04 ,2009
ラッシュアワー 2
ダイエットに失敗したダックスフンドのようなその男は、ベンチの背凭れにだらしなく長い胴体を持たせかけ、酒で充血しドロドロに濁った目を重たげに持ち上げた。
「だからねぇ、駅員さん 俺はねぇポンちゃんを、すんごっく愛してたんだよおぉ」
終電も近い深夜、カメラからも死角のホームの端っこのベンチで、その男はくだを巻いていた。これで6回目、1/2ダース分の知りたくもないオヤジの自棄酒の原因を聞かされた。
なんでも、不倫相手に捨てられたらしい。
まったくもって、どうだっていい話だ。
手を貸そうものなら脳天からゲロを浴びそうな親父の泥酔ぶりに、オレはお手上げついでに両足も上げてしまいそうなほど途方に暮れて、オヤジの傍らに立ち続けた。
そもそも、なんでそのポンちゃんはこんなおっさんと付き合ったのか、そちらの疑問が先に立つ。
7月に入り気温も上昇するにつれて、この手の性質の悪い深夜の酔っ払いが増えて来た。終電間近のホーム立硝は皆から毛嫌いされ、そのお鉢は当然のようにペーペーの新入社員に回ってくる。内心、チチッと舌打しながら、ベンチに座り込んだ男の酒焼けした赤ら顔を屈んで覗き込む。
酒臭い息をダイレクトに吸い込んで、ブッ倒れそうになった。
「お客さぁ~ん、気持ちはわかりますけどね、こんな所で寝ちゃったらさ、風邪引いちゃうしさ、家に帰りましょうよ。ね。」
なるべく刺激しないよう言葉を選び、営業用スマイル心配バージョンもおまけしてやる。
オヤジはドロリと濁り蕩けきった視線を向けてきた。
目が死んでる。
心の中で、盛大な溜息をついた。
こっちはお前が飲んでいた時間も働いてるんだぜ、勘弁してくれよ。
連続48時間勤務2日目の疲労が堆積したイライラで人格崩壊寸前まできてるってのに・・・
この後の始発までの仮眠が死ぬほど恋しかった。早いとこ、この酔っ払いをオレの縄張りから追放して怒涛の一日を終わらせ、ちょびっと汗臭い仮眠室の布団に潜り込みたい。
立ち上がらせようと仕方なく差し出した手をガシッと掴まれて、あっと思う間に逆にグイと引っ張られた。ベンチの背凭れに背中ごと両腕を押し付けられ唖然とする。
衝撃でホームに落ちた帽子を追って立ち上がろうとしても、酔っ払いの馬鹿力に押されて身動きが取れない。ホームを転がる帽子のすぐ側に客の吐いた痰を見つけて真っ青になった。
「お客さん離して下さい!!」
「アレアレ~、お帽子取ったらお兄ちゃん結構可愛い顔してんのね~、そうだ、これからおじさんと一緒にのみにいこっか」
……ハ?
「僕は、今日当直なんで、無理ですから!!お願いですから、離してくださいっ」
冗談じゃない。”ポンちゃん” なんて、惚けた仇名の女の替わりなんぞにされてたまるか。
怒りが頂点に達して、身体が小刻みに震えた。この制服が無かったら、確実に蹴り倒していたに違いない。酒臭い息を今度は真正面からぶっかけられて心の中で罵倒するも、目は切実に帽子の安否を追っている。
その帽子が、ふっと空に浮いて移動し、長い指の付いた手に汚れが払われるのを瞬く目で追った。
続いて水の零れる音と、顔に当たる飛沫で我に返った。
目が覚めたのはオレだけでなく、目の前のオヤジも頭にエビアンを浴びて目に僅かな正気が戻り、それと同時に勢い良く立ち上がった。
なんだ、立てんじゃねぇか? 呆気にとられる俺の前で、オヤジは威勢よくがなり始めた。
「テメェ、なにすんだよぉ!! 水なんざぁ人に掛けやがって」
「相当、酔ってらっしゃるみたいなので、醒まして差し上げようかと思ったんですが? あ、エビアンのお代は結構ですので」
涼やかで心地の良いその声にオレの中の何かが目覚め、鼓膜と一緒に共鳴して震えた。
見上げると、オヤジより遥か高い位置で清涼感のある整った顔がニコリと笑う。
「なにを! この青二才が生意気言いやがって」
その男は酔っ払いオヤジの鈍い拳を軽々避けると、スッとオヤジの襟の社章を指差した。
「大手銀行さんが、こんなところで正体も無くすほど酔っ払い、管を巻いて男性駅員を口説いていたなんて。あまり耳障りの良い話ではないですね」
「あぁ? アンタっ、何が言いたいんだ!」
「あなたの上の方がこれを知ったらなんと思うでしょうかね。そういえば・・・御社は先日、随分と思い切ったリストラを発表されたばかりでは?」
オヤジは、赤い顔を今度は真っ青に変えた。”大手” の威厳を保ちたいのか急に真顔になり、ひとつ咳払いを落として、今までの醜態が信じられないくらいしっかりとした足取りでそそくさと去っていった。
「まるで信号みたいだ、切り替えの早さが素晴らしい。ホレボレするな」
切れ長の瞳が瞬く横顔がオヤジの後姿を見送りながら呟くと、数日前の朝と同じ爽やかな微笑を向けてきた。オレはまだ、半分ずり落ちかけた無様な格好のままベンチに貼り付いている。疲労困憊で立ち上がる気力も湧いてこない。
眼球だけで、秀麗なその顔を見上げた。
男の瞳から、すうっと笑いが消え、媚を含んだ流し目に変わる。
「襲ってほしい?」
「は?」
聞き間違いだろうか?
見事な読心術を披露した男は、すっと手を差し出してきた。
手を引いて立ち上がらせてくれ、男はオレの頭に帽子を被せると耳元に唇を寄せる。
「オヤジ2号登場。君を口説いてるんだけど?」
男の舌が、耳の中に侵入してきて、耳殻の中の凹凸を舐めあげた。
自分の眼が驚いて最大限に開いた事を自覚した時には、舌はもう耳から去っていた。
後には涼しげに澄ました顔がオレを見下ろし微笑んでいる。
「朝には上がれるんでしょ? 10時に駅前のロータリーで待ってるから」
全ては、カメラの死角での話。
躯の芯近くに落ちた小さな粒から熱い小さな火花がチリチリと爆ぜ始めた。
←前話 次話→
「だからねぇ、駅員さん 俺はねぇポンちゃんを、すんごっく愛してたんだよおぉ」
終電も近い深夜、カメラからも死角のホームの端っこのベンチで、その男はくだを巻いていた。これで6回目、1/2ダース分の知りたくもないオヤジの自棄酒の原因を聞かされた。
なんでも、不倫相手に捨てられたらしい。
まったくもって、どうだっていい話だ。
手を貸そうものなら脳天からゲロを浴びそうな親父の泥酔ぶりに、オレはお手上げついでに両足も上げてしまいそうなほど途方に暮れて、オヤジの傍らに立ち続けた。
そもそも、なんでそのポンちゃんはこんなおっさんと付き合ったのか、そちらの疑問が先に立つ。
7月に入り気温も上昇するにつれて、この手の性質の悪い深夜の酔っ払いが増えて来た。終電間近のホーム立硝は皆から毛嫌いされ、そのお鉢は当然のようにペーペーの新入社員に回ってくる。内心、チチッと舌打しながら、ベンチに座り込んだ男の酒焼けした赤ら顔を屈んで覗き込む。
酒臭い息をダイレクトに吸い込んで、ブッ倒れそうになった。
「お客さぁ~ん、気持ちはわかりますけどね、こんな所で寝ちゃったらさ、風邪引いちゃうしさ、家に帰りましょうよ。ね。」
なるべく刺激しないよう言葉を選び、営業用スマイル心配バージョンもおまけしてやる。
オヤジはドロリと濁り蕩けきった視線を向けてきた。
目が死んでる。
心の中で、盛大な溜息をついた。
こっちはお前が飲んでいた時間も働いてるんだぜ、勘弁してくれよ。
連続48時間勤務2日目の疲労が堆積したイライラで人格崩壊寸前まできてるってのに・・・
この後の始発までの仮眠が死ぬほど恋しかった。早いとこ、この酔っ払いをオレの縄張りから追放して怒涛の一日を終わらせ、ちょびっと汗臭い仮眠室の布団に潜り込みたい。
立ち上がらせようと仕方なく差し出した手をガシッと掴まれて、あっと思う間に逆にグイと引っ張られた。ベンチの背凭れに背中ごと両腕を押し付けられ唖然とする。
衝撃でホームに落ちた帽子を追って立ち上がろうとしても、酔っ払いの馬鹿力に押されて身動きが取れない。ホームを転がる帽子のすぐ側に客の吐いた痰を見つけて真っ青になった。
「お客さん離して下さい!!」
「アレアレ~、お帽子取ったらお兄ちゃん結構可愛い顔してんのね~、そうだ、これからおじさんと一緒にのみにいこっか」
……ハ?
「僕は、今日当直なんで、無理ですから!!お願いですから、離してくださいっ」
冗談じゃない。”ポンちゃん” なんて、惚けた仇名の女の替わりなんぞにされてたまるか。
怒りが頂点に達して、身体が小刻みに震えた。この制服が無かったら、確実に蹴り倒していたに違いない。酒臭い息を今度は真正面からぶっかけられて心の中で罵倒するも、目は切実に帽子の安否を追っている。
その帽子が、ふっと空に浮いて移動し、長い指の付いた手に汚れが払われるのを瞬く目で追った。
続いて水の零れる音と、顔に当たる飛沫で我に返った。
目が覚めたのはオレだけでなく、目の前のオヤジも頭にエビアンを浴びて目に僅かな正気が戻り、それと同時に勢い良く立ち上がった。
なんだ、立てんじゃねぇか? 呆気にとられる俺の前で、オヤジは威勢よくがなり始めた。
「テメェ、なにすんだよぉ!! 水なんざぁ人に掛けやがって」
「相当、酔ってらっしゃるみたいなので、醒まして差し上げようかと思ったんですが? あ、エビアンのお代は結構ですので」
涼やかで心地の良いその声にオレの中の何かが目覚め、鼓膜と一緒に共鳴して震えた。
見上げると、オヤジより遥か高い位置で清涼感のある整った顔がニコリと笑う。
「なにを! この青二才が生意気言いやがって」
その男は酔っ払いオヤジの鈍い拳を軽々避けると、スッとオヤジの襟の社章を指差した。
「大手銀行さんが、こんなところで正体も無くすほど酔っ払い、管を巻いて男性駅員を口説いていたなんて。あまり耳障りの良い話ではないですね」
「あぁ? アンタっ、何が言いたいんだ!」
「あなたの上の方がこれを知ったらなんと思うでしょうかね。そういえば・・・御社は先日、随分と思い切ったリストラを発表されたばかりでは?」
オヤジは、赤い顔を今度は真っ青に変えた。”大手” の威厳を保ちたいのか急に真顔になり、ひとつ咳払いを落として、今までの醜態が信じられないくらいしっかりとした足取りでそそくさと去っていった。
「まるで信号みたいだ、切り替えの早さが素晴らしい。ホレボレするな」
切れ長の瞳が瞬く横顔がオヤジの後姿を見送りながら呟くと、数日前の朝と同じ爽やかな微笑を向けてきた。オレはまだ、半分ずり落ちかけた無様な格好のままベンチに貼り付いている。疲労困憊で立ち上がる気力も湧いてこない。
眼球だけで、秀麗なその顔を見上げた。
男の瞳から、すうっと笑いが消え、媚を含んだ流し目に変わる。
「襲ってほしい?」
「は?」
聞き間違いだろうか?
見事な読心術を披露した男は、すっと手を差し出してきた。
手を引いて立ち上がらせてくれ、男はオレの頭に帽子を被せると耳元に唇を寄せる。
「オヤジ2号登場。君を口説いてるんだけど?」
男の舌が、耳の中に侵入してきて、耳殻の中の凹凸を舐めあげた。
自分の眼が驚いて最大限に開いた事を自覚した時には、舌はもう耳から去っていた。
後には涼しげに澄ました顔がオレを見下ろし微笑んでいる。
「朝には上がれるんでしょ? 10時に駅前のロータリーで待ってるから」
全ては、カメラの死角での話。
躯の芯近くに落ちた小さな粒から熱い小さな火花がチリチリと爆ぜ始めた。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
追記がゴソッと抜けていました。私らしい失敗・・・(苦笑)
いつも、ポチ&拍手、コメントをくださる皆さま、ありがとうございます。
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狙ってますね、主人公を完全にロックオンです。
行くのかな?10時に??
酔っぱらいのコミカルな描写から、色気のあるお客さんの描き方まで、小気味いいほど的確かつ流麗な言葉が、やっぱり紙魚さまだぁーと思います。