04 ,2009
深海魚 31 ― 最終話 ―
エピローグ■■
週末、2週間に及んだ海外での仕事を終えて、空港からそのまま湘南へ車を飛ばした。
オフショアでそこそこの波が立ち、海辺はサーファー達で賑わっている。
その波の上を派手なサ-フボードに乗って前傾をとり、巧みなテクニックでボードを優美に操る姿をすぐに見つけた。波と一体と化したその身体が低くなった波の上で上体をそらせターンを切ると、思いのほか大きかった次の波に弾き飛ばされ、高く舞い上がったボードごと波の中へ呑み込まれていった。
「シズカ!」
波の下からボードと共に浮上してきた静が、こちらに気付いて手を振る。その姿を次の波がまた呑み込んだ。呆気に取られていると、腹這いでボードに乗った静が白い波頭の間から現れ立ち上がり美しいフォームでバランスを取りながら、その波に乗って浜辺に戻ってきた。
浅瀬についてボードから降りた静が、引き揚げたボードを脇に抱え、はにかんだ照れ笑いを浮かべながらこちらに向かって歩いてくる。秋の気配のする遅い午後の浜辺には、相も変わらず大勢のサーファーが繰り出していた。こちらに向かう静の前に突然、がっしりした長躯の男が立ちはだかり、静の足が止まった。
行く手を阻まれた静は、鳶色の瞳でゆっくりと男を見上げた。水の滴る前髪を煩そうに掻き上げながら、めずらしく冷たい表情で自分と同じサーファーらしき男の話を聞いている。
その顔が、解れるように艶然と微笑んだ。静の指がこちらを指し一言二言何かを言うと、男もこちらを振返り、肩を竦めて去っていった。
「波を読み違えちゃった」
無様な姿を見せたのが悔しいのか、恥かしそうに笑いながらも目を合わせようとしない。
そんな静のすべてが可愛いと思ってしまう自分は、かなりの重症らしい。
「今の、ナニ?」
「なにって?え?」
問いかけるようにポカンと振り向いた顔が、圭太の憮然とした表情に合点がいったというように、嬉しそうに鳶色の瞳を細めた。
「ナイショだよ、圭太さん。そろそろ、店を開けに戻らないと」
含み笑いを漏らしながら、ボードを抱え、駐車場とは反対方向にスタスタと歩き出す。
どうやら、方向音痴は年々酷くなる傾向にあるらしい。
毎週末をこちらで過ごすようになって、鬚を剃った静が前にも増して、あちこちからモーションを掛けられている事を知った。あの伊原からも、静の誕生日の18日には、毎月シーラカンスに花が届く。まったく、油断も隙もあったもんじゃない。臍を曲げ、盛大な溜息を漏らすと、前を歩いていた静が振返った。澄んだ瞳が真っ直ぐ見上げてくる。
「圭太さん、おかえりなさい。会いたかった・・・」
さっきの素っ気無い態度を詫びるように、爪先立ちし唇を合わせてきた。
浜辺には、まだたくさんの人がいる。多分、シーラカンスに通う客も少なからずいるはずだ。
静の大胆な行動に驚いていると、唇を離した静が悪戯っぽく笑いかけてきた。
「圭太さんは、かっこいいから、俺のだって事、誇示しておかなくちゃ。あ・・・スーツ濡らしちゃったね、ごめん。これ、周(あまね)さんのとこのスーツでしょう?高いのに・・・染みとか大丈夫かな?」
静のウエットスーツについた海水が、ノーネクタイの”GLAMOROUS”のグレーのスーツに点々と濡れた痕をつけた。
「構わない。もっと濡らせよ」
「え?・・・・ん・・・ぅ」
濡れた身体を抱きこんだ。
スーツが濡れるからと身を捩る静の後頭部を抑えて口づけをする。唇をノックし舌を滑り込ませると、静の腕からサーフボードが音を立てて砂の上に落ちた。
2人に気が付いた者が、砂浜のあちらこちらから、チラチラと二人を見ている。構うものか。
潮の香りがする唇を甘噛みすると、堪えきれなくなったのか静も濡れたウエットスーツの腕を圭太の首に回してきた。
シーラカンスを続けたいかどうかを、静に訊ねると、やはりあの場所が好きだからと葉山に残りたいのだと言った。シーラカンスは、この辺りの大人が好んで通う隠れ家的な店で、なくすのも忍びない。静が続けたいというなら、反対する道理はない。自分が動けばいいだけだ。
週末をこちらで過ごす生活が始まって半年近くになる。会えない時間も、俺は静に惹かれ続けている。あのヴァレンタインの前日、講演会に現れた弟のような存在だった静は、今、腕の中で最も愛しい人間として存在している。内気な静が勇気を振り絞って求めてくれなかったら、俺はいつまでも、この愛おしい体温に気が付かなかったかもしれない。
夕暮れの潮風が夏の終わりを告げていた。
唇を離しオレンジ色に染まる頬を更に紅く染めた静に感謝を込めて微笑む。
はにかんだ瞳と目が合うと、どちらともなく声を上げて笑い出し、手を繋いで熱の残る砂の上を歩き始めた。
― FIN ―
←前話 □あとがき□
■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
週末、2週間に及んだ海外での仕事を終えて、空港からそのまま湘南へ車を飛ばした。
オフショアでそこそこの波が立ち、海辺はサーファー達で賑わっている。
その波の上を派手なサ-フボードに乗って前傾をとり、巧みなテクニックでボードを優美に操る姿をすぐに見つけた。波と一体と化したその身体が低くなった波の上で上体をそらせターンを切ると、思いのほか大きかった次の波に弾き飛ばされ、高く舞い上がったボードごと波の中へ呑み込まれていった。
「シズカ!」
波の下からボードと共に浮上してきた静が、こちらに気付いて手を振る。その姿を次の波がまた呑み込んだ。呆気に取られていると、腹這いでボードに乗った静が白い波頭の間から現れ立ち上がり美しいフォームでバランスを取りながら、その波に乗って浜辺に戻ってきた。
浅瀬についてボードから降りた静が、引き揚げたボードを脇に抱え、はにかんだ照れ笑いを浮かべながらこちらに向かって歩いてくる。秋の気配のする遅い午後の浜辺には、相も変わらず大勢のサーファーが繰り出していた。こちらに向かう静の前に突然、がっしりした長躯の男が立ちはだかり、静の足が止まった。
行く手を阻まれた静は、鳶色の瞳でゆっくりと男を見上げた。水の滴る前髪を煩そうに掻き上げながら、めずらしく冷たい表情で自分と同じサーファーらしき男の話を聞いている。
その顔が、解れるように艶然と微笑んだ。静の指がこちらを指し一言二言何かを言うと、男もこちらを振返り、肩を竦めて去っていった。
「波を読み違えちゃった」
無様な姿を見せたのが悔しいのか、恥かしそうに笑いながらも目を合わせようとしない。
そんな静のすべてが可愛いと思ってしまう自分は、かなりの重症らしい。
「今の、ナニ?」
「なにって?え?」
問いかけるようにポカンと振り向いた顔が、圭太の憮然とした表情に合点がいったというように、嬉しそうに鳶色の瞳を細めた。
「ナイショだよ、圭太さん。そろそろ、店を開けに戻らないと」
含み笑いを漏らしながら、ボードを抱え、駐車場とは反対方向にスタスタと歩き出す。
どうやら、方向音痴は年々酷くなる傾向にあるらしい。
毎週末をこちらで過ごすようになって、鬚を剃った静が前にも増して、あちこちからモーションを掛けられている事を知った。あの伊原からも、静の誕生日の18日には、毎月シーラカンスに花が届く。まったく、油断も隙もあったもんじゃない。臍を曲げ、盛大な溜息を漏らすと、前を歩いていた静が振返った。澄んだ瞳が真っ直ぐ見上げてくる。
「圭太さん、おかえりなさい。会いたかった・・・」
さっきの素っ気無い態度を詫びるように、爪先立ちし唇を合わせてきた。
浜辺には、まだたくさんの人がいる。多分、シーラカンスに通う客も少なからずいるはずだ。
静の大胆な行動に驚いていると、唇を離した静が悪戯っぽく笑いかけてきた。
「圭太さんは、かっこいいから、俺のだって事、誇示しておかなくちゃ。あ・・・スーツ濡らしちゃったね、ごめん。これ、周(あまね)さんのとこのスーツでしょう?高いのに・・・染みとか大丈夫かな?」
静のウエットスーツについた海水が、ノーネクタイの”GLAMOROUS”のグレーのスーツに点々と濡れた痕をつけた。
「構わない。もっと濡らせよ」
「え?・・・・ん・・・ぅ」
濡れた身体を抱きこんだ。
スーツが濡れるからと身を捩る静の後頭部を抑えて口づけをする。唇をノックし舌を滑り込ませると、静の腕からサーフボードが音を立てて砂の上に落ちた。
2人に気が付いた者が、砂浜のあちらこちらから、チラチラと二人を見ている。構うものか。
潮の香りがする唇を甘噛みすると、堪えきれなくなったのか静も濡れたウエットスーツの腕を圭太の首に回してきた。
シーラカンスを続けたいかどうかを、静に訊ねると、やはりあの場所が好きだからと葉山に残りたいのだと言った。シーラカンスは、この辺りの大人が好んで通う隠れ家的な店で、なくすのも忍びない。静が続けたいというなら、反対する道理はない。自分が動けばいいだけだ。
週末をこちらで過ごす生活が始まって半年近くになる。会えない時間も、俺は静に惹かれ続けている。あのヴァレンタインの前日、講演会に現れた弟のような存在だった静は、今、腕の中で最も愛しい人間として存在している。内気な静が勇気を振り絞って求めてくれなかったら、俺はいつまでも、この愛おしい体温に気が付かなかったかもしれない。
夕暮れの潮風が夏の終わりを告げていた。
唇を離しオレンジ色に染まる頬を更に紅く染めた静に感謝を込めて微笑む。
はにかんだ瞳と目が合うと、どちらともなく声を上げて笑い出し、手を繋いで熱の残る砂の上を歩き始めた。
― FIN ―
←前話 □あとがき□
■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
■ 最後までお読み頂き、ありがとうございます。
このエピローグは、最初30話の後半にくっつけていたものですが、
あまりにも長くなってしまい、UP後にこちらに移しました。
以前お読みになった方がいらしたら、アレレ・・と思われるかもしれませんが
ご了承くださいませm(_ _)m
紙魚
このエピローグは、最初30話の後半にくっつけていたものですが、
あまりにも長くなってしまい、UP後にこちらに移しました。
以前お読みになった方がいらしたら、アレレ・・と思われるかもしれませんが
ご了承くださいませm(_ _)m
紙魚
伊原がちゃっかりと(笑)
寝てるところをジョリジョリ剃ったんですねえ。
この髭はまさに象徴のアイテムでもありました。
だからこそ伊原という男にしか剃ることができなかったのでしょう。
また、このエピローグでは静が波にいる。
このことは、静がぼろぼろに打ちのめされて波間にいたときの姿と、光と影のように対応していてやはり物語的にうまいなあと思いました。
これまでおどおどしていた、まるで背伸びをしていた痛々しい大人だったみたいな静が、このエピローグで、髭もなく、少年のようなことばづかい、ふるまい、可愛らしさ、なんというか本来の、背伸びをするまえの素直でありのままの静に変わって生まれたみたいで、浄化されるようなエンディングなのかなあと……
印象的な情景はそれこそいくつもありましたが、ラストの別荘で、シーツに足をとられながら跪く静の姿が好きです。
こういうシーンなんか、ほんとに絵心をそそられます。
それにしても伊原さん……ご愁傷さまです(笑)
悪役だったのかもしれませんが、紙魚さんは悪役を描くのがほんとうに上手いので。
かれだって情の深いいい男だと思うので、だれかやさしい、かれだけを愛する恋人ができたらいいなあ。