08 ,2009
翠滴 3 熱 7 (36)
享一の瞳が瞠目する。
妊娠した由利が自分ではなく瀬尾と結婚をするのだと言った時、あまりに落ち込みが激しく、細かなことを思案したり俯瞰的に見ることが出来なかった。
だが派手好みで有名だった瀬尾が、それまでに付き合っていた背景も容姿もきらびやかな女たちとは真反対の、地味でいわゆる”十人並み”に属する由利を選んだことに関しては不思議に思っていた。
瀬尾は、自分とは血の繋がりもない子を手に入れるために、好きでもない女と結婚したというのだろうか。理解を超える瀬尾の告白は享一をめがけてハンマーを振るう。
詳らかに明かされた真実の、あまりの衝撃に言葉を失った。
「お前……自分が何言ってるのか、わかってんのかよ?」
漸く絞り出した声に精彩はなくはなく、投げかけた言葉はそのまま瀬尾の闇に沈んでいく。
「俺は長い間、お前を凡庸でノーマル思考しか出来ない奴だと思っていた。手に入らないなら自分で”時見 享一”を作るしかないと考えたのさ。由利に妊娠を知らされ結婚して欲しいと言われた時、俺は願ってもない話に一も二もなく飛びついたのさ」
瀬尾の眼を憎悪に近い感情が覆う。享一を見据えると、硬い声で吐き捨てた。
「それがまさか、地元を遠く離れた東京の一流ホテルのロビーで、見ているこっちが小っ恥ずかしくなるような安っぽい昼メロまがいのラブシーンを見せ付けられるとはな」
「・・・・・・」
神前に盛られた薬と周との再会で気の昂ぶっていた享一には、当時のことは断片的にしか残っていない。余裕を見せ冷笑する瀬尾の頬から歯軋りの音がして、表面とは裏腹な瀬尾の心中を知る。
「お前と同じ血が手に入るんだ。由利と結婚するくらい、なんということはないさ。腹の中の子がお前と同じ男だと知った時、生まれてくる子はお前に大きく一歩近づいたと、俺は躍り出しそうなくらい喜んだね」
「そんなこと・・・・・・狂っている」
肯定するように瀬尾が嗤う。ゾッとした。
「お前の癖を覚えこませ、小学校でボーイスカウトに入れて中学から水泳をさせる・・・。”時見 享一”に近づけるように真っ直ぐに育て、同時に俺の愛も教え込んでいくつもりだった」
呼吸が困難になり、吐き気を伴った悪寒が込み上げ肩が僅かに慄えた。
「顔色が悪い、具合が悪そうだな・・・キョウ」
薄く笑う瀬尾の指が頬に触れると、享一は弾かれたように顔を大きく背けた。
嫌悪に塗り固められた瞳のままあとずさると、背中が壁にあたる。身動きの取れなくなった享一を、瀬尾の昏く沈んだ目が捕えた。
ふっと緊張が緩む気配がし、瀬尾は逃げ場を失った哀れな獲物に慈悲を与えるように眺めた。
背けた後頭部と壁の間に瀬尾の掌がゆるゆると滑り込み、柔らかい首と頭部の境に指がめり込む。
握りつぶされるのではないかと竦んだ全身に、瀬尾の身体が密着し息が詰まりそうになる。
「だが本物が手に入るなら、和輝を時見 享一に仕立てる必要はない。
お前が俺のものになるならこれまで通り”父親”として和輝を育ててやる」
「お前・・・・狂ってる」
思わず口走った享一の言葉に瀬尾の片眉が険しく上がった。怒らせたかと警戒した次の瞬間、クイッと瀬尾の口角が上がり笑みを浮かべた。
整った顔に浮かぶ不自然な感情の変化に、享一の背中にひたりと冷たいものが張り付く。
長年信頼を寄せていた友人だった筈の男を、はじめて心底怖ろしいと思った。
「キョウがどう思おうと、法的には和輝の父親はこの俺だ。和輝は本当に可愛いよ・・・・血が濃いのか、どんどんお前に似てくる。・・・髪質なんて全くお前と同じなんだぜ」
冷たい笑みで髪を弄びながら、自分を脅す男の冷静さに恐怖心が煽られる。
後頭部で自分の髪に絡まる手指の動きにぞっとして、掃おうと躰を捩ると乱暴に髪の毛を掴まれた。「痛っ」と思わず声を上げた唇を、瀬尾の肉感のある唇が覆う。
後下に向けて後頭部の髪の毛が抜けそうなほど強く引っ張られ、更に開いてしまった唇の狭間に瀬尾の唇が押し入って、拒み続ける口腔内を陵辱してゆく。
「うぅ・・・・ん、ううっ」
呻き声も罵倒も乱れる呼吸も、何もかも瀬尾の舌が掬い唇にきえる。
柔らかい唇の肉が瀬尾の舌と唇に自在に嬲られ、漸く唇が離れると享一は息を乱し、がくがくと震えた。
「ずっと、想像していた。お前のこの唇はどんな味がするのか・・・
思っていた通りだ、お前の唇は甘いな・・・・キョウ」
もう一度、唇の表面を舐められ、震える頤を悔し涙が濡らす。
アマネ、アマネ・・・・・
気がつけば、心の中では、ただひとつの名前を繰り返している。
享一を捕えていた瀬尾の手が離れた。
ずきずきと痺れの残る頭皮には消えない刻印が残っているような気がした。
「見れば見るほどエロいデザインだな。永邨の願望の現われか?」
瀬尾の節だった指がボタンが千切れて肌蹴たシャツの狭間に忍び込むと、プラチナのリングを指先に引っ掛けてひっぱり出した。植物の蔓がプラチナの土台を縛めるように絡み付いている。
その口ぶりから、瀬尾はこの指輪の存在を前から知っているのだと知った。
「触るな・・・」
指輪は瀬尾の指から零れ落ち享一の胸に戻る。
肌に触れたプラチナの冷たさに堪らなくなり俯いて瞳を閉じた。
「行けよ、キョウ。行って永邨と別れて来い」
「和輝には手を出すな」
「永邨の保身も、和輝の未来もお前次第だ。キョウイチ」
顔を上げた享一の瞳に浮かんだ寂寥に、瀬尾も微かに揺らぐ表情を見せたが、すぐもとの落ち着き払った顔に戻った。
寒く暗い道を隣町の自分のアパートに向って歩いている筈なのに、ともすれば道を見失いそうになる。事実、享一の目は何も見ていない。思考は深く沈みぼんやりと瀬尾の言葉を反芻する。
一連の出来事がまだどこか虚ろさを残して、実感出来ないでいる。
瀬尾の激白は享一の心を砕き、追い詰めた。
人っ子ひとり、車一台通らない街は作り物めいて現実と空想の境界を曖昧にし、享一は自分の足がどんどん重くなっていくような気がした。
一歩、また一歩、歩くごとにぐにゃりと形を変えるアスファルトの下の暗いタールの闇に足がめり込んでいく。粘つくタールで足が重い。
突然、静寂を切り裂くように携帯の着信音が響いた。
音量を絞ってあるにもかかわらず、その音は享一の心臓を破りそうなくらい驚かせる。
現実に引き戻され、享一はポケットから携帯を取り出した。
LEDのライトが発信者を示す。
周は3日ほど前、二週間滞在の予定でNYに発った。今は冬のセントラルパークを見下ろす、従兄弟のエドの邸宅に滞在しているはずだ。
茫然と点滅する小さな光を見詰めた。この音も光も周に繫がっている。
そう思うと恋慕の想いに胸が詰まった。
周をもっと感じたくて自分の中の周に手を伸ばす。
だが、指先に触れる周は冷たく表情もはっきりわからない。
なぜか、周の体温が思い出せない。
周が遠い。
数回、握り締めた手の中で切れては鳴り続けた着信音がついに途切れ、冷たく張り詰めた静寂が押し寄せる。
気付けば、深夜の固いアスファルトの道の上でひとり迷子のように立ち竦んでいた。
虚無で満杯になった瞳から零れた滴は頬を伝って零れ落ち、闇の中で四散した。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
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きっと周さんなら鳴海さんと謀って、不正(?)のことも和輝君のことも上手く処理し、瀬尾っちを人知れず闇に葬ってくれるでしょうに(なんて、危険なことを考えるんだ、紙森)
恋は盲目とでもいいますか、まさしく享一さん、そう言う状態ですね。
でもきっと「別れる」なんて口にしたり、黙って姿を消したりしたら、周さんは全力で対応してくれると思うので、それはそれで萌えます~。
そんでもって享一さんのことで全力で寝ずに対応するあまり心身の疲労が極む周さんを、鳴海さんが眠らせる意味でムニャムニャな事になると、なお更萌える(笑)
周さんはそこまで弱くはないかな(すみません、あまりに腐な発想で・笑)
あのね、まだ灼熱地獄なのね…。
暑いのって疲れるんだと、しみじみ実感中です。