07 ,2009
翠滴 3 熱 1 (30)
周のマンションにたどり着く頃には夜もすっかり更けていた。
エレベーターに乗り、静脈認証リーダーに指を差し込んで最上階を押す。
降りたフロアーには、木製の重厚なドアが一つあるだけで庭に面したエレベーターホールは外気で冷え切っている。ドアまでほんの4mほどの距離だが、外国からの客人をもてなす仕様で設えられた庭には、苔生す竹林があり蹲が配され、土に混じってやって来たのか秋の虫の声ががらんとしたホールに響いていた。
マンションが引き渡された当初は、防犯上の硬化ガラスが嵌められていたらしいが、鬱陶しいからと周が取り外させたと聞いている。
心の中に寂しさが紛れ込みそうな趣の秋の虫の音を聞きながら、扉横の静脈認証リーダーに再度、指を差し込み玄関ドアを開ける。
ペントハウスの中は一転してモダンなつくりで、享一が中に入るとセンサーが作動して足元灯が白い大理石の玄関ホールに柔らかい光を床に落とした。先の庭の延長が中の廊下と共に奥まで伸び、庭と隔てたガラスに映りこんだ光が幻想的な空間を作り出している。
一週間ぶりに訪れる周の住居は静まり返り人の気配もなく、なんとなくよそよそしい気がした。
周は出かけているのだろうか?もしかしたら、階下のオフィスでまだ仕事をしているのかもしれない。心のどこかで、周の留守にほっと息をつく自分がいる。
どんな顔をして周に会えばよいのかわからなかった。
一週間前、周のしたことが許せないと激怒しマンションを飛び出して携帯にも出なかったくせに、実際は周のいない時間に根を上げている自分を見せるのは、悔しいような恥ずかしいような気がした。
周という稀代の男に心底惚れてしまっている・・・・そう思う感情の隅に小さな隙間が空いていた。
―――――和輝。
この薄暗い廊下に立っていると、瀬尾と過ごした数時間の記憶から色彩が抜けて現実味を欠いていく。その中で、和輝に関する事実だけが高速道路のオレンジ色の光にくるまれて浮き上がってくる。
法的には和輝は瀬尾の息子だ。いや、現実でも。和輝の世話を焼く瀬尾の姿は、子を思う父親以外の何者でもない。いくら血が繋がっているからといって、その事実を自分の都合のよいようにくつがえすことは出来はしない。離婚したといっても、和輝の親は瀬尾と由利だ。
でも、この世界に自分の血を分けた子供がいる。
名乗ることはなくとも、和輝は息子で自分達は親子だ。よしんば、和輝に名乗ることが出来たとしても、その先は・・・・?
どうなる?
享一は廊下で立ち止まり、胸の指輪をの上からなぞった。
周は自分を唯ひとりの番の相手だという。
自分にとって周は『情熱』そのものだ。
周はその抗うことの出来ないほどの魅惑でもって自分を捕らえ、白熱する情熱を自分から引き出し、時見享一という人間の本質を剥きだしにする。周と向き合う時、いつも享一は自分の中に隠れていた弱さや欲、融通の聞かない自分と出会い、驚き、そんな自分もまた許され愛されることに安堵する。
滅多に他人に見せることのない享一の、激しさや頑固さや弱さ。周は享一のすべてを翠の瞳で受け止め、抱きしめてくれる。
もう周のいない人生は、考えられない。
・・バシャ・・・・・・・
暗闇に微かな水音がする。ガーデンテラスから聞こえる大量の水をかく音に我が耳を疑った。
秋も深くなった外気は確実に冬の訪れを予測させ、今日とて夜も更けると厚めのジャケットのみでは物足りないぐらいだ。
まさか・・・という思いに、暗いリビングを足早に抜けテラスへと向う。
全面ガラスの吐き出しのスライドドアが大きく開け放たれリビングを出ると、更に気温の下がった外気に肌がきゅっと引きしまる。水音がよりはっきりと耳を打ち、目にした光景に呆然と立ち尽くした。
暗いガーデンテラス中に浮かぶ青色に発光するプール。
その中で酔狂を起こした男が力強くターンを切る度、青白く光る水飛沫が上がった。
幅こそそれほどではないが、日本の個人邸で維持するには結構な大きさのプールだ。
プールに近付く足に引っ掛かるものがあって見下ろすと、周の服が無造作に脱ぎ捨ててある。
服を脱ぎそのまま飛び込んだと思われる全裸の周は、飛沫を上げターンしては底に潜を繰り返した。幻想的なセルリアンと、人恋しさの募る秋の夜を交互に縫い付けてダイナミックに泳ぐ。水も夜気も、どちらも素肌から体温を奪い切ってしまうほどに冷たい筈だ。
尋常ではない周の行動と、躍動する肢体の美しさに、享一は言葉を失くした。
享一がプールサイドに立ってから半時。ようやく周は泳ぐのをやめ、水の中から享一を見上げた。水の青と連鎖する翠の瞳は、見ているこちらも凍らせてしまいそうなほど冷たく澄み切っている。泳ぎに夢中で、自分には気がついていないと思っていた周に瞬時にロックオンされて、心臓が跳ね上がった。周の言いたいことを押し殺すような、それでいて雄弁に気持ちを伝えてくる強い視線に、心がきりきりと舞う。
「こんなに気温が低いのに、風邪ひくぞ」
素直でない。長い沈黙のあとに出た自分の核心を避けた言葉が情けない。
「・・・じゃなく、その・・・・・だな」
俯いて次の言葉を探していると、沈黙していた周が青い光の中から身体を引き上げた。滴る水も拭わず全裸のまま近づいてきて、唖然とする享一を濡れた躰で抱きしめる。享一の薄いニットを通して、周の肌の冷たさが染み込んでくる。指先を這わせた肌はしっとりと冷たく、掌で覆うと微かに熱が蘇った。
「アマネ」
落ちてきた唇はすっかり色褪せ冷え切っているにも拘らず、享一から白光しそうなほどの熱を引き出す。享一もまた、その引き出された自分の熱を周の唇に移そうと、言葉も無いまま互いに何度も角度を変え夢中で貪った。
骨が砕けそうなほど強く抱きしめられ、息が止まる。
周にこうして抱かれる時、あまりの幸福感に「いっそこのまま・・・」といったような、周のこの腕以外の全てを排除したくなるような、際どい思考にいつも囚われそうになる。
「おかえり」
「ただいま、周」
心地のよい低音に耳元でささやかれ、瞳を閉じて応える。
この短いやり取りの中に集積される互いの諸々の想いや混沌、諸事に心を馳せると、これもまた一つの家族という形に似ているのではないかという気がした。
享一は自分の叩いた周の頬に手を添えた。
不意に瀬尾の頬についた指の跡を鮮明に思い出す。
享一の、愛する人に裏切られたと思う気持ちが周の頬を傷つけた。
由利は、どんな感情から瀬尾を叩いたのだろうか?目許を滲ませ渾身の力で憎悪を表した由利の表情には、憎しみばかりではなく愛情が渾然と混ざり合っているような気がした。由利は本当は、瀬尾と離婚したくはなかったのかもしれないという気がする。
家庭の崩壊は享一の気持ちを沈ませる。和輝の事を知った今、感情は更に複雑だ。
享一の指が愛しげに頬を撫でる。
何を感じ取ったか、様々な感情の渦巻く深い深緑の瞳と無言で見詰め合う。
「痛かったろう? 叩いて、ごめん」
やっと言えた一言に、胸で凝っていた塊がとけ出してゆく。引き寄せた周の頬に頬を重ね、耳朶に素直な気持ちを続けて囁いた。
「ひどいことを言って、ごめん」
薄く少し大きめの口元に、そして冷たく冷え切った胸に唇を押し付ける。
「携帯に出なくて・・・・ごめんな」
周の手を取り、率直な視線を寄越す翠の瞳と目を合わせながら、手のひらに接吻けた。
「いや、あれは俺が悪かった。思わぬところで俺の器量の狭さが露呈してしまったな」
「ふふ・・・今更だな、周が実はやきもち焼きだってことを俺は充分わかっているつもりだし」
揶揄いを含ませ笑いながら言ってやると、すっと表情を消した周が次の瞬間、凄みのある顔で口角を上げにっと笑った。翠に僅かに赤みが差し背中をゾクゾクと熱いものが這い、たじろいだ。
「なんだ、わかってるんじゃないか」
「は・・・?」
周が顎を引き上目遣いで享一を捕える。口元に笑みが張り付いたままだ。
「寒い。享一、湯を浴びよう」
「え・・・?ちょっと、周?」
どうやら、地雷を踏んだらしいと気付いた時には、手を引かれバスルームに連行されていた。
途中、振り返り流された翠の瞳には、眩暈のしそうなほどの色香と、視線だけでスッパリと切られてしまいそうなギラリと光る刃の輝きがあり、享一は大変な男に惚れたものだと心底震え上がり、そして再び感嘆した。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
体調を崩しやすいこの季節ですが、みなさま如何でしょうか?
私は、ここ2週間ほど結構キツくて、履く靴がないくらいに足が浮腫んで膨張しています。
なんでだろーーーって、不健康な生活のせいですね。
タラタラ、推敲してたら更新時間を大幅に過ぎていました(汗
最近、更に緩みがちです。イカン・・・ですm(_ _)m。
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どこを切り取っても水が滴り落ちそうな美しさですね…うっとり…
しっかし家にプールがあるなんて羨ましい笑
周のフォームは芸術的なんだろうな…みたい!