03 ,2009
深海魚 10
暗闇から潮騒が聞える。薄雲の掛かった月の弱い光に辛うじて白い波が見える。重い潮風が最近短く切りそろえた髪の毛を強い力で弄っていく。
かなりの量を飲んだ筈なのに頭が妙に冴えて酔いは全く訪れなかった。
伊原のパーティーは実のところ無視するつもりで、招待状もとっくに他のゴミと一緒に処分していた。
それにも関わらず、伊原の挑発に乗るように受けてしまった。
何に、伊原の言葉のどこに自分の気持ちが逆撫でされたのか?
胸に凝る苛立ちの理由が明確な形を成さない。
昨日、久々に目の前にしかも東京に現れた静に最初こそ驚きはしたものの、すぐにその気持ちは懐かしさと、身内が傍にいるという、特有の居心地の良い安堵感に取って代わっていった。毎回、講演会の案内は出しているが、葉山という土地柄にすっかり馴染み、東京を毛嫌うようになった静が本当に来てくれたのは、昨日が初めてだ。
講演の主催者の労いの言葉をもらい、「食事でも」という誘いを丁重に断ってエントランスに出るとそこに、午後の光の降り注ぐ広いホールにぽつんという感じで静が立っていた。
久しぶりに会う幼馴染の姿はどこかひっそりとしていて、二ノ宮たちとホールに出た自分を認めるとはにかんだように薄く笑う。
「店を開けるから帰ります」、と嘯き踵を返した後姿に、何か話したいことがあって会いに来たという直感と、並外れた方向音痴に、内心苦笑しながら葉山まで送ろうと申し出ると戸惑いと気遣いを同時に見せながらも嬉しそうに微笑んでいた。
ドライヴの間、物思いに耽りがちなその理由を聞きだそうと、話を向けるとシーラカンスの買取の話をしだした。本当に話したいことが別にあることなど、静の鳶色に漂う沈んだ色から手に取るようにわかったが、話したくないのならと話題を変えてやった。
『ただ、延ばしてるんじゃないんだ。願掛けしてて、願いが叶ったら落とそうと思ってる』
笑って誤魔化したが、あの時、自分に向けられた成就を切望する切羽詰った色の鳶色の瞳に俺は密かに心が乱れた。
静は薫の弟で、自分にとっても可愛い弟のようなものだ。
男子校でノーマルな静にちょっかいを出そうとした学友に、薫と一緒にこっそりヤキを入れにいったことも一度や二度ではない。ずっと、守らなければいけない存在のはずだった。
昨夜別れ際に静の頭を撫でていた自分の手が、無意識のうちに静の後頭部を捉えた。鳶色の瞳が驚いたように真っ直ぐに見つめ返し、動揺を隠しながら手を引いた。
――― 俺は昨夜、シズカに何をしようとしていたのか・・
静が男と付き合おうとしている…何が悪い?自分だって女とも男とも付き合ってきた。
ではこの心のなかのモヤモヤとした気持ちは一体何なのか?
この形を成さない気持ちを確かめるために開店前のシーラカンスに行った。
ドアを開けた瞬間に答えは出た。
静が昨日、俺に言いたかったのはこの事だったのだろうか。
伊原と手を繋いだシズカを見た瞬間湧き上がった熱く焼け付くような感情、それは紛れもない嫉妬だ。静は伊原と付き合うことを、俺に言いたかったのだ。
伊原との逢瀬を見せてしまった俺に対して、静がオロオロと狼狽えるその様子に普段は感じないもどかしさや苛立ちが最高潮に達した。”シズカ”という呼び名で呼ばせることを承諾した、そんな些細なことにもつまらぬ憤りが込み上げる。
その感情を”長上の兄として”のプライドで無理矢理捻り伏せた。
『シズカのやりたいようにやればいい』・・・・そう突き放すように言い放った俺を、静はどう思っただろう?色を失った表情の中で鳶色の瞳だけが大きく開き自分を凝視していた。
もし、客がタイミングよく店に入って来なければ、言葉では足りない苛立ちを更にシズカにぶつけてしまっていたかもしれない。
俺の心は、一体、静に何を求め始めたのだろう。
実は、その答えは既に目の前にあり、決して触れてはならぬものとして、黙殺を繰り返してきた。 葉山を避けていたのは、享一との思い出のせいだけではない。
シズカに会うのを避けていた。
享一と決裂して静のマンションに転がり込んだあの夜、澄んだ瞳で自分をさり気無く気遣い接してくるこの男をいじらしく思い、混沌とした欲望のまま組み伏せたいという衝動を、弟のような存在である静に対して抱いた自分が許せなかった。
―――昨夜、俺は・・・シズカに、接吻けしようとしていた。
←前話 次話→
■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
かなりの量を飲んだ筈なのに頭が妙に冴えて酔いは全く訪れなかった。
伊原のパーティーは実のところ無視するつもりで、招待状もとっくに他のゴミと一緒に処分していた。
それにも関わらず、伊原の挑発に乗るように受けてしまった。
何に、伊原の言葉のどこに自分の気持ちが逆撫でされたのか?
胸に凝る苛立ちの理由が明確な形を成さない。
昨日、久々に目の前にしかも東京に現れた静に最初こそ驚きはしたものの、すぐにその気持ちは懐かしさと、身内が傍にいるという、特有の居心地の良い安堵感に取って代わっていった。毎回、講演会の案内は出しているが、葉山という土地柄にすっかり馴染み、東京を毛嫌うようになった静が本当に来てくれたのは、昨日が初めてだ。
講演の主催者の労いの言葉をもらい、「食事でも」という誘いを丁重に断ってエントランスに出るとそこに、午後の光の降り注ぐ広いホールにぽつんという感じで静が立っていた。
久しぶりに会う幼馴染の姿はどこかひっそりとしていて、二ノ宮たちとホールに出た自分を認めるとはにかんだように薄く笑う。
「店を開けるから帰ります」、と嘯き踵を返した後姿に、何か話したいことがあって会いに来たという直感と、並外れた方向音痴に、内心苦笑しながら葉山まで送ろうと申し出ると戸惑いと気遣いを同時に見せながらも嬉しそうに微笑んでいた。
ドライヴの間、物思いに耽りがちなその理由を聞きだそうと、話を向けるとシーラカンスの買取の話をしだした。本当に話したいことが別にあることなど、静の鳶色に漂う沈んだ色から手に取るようにわかったが、話したくないのならと話題を変えてやった。
『ただ、延ばしてるんじゃないんだ。願掛けしてて、願いが叶ったら落とそうと思ってる』
笑って誤魔化したが、あの時、自分に向けられた成就を切望する切羽詰った色の鳶色の瞳に俺は密かに心が乱れた。
静は薫の弟で、自分にとっても可愛い弟のようなものだ。
男子校でノーマルな静にちょっかいを出そうとした学友に、薫と一緒にこっそりヤキを入れにいったことも一度や二度ではない。ずっと、守らなければいけない存在のはずだった。
昨夜別れ際に静の頭を撫でていた自分の手が、無意識のうちに静の後頭部を捉えた。鳶色の瞳が驚いたように真っ直ぐに見つめ返し、動揺を隠しながら手を引いた。
――― 俺は昨夜、シズカに何をしようとしていたのか・・
静が男と付き合おうとしている…何が悪い?自分だって女とも男とも付き合ってきた。
ではこの心のなかのモヤモヤとした気持ちