03 ,2009
深海魚 16
「待ってください。待ってください・・・お願いです」
何とか、手を突っぱねて離した伊原の表情は愛しむように余裕を見せ微笑んでいる。その表情に再び、胸の内がザワザワと騒ぎ立てた。
「シャワー、使いたい?」
「・・・はい。お借りしても・・・?」
今、時間を引き延ばせるのなら、どんな手だって使いそうだ。
「もちろんいいとも、心の準備もしておいで」
コロニアルの風情をなした寝室は天井が低くセピアの板張りの床がシックに仕上げてある。伊原の祖父の代から迎賓館としての役割も果たしてきたこの建物は、2階にいくつかのベッドルームがあり、隣室とコネクティングするその間にバスルームが設置されていた。
脱衣室兼用の広いパウダールームで服を脱ぎ、バスルームに篭ると頭から湯を浴びる。
熱い湯に打たれながら、伊原に対する生まれたばかりの胸騒ぎの原因を探る。
今まで、伊原の自分に対する気持ちは、単なる興味だと思っていた。
だから、一晩のみの関係と割り切りシーラカンスを手に入れんがために覚悟を決めた。
この期に及んで、誠意めいたものを見せる伊原に本能が警戒を強くする。
気付けば、随分長い間バスルームに篭っていた。引き伸ばせるものなら、朝までこの時間を引き延ばしたかった。だが、時間などなんの役に立つのか?約束は約束だ。
朝が来たからと言って、反故になるものではない。
仕方なく脱衣室兼パウダールームに出ると、洗面カウンターに白いバスローブが用意されていた。上に椿の花とメモが載っている。
『これを、使ってください』
外に出ると、伊原がこちらに背を向け携帯に向かって強い口調で話していた。静に気付くと笑顔を投げかけ、やや強引に会話を切りあげフリップを畳んだ。
「仕事ですか?」
「ま、ちょっとね。君が気にすることじゃないよ・・・いや、気にして貰いたい。かな・・・
素敵だ、このまま押し倒したいな」
言葉が途切れ、濡れた髪に指を差し込んでこられ俯いた。笑う気配がし、耳元で声がする。
「僕も、シャワーを浴びてくる。その間に帰ったらダメだよ」
1人部屋に残されると、所在無くソファに腰掛けた。まともに見ることが出来ずベットから目を背ける。シャワーの水音に混じって潮騒が聞こえてくる。静は何気に手の中にあった椿を凝視めた。シーラカンスで最後に会った時、圭太が静の施した椿の設えを、『センスが良い』と褒めてくれた。
伊原も、ニッチの椿に気が付いていたのだろうか?
「圭太さん、怖い・・・」
自然に零れ落ちた自分の呟きに驚いた。
椿が両方の足の間に落ちた。椿のなくなった手の甲が濡れている。
それが、自分の涙だと気付いて狼えた。
やっぱり、こんなのはダメだ。
たったひとつ、クリアになった自分の気持ちに衝き動かされように、静は立ち上がった。そして足早に自分の脱いだ服を探し始めた。そっとパウダールームのドアを開け中を伺う。脱いで洗面カウンターの上に置いた筈の服は、片付けられていて見当たらない。
幸いシャワーの水音でドアの開閉の音は掻き消されている。早くしないと、伊原が出てきてしまう。焦る気持ちを捩じ伏せ、いくつかあるクロ-ゼットを片っ端から開いて中を見て回った。しかし、どの扉も、空か伊原の質の良いスーツやシャツ、セーターの類が数枚掛かっているだけで、静のウイングシャツやスラックスは見つからない。
最後の扉を閉めたのと同時に、背後から固く低い声がした。
「何してるの?」
心臓ごと飛び上がった。
探すことに夢中になりすぎて、シャワーの音が途絶えたことに気が付かなかったのだ。ゆっくり振り返ると、ほとんど拭われていないのか、腰にバスタオルを巻いただけの身体からポタポタと板張りの床に水を滴たらせながら伊原が立っていた。
「物音がしたから、急いで出てきたよ。残念ながら、僕は凄く感が良いんだ。
ところで、これは何の真似? 探し物は見つかったのかな」
言葉の内容とは裏腹の優しげな眼差しに何か、感情と建前の歪なズレを感じて後ずさった。
「すみません。伊原さん、俺、やっぱり・・・」
