10 ,2009
翠滴 3 VOID 7 (43)
画面が、クリスマス風景をバックに日本経済の更なる低迷を報道するお馴染みの画像へ変わっても、ただ放心して立ったまま画面に顔を向けていた。
昨夜、傲慢とも言える態度で自分を脅して、関係を強要してきた男と同一人物だとはとても思えなかった。
だらりと下げた指の先を握られた。
その柔らかく湿った小さな温もりに、現状とは全く隔ったうつつの部分で既視感を感じた。小さな掌から伝わる柔らかい体温が胸を満たし、自分の壊れた部分を修復してくれているような気がする。
ゆっくり画面から目を離し、不思議な気持ちで傍らの小さな顔に目を移した。
顔中の筋肉を歪め、今にも泣き出しそうな顔で自分を真っ直ぐ見上げる瞳に、自分との確かな絆を確信する。それと同時に、この小さな胸一杯の杞憂は自分の為のものではないという事実に胸が切なく痛んだ。
「パパ、・・・なにか、悪い事したの?捕まるの?」
尋ねてくる不安げな顔に心は複雑になる。
これだけ強い絆を感じても、今もこの先も、和輝の父親は瀬尾で、真実はどうであろうと、それが覆ることはない。そして、その父親の姿に同じように打ちひしがれる和輝の姿は、そのことを証明していた。
「そうじゃない。和輝くんのパパは何も悪いことはしていないよ。
仕事のお客さんだった人が亡くなってしまって・・・パパはそのことで責任を
感じているだけで、君のパパが悪いことをしたわけじゃない」
瀬尾をパパと呼ぶ自分の空々しい声に悪意や嫉妬を込めないように気を遣う。
和輝は幾分安心したようだが、初めて見るであろう憔悴した父親の姿を目の当たりにし、意気消沈した面持ちは崩れないでいる。
力なく落とされた小さな肩に、強く抱き締めて何もかも吐露してしまいたい衝動にかられたが、5歳の子供を無駄に混乱させ傷つけて、その後は一体どうするのだと、そう思うと自分の身勝手で馬鹿げた衝動は急速に冷めて萎んでいった。
和輝の高さに合わせてしゃがみ、その顔に向って念を押した。
「和輝くんのパパが悪いことをしたんじゃない。だから和輝くんは、何も心配しなくて
いいんだ。今日は俺の所へに泊まりにおいで。明日パパが帰ってくるまでキョウと
一緒に待とうな」
自分が和輝に向って瀬尾の弁護をする。
不本意であろうとどうであろうと、和輝の心を思うとそうするしかなかった。
テンションの上がらない食事が終わると和輝を連れてマンションを出た。
少し時間を掛けて歩いて帰っても良かったが、早く帰りたい気持ちが先行して、一駅分だけ電車に乗った。あっという間に隣り駅に着き、瀬尾がこんなに近くに越してきたのは偶然などではなく意図的なものであったのだということに、やっと気付いた。
アパートまでの道すがら和輝と手を繋ぎ歩く自分横を赤いスポーツカーが追い越し心臓が跳ね上がった。一目で全く車種の違う車であるのに視界から消えたその後も胸が戦慄き続けた。
アパートの帰りつくと駅前の書店で買った幼児雑誌を渡し、自分は風呂場に駆け込んだ。身体の隅々までしつこいくらいに洗い、肌にちりちりと沁みる熱い湯を長い間浴び続けた。
湯を浴びると、上腕に朱い手の跡形が浮かび上がり、肌に指が食い込む時の痛みと共に、昨夜の重く堕ちていく感覚と、画面の中で死人のように蒼白になった瀬尾の顔が蘇る。マンションを出てからずっと瀬尾が頭を下げる映像が頭から離れなかった。
一人の男が拳銃で自殺をした。それだけであるなら、弁護団が雁首をそろえて項垂れるさまを画面に映し出される必要はなかった。自殺した男は、春頃に起きたある事件の被告人の父親だった。
先の事件もニュースで簡単に報道され、なんとなく思い出した。
日々、起きては忘却されていく膨大な数の事件の中で、微かながらにも思い出せたのは、犯人が勤務時間外の若い警官であり、薬物を所持していた青年2人を尋問した際に襲われ、逆にナイフを持つ相手を素手で殺害したという特異性からだった。
享一は、当然正当防衛が認められるのだろうと当時は思い、その他の事件同様記憶から消えていった。昼間の報道の、自殺した男性はその犯人の父親でその父親も元警察官だった。
弁護士という職業上、瀬尾は守秘義務を守るのも当然の事ながら、職種の違う2人の間では職場の話題は持ち上がっても、仕事の内容の話が上がることはなかった。だから、瀬尾がこの事件の弁護にあたっていることも知らなかった。
『年配の人が若輩者の俺を『先生』と呼んで頭を下げる度に、
俺は居た堪れない気持ちで一杯になるんだから』
再会した頃に言っていたあれは、クライアントである自殺した男性のことだったのだろうか。
深夜の携帯をとった後の瀬尾は、明らかにその前と雰囲気が違っていた。あの電話は、男性の訃報の知らせだったに違いない。
『頼むから、お前に触れさせてくれ』
熱い湯に打たれながら、足元を流れてゆく湯水を見詰める。
足の指の間に瀬尾の舌が差し込まれる情景とぬめる舌の感触が甦り顔を背けた。
瀬尾は男の抱き方を知っていた。
快感の急所を衝いた的確な瀬尾の愛撫に、いいように啼かされてしまった自分に対する怒りと嫌悪感で、吐き気を催した。
「くそっ!」
享一が両の拳で浴室の壁を叩きつける。ドンという音は、ユニットバスの小さな箱の中の空気を虚しく震わせた。
脳裏に浮かぶ悲しげな翠の瞳に足元から失墜する感覚を覚え、矢を射られて墜落する鳥のように崩れ落ちると、享一は震える躰を抱え湯の下で蹲った。
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昨夜、傲慢とも言える態度で自分を脅して、関係を強要してきた男と同一人物だとはとても思えなかった。
だらりと下げた指の先を握られた。
その柔らかく湿った小さな温もりに、現状とは全く隔ったうつつの部分で既視感を感じた。小さな掌から伝わる柔らかい体温が胸を満たし、自分の壊れた部分を修復してくれているような気がする。
ゆっくり画面から目を離し、不思議な気持ちで傍らの小さな顔に目を移した。
顔中の筋肉を歪め、今にも泣き出しそうな顔で自分を真っ直ぐ見上げる瞳に、自分との確かな絆を確信する。それと同時に、この小さな胸一杯の杞憂は自分の為のものではないという事実に胸が切なく痛んだ。
「パパ、・・・なにか、悪い事したの?捕まるの?」
尋ねてくる不安げな顔に心は複雑になる。
これだけ強い絆を感じても、今もこの先も、和輝の父親は瀬尾で、真実はどうであろうと、それが覆ることはない。そして、その父親の姿に同じように打ちひしがれる和輝の姿は、そのことを証明していた。
「そうじゃない。和輝くんのパパは何も悪いことはしていないよ。
仕事のお客さんだった人が亡くなってしまって・・・パパはそのことで責任を
感じているだけで、君のパパが悪いことをしたわけじゃない」
瀬尾をパパと呼ぶ自分の空々しい声に悪意や嫉妬を込めないように気を遣う。
和輝は幾分安心したようだが、初めて見るであろう憔悴した父親の姿を目の当たりにし、意気消沈した面持ちは崩れないでいる。
力なく落とされた小さな肩に、強く抱き締めて何もかも吐露してしまいたい衝動にかられたが、5歳の子供を無駄に混乱させ傷つけて、その後は一体どうするのだと、そう思うと自分の身勝手で馬鹿げた衝動は急速に冷めて萎んでいった。
和輝の高さに合わせてしゃがみ、その顔に向って念を押した。
「和輝くんのパパが悪いことをしたんじゃない。だから和輝くんは、何も心配しなくて
いいんだ。今日は俺の所へに泊まりにおいで。明日パパが帰ってくるまでキョウと
一緒に待とうな」
自分が和輝に向って瀬尾の弁護をする。
不本意であろうとどうであろうと、和輝の心を思うとそうするしかなかった。
テンションの上がらない食事が終わると和輝を連れてマンションを出た。
少し時間を掛けて歩いて帰っても良かったが、早く帰りたい気持ちが先行して、一駅分だけ電車に乗った。あっという間に隣り駅に着き、瀬尾がこんなに近くに越してきたのは偶然などではなく意図的なものであったのだということに、やっと気付いた。
アパートまでの道すがら和輝と手を繋ぎ歩く自分横を赤いスポーツカーが追い越し心臓が跳ね上がった。一目で全く車種の違う車であるのに視界から消えたその後も胸が戦慄き続けた。
アパートの帰りつくと駅前の書店で買った幼児雑誌を渡し、自分は風呂場に駆け込んだ。身体の隅々までしつこいくらいに洗い、肌にちりちりと沁みる熱い湯を長い間浴び続けた。
湯を浴びると、上腕に朱い手の跡形が浮かび上がり、肌に指が食い込む時の痛みと共に、昨夜の重く堕ちていく感覚と、画面の中で死人のように蒼白になった瀬尾の顔が蘇る。マンションを出てからずっと瀬尾が頭を下げる映像が頭から離れなかった。
一人の男が拳銃で自殺をした。それだけであるなら、弁護団が雁首をそろえて項垂れるさまを画面に映し出される必要はなかった。自殺した男は、春頃に起きたある事件の被告人の父親だった。
先の事件もニュースで簡単に報道され、なんとなく思い出した。
日々、起きては忘却されていく膨大な数の事件の中で、微かながらにも思い出せたのは、犯人が勤務時間外の若い警官であり、薬物を所持していた青年2人を尋問した際に襲われ、逆にナイフを持つ相手を素手で殺害したという特異性からだった。
享一は、当然正当防衛が認められるのだろうと当時は思い、その他の事件同様記憶から消えていった。昼間の報道の、自殺した男性はその犯人の父親でその父親も元警察官だった。
弁護士という職業上、瀬尾は守秘義務を守るのも当然の事ながら、職種の違う2人の間では職場の話題は持ち上がっても、仕事の内容の話が上がることはなかった。だから、瀬尾がこの事件の弁護にあたっていることも知らなかった。
『年配の人が若輩者の俺を『先生』と呼んで頭を下げる度に、
俺は居た堪れない気持ちで一杯になるんだから』
再会した頃に言っていたあれは、クライアントである自殺した男性のことだったのだろうか。
深夜の携帯をとった後の瀬尾は、明らかにその前と雰囲気が違っていた。あの電話は、男性の訃報の知らせだったに違いない。
熱い湯に打たれながら、足元を流れてゆく湯水を見詰める。
足の指の間に瀬尾の舌が差し込まれる情景とぬめる舌の感触が甦り顔を背けた。
瀬尾は男の抱き方を知っていた。
快感の急所を衝いた的確な瀬尾の愛撫に、いいように啼かされてしまった自分に対する怒りと嫌悪感で、吐き気を催した。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
またしても、重くて暗い・・・
BLの萌えからどんどん離れてゆく・・・うーん、うーん。困った。
紙魚
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けない私ですがですが、書いていく励みになります。。
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自分が本当の父だと名乗りをあげるわけにもいかず..父親を心配して小さな胸を痛めている和輝くんを必死に慰める享ちゃん。 うう。享ちゃんだっていっぱいいっぱいだよー(ノд-。)クスン 足の指の間までなめられちゃってるし。←重要ポイント
享ちゃんを慰めてくれるはずの、あのお方は今何処..