03 ,2009
深海魚 13
リビングから拍手と歓声が上がった。
パティオ越しにリビングを見ると、ガラスの向こうに圭太が立っている。
声ははっきりとは聞こえないが、圭太の腕を取って二ノ宮がなにやらしゃべると、また大きな拍手と笑い声が上がった。
二ノ宮は、拗ねたようすを見せ圭太も笑っている。人数も自分がさっきオーダーを取りに行った時より2~3倍に膨れ上がっていた。その後も、リビングから時折華やかな、さんざめきが漏れてくる。圭太が中心にいる、そのざわめく声を心地よく感じ、静はカクテルを作りながら穏やかな笑みを洩らした。
「河村先生の新しい恋人は随分と可愛い人だね・・・」
「え?」
静はカクテルのグラスから思わず顔を上げた。
つい今まで穏やかに笑んでいた顔が微妙に強張り、鳶色の瞳が大きく見開いている。
その顔を正面から面白そうに目を細めた伊原の目が捉えた。
目が合うと、伊原はニッコリ笑って見せ、いかにも仕方ないという風に肩をすくめる。
「もし、新しいお相手がいるならぜひ連れて来るようメールしたら、彼が来た」
「・・・・」
「噂じゃ、彼はまだ、MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生らしいよ。インターンで河村先生の事務所に入って、そのまま居付いてるんだってさ。恋人が日本にいたんじゃ、ボストンはなお遠いということかな。オーダーのカクテル、これで全部だね。主役の僕が運んであげるよ」
シルバーのトレイに7人分のグラスが次々移っていくのを呆然と眺めた。
今日のバースデーの主役の登場に、リビングでひときわ大きな喝采が起こる。ガラスの向こうで伊原が圭太に話しかけるのが見えた。圭太の姿に目が釘付けになる。
「静君、ラムのソーダ割り頼むよ。セ・イ君?」
自分を呼びかける声に、はっと我に返ると、カウンターに肘を付いたゲストの男性が、静の顔を覗き込んでいる。シーラカンスにもよく訪れる年配の客に姿勢を正し、慌てて返事した。
「あ、はい。ぼおっとしてて・・・すみません。オーダーですね?」
「ははは、あっちは楽しそうだもんね。静君、ラムのソーダ割りちょうだい。
リビングはえらい騒ぎだな。河村君も、相変わらずおばちゃんたちに人気だねえ」
実際聞かれたら女性陣から袋叩きに遭いそうな言葉をさらっと笑いながら言ってのける客に、自分も作り笑いで「そうですね」と応える。ラムのグラスを持った男がいなくなると、静1人が部屋に残った。再びリビングに目が向く。
リビングでは二ノ宮が1人立ち上がり大きなゼスチャーを交え何かを一生懸命話している。
二ノ宮の一挙一動にどよめきと笑い声が上がる。
小動物。そう、二ノ宮は小動物のイメージだ。銀縁の眼鏡の下で活き活きとした大きな瞳がクルクルと動き、整った容姿に小動物のような愛嬌を添えている。二ノ宮は、圭太の講演会で見かけ、酒が飲めないのだと圭太から説明を受けた青年だった。
『先生』でも『所長』でもなく、それが当然であるかのように圭太を自分と同じくファーストネームで呼んでいたのを思い出す。たったそれだけのことに、今更のように胸が締め付けられる。
圭太の周りにはキラキラした光が集まる。圭太の側には醜い自分のいる場所など、無い。
俯き止まってしまった手に伊原の浅黒い掌が重ねられた。
吐息が耳朶に触れぞわりと肌が粟立った。
「今晩は泊まっていくだろう?約束通り・・・君を汚してあげる」
「シーラカンスは・・・?」
俯いたまま低く囁くように問う声に、耳元で笑う気配がした。
「もちろん、忘れていないよ。僕に満足できなかったら、シーラカンスは君のものだ」
綺麗に並んだリキュールの色とりどりのボトルを放心したように見つめるその横顔を、伊原は笑いを消した顔で眺めていたが、やがて静が溜息ともつかぬ弱い息を吐き、消え入りそうな声で一言「わかりました」と短く告げると満面の笑みが広がった。
「・・・ちょっと、こっちにおいで」
「あっ、え?な・・」
「待ちきれない」
