06 ,2009
翠滴 3 out of the blue 5 (28)
一面ガラス張りのその向こうには、夕日に映える東京湾が広がる。対岸のビルのサッシやガラスが夕陽を浴びてきらきら輝いている。落ち着いた白とアンバーを基調にした店内は早い時間にもかかわらず客の姿がちらほらあった。メインシェフが挨拶に来てその日に入手した素材と、それに見合った料理を提示していった。ソムリエからワインリストを渡される。
「顧客がオーナーをやっている店なんだ。俺は運転があるから控えるけど、キョウは飲んでも構わないぞ。ここは、ワインの品揃えもなかなかなもんだ」
「いや、この前のこともあるし、今日は止めとくよ」
一週間前、瀬尾のマンションを訪れてから以降のことが一塊になって胸でしこる。
思い起こすだけでゾクゾクと頭の芯が痺れる周のエロティックで官能的な姿や、腕の中に周という一人の男を抱いた喜び、「ありがとう」と心に落ちてきた囁くような声に泣きたくなり、靄のかかった薄墨の薄暗い座敷で時間を忘れて抱きあった。
鮮明に手のひらに残る周のきれいに隆起した筋肉のきめ細かな素肌の感触や、腕の中に確かに在った周という男の質量や体温、周から立つ独特の香りも、いつの間にか自分と共にあり、気がつけば果ての見えぬほど鮮やかに自分を惹きつけながら自分という人間を占拠している。
鳴海の言うとおり、あの盗聴がなければ今頃、神前の言うなりになっていたか・・・・買収の腹いせに神前から制裁を受けていた可能性だってある。
たった一週間であるのに、あれから随分時間が経ってしまったような気がする。
静かに凪いだ東京湾の向こうでは夜の気配を纏いだした群青の空を背景に、太陽の最後の残光を浴びたビルがギラリと鋭い光を放ち燃えている。知らず知らずのうちに、胸元にて指が伸びて薄いニットの下の小さな輪っかを布越しに確かめた。
享一の目は次第に色を濃くするインディゴと遠くのスカイラインへと放心したように向けられている。意識を持たずに胸元を手繰る手指に注がれた瀬尾の眼は、布地の下の緋色の紐を鮮明に追い、その先にある享一の情念をも捕らえ仄暗く燃え眇められた。
瀬尾の頼んだガス入りのミネラルの入ったグラスを合わせる。金属音のようなクリスタルの触れ合う音に、現実味のない空ろな時間を感じ、周と離れている現実が急にリアルに感じられて輪郭のはっきりしない不安定な感情が胸に広がる。
「そういえば、携帯はやっぱり駄目になったのか?」
空港で、瀬尾に会った時、周からのメールを読んでいた。
『瀬をはやみ・・・・』
前にも、同じ歌を送られたことがある。送ってきたのは、目の前で穏やかな笑みを零す瀬尾だ。何かが引っ掛かった。いくら名前を掛けたとして、男が同性に恋歌など送るだろうか?
貰った当時は気にならなかった恋歌が、実際恋人から贈られてみて妙な違和感を伴って心の中で小さく引っ掛かった。だが、柔らかな笑みを浮かべる目前の友人に符合する感情は見出せず、浮かび上がった疑念の輪郭もまた、曖昧になっていった。
「ああ、時間がたったら携帯画面が立ち上がらなくなってアウトだった。せっかく、瀬尾にサルベージしてもらったのにな」
「そうか、悪かったな。俺がもうちょっと気をつけていればよかったのに」
「いいんだ、俺も不注意だった。それに、いい加減、変えたいと思っていたところだったから、踏ん切りもついて、丁度よかったんだ」
まさか、その携帯から、身内の仕掛けた盗聴器が見つかたなどといえる筈もなく、そのまま押し黙る。瀬尾の取り分けたいさきのアクアパッツアを消沈した面持ちで口に運び、「美味い」と小さく笑み感想を述べる享一に瀬尾は「だろ?」 と、嬉しそうに眼を細める。そして、自分も顔を下に向けスープを掬いながらちらりと上目遣いで享一を見、気取られぬようニヤリと嗤った。
「空港で一緒にいたのは、建築家の河村 圭太だろう?由利が大ファンなんだ。キョウは知り合いだったのか?」
「河村さんが設計した美術館を、うちが施工したんだが、俺はその時”K2”っていう河村さんの事務所に出向してたんだ」
ふいに空港で河村と目撃した由利と瀬尾の一幕を思い出した。
よく見ると、瀬尾の頬に薄い指の跡がある。
手を上げた時の由利の悔しさと憤怒に歪んだ顔が遠目からでも見て取れた。
一体、何をやらかしたら瀬尾に惚れまくっていた由利をあそこまで怒らせることが出来るのか。過去はともかく、今は弁護士という仕事にも就き、子煩悩で温和な表情をするようになった。その友人が他人に、それも心酔していたはずの妻に殴られるというのが意外で、その癖どこかで友人の大事な何かを見落としているような座りの悪さが、しつこく享一の中に残っていた。
瀬尾は、指に挟み操っていたカトラリーを置きナプキンで口元を拭うと、享一の目が遠慮勝ちに自分の頬に注がれるのを見て低く笑った。
「キョウは相変わらず、こちら方面には鈍いな」
怪訝な顔をする享一に瀬尾は笑いかけた。その一見優しげである表情に享一は自分の心が何か、ひたりと冷たいものに触れたような気がして、瀬尾の顔を静かに凝視した。
「離婚したんだよ、俺達」
「え、マジで?」
「本当は、渡米する前から俺達の関係は破綻していたんだ」
シェフからのサービスだという見た目も美しい、小さく刻まれた果実の入ったマンゴーソースがかかるフロマージュブランにバニラアイスを添えたものと、苦味の利いたイタリアンコーヒーがテーブルに置かれた。
「和輝君は・・?」
「前にも、由利はNYで自分を試したいって言ってるって話しただろう。2人で話し合った結果、親権は俺が持つことになった」
「そうだったのか・・・」
和輝のあどけない寝顔が目に浮かんで、複雑な感情に心が沈んだ。和輝はまだまだ母親の必要な年齢だ。
父と別れた後、働き始めた母を恋しがってぐずった弟や妹のことを思い出す。
2人とも今の和輝よりはもう少し上の年齢だった。
和輝の心情を思うとなぜにこうも心が塞ぎ、切なく気持ちが沈むのか。
バニラアイスの表面が熔けて甘いつやが広がってゆく。
和輝に目の前の甘い菓子を食べさせてやりたい。享一は美しいプレートには手をつけず、物思いに耽りアイスがとけるのをぼんやり眺めた。
デザートの乗ったプレートには、目もくれず、享一の表情を見詰めていた瀬尾が口を開いた。
「キョウ・・・和輝の事なんだが、もしかしたら俺の子じゃないかもしれない」
瀬尾の思いがけない言葉に、白とオレンジ色の美しいコントラストの菓子から顔を上げ、彫深い整った顔に穿たれたアーモンド形の瞳を凝視めた。
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「顧客がオーナーをやっている店なんだ。俺は運転があるから控えるけど、キョウは飲んでも構わないぞ。ここは、ワインの品揃えもなかなかなもんだ」
「いや、この前のこともあるし、今日は止めとくよ」
一週間前、瀬尾のマンションを訪れてから以降のことが一塊になって胸でしこる。