伊原の愛嬌があると定評のあるやんちゃな子供のような笑顔が、急速に変化する。くっきりとしたアーモンド形の瞳には狂気に似た光が宿り、怯える静の眼前で眉と口角を引き上げて笑う。身体ごと距離を詰めた伊原の大きな両掌が、愛撫するように首に巻きつき、静の背筋が凍りついた。両方の親指が、緩やかに静の項の表面を撫で上げた。
「細いね。力を入れたら折れてしまいそうだ」
首に絡まる手にゆっくりベットに座らされ、そのまま後ろに押し倒された。伊原のがっしりした躯体が静に手を掛けたまま乗りあがり、静の体の上に跨った。唇を貪られキスと首への圧迫で息が苦しくなり、伊原の手首を掴みながら眉根を寄せきつく瞳を閉じた。伊原の熱い吐息が耳に触れる。
「河村君が、時見 享一にやったのと同じ事を、君にしてあげる」
はっと目が開いた静に跨った伊原は、もう笑ってはいなかった。
――圭太さんが、享一君に・・・
首の圧迫が緩み、呼吸が戻ってきたがそのことにも気付かなかった。狼狽の色を強める鳶色の真上に伊原の顔がある。が、静の目はその顔も見てはいなかった。
「・・・そう、君が河村君にしてもらいたかったことだ」
君の方はこんなにも、自分を汚し貶めてほしいと、願っているというのにね
君だって人並みにはある筈だよ?躯の欲望がさ・・・
満たされることの無い、熱と肉体の乾きが確かにそこにあった。
ゆっくり、鳶色の虹彩が目蓋の下に消えていく。伊原の大きな手指は首から去り、静のローブの紐を解く。袷から温かい掌が忍び込み身体がビクリと震えた。
「だから、君の純愛を僕によこせ」
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■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
何とか、手を突っぱねて離した伊原の表情は愛しむように余裕を見せ微笑んでいる。その表情に再び、胸の内がザワザワと騒ぎ立てた。
「シャワー、使いたい?」
「・・・はい。お借りしても・・・?」
今、時間を引き延ばせるのなら、どんな手だって使いそうだ。
「もちろんいいとも、心の準備もしておいで」
コロニアルの風情をなした寝室は天井が低くセピアの板張りの床がシックに仕上げてある。伊原の祖父の代から迎賓館としての役割も果たしてきたこの建物は、2階にいくつかのベッドルームがあり、隣室とコネクティングするその間にバスルームが設置されていた。
脱衣室兼用の広いパウダールームで服を脱ぎ、バスルームに篭ると頭から湯を浴びる。
熱い湯に打たれながら、伊原に対する生まれたばかりの胸騒ぎの原因を探る。
今まで、伊原の自分に対する気持ちは、単なる興味だと思っていた。
だから、一晩のみの関係と割り切りシーラカンスを手に入れんがために覚悟を決めた。
この期に及んで、誠意めいたものを見せる伊原に本能が警戒を強くする。
気付けば、随分長い間バスルームに篭っていた。引き伸ばせるものなら、朝までこの時間を引き延ばしたかった。だが、時間などなんの役に立つのか?約束は約束だ。
朝が来たからと言って、反故になるものではない。
仕方なく脱衣室兼パウダールームに出ると、洗面カウンターに白いバスローブが用意されていた。上に椿の花とメモが載っている。
『これを、使ってください』
外に出ると、伊原がこちらに背を向け携帯に向かって強い口調で話していた。静に気付くと笑顔を投げかけ、やや強引に会話を切りあげフリップを畳んだ。
「仕事ですか?」
「ま、ちょっとね。君が気にすることじゃないよ・・・いや、気にして貰いたい。かな・・・
素敵だ、このまま押し倒したいな」
言葉が途切れ、濡れた髪に指を差し込んでこられ俯いた。笑う気配がし、耳元で声がする。
「僕も、シャワーを浴びてくる。その間に帰ったらダメだよ」
1人部屋に残されると、所在無くソファに腰掛けた。まともに見ることが出来ずベットから目を背ける。シャワーの水音に混じって潮騒が聞こえてくる。静は何気に手の中にあった椿を凝視めた。シーラカンスで最後に会った時、圭太が静の施した椿の設えを、『センスが良い』と褒めてくれた。
伊原も、ニッチの椿に気が付いていたのだろうか?
「圭太さん、怖い・・・」
自然に零れ落ちた自分の呟きに驚いた。
椿が両方の足の間に落ちた。椿のなくなった手の甲が濡れている。
それが、自分の涙だと気付いて狼えた。
たったひとつ、クリアになった自分の気持ちに衝き動かされように、静は立ち上がった。そして足早に自分の脱いだ服を探し始めた。そっとパウダールームのドアを開け中を伺う。脱いで洗面カウンターの上に置いた筈の服は、片付けられていて見当たらない。
幸いシャワーの水音でドアの開閉の音は掻き消されている。早くしないと、伊原が出てきてしまう。焦る気持ちを捩じ伏せ、いくつかあるクロ-ゼットを片っ端から開いて中を見て回った。しかし、どの扉も、空か伊原の質の良いスーツやシャツ、セーターの類が数枚掛かっているだけで、静のウイングシャツやスラックスは見つからない。
最後の扉を閉めたのと同時に、背後から固く低い声がした。
「何してるの?」
心臓ごと飛び上がった。
探すことに夢中になりすぎて、シャワーの音が途絶えたことに気が付かなかったのだ。ゆっくり振り返ると、ほとんど拭われていないのか、腰にバスタオルを巻いただけの身体からポタポタと板張りの床に水を滴たらせながら伊原が立っていた。
「物音がしたから、急いで出てきたよ。残念ながら、僕は凄く感が良いんだ。
ところで、これは何の真似? 探し物は見つかったのかな」
言葉の内容とは裏腹の優しげな眼差しに何か、感情と建前の歪なズレを感じて後ずさった。
「すみません。伊原さん、俺、やっぱり・・・」
伊原の愛嬌があると定評のあるやんちゃな子供のような笑顔が、急速に変化する。くっきりとしたアーモンド形の瞳には狂気に似た光が宿り、怯える静の眼前で眉と口角を引き上げて笑う。身体ごと距離を詰めた伊原の大きな両掌が、愛撫するように首に巻きつき、静の背筋が凍りついた。両方の親指が、緩やかに静の項の表面を撫で上げた。
「細いね。力を入れたら折れてしまいそうだ」
首に絡まる手にゆっくりベットに座らされ、そのまま後ろに押し倒された。伊原のがっしりした躯体が静に手を掛けたまま乗りあがり、静の体の上に跨った。唇を貪られキスと首への圧迫で息が苦しくなり、伊原の手首を掴みながら眉根を寄せきつく瞳を閉じた。伊原の熱い吐息が耳に触れる。
「河村君が、時見 享一にやったのと同じ事を、君にしてあげる」
はっと目が開いた静に跨った伊原は、もう笑ってはいなかった。
――圭太さんが、享一君に・・・
首の圧迫が緩み、呼吸が戻ってきたがそのことにも気付かなかった。狼狽の色を強める鳶色の真上に伊原の顔がある。が、静の目はその顔も見てはいなかった。
「・・・そう、君が河村君にしてもらいたかったことだ」
満たされることの無い、熱と肉体の乾きが確かにそこにあった。
ゆっくり、鳶色の虹彩が目蓋の下に消えていく。伊原の大きな手指は首から去り、静のローブの紐を解く。袷から温かい掌が忍び込み身体がビクリと震えた。
「だから、君の純愛を僕によこせ」
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■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
ろくに校正&推敲も出来ずに更新。お気づきの点はどうぞ「鍵コメ」(笑)でお知らせいただけましたら幸いです。
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純愛は永遠に手に入らないと思うよ!
こんな怖くて悲しい初体験可哀想だなあ。
善良な人の心の動きは割と読まれやすいですよね。
悪い人はどういう方向に動くか予測がつかなかったりするけど。
しーたんの純愛につけ込むなんてやっぱりひどい…。
しーたん…。