伊原が重ねていた手を掴み、静をバーカウンターのある書斎の外に引っ張り出した。
廊下の柱の陰に身体を押し付けられる。スペイン風に練りつけられた白い壁の凹凸が背中に当たって痛い。
「伊原さん、なにを・・・」
「静君、契約のキスをしよう。今晩、僕と付き合って気に入らなければ、君の望み通りシーラカンスを君に譲ろう。でも、君が少しでも感じたら、君は僕のものだ。さあ、僕の首に腕を廻して」
シズカではなく元通り静と呼ぶ伊原に違和感を覚えた。
伊原を相手に何かを感じるなんて事はありえない。
シーラカンスを手に入れる。
静は、このような形でしか圭太と自分を繋ぐことが出来ない自分に辟易した。だが、シーラカンスさえあれば、自分はこの先、圭太の作り出した深い海の底を思わせるあの空間に身を置き、いつまでも圭太を感じながら生きていける。
そんな思いに、思考や感情の全てが囚われていく。
シーラカンスさえあれば、――― 平気だ。
ゆっくり、ギクシャクとした静の腕が伊原の首に回される。
その様子を楽しみながら伊原の目は廊下の端を見ていた。やがて白い壁を背景に長身の姿が視界に入って来る。均整の取れた長躯が戸惑ったように立ち止まった。
その目が大きく見開くのを認めてから、この場から立ち去るようにウィンクで合図した。
窪みからはみ出した静の身体を自分に向け、何も知らない静の後頭部に手を掛けると唇を重ねた。
河村 圭太は、憤りにも似た表情を過らせると、身を翻してそのままリビングに戻っていった。
←前話 次話→
■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2

パティオ越しにリビングを見ると、ガラスの向こうに圭太が立っている。
声ははっきりとは聞こえないが、圭太の腕を取って二ノ宮がなにやらしゃべると、また大きな拍手と笑い声が上がった。
二ノ宮は、拗ねたようすを見せ圭太も笑っている。人数も自分がさっきオーダーを取りに行った時より2~3倍に膨れ上がっていた。その後も、リビングから時折華やかな、さんざめきが漏れてくる。圭太が中心にいる、そのざわめく声を心地よく感じ、静はカクテルを作りながら穏やかな笑みを洩らした。
「河村先生の新しい恋人は随分と可愛い人だね・・・」
「え?」
静はカクテルのグラスから思わず顔を上げた。
つい今まで穏やかに笑んでいた顔が微妙に強張り、鳶色の瞳が大きく見開いている。
その顔を正面から面白そうに目を細めた伊原の目が捉えた。
目が合うと、伊原はニッコリ笑って見せ、いかにも仕方ないという風に肩をすくめる。
「もし、新しいお相手がいるならぜひ連れて来るようメールしたら、彼が来た」
「・・・・」
「噂じゃ、彼はまだ、MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生らしいよ。インターンで河村先生の事務所に入って、そのまま居付いてるんだってさ。恋人が日本にいたんじゃ、ボストンはなお遠いということかな。オーダーのカクテル、これで全部だね。主役の僕が運んであげるよ」
シルバーのトレイに7人分のグラスが次々移っていくのを呆然と眺めた。
今日のバースデーの主役の登場に、リビングでひときわ大きな喝采が起こる。ガラスの向こうで伊原が圭太に話しかけるのが見えた。圭太の姿に目が釘付けになる。
「静君、ラムのソーダ割り頼むよ。セ・イ君?」
自分を呼びかける声に、はっと我に返ると、カウンターに肘を付いたゲストの男性が、静の顔を覗き込んでいる。シーラカンスにもよく訪れる年配の客に姿勢を正し、慌てて返事した。
「あ、はい。ぼおっとしてて・・・すみません。オーダーですね?」
「ははは、あっちは楽しそうだもんね。静君、ラムのソーダ割りちょうだい。
リビングはえらい騒ぎだな。河村君も、相変わらずおばちゃんたちに人気だねえ」
実際聞かれたら女性陣から袋叩きに遭いそうな言葉をさらっと笑いながら言ってのける客に、自分も作り笑いで「そうですね」と応える。ラムのグラスを持った男がいなくなると、静1人が部屋に残った。再びリビングに目が向く。
リビングでは二ノ宮が1人立ち上がり大きなゼスチャーを交え何かを一生懸命話している。
二ノ宮の一挙一動にどよめきと笑い声が上がる。
小動物。そう、二ノ宮は小動物のイメージだ。銀縁の眼鏡の下で活き活きとした大きな瞳がクルクルと動き、整った容姿に小動物のような愛嬌を添えている。二ノ宮は、圭太の講演会で見かけ、酒が飲めないのだと圭太から説明を受けた青年だった。
『先生』でも『所長』でもなく、それが当然であるかのように圭太を自分と同じくファーストネームで呼んでいたのを思い出す。たったそれだけのことに、今更のように胸が締め付けられる。
圭太の周りにはキラキラした光が集まる。圭太の側には醜い自分のいる場所など、無い。
俯き止まってしまった手に伊原の浅黒い掌が重ねられた。
吐息が耳朶に触れぞわりと肌が粟立った。
「今晩は泊まっていくだろう?約束通り・・・君を汚してあげる」
「シーラカンスは・・・?」
俯いたまま低く囁くように問う声に、耳元で笑う気配がした。
「もちろん、忘れていないよ。僕に満足できなかったら、シーラカンスは君のものだ」
綺麗に並んだリキュールの色とりどりのボトルを放心したように見つめるその横顔を、伊原は笑いを消した顔で眺めていたが、やがて静が溜息ともつかぬ弱い息を吐き、消え入りそうな声で一言「わかりました」と短く告げると満面の笑みが広がった。
「・・・ちょっと、こっちにおいで」
「あっ、え?な・・」
「待ちきれない」
伊原が重ねていた手を掴み、静をバーカウンターのある書斎の外に引っ張り出した。
廊下の柱の陰に身体を押し付けられる。スペイン風に練りつけられた白い壁の凹凸が背中に当たって痛い。
「伊原さん、なにを・・・」
「静君、契約のキスをしよう。今晩、僕と付き合って気に入らなければ、君の望み通りシーラカンスを君に譲ろう。でも、君が少しでも感じたら、君は僕のものだ。さあ、僕の首に腕を廻して」
シズカではなく元通り静と呼ぶ伊原に違和感を覚えた。
伊原を相手に何かを感じるなんて事はありえない。
シーラカンスを手に入れる。
静は、このような形でしか圭太と自分を繋ぐことが出来ない自分に辟易した。だが、シーラカンスさえあれば、自分はこの先、圭太の作り出した深い海の底を思わせるあの空間に身を置き、いつまでも圭太を感じながら生きていける。
そんな思いに、思考や感情の全てが囚われていく。
シーラカンスさえあれば、――― 平気だ。
ゆっくり、ギクシャクとした静の腕が伊原の首に回される。
その様子を楽しみながら伊原の目は廊下の端を見ていた。やがて白い壁を背景に長身の姿が視界に入って来る。均整の取れた長躯が戸惑ったように立ち止まった。
その目が大きく見開くのを認めてから、この場から立ち去るようにウィンクで合図した。
窪みからはみ出した静の身体を自分に向け、何も知らない静の後頭部に手を掛けると唇を重ねた。
河村 圭太は、憤りにも似た表情を過らせると、身を翻してそのままリビングに戻っていった。
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■河村 圭太 関連作 翠滴 2

□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
色鉛筆とPSで、一色だけですけど、スケッチに色を着けてみました。画像をクリックしていただくと大きくなるみたいです。静ですが、ちょっと後の話の予告っぽい感じです。ご興味のある方は、どうぞ♪
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しぃちゃぁぁぁん(;つД`)
もどかしいですねぇ~本当…。
圭太も益々誤解が深まっちゃったみたいですし…溜息が出てきます(涙
イラスト素敵ですね~。
綺麗で切なくて…まさにこのお話のような。
この先どうなっていくんですかーー!?
し、幸せは来るのでしょうか(ドキドキ