05 ,2009
翠滴 3 タンジェリン ライズ 4 (7)
残業もそこそこに、会社を出て駅前の大型書店の入るビルに飛び込んだ。
昼間、西元留美子に見せられた小説の表紙が頭から離れなかった。表紙だけではない。
父親であった男の小説の表紙絵になぜ周の肖像が載せられたのか?
あの絵は一体、誰が描いたのか? 周は、このことを知っているのだろうか?
周には他人が触れてはいけない過去がある。あの表紙の周は、二十歳前後だろうか・・・・・
たとえ自分の父が関わることであっても、自分に口出しすることは許されない事のように思えた。
周の背後で燃えていた火焔と真っ黒な闇に、周の中に沈む苦悩を見た気がした。普段の周は自分の背負っている悩みや傷を享一に見せることはない。そのことを考える時、享一の心に、周の全てには決して触れさせてはもらえぬという事実と、周が頼りにできぬほどに自分が未熟であるという焦燥感、それに諦めに似た寂莫の思いが圧し掛かる。
以前は、他のものに対してこのような感情を抱くことはなかった。
以前の自分なら、人と自分をはっきり分けて、必要以上に相手を知り、慮り、頼まれもしない手を差し伸べたいなどと思いもしなかった。
周は特別なのだ。
だがその特別に引っ張られて、最近 周りの人間と自分との距離が少し狭まったような気がする。
商業ビルの中の巨大な吹き抜けに設置されたスケルトンのエレベーターに乗るとガラスの外をすっかり暮れた夜の街が浮遊感を伴い足下に流れてゆく。背中が軽く強張るのを感じ視線をずらし、エレベーター内の、階数表示のデジタルの数字を目で追った。
11階で降り書店へ向かう。自分の父親の本を見るために書店を訪れるのは何年ぶりだろうか?大量の本が並び積まれる店頭に辿り着く頃には、既に享一の心は迷い、歩くスピードは鈍り始めた。周の過去の欠片を知ってどうなるのだろう?自分の過去を糊塗して、その片鱗すら享一に見せようとしない周は、自分が過去を知るのをなんと思うだろう。
思いあぐねて引き返そうと振り返った時、足に衝撃を感じ、同時に弾けるような泣き声を聞いて驚いた。床を見ると4~5歳の男の子供があお向けに倒れて泣いていた。
どうやら、自分が急に立ち止まって振り返ったのが原因らしかった。頭を強く打ったのか、リノリウムの上で頭に手をやり真っ赤になって泣く子供を享一は慌てて抱き上げた。
「ごめんな。大丈夫か?」
「パパぁ、パパぁ」
自分を父親と勘違いしているのか、首にしがみ付き父親を連呼する子供の後頭部に手をやると、なるほど手のひらの窪みに熱を持った大きなたんこぶが触れてきた。
「本当に、ごめんな。今、冷やしてやるから待ってろな」
抱っこしたまま洗面所まで連れて行き、入り口付近に置かれたベンチに座らせ濡らしたハンカチで後頭部を冷やしてやる。小さなリュックを背負った子供は、鼻の頭を真っ赤にし、しゃくり上げ、それでも何とか泣き止んだ。
「痛かったか?ぜんぜん気がつかなくて、ごめんな」
「おじちゃん、だれ?パパはどこにいるの?」
おじちゃんかよ。
苦笑し、訂正してやりたい気持ちを抑えて、聞いてやる。
「お父さんと来ているのか?お父さんは本屋にいるのかな?」
「ボクの絵本買いに来たの」
小さく頷く子供の瞳にまだ、うっすらと涙が溜まっている。頷いた拍子に零れ落ちた涙を、享一は不思議な既視感を持って眺めた。
「じゃあ、絵本コーナーに行ってみる?」
「うん」
再び抱っこをせがまれて「はいはい」、と小さな体を腕の中に納めて歩き出した。
小さな心臓がドクドクと脈打つ鼓動や、子供特有の高い体温が重なった布を通して伝わってくる。
享一は無意識のうち、その小さな体を抱きしめていた。
「この中に、君のお父さんいる?」
「うんん。パパね、すごく背が高いんだ」
結構な賑わいを見せる絵本コーナーに立って、背の高い男性を探すが、いるのは自分より背の低いくらいの男性2人と母親らしき女性ばかりだ。みな傍にはそれぞれの子供がいる。
雑誌から専門書まで豊富に揃った店内は図書館並みに広い。このまま、見ず知らずの子供いつまでも抱っこして父親を探すのもどうかと思い子供を下に下ろし、自分もしゃがむ。
「今、店員さんにお願いして店内アナウンスで呼び出してくれるように頼んであげるから、もう少しのがまんな?」
「・・・うん」
再び泣き出しそうな顔をする子供の手をとり、広い店内を店員の姿を求めて歩き出すと、ふと掌に収まる湿り気のある高い体温の小さな手に、何かを思い出しそうな気になるが、店員の姿を見つけた途端、それは霧散して消えてしまった。
子供を店員に託し、手を振って別れ引き返そうとしたその時、平積みにされた父の本が目に入った。特設された加納 太一のコーナーには、過去に出版された本と共に、昼間 西元に見せられた、新刊の『タンジェリン ライズ』が積み上げられている。意識のないままに享一はその本の一冊を取り上げた。
カバーの裏を見ると『装画 徳良 鳴雪』と書かれていた。
あらすじは、戦時下の日本で生まれた混血児の主人公が数奇な運命に翻弄されながらも大陸を目指し、成長し自由を勝ち得ていくという話だ。どことなく周とだぶる内容に、父の書いた小説に感情を示すのが厭でページは開かなかった。
もう一度、表紙を見る。見てはいけないものを覗き見するような気分で、心臓の鼓動が早まった。だが、結局のところ手に取ってしまうと目が離せないでいる。改めて見る表紙絵ははじめて見た時の印象と少し変わっていた。首を傾げ、こちらを真っ直ぐ向く翠の瞳からは、最初に受けた妖気すら放つ妖艶な色めいた印象の影に隠れるように、戸惑いや諦め、恐怖や悲しみが澄んだ冷たい水が染み出るように流れ出し、享一の心を揺さぶった。
今や背景の燃え盛る朱色の火焔は、瑞々しい二つの瞳によって、その熱を奪われ激しさを失い業火が描かれているに関わらず、ひんやりと瑞々しい印象を受けた。
まだ、うっすらとあどけなさの残るこの時の周は、まだ10代だったかもしれない。
周が苦しんだこの時期に傍にいて周を守ってやれなかった自分の運命に怒りすら覚えた。
周が、恋しくて可哀想で、愛おしくて堪らず、今すぐ会ってこの腕で抱きしめたいという狂おしい衝動に、いてもたってもいられなくなる。
早く周に会いたい。昼間、周に対して激怒したことも忘れ、恋しさだけが胸のうちに募ってゆく。視界がぼやけて表紙の周の輪郭が滲んで見えた。早く帰ろう、周のもとに。
「パパ!この人だよ!」
「あの、先程は息子がお世話になり、すみませんでした」
いきなり背後から声を掛けられ、慌てて本を置き、ポケットを探ったが、ハンカチはたんこぶを冷やすために子供に上げてしまったのを思い出し、素早く手の甲で目を拭った。
何とか取り繕い振り向いた享一は、瞠目した。
←前話 次話→
翠滴 1 →
翠滴 2 →
昼間、西元留美子に見せられた小説の表紙が頭から離れなかった。表紙だけではない。
父親であった男の小説の表紙絵になぜ周の肖像が載せられたのか?
あの絵は一体、誰が描いたのか? 周は、このことを知っているのだろうか?
周には他人が触れてはいけない過去がある。あの表紙の周は、二十歳前後だろうか・・・・・
たとえ自分の父が関わることであっても、自分に口出しすることは許されない事のように思えた。
周の背後で燃えていた火焔と真っ黒な闇に、周の中に沈む苦悩を見た気がした。普段の周は自分の背負っている悩みや傷を享一に見せることはない。そのことを考える時、享一の心に、周の全てには決して触れさせてはもらえぬという事実と、周が頼りにできぬほどに自分が未熟であるという焦燥感、それに諦めに似た寂莫の思いが圧し掛かる。
以前は、他のものに対してこのような感情を抱くことはなかった。
以前の自分なら、人と自分をはっきり分けて、必要以上に相手を知り、慮り、頼まれもしない手を差し伸べたいなどと思いもしなかった。
周は特別なのだ。
だがその特別に引っ張られて、最近 周りの人間と自分との距離が少し狭まったような気がする。
商業ビルの中の巨大な吹き抜けに設置されたスケルトンのエレベーターに乗るとガラスの外をすっかり暮れた夜の街が浮遊感を伴い足下に流れてゆく。背中が軽く強張るのを感じ視線をずらし、エレベーター内の、階数表示のデジタルの数字を目で追った。
11階で降り書店へ向かう。自分の父親の本を見るために書店を訪れるのは何年ぶりだろうか?大量の本が並び積まれる店頭に辿り着く頃には、既に享一の心は迷い、歩くスピードは鈍り始めた。周の過去の欠片を知ってどうなるのだろう?自分の過去を糊塗して、その片鱗すら享一に見せようとしない周は、自分が過去を知るのをなんと思うだろう。
思いあぐねて引き返そうと振り返った時、足に衝撃を感じ、同時に弾けるような泣き声を聞いて驚いた。床を見ると4~5歳の男の子供があお向けに倒れて泣いていた。
どうやら、自分が急に立ち止まって振り返ったのが原因らしかった。頭を強く打ったのか、リノリウムの上で頭に手をやり真っ赤になって泣く子供を享一は慌てて抱き上げた。
「ごめんな。大丈夫か?」
「パパぁ、パパぁ」
自分を父親と勘違いしているのか、首にしがみ付き父親を連呼する子供の後頭部に手をやると、なるほど手のひらの窪みに熱を持った大きなたんこぶが触れてきた。
「本当に、ごめんな。今、冷やしてやるから待ってろな」
抱っこしたまま洗面所まで連れて行き、入り口付近に置かれたベンチに座らせ濡らしたハンカチで後頭部を冷やしてやる。小さなリュックを背負った子供は、鼻の頭を真っ赤にし、しゃくり上げ、それでも何とか泣き止んだ。
「痛かったか?ぜんぜん気がつかなくて、ごめんな」
「おじちゃん、だれ?パパはどこにいるの?」
おじちゃんかよ。
苦笑し、訂正してやりたい気持ちを抑えて、聞いてやる。
「お父さんと来ているのか?お父さんは本屋にいるのかな?」
「ボクの絵本買いに来たの」
小さく頷く子供の瞳にまだ、うっすらと涙が溜まっている。頷いた拍子に零れ落ちた涙を、享一は不思議な既視感を持って眺めた。
「じゃあ、絵本コーナーに行ってみる?」
「うん」
再び抱っこをせがまれて「はいはい」、と小さな体を腕の中に納めて歩き出した。
小さな心臓がドクドクと脈打つ鼓動や、子供特有の高い体温が重なった布を通して伝わってくる。
享一は無意識のうち、その小さな体を抱きしめていた。
「この中に、君のお父さんいる?」
「うんん。パパね、すごく背が高いんだ」
結構な賑わいを見せる絵本コーナーに立って、背の高い男性を探すが、いるのは自分より背の低いくらいの男性2人と母親らしき女性ばかりだ。みな傍にはそれぞれの子供がいる。
雑誌から専門書まで豊富に揃った店内は図書館並みに広い。このまま、見ず知らずの子供いつまでも抱っこして父親を探すのもどうかと思い子供を下に下ろし、自分もしゃがむ。
「今、店員さんにお願いして店内アナウンスで呼び出してくれるように頼んであげるから、もう少しのがまんな?」
「・・・うん」
再び泣き出しそうな顔をする子供の手をとり、広い店内を店員の姿を求めて歩き出すと、ふと掌に収まる湿り気のある高い体温の小さな手に、何かを思い出しそうな気になるが、店員の姿を見つけた途端、それは霧散して消えてしまった。
子供を店員に託し、手を振って別れ引き返そうとしたその時、平積みにされた父の本が目に入った。特設された加納 太一のコーナーには、過去に出版された本と共に、昼間 西元に見せられた、新刊の『タンジェリン ライズ』が積み上げられている。意識のないままに享一はその本の一冊を取り上げた。
カバーの裏を見ると『装画 徳良 鳴雪』と書かれていた。
あらすじは、戦時下の日本で生まれた混血児の主人公が数奇な運命に翻弄されながらも大陸を目指し、成長し自由を勝ち得ていくという話だ。どことなく周とだぶる内容に、父の書いた小説に感情を示すのが厭でページは開かなかった。
もう一度、表紙を見る。見てはいけないものを覗き見するような気分で、心臓の鼓動が早まった。だが、結局のところ手に取ってしまうと目が離せないでいる。改めて見る表紙絵ははじめて見た時の印象と少し変わっていた。首を傾げ、こちらを真っ直ぐ向く翠の瞳からは、最初に受けた妖気すら放つ妖艶な色めいた印象の影に隠れるように、戸惑いや諦め、恐怖や悲しみが澄んだ冷たい水が染み出るように流れ出し、享一の心を揺さぶった。
今や背景の燃え盛る朱色の火焔は、瑞々しい二つの瞳によって、その熱を奪われ激しさを失い業火が描かれているに関わらず、ひんやりと瑞々しい印象を受けた。
まだ、うっすらとあどけなさの残るこの時の周は、まだ10代だったかもしれない。
周が苦しんだこの時期に傍にいて周を守ってやれなかった自分の運命に怒りすら覚えた。
周が、恋しくて可哀想で、愛おしくて堪らず、今すぐ会ってこの腕で抱きしめたいという狂おしい衝動に、いてもたってもいられなくなる。
早く周に会いたい。昼間、周に対して激怒したことも忘れ、恋しさだけが胸のうちに募ってゆく。視界がぼやけて表紙の周の輪郭が滲んで見えた。早く帰ろう、周のもとに。
「パパ!この人だよ!」
「あの、先程は息子がお世話になり、すみませんでした」
いきなり背後から声を掛けられ、慌てて本を置き、ポケットを探ったが、ハンカチはたんこぶを冷やすために子供に上げてしまったのを思い出し、素早く手の甲で目を拭った。
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翠滴 2 →
□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
みなさま、こんにちは。
時見享一(24歳)、おじさん呼ばわりされて、かなりショック。スーツさえ着てなかったら
お兄さんと呼んでもらえたはず・・?プッ!やっと、次回で瀬尾の登場です。
今晩、00:00より明日20:00まで、ブログ村がメンテナンスに入ります。
新着記事が更新されなかったり、ポイントが加算されなかったりするそうですが、
復旧後に反映されるそうです。
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時見享一(24歳)、おじさん呼ばわりされて、かなりショック。スーツさえ着てなかったら
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子供は可愛いのになぁ~せめて瀬尾さんが、子供をダシに使うような事がありませんように…。
一枚の『絵』から受ける印象って、その時々の自分の気持ちをも如実に表してくれちゃうんですよねぇ。
描き手さんがその『絵』に塗り込めた想いと共に、それを見ている人の想いをも閉じ込めてしまう。
世の中には色んな繋がりがあるもんですね…亨たん、大変だ(苦笑)
>周の全てには決して触れさせてはもらえぬという事実と、周が頼りにできぬほどに自分が未熟であるという焦燥感、それに諦めに似た寂莫の思いが圧し掛かる
これもまた、一緒に暮らす事を躊躇う理由のひとつなのかもしれないですよね…周さん側に立って見れば、いらない心配や不安を与えたくないだとか、守っていきたいだとかいう想いがあるのでしょうけれど、亨たんも男だもんなぁ~一緒に悩んだり苦しんだりしながら乗り越えて行きたいっすよね、やっぱり。
ドキドキしながら、明日も楽しみに来させて頂きます♪