06 ,2009
翠滴 3 out of the blue 6 (29)
「出よう。こんな所で話す話題でもないだろう」
客の入り具合がほどほどだった店内も、夜が深くなるにつれて空席も埋まり、華やかに賑わっている。
瀬尾が席を立ち歩き出しても享一は何かに拘束されたように椅子に収まったままだった。やがて、のろのろと立ち上がると行き先の定まらない夢遊病者のように歩き出す。
明るい照明が高い天井から白いテーブルクロスに落ちて、グラスや食器をざわめきと共に静かに煌めかせている。自分が歩いているという実感はなく、予めそう組み込まれた人形のようにエントランスへと消えた瀬尾の背中を追った。
和輝が瀬尾の子でないとすると、父親は…
その先を求めて次第に心拍数が上がり僅かに歩調が早まる。
エントランスで支払いをしているであろうと思われた瀬尾の姿は既になく、「どうぞ、またいらしてください」と愛想をもらすスタッフに上の空で礼を言い、今にも走り出さん勢いで店を飛び出した。
BMWに寄りかかった瀬尾は、決して他人に取り乱したところを見せない享一がめずらしく動転し、あたふたと店を飛び出してきた姿を見てくすりと笑った。
「あ、瀬尾・・・支払いは?」
本当に聞きたい事は、そんなことではなかろうに。疎放に切り込んで来ないところは享一の生来の美徳でもあり、欠点でもある。だが眉根が強張り緊迫した表情は素直に心の動揺が表れている。
可愛い男だ。
駐車場のエクステリアライトから逆光になった薄闇の中で、瀬尾は獲物を手中に納めた愉悦をじっくり味わいながら嗤った。
「乗れよ」
荒っぽい周の運転とは違い滑らかに発進した車内では、高速道路に乗るまでどちらも黙っている。やがて、車が高速道路の流れに乗ると瀬尾が口を開いた。
「日本を発つ前、由利とNYにいる間に二人目を作ろうって決めたんだ。二人の関係を修復しようって考えていた。今思えば、そんなことしても虚しいくらい俺達の関係は冷え切っていたんだけどな」
享一は黙って、一言も瀬尾の言葉を聞き漏らすまいと全神経を傾け、静かにうなるエンジン音と共に耳に届く瀬尾の低い声に聞き入った。
「だが、子供はなかなか出来ない。それで、俺は思ったんだ。由利は、一度出産している、原因は俺じゃないかってね。自分で言いたかないけど、お前も知っての通り俺は学生時代さんざ遊んでただろう? 避妊してなくても、子供が出来たためしはなかった。自分でも気になってて由利に黙って検査を受けたんだ」
享一の眉間に軽く嫌悪の皺が入る。
大学時代の派手な女性遍歴を思い出した。自分が知っているだけでも入学してから3年間に6~7人は相手が変わった。知らないものも入れると、多分もっといるだろう。
自由奔放に相手を変え、遊びまわる瀬尾に享一は当時から露骨に不快感を露にしていた。
「結果は、精子の数が足りないって言われたよ。無精子症、聞いたことあるだろ。つまり、俺には子供は出来ない」
瞠目した享一が瀬尾を振り返る。もしや、と店を出た時から予測していたが、実際に聞かされる事実に、衝撃で眩暈を起こしそうだった。
「そうだよ、キョウ。あの時期、由利に第3の男の存在がなかった限り、和輝はお前の子供ってことになる」
享一と付き合っていた大学時代、由利は容姿はそこそこに可愛らしかったが、どちらかというと地味なタイプだった。華のある女が好みの瀬尾と自分を二股を掛けていたと由利から聞かされた時、俄かには信じられず彼女を問い詰めた。
由利は、瀬尾のことが好きでどうしようもないのだと享一に激白したのだ。
由利の瀬尾への迸るような恋情に、享一の想いも二人で築く筈の将来の夢もあっけなく終わりを遂げた。
「その事、上原さんは?」
「言っていない。もともと、二人の関係を修復するために立てた計画だったからな。だが、もしかしたら、由利もどちらの子供か判っていなかったのかもしれない、とも思う」 享一は考え込むように押し黙った。
由利は瀬尾を手に入れるために腹の子の父親を瀬尾だと決め付けた・・・・・確かに、当時の由利の瀬尾に対する熱情を考えると、あり得るかも知れない、と思う。だが、そうだとしたら本当の父親ではないかもしれない瀬尾に親権を渡すだろうか?
「じゃあ、瀬尾は和輝君が自分の子供ではないとわかっていて、引き取ったのか?」
「俺に異存はないよ。由利は第二の人生をNYで自分を試すことに費やしたいから、育児は無理だと言った。俺にはこの先、子供を持つことはない。むしろ、喜んで和輝を引き受けたのさ」
享一の脳裏にかいがいしく和輝の世話を焼く瀬尾の姿が思い起こされる。
以前は、微笑ましく思えたその光景が微妙な色合いを変えて和輝の表情だけがクローズアップされている。和輝の顔は父親に甘えるそれで、享一の胸に憤怒に似た念が沸き起こる。この感情は・・・
「和輝は可愛いよ。俺にとって、大事な息子だからな。もとから、手放す気なんてないさ」
可愛いと口にした時、対向車のヘッドライトの合間に出来た暗がりで享一を横目で見た瀬尾が、うっそりと嗤う。
享一は感情を外に出さないように、表情を硬くして流れるハイウェイランプに瞳を凝らした。
この先、子供を持つことを許されないのは自分も同じだ。
確かに存在するのに触れられないという、もどかしい思い・・・・いま、瀬尾に感じているのは、紛れもない妬みだ。
和輝を保育園に迎えにいってから、アパートまで送ると言う瀬尾の申し出を断って、互いの職場と保育園のある最寄の駅で降ろしてもらった。
いま、この複雑な心境で和輝に会うのは躊躇われた。もう少し落ち着いて考えたい。
それから・・・・
「瀬尾、また会いに行っていいかな?その・・・和輝君にも」
「もちろんだ。和輝はキョウのこと凄く気に入っているし、お前が来たら大喜びだ。いつでも会いに来いよ」
「瀬尾・・・あの、教えてくれて、ありがとう」
「お前にも知る権利はあるからな」
控えめに礼を言う享一に、瀬尾は気遣うように微笑んだ。
車を降り、軽く手を上げ地下鉄の入り口へと享一が姿を消すと、瀬尾の顔に愉しげでその癖、冷ややかで底意地の悪い嗤いが広がる。
「知らなかったほうが、よかったかもよ?キョウ・・・」
紺のBMWは静かにその場を離れた。
われても末に 逢わむとぞおもふ
独りごちる瀬尾の嗤いが濃くなる。
一度手に入れたら、今度は二度と離さない。
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客の入り具合がほどほどだった店内も、夜が深くなるにつれて空席も埋まり、華やかに賑わっている。
瀬尾が席を立ち歩き出しても享一は何かに拘束されたように椅子に収まったままだった。やがて、のろのろと立ち上がると行き先の定まらない夢遊病者のように歩き出す。
明るい照明が高い天井から白いテーブルクロスに落ちて、グラスや食器をざわめきと共に静かに煌めかせている。自分が歩いているという実感はなく、予めそう組み込まれた人形のようにエントランスへと消えた瀬尾の背中を追った。
和輝が瀬尾の子でないとすると、父親は…
その先を求めて次第に心拍数が上がり僅かに歩調が早まる。
エントランスで支払いをしているであろうと思われた瀬尾の姿は既になく、「どうぞ、またいらしてください」と愛想をもらすスタッフに上の空で礼を言い、今にも走り出さん勢いで店を飛び出した。