思い起こすだけでゾクゾクと頭の芯が痺れる周のエロティックで官能的な姿や、腕の中に周という一人の男を抱いた喜び、「ありがとう」と心に落ちてきた囁くような声に泣きたくなり、靄のかかった薄墨の薄暗い座敷で時間を忘れて抱きあった。
鮮明に手のひらに残る周のきれいに隆起した筋肉のきめ細かな素肌の感触や、腕の中に確かに在った周という男の質量や体温、周から立つ独特の香りも、いつの間にか自分と共にあり、気がつけば果ての見えぬほど鮮やかに自分を惹きつけながら自分という人間を占拠している。
鳴海の言うとおり、あの盗聴がなければ今頃、神前の言うなりになっていたか・・・・買収の腹いせに神前から制裁を受けていた可能性だってある。
たった一週間であるのに、あれから随分時間が経ってしまったような気がする。
静かに凪いだ東京湾の向こうでは夜の気配を纏いだした群青の空を背景に、太陽の最後の残光を浴びたビルがギラリと鋭い光を放ち燃えている。知らず知らずのうちに、胸元にて指が伸びて薄いニットの下の小さな輪っかを布越しに確かめた。
享一の目は次第に色を濃くするインディゴと遠くのスカイラインへと放心したように向けられている。意識を持たずに胸元を手繰る手指に注がれた瀬尾の眼は、布地の下の緋色の紐を鮮明に追い、その先にある享一の情念をも捕らえ仄暗く燃え眇められた。
瀬尾の頼んだガス入りのミネラルの入ったグラスを合わせる。金属音のようなクリスタルの触れ合う音に、現実味のない空ろな時間を感じ、周と離れている現実が急にリアルに感じられて輪郭のはっきりしない不安定な感情が胸に広がる。
「そういえば、携帯はやっぱり駄目になったのか?」
空港で、瀬尾に会った時、周からのメールを読んでいた。
『瀬をはやみ・・・・』
前にも、同じ歌を送られたことがある。送ってきたのは、目の前で穏やかな笑みを零す瀬尾だ。何かが引っ掛かった。いくら名前を掛けたとして、男が同性に恋歌など送るだろうか?
貰った当時は気にならなかった恋歌が、実際恋人から贈られてみて妙な違和感を伴って心の中で小さく引っ掛かった。だが、柔らかな笑みを浮かべる目前の友人に符合する感情は見出せず、浮かび上がった疑念の輪郭もまた、曖昧になっていった。
「ああ、時間がたったら携帯画面が立ち上がらなくなってアウトだった。せっかく、瀬尾にサルベージしてもらったのにな」
「そうか、悪かったな。俺がもうちょっと気をつけていればよかったのに」
「いいんだ、俺も不注意だった。それに、いい加減、変えたいと思っていたところだったから、踏ん切りもついて、丁度よかったんだ」
まさか、その携帯から、身内の仕掛けた盗聴器が見つかたなどといえる筈もなく、そのまま押し黙る。瀬尾の取り分けたいさきのアクアパッツアを消沈した面持ちで口に運び、「美味い」と小さく笑み感想を述べる享一に瀬尾は「だろ?」 と、嬉しそうに眼を細める。そして、自分も顔を下に向けスープを掬いながらちらりと上目遣いで享一を見、気取られぬようニヤリと嗤った。
「空港で一緒にいたのは、建築家の河村 圭太だろう?由利が大ファンなんだ。キョウは知り合いだったのか?」
「河村さんが設計した美術館を、うちが施工したんだが、俺はその時”K2”っていう河村さんの事務所に出向してたんだ」
ふいに空港で河村と目撃した由利と瀬尾の一幕を思い出した。
よく見ると、瀬尾の頬に薄い指の跡がある。
手を上げた時の由利の悔しさと憤怒に歪んだ顔が遠目からでも見て取れた。
一体、何をやらかしたら瀬尾に惚れまくっていた由利をあそこまで怒らせることが出来るのか。過去はともかく、今は弁護士という仕事にも就き、子煩悩で温和な表情をするようになった。その友人が他人に、それも心酔していたはずの妻に殴られるというのが意外で、その癖どこかで友人の大事な何かを見落としているような座りの悪さが、しつこく享一の中に残っていた。
瀬尾は、指に挟み操っていたカトラリーを置きナプキンで口元を拭うと、享一の目が遠慮勝ちに自分の頬に注がれるのを見て低く笑った。
「キョウは相変わらず、こちら方面には鈍いな」
怪訝な顔をする享一に瀬尾は笑いかけた。その一見優しげである表情に享一は自分の心が何か、ひたりと冷たいものに触れたような気がして、瀬尾の顔を静かに凝視した。
「離婚したんだよ、俺達」
「え、マジで?」
「本当は、渡米する前から俺達の関係は破綻していたんだ」
シェフからのサービスだという見た目も美しい、小さく刻まれた果実の入ったマンゴーソースがかかるフロマージュブランにバニラアイスを添えたものと、苦味の利いたイタリアンコーヒーがテーブルに置かれた。
「和輝君は・・?」
「前にも、由利はNYで自分を試したいって言ってるって話しただろう。2人で話し合った結果、親権は俺が持つことになった」
「そうだったのか・・・」
和輝のあどけない寝顔が目に浮かんで、複雑な感情に心が沈んだ。和輝はまだまだ母親の必要な年齢だ。
父と別れた後、働き始めた母を恋しがってぐずった弟や妹のことを思い出す。
2人とも今の和輝よりはもう少し上の年齢だった。
和輝の心情を思うとなぜにこうも心が塞ぎ、切なく気持ちが沈むのか。
バニラアイスの表面が熔けて甘いつやが広がってゆく。
和輝に目の前の甘い菓子を食べさせてやりたい。享一は美しいプレートには手をつけず、物思いに耽りアイスがとけるのをぼんやり眺めた。
デザートの乗ったプレートには、目もくれず、享一の表情を見詰めていた瀬尾が口を開いた。
「キョウ・・・和輝の事なんだが、もしかしたら俺の子じゃないかもしれない」
瀬尾の思いがけない言葉に、白とオレンジ色の美しいコントラストの菓子から顔を上げ、彫深い整った顔に穿たれたアーモンド形の瞳を凝視めた。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
改稿と申しましても、がっつり書き直したわけではなく、何気に足したり削ったり・・・・
でも、ラストが変わっています。
改稿前の記事を読まれた方・・・・内容は、忘れて下さいませ~~!!(←
今後の更新時間ですが、夕方の6時というのはリアル生活のちょうど雑多な時間と
かち合ってしまうので、当分の間、更新のある時は23:00にUPしたいと思います。
我侭ばかりで、本当に申し訳ありませんm(_ _)m
今後ともよろしくお願いいたします。
拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
大変、大変、励みになります。。
紙魚
ブログ拍手コメントのお返事は、サイトの”もんもんもん”の
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続き書いてもいいよ~♪
という奇特なかたはポチお願いします。
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改稿と申しましても、がっつり書き直したわけではなく、何気に足したり削ったり・・・・
でも、ラストが変わっています。
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今後の更新時間ですが、夕方の6時というのはリアル生活のちょうど雑多な時間と
かち合ってしまうので、当分の間、更新のある時は23:00にUPしたいと思います。
我侭ばかりで、本当に申し訳ありませんm(_ _)m
今後ともよろしくお願いいたします。
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大変、大変、励みになります。。
紙魚
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そして瀬尾っちの恐ろしさが更にUp…怖いよぉ(;´Д`)
爆弾発言も飛び出しましたね~。
こんなに早くカード切っちゃうとは思いませんでしたが、今がチャンスと思ってるのかしら?
って…あれ?すでに翠滴3も28話目だったんですね?Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
いつの間に…そっか、そろそろ動き出す時期ですよね。
うわぁ~~怖いなぁ。
亨たん、引っ掛かりは覚えてるようですが、行き着かないもんなぁ。
あぁーーー続き、ドキドキしながらお待ちしてます!!
そして23:00更新了解しました!更新直後はお邪魔出来ないかもですが、日付変わった頃の巡回コースにww
(バニラアイス…マンゴー…ブラマンジェは苦手なので、カズキくんに上げます←何様?っていうか、まだ云うか?w)