10 ,2009
翠滴 3 VOID 11 (47)
「本当は何もかも知っていたんだろう?」
予感はあったものの、喧嘩をふっかけるだけの言いがかりのつもりだった。
「初めて祝言の話を俺に持ち掛けた時、俺の子供なら可愛いとか言ってたよな。
俺が庄谷に行く前に俺のこと調べ上げたんだろう?由利の腹の子が俺の子
だってことを周は最初から知ってたんじゃないのか?」
享一は弱い街灯の灯りの下でもはっきりと色を失った周の表情に、自分の言葉が核心を突いたことに気がついた。周を見る黒い瞳が、大きく見開かれて固まる。
「知ってて・・・。周は知ってて、俺に黙ってたのか?」
「当時は、確信はなかった。瀬尾は享一と同じ高校に転校する前に妊娠騒ぎを
起こし、素行の悪さもあって退学させられた。結局、妊娠した子供の父親は別人
だったが、DNAの検査をしたその時に、生殖機能の異常・・・無精子症を指摘
されている」
瀬尾が転校をしてきた経緯を初めて知った。享一が高校時代の瀬尾に抱いていた”人望の厚い優等生”という人物像とは、随分かけ離れている。
それに、瀬尾は自分の精子に異常があって子供が出来ないと知ったのは、NYに行って由利との間に2人目を作ろうとした時に知ったのだと言っていた。やはり、由利の腹の子が享一の子であることを知りながら由利と一緒になったのだと思うと、享一に対する瀬尾の告白や脅しの頑強さを念押しされたようで、絶望的な気分が深まる。
余裕を見せながら自分を脅迫する瀬尾の姿は、離れている今でさえ追い詰める。
享一は冬の夜の冷気とは、また違った冷たさをその内に抱き項垂れた。
「享一と再会してから、もう一度瀬尾のことを調べさせた。上がってきた
報告では、和輝はNYで瀬尾の子供として何不自由なく大切に育てられている
ということだった。もし、俺が知った時点でその事実を知らせたら、享一はどうした?
手の届かない和輝の存在に、お前は逆に苦しんだんじゃないのか?」
周の言う事は尤もだった。
瀬尾たちが何の問題も無く幸せな生活を送っていたのなら、和輝と血の繋がりのある自分はただ困惑をもたらすのみの存在であったに違いない。
「享一、瀬尾に近付くな。あいつの中には、何もかも呑み込んでしまう混沌とした
深淵がある。危険だ」
もう遅い。いや、例えそのことを知っていたとしても、結果は同じだっただろう。
今や和輝を囲む自分達の状況は変わり、享一は奇妙な形でその要として瀬尾親子に関わっている。
瀬尾は、周が各界要人にレンタルされていたことを知っていた。社会的な立場を持つ人間相手のレンタルの過去は、今はもう厚いベールの奥に隠されている。莫大な資金提供と利権で周を抱いた相手方も、提供した永邨側も両サイドが完全に封印したはずだ。
個人の力で、そのことを知ることができるはずが無い。
瀬尾が何処でその情報を知り得たのか。その真相を考える時、到底自分の手には負えぬ果ての無いどす黒い巨大な力を感じ、背中に薄ら寒いものを覚えた。
瀬尾は危険だ。
だが瀬尾は、ひとつだけ瀬尾を思いとどまらせる事が出来る術を自分に提示している。
それは享一にしかできず、返せば享一にだけ出来る事だ。
一体、自分の何処に残っていたのか。躊躇いとか怖れといった思いの残骸が、潔いよいくらい心の襞から削げ落ちた。
瀬尾の混沌とした深淵の中に、周や和輝を引きずり込ませはしない。
冷気に紛れる花の匂いに、切なく身を焦す。
いつの間にか、この匂いに包まれるのが当然になっていた。
何が間違っていたのだろう?
時間を遡り、由利と結婚したのが瀬尾ではなく自分であったのなら、自分はどうなっていたのか。自分の理想の家庭を築くことに夢中になり、堅実だが由利や和輝の心を知ることもなく結局、父と同じ利己的で身勝手な人生を歩んでいたに違いない。瀬尾とも親友のままで、そして周との全身全霊を掛けたいと思える恋にも落ちなかっただろう。
周と出会い、轟音を立てて果てしなく広がった世界に華やかで鮮やかな色がつき、自分の全てが変わった。
後悔はしていないし、この先もすることはない。
瞳に映る周の腕が解けた次の瞬間、享一は周の片手に後頭部を包まれ唇を奪われていた。冷え切った唇が、周が長い間外気にさらされていたことを享一に教える。冷たい唇の内側に秘められた周の体温と、火傷しそうな接吻けが周の情熱を語る。
享一の中身の抜け落ちた身体が、力無く、かくかくとばらけ広い胸に倒れこむ。
脳からの離れろという信号を、身体が無視し続けた。享一の健気な欲望は束の間、濃くなった花の匂いと自分を食いつくさんばかりに貪るキスに酔いしれた。
周のもう片方の手が享一の項を捉え、撫上げた。突然、瀬尾の指先が同じ場所を這い回ったのを思い出した。全身に怖気が走る。瀬尾との取引に使った自分の躰は、穢れている。
自分にとって崇高な存在であり続ける周に、自分の汚れた身体を抱かせるのは大罪だ。
渾身の力で周の胸を押した。
自分から外れ、離れていく腕や胸と共に自分もまた果ての見えないどこかへと押し流されてゆく。
薄れてゆく花の匂いや見開かれた翡翠の瞳孔、息遣い、些細な数々の事柄を空になった胸の中に大切にしまいこんだ。
最後にもう一度、翠の瞳を見つめた。
ぎらついた光は消え、虚を衝かれたように開いている。
焼き付けるように目蓋を閉じたその時、突然子供の泣き声が深夜の硬く凍る空気を切り裂いた。
「パパ!どこ?!パパ、パパァーーーッ!」
泣きながら玄関から飛び出してきた和輝が両手を広げる享一の脚にしがみ付いた。
周の表情にはじめてはっきりとした動揺が走った。
享一は泣きじゃくる和輝をあやしながら抱き上げ、周に向き直る。
「こんな大事なことを、知っていながら黙っていたのか。本当に最低だな。
盗聴のことといい、周は俺を一体なんだと思ってるんだ」
視線を逸らさずにいることの難しさに頬が震えた。
「もうたくさんだ。俺は、この子と生きていく。マンションに置いてある俺のものは捨てて
くれていい」
その場を去ろうとした腕を掴まれる。
「享一、本気なのか」
掴まれた腕を一瞥し、斜に構えたまま見上げ沈黙で答えた。
これでいい、これで精一杯だ。
ふっと緩んだ指から身を引き、和輝を抱いたまま急ぎ足で部屋に入り鍵を閉めた。
ドアに凭れ、戦慄く唇から無理矢理息を吐いた。
瞳を閉じれば、目蓋の裏に焼き付いた、困惑と憤怒に彩られ険しい表情で自分を睨め付ける周の、赤みを帯びた翠の瞳が鮮やかに甦る。
以前、怒りに支配された周は壮絶に美しいと言った男がいた。
赤みを帯びた翡翠の瞳から激しい激情を迸らせ、自分を睨みつける周は炎を纏い怒りに身を任せる神のように美しく、見蕩れそうになった。
自分に対して激情を露にし、修羅と化した男。周の何もかも。全てを愛おしいと思う。
和輝を抱いたまま崩れるようにして三和土に膝をつくと、堰を切ったように涙が零れた。外の周に聞かれないように、声を殺して嗚咽する。
これでいい。
これでいい。
ドアを開け走り出て、周の前にひれ伏したがる聞き訳のない自分に言い聞かせる。
寝ぼけていた状態から醒めた和輝が、享一の涙を見てうろたえ出した。
「キョウちゃん、泣いてるの?どうしたの?悲しいの?」
半泣きになり「泣かないで、泣かないで」と繰り返しながら、小さな手でぽろぽろと溢れ落ちる享一の涙を拭いてくれる。
大人の涙を拭うには和輝の手は小さすぎる。涙の粒は次々滴り落ちては床で砕け散った。
とうとう、和輝は涙を追うのを諦め、享一の首に手を回し一緒に泣きだした。
もう、自分の中には何も残っていない。
あるのは尽きない涙と、周への未練ばかりだ。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
ちょいちょいと書き足したら、でら長くなってしまいました。
享一の決意で、周はもっと辛い混沌に巻き込まれるって、何でこの子はわからないんでしょう。。
書いてて、イラ~~~~ってなります。
VOIDはここまで。そろそろ後半です。次のサブタイトルが見つからない(汗
紙魚
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けない私ですがですが、書いていく励みになります。。
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ちょいちょいと書き足したら、でら長くなってしまいました。
享一の決意で、周はもっと辛い混沌に巻き込まれるって、何でこの子はわからないんでしょう。。
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周様は私が思うほどに弱くはないと思いますし、享ぽんの強がりなんて、お見通しなのかも知れません。
でも私の『脳内二次』では、それとわかっていても人知れず荒れて荒れて、ナルちゃんに出ばってもらっちゃったり(笑)。
本編とは違うところで勝手に盛り上がる私は、作者泣かせなお馬鹿です。
などと、そんなどうでも良いことはともかく、享ぽん、煮詰まってますね。
冷静に考えたら、自分がどれだけあからさまな行動をとっているかわかるかと思うのですが、煮詰まりすぎてわかってないところが、享ぽんの悩みの深さを感じます。
伺うどちらのサイトさんも佳境に入っているので、私の筆は当分、進みそうにありません(泣)