BMWに寄りかかった瀬尾は、決して他人に取り乱したところを見せない享一がめずらしく動転し、あたふたと店を飛び出してきた姿を見てくすりと笑った。
「あ、瀬尾・・・支払いは?」
本当に聞きたい事は、そんなことではなかろうに。疎放に切り込んで来ないところは享一の生来の美徳でもあり、欠点でもある。だが眉根が強張り緊迫した表情は素直に心の動揺が表れている。
可愛い男だ。
駐車場のエクステリアライトから逆光になった薄闇の中で、瀬尾は獲物を手中に納めた愉悦をじっくり味わいながら嗤った。
「乗れよ」
荒っぽい周の運転とは違い滑らかに発進した車内では、高速道路に乗るまでどちらも黙っている。やがて、車が高速道路の流れに乗ると瀬尾が口を開いた。
「日本を発つ前、由利とNYにいる間に二人目を作ろうって決めたんだ。二人の関係を修復しようって考えていた。今思えば、そんなことしても虚しいくらい俺達の関係は冷え切っていたんだけどな」
享一は黙って、一言も瀬尾の言葉を聞き漏らすまいと全神経を傾け、静かにうなるエンジン音と共に耳に届く瀬尾の低い声に聞き入った。
「だが、子供はなかなか出来ない。それで、俺は思ったんだ。由利は、一度出産している、原因は俺じゃないかってね。自分で言いたかないけど、お前も知っての通り俺は学生時代さんざ遊んでただろう? 避妊してなくても、子供が出来たためしはなかった。自分でも気になってて由利に黙って検査を受けたんだ」
享一の眉間に軽く嫌悪の皺が入る。
大学時代の派手な女性遍歴を思い出した。自分が知っているだけでも入学してから3年間に6~7人は相手が変わった。知らないものも入れると、多分もっといるだろう。
自由奔放に相手を変え、遊びまわる瀬尾に享一は当時から露骨に不快感を露にしていた。
「結果は、精子の数が足りないって言われたよ。無精子症、聞いたことあるだろ。つまり、俺には子供は出来ない」
瞠目した享一が瀬尾を振り返る。もしや、と店を出た時から予測していたが、実際に聞かされる事実に、衝撃で眩暈を起こしそうだった。
「そうだよ、キョウ。あの時期、由利に第3の男の存在がなかった限り、和輝はお前の子供ってことになる」
享一と付き合っていた大学時代、由利は容姿はそこそこに可愛らしかったが、どちらかというと地味なタイプだった。華のある女が好みの瀬尾と自分を二股を掛けていたと由利から聞かされた時、俄かには信じられず彼女を問い詰めた。
由利は、瀬尾のことが好きでどうしようもないのだと享一に激白したのだ。
由利の瀬尾への迸るような恋情に、享一の想いも二人で築く筈の将来の夢もあっけなく終わりを遂げた。
「その事、上原さんは?」
「言っていない。もともと、二人の関係を修復するために立てた計画だったからな。だが、もしかしたら、由利もどちらの子供か判っていなかったのかもしれない、とも思う」 享一は考え込むように押し黙った。
由利は瀬尾を手に入れるために腹の子の父親を瀬尾だと決め付けた・・・・・確かに、当時の由利の瀬尾に対する熱情を考えると、あり得るかも知れない、と思う。だが、そうだとしたら本当の父親ではないかもしれない瀬尾に親権を渡すだろうか?
「じゃあ、瀬尾は和輝君が自分の子供ではないとわかっていて、引き取ったのか?」
「俺に異存はないよ。由利は第二の人生をNYで自分を試すことに費やしたいから、育児は無理だと言った。俺にはこの先、子供を持つことはない。むしろ、喜んで和輝を引き受けたのさ」
享一の脳裏にかいがいしく和輝の世話を焼く瀬尾の姿が思い起こされる。
以前は、微笑ましく思えたその光景が微妙な色合いを変えて和輝の表情だけがクローズアップされている。和輝の顔は父親に甘えるそれで、享一の胸に憤怒に似た念が沸き起こる。この感情は・・・
「和輝は可愛いよ。俺にとって、大事な息子だからな。もとから、手放す気なんてないさ」
可愛いと口にした時、対向車のヘッドライトの合間に出来た暗がりで享一を横目で見た瀬尾が、うっそりと嗤う。
享一は感情を外に出さないように、表情を硬くして流れるハイウェイランプに瞳を凝らした。
この先、子供を持つことを許されないのは自分も同じだ。
確かに存在するのに触れられないという、もどかしい思い・・・・いま、瀬尾に感じているのは、紛れもない妬みだ。
和輝を保育園に迎えにいってから、アパートまで送ると言う瀬尾の申し出を断って、互いの職場と保育園のある最寄の駅で降ろしてもらった。
いま、この複雑な心境で和輝に会うのは躊躇われた。もう少し落ち着いて考えたい。
それから・・・・
「瀬尾、また会いに行っていいかな?その・・・和輝君にも」
「もちろんだ。和輝はキョウのこと凄く気に入っているし、お前が来たら大喜びだ。いつでも会いに来いよ」
「瀬尾・・・あの、教えてくれて、ありがとう」
「お前にも知る権利はあるからな」
控えめに礼を言う享一に、瀬尾は気遣うように微笑んだ。
車を降り、軽く手を上げ地下鉄の入り口へと享一が姿を消すと、瀬尾の顔に愉しげでその癖、冷ややかで底意地の悪い嗤いが広がる。
「知らなかったほうが、よかったかもよ?キョウ・・・」
紺のBMWは静かにその場を離れた。
独りごちる瀬尾の嗤いが濃くなる。
一度手に入れたら、今度は二度と離さない。
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翠滴 2―1 →
翠滴 3―1 →
□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
こんばんは♪
今日は、本当に嬉しいことがあって夜も更けた今になっても小躍りしております
紙魚です。実は、同じく書き手でいらっしゃるKさまから、15000HITのお祝い
コラボ作品を頂いたんです。
せめてものお礼にと、拙いですがイラストを描かせていただき後日、UPさせて
頂きますね。ストイックな文体でありながら、全体に大人の色香が漂うKさまの作品
の大ファンの私です。こちらに来られる方の中にもファンの方は多いはず。
みなさまも、どうぞお楽しみに♪
それと、携帯のテンプレを変えたのですが、もし読みにくいという方がいらっしゃったら
ご一報いただけますと幸いです。
よろしく、お願いいたしますm(_ _)m
拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
大変、大変、励みになります。。
紙魚
ブログ拍手コメントのお返事は、サイトの”もんもんもん”の
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続き書いてもいいよ~♪
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こんばんは♪
今日は、本当に嬉しいことがあって夜も更けた今になっても小躍りしております
紙魚です。実は、同じく書き手でいらっしゃるKさまから、15000HITのお祝い
コラボ作品を頂いたんです。
せめてものお礼にと、拙いですがイラストを描かせていただき後日、UPさせて
頂きますね。ストイックな文体でありながら、全体に大人の色香が漂うKさまの作品
の大ファンの私です。こちらに来られる方の中にもファンの方は多いはず。
みなさまも、どうぞお楽しみに♪
それと、携帯のテンプレを変えたのですが、もし読みにくいという方がいらっしゃったら
ご一報いただけますと幸いです。
よろしく、お願いいたしますm(_ _)m
拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
大変、大変、励みになります。。
紙魚
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動揺を隠さずに、ちゃんと言いたい事言えばいいのに!
まさにそれが、瀬尾っちの言う所の『享一の美徳でもあり、欠点でもある』ってやつなんですね..
瀬尾っちにお礼なんて言ってる場合じゃないんだよ~(-_-;)
おおっ!!!コラボ作品をいただいたのですか!(≧∇≦)キャー♪
紙魚さまが舞い上がってらしてたのは、この事だったのですね♡嬉しいプレゼントですね!よかったね~~♡
紙魚さまのイラストと共に楽しみに待ってまーす(*´∀`*)