11 ,2009
翠滴 3 breath 2 (49)
「怪我をしたら、我慢せずちゃんと言わなきゃダメだぞ?」
派手に剥けた擦り傷は、バンドエイド2枚重ねても端から赤く細い線がはみ出している。
「あんまり痛くないし、大丈夫だよ。それよりパパ、みんな待ってるから早くー!」
瀬尾が腿まで上げていた和輝のジャージのズボンの裾を下ろすと、膝のところにぽっかり穴が開いている。その脚が、父親の言葉を待ちきれないように、そわそわと脚踏みし始める。
「よし、行っていいぞ!」
瀬尾の手が和輝の尻を軽く叩いた次の瞬間、小さな体は脱兎のごとく駆け出した。
大型公園の一角にある、冬枯れして薄茶色した芝生グラウンドの真中で、同じサッカーのユニホームを着た子供たちが「早く来い」と、走る和輝に手を振っている。
その中に、同じ保育園の喬純もいて、和輝が皆に辿り着くと手を取って自分達のポジションへと引っ張っていく。
冬の寒い朝、和輝に強請られて、喬純の所属するサッカーチームの体験レッスンに参加していた。コーチに促され、離れて走り出した2人がショートパスの練習に入ると瀬尾はベンチに戻ってきた。
「キョウ、寒くないか?」
瀬尾が座るには、充分な幅はあったが享一は無意識に端に寄った。それを知ってか、知らずか瀬尾は享一のすぐ横に腰掛ける。
プールオム独特のベルガモットの香が2月の冷たく澄んだ空気に混じって鼻腔に届き、享一は厚いコートの下で密かに身を硬くした。ほんの微かな匂いだが、心の拒絶に反して躰は微弱な疼きを示す。享一は瀬尾から僅かに顔を背け困惑と煩悶の表情を隠した。
その享一の中で起こる変化の一部始終を、何食わぬ顔で瀬尾は観察している。
「そうか、お袋さんは再婚するのか」
「ああ、そのつもりらしい。妹が就職する来年を目処に籍を入れる予定なんだと」
瀬尾が、和輝の怪我で中断していた話題の続きをふってきた。
コロンの香りを打ち消すように息を吐き、問いに答えた。
瀬尾は学生時代に幾度となく享一の家を訪れたこともあって、享一の家族のことも、取り分け享一が家族を捨て出奔し、他の女と一緒になった父親に対し、複雑な感情とトラウマを抱えていることも知っている。
「お前、大丈夫なのか」
その問いに、一瞬頭の中の回路が繋がらなかった。それで2テンポも3テンポも長い時間を置いて漸く、瀬尾が自分を構成する過去の傷まで知る親友であったことを思い出した。
心の襞を探れば、ぽんと浮き上がったどうにも聞き分けの無い自分の気持ちがある。「子供ではあるまいし」としながらも、元来父親がいるべき場所に暮林という違う人間が納まることに対して、浮遊し行き場を失った感情が納得しきれずに揺れている。
それは、長い間、”家族の形” というものにこだわり続けた自分の心のしこりだ。
改めて、ああそうだったのかと、自分の気持ちに気付いた。そして本人より先に、行き場の無くなった享一の心に気付いて心配をする 『親友』 の優しさに頭が混乱する。
学生時代、自分を理解してくれる友人と積み上げた時間は、生涯の思い出になるはずだった。だが、現実は親友であるはずの男の熱い吐息を知り、不本意だと思いながらも週末の褥を共にする。
現実と記憶の境界線が音も無く断ち切れる。
どうしてこんなことに。何千回何万回繰り返しても、答えなど出はしない。
「キョウ?」
「え・・・ああ。お袋は俺達3人兄弟を育てるために、自分を犠牲にして働いてきてくれたんだ。だから、再婚で幸せになれるなら、俺はそれでいい」
「お前だって、バイトして生活費稼いでたし、就職してからだって仕送りしてんだろう?」
「それも、もういいって言われた。弟も就職したしな」
自分なりに家族の形を護ろうとしていた。
心の中で浮遊するしこりは、暮林を紹介されたあの日から格段に小さくなっている。
数年前の自分だったら、自分の身勝手な拘りで再婚を言い出した母親に対し、親父と同じことするのかと嫌悪を隠さず慷慨すらしていたかもしれない。
多感な時期に受けた父親に捨てられたというトラウマはいつの間にか癒され、母親の女としての幸せに冷静に対峙できている自分がいる。
自分をこのように変えた男が、その存在を封印した胸の内でドクンと世界が真っ二つに割れそうなほどの振動音を立てて息を吹き返す。その余波が小さな震えとなって、四肢の末端まで伝わった。
享一は、封印した扉の奥で轟音を上げて吹き返した息吹を、宥めるように我が身を抱いた。
周―――。
実際小刻みに震える享一を一瞥して、瀬尾が立ち上がる。
「キョウ、やっぱり寒いんだろう。コーヒー買って来てやるから待ってろ」
「いや、いいから。俺は要らな・・・・」
「俺が飲みたいんだ」
公園の売店に向かう後姿を、黙って見送った。
相手に負担にならないよう、さり気なく気を回す。享一の中の瀬尾は、ずっとそういう男だった
瀬尾が親友であったころの記憶が忌まわしい、懐かしい。
アメリカでも、サッカースクールに通っていたという和輝は楽しそうにボールを蹴っている。相手をする喬純に合図を送る声が響いてくる。その姿に塞ぎかけた心が解れ、寒空の下でも桜の色を失わぬ唇が薄く綻んだ。
突然、目の前にカップを差し出され、小さく礼を言って受け取った。
発泡スチロールのカップを通して伝わった熱が、冷えた指先を温めてくれる。
「あの人は、事件の目撃者を探して毎日事件のあった街角に立ち続けてた」
一瞬何の話をしているのか判らなかった。
だが、前を向いたままの瞳に漂う厳しさと、虚脱した疲労の色に、年の暮れに自殺したクライアントの父親の話をしているのだと気がついた。
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紙魚
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> って……
> えええええ!
> もしかして親友と寝ちゃったりしてるんですかこのひとは?
・節操がなくて申し訳ないです。。(笑)
BLではありがち?親友とラブラブ♪(全然、シチュがちがう・・・
> すいませんまえの話を読めって感じ?
・膨大な量があるので、正直お勧めしてよいものか、迷います。
> お願い。こんど「これまでのあらすじ」とか作ってください~
> 「翠滴」の読み方。「翠滴」地図、みたいな。
・あらすじ的なものは、「翠滴」の目次のページにちょこっと載せていますv
もう、自他共に認めるグウタラ人間なので、改めて書くというのはきっとないです。スミマセン
> あの婚姻した周さんとはいったいどうなったんだ……
> 離縁したの?
・三行半・・?色々ありまして、ただいま別居中です。
拙いBLなんで、軽く読み流してください~~(汗
コメント&ご訪問、ありがとうございます!