」
言葉の最後は少し震えてビブラートがかかる。
瀬尾は、心の底から徳山という人間を好きだったのだろう。
どこを見回しても掛ける言葉は見つかるはずも無く、冷め切ったコーヒーを口に含む。香りのない苦味だけが舌の上に広がった。
空になったカップを地面に置き、所在無く膝に乗せた手をそっと冷たい掌が握り締めてきた。顔を上げると繋がった手にギュッと力が入り、疲労の色が濃く浮いた瀬尾の目が見つめてくる。
なんとなく瀬尾が泣きだすのではないかと思った。
もし自分が徳山と同じ立場なら、自分は和輝のために同じことが出来るだろうか?
一年間、同じ場所に立ち続ける。口で言うのは簡単だが、並大抵の精神で出来ることではない。
自分の宙ぶらりんな現状とはあまりに懸隔がありすぎて、これはもう20年以上の歳月をかけ我が子を慈しんできた徳山親子の絆との圧倒的な時間の差なのだと思った。
だからこそ、自分の全てを捧げ我が子を護ろうとした徳山という男の死を口惜しく感じた。
憤りも悲しみも、温かい陽光のような息子への愛もなにもかも、死んでしまってはお終いだ。
「キョウ、泣いているのか?」
「え? あ、いや・・・・・・」
目の縁が熱くなり、俯いた視界が滲むと瀬尾の手がさらにきつく握ってくる。
払うタイミングを逃した冷たい指先から、多分同じ考えであろう瀬尾の悔しさが流れて込んできた。
瀬尾は徳山の親の慈愛を尊び、和輝に庇護者としての優しい眼差しを向ける。
その一方で『和輝をお前の代わりにする』と脅し、自分は和輝を護るため瀬尾に抱かれている。
瀬尾が半端に人間臭い弱さや誠意を見せなければ、瀬尾を殺したいほど憎くめれば、いっそ楽なのにと思う。
愛情と憎悪と背徳が入り混じった身動きの取れない歪な関係。
‥‥苦しい。
タスケテ、タスケテクレ・・・・・・アマネ。
後悔はしないと諦めた筈の心が、じくじくと膿み始める。
「和輝の父ちゃーーーん!!」
遠くで叫ぶ子供の声に思考が断ち切られた。弾かれたように互いの手がさっと引く。
何事かと声の方を見ると、喬純がグラウンドの向こうから必死になって駆けて来る。怒ったような泣き顔のような。切羽詰った喬純の形相に、2人して条件反射のようにして立ち上がった。
「和輝がっ、和輝がおらんようなった!」
<< ←前話 / 次話→ >>
目次を見る
翠滴 1―1 →
翠滴 2―1 →
翠滴 3―1 →

にほんブログ村
瀬尾はベンチに凭れ、半眼で空に浮かぶ過ぎさりし時間を見上げ、享一は手の中でどんどん冷たくなってゆく黒い液体を見つめた。
「でも、実際は自分の家族から犯罪者を出したことで元同僚や後輩からも敬遠され、力になってくれる人間もいなかったらしい。ロクに風呂にも入らず無精ひげも伸び放題で、飯の時間も惜んで現場に立ち続ける草臥れた老人の姿を哀れだと思った。だが徳山さんには、未熟な俺の同情なんかが触れることも許されないような鬼気迫る高潔さがあったよ」
そこで、瀬尾は一旦言葉を切った。
「俺は徳山さんの姿に『親』の執念を見たんだ」
「パパーー!」
声のする方に視線を向けると、その先にこちらに向かって走ってくる和輝の姿がある。
「パパ、あのね、練習終わったけど喬くんたちがもうちょっと遊ぼうって。行っていい?」
「いいよ。けど向こうの林の方とか行くなよ」
「わかった!」
瀬尾が「いい」と口にした時点で方向を変えて、糸の切れた凧状態ですっ飛んでいく後姿に2人して笑う。
グラウンドは森と言ってもいいくらいの背の高い雑木林に囲まれていた。チームの3分の1ほどの子供が残ってサッカーを続けていて、その中に和輝も混じっている。
「俺は、一年前のあの事件はてっきり正当防衛で片が付いたもんだと思ってた」
「誰もがそうなると思っていた。ところが事件の当日、現場で一緒だったって奴が証言を覆しやがった。被害者の2人が薬物摂取でラリっているところを私服警官だと名乗った徳山さんの息子が、ろくに動けない2人を一方的に攻撃したと証言したんだ」
違法な薬物を使用していたとしても、心神喪失状態の人間に一方的に手を出したとなると当然、正当防衛ではなくなるし情状酌量も厳しくなる。
「だがこれは、息子の証言と食い違う。男二人は若い女と揉めていて、止めに入った息子が警官と知った途端に刃物を出して襲ってきと言った。被害者の男たちは地元暴力団の構成員で、現場周辺で手広く薬や違法ハーブを捌いていたらしい。状況から考えて、男たちと女は取引で揉めていたと考えるのが順当だろうな。女は、息子が自分をかばって男たちと殴り合っている間に逃げたそうだ」
死を呼ぶ薬を売る男と、正義感から過失で相手を殺してしまった男。そして、全てを知りながら逃げた女。
正当防衛と殺人では、罪の深さも善悪の尺度も違う。
徳山は息子と警官である息子の正義感を救いたくて、現場に立ち続けていたのだろう。
「徳山さんは、目撃者とその現場から消えた女を探していたんだ」
「それだったら、なんで自殺なんか・・・・・・」
徳山は終焉の日、病院の屋上で自分の胸を打ち抜いた。息子を思う父親の自殺。
自殺という単語は、重苦しい瘴気を放ちながらこの事件に纏わりつく。
瀬尾も瘴気に取り憑かれたのだろうか。徳山の自殺あとから仕事に没頭していた。深夜、突然疲れた顔で享一のアパートを訪れ、溺れる者のように享一に掻き抱くと、来た時と同じくふらりと帰ってゆく。
もしかしたら瀬尾は、徳山の意志を引き継いでその女を捜しているのかもしれない。
「直接の原因は病気だ。亡くなるひと月前に徳山さんはくも膜下出血で倒れたんだ。半身に後遺症が残り、息子のために現場に立てなくなった徳山さんは自分は役立たずだと自分を随分責めていた。鬱病を併発して裡に篭るようになり、見舞いに行っても会えないことが多くなった」
瀬尾は徳山の入院中、足繁く徳山を見舞っていたのだろうか。
仕事という垣根を超えて、徳山の力になろうとする瀬尾の人間臭さは嫌いではない。
どうして瀬尾とこんな関係でしか、付き合えなくなってしまったのだろうか。
「徳山さんは病を抱えた自分が、妻や息子の足手纏いになることを怖れていた。家族を不幸にした自分の父親と自分が重なったんじゃないかと思う」
「自分の父親?」
「徳山さんは生前、自分はアル中で暴力を振るう父親のもとに生まれ、小学校すらまともに行かせて貰えなかったと言っていた。16で母親が死んだと同時に家を飛び出して苦労した末、警官になったんだそうだ。学歴がないからキャリアにもなれない。警察という機関の底辺で、父親を反面教師に実直な自分の正義感だけをを頼りに生きた強い人だった」
瀬尾の言葉が途切れた。グラウンドでは、お揃いのユニフォームを着た子どもたちがサッカーに興じている。小奇麗な身なりの保護者たちが自分の子供にほがらかな声援を送っている。
徳山の生きてきた世界とは、遠く隔たった光景だと享一は思った。
「息子といったって、もう立派な社会人なんだぜ。でも徳山さんにとっては、いつまでも可愛い子供のままだったんだな。なんであんな強い人が自分の子供のことになると、盲目になっちまうのかな」
言葉の最後は少し震えてビブラートがかかる。
瀬尾は、心の底から徳山という人間を好きだったのだろう。
どこを見回しても掛ける言葉は見つかるはずも無く、冷め切ったコーヒーを口に含む。香りのない苦味だけが舌の上に広がった。
空になったカップを地面に置き、所在無く膝に乗せた手をそっと冷たい掌が握り締めてきた。顔を上げると繋がった手にギュッと力が入り、疲労の色が濃く浮いた瀬尾の目が見つめてくる。
なんとなく瀬尾が泣きだすのではないかと思った。
もし自分が徳山と同じ立場なら、自分は和輝のために同じことが出来るだろうか?
一年間、同じ場所に立ち続ける。口で言うのは簡単だが、並大抵の精神で出来ることではない。
自分の宙ぶらりんな現状とはあまりに懸隔がありすぎて、これはもう20年以上の歳月をかけ我が子を慈しんできた徳山親子の絆との圧倒的な時間の差なのだと思った。
だからこそ、自分の全てを捧げ我が子を護ろうとした徳山という男の死を口惜しく感じた。
憤りも悲しみも、温かい陽光のような息子への愛もなにもかも、死んでしまってはお終いだ。
「キョウ、泣いているのか?」
「え? あ、いや・・・・・・」
目の縁が熱くなり、俯いた視界が滲むと瀬尾の手がさらにきつく握ってくる。
払うタイミングを逃した冷たい指先から、多分同じ考えであろう瀬尾の悔しさが流れて込んできた。
瀬尾は徳山の親の慈愛を尊び、和輝に庇護者としての優しい眼差しを向ける。
その一方で『和輝をお前の代わりにする』と脅し、自分は和輝を護るため瀬尾に抱かれている。
瀬尾が半端に人間臭い弱さや誠意を見せなければ、瀬尾を殺したいほど憎くめれば、いっそ楽なのにと思う。
愛情と憎悪と背徳が入り混じった身動きの取れない歪な関係。
‥‥苦しい。
タスケテ、タスケテクレ・・・・・・アマネ。
後悔はしないと諦めた筈の心が、じくじくと膿み始める。
「和輝の父ちゃーーーん!!」
遠くで叫ぶ子供の声に思考が断ち切られた。弾かれたように互いの手がさっと引く。
何事かと声の方を見ると、喬純がグラウンドの向こうから必死になって駆けて来る。怒ったような泣き顔のような。切羽詰った喬純の形相に、2人して条件反射のようにして立ち上がった。
「和輝がっ、和輝がおらんようなった!」
<< ←前話 / 次話→ >>
目次を見る
翠滴 1―1 →
翠滴 2―1 →
翠滴 3―1 →

にほんブログ村
□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
自ら墓穴を掘る重暗いシーンは終りです(は~終わった~~・涙
ほぼ強制的に連れ込んでしまい、ごめんよう~(_ _(--;(_ _(--; ペコペコ
喬純は和輝の保育園でのおともだちです。最初の登場シーンは→こちらから
紙魚
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けない私ですがですが、書いていく励みになります。。
■ブログ拍手コメントのお返事は、サイトの”もんもんもん”の
ブログ拍手コメ・メールのお返事からか、もしくは*こちら*から
自ら墓穴を掘る重暗いシーンは終りです(は~終わった~~・涙
ほぼ強制的に連れ込んでしまい、ごめんよう~(_ _(--;(_ _(--; ペコペコ
喬純は和輝の保育園でのおともだちです。最初の登場シーンは→こちらから
紙魚
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けない私ですがですが、書いていく励みになります。。
■ブログ拍手コメントのお返事は、サイトの”もんもんもん”の
ブログ拍手コメ・メールのお返事からか、もしくは*こちら*から
> 鼻水をズルズル啜りながら拝読していて
> 最後に父ちゃんの代わりに「何っ!!」と叫んでしました。
・うおおぉ!鼻水ですか?風邪でしょうか?あったかくしてくださいね~~
代わりに叫んでいただいて、ありがとうございます(笑)
和輝、いなくなっちゃいました。父ちゃん’S 焦ります。
> あぁん、もぉ!!
> どこまでドキドキさせるかなぁ・・・(笑)
・ヤタ!ドキドキして頂けた~~♪v
> ごめんなさいっ!!(正座)
・全然、だいじょうぶなんですよ~
お可哀相に・・・心中、お察しいたします。
コメント&ご訪問、ありがとうどざいます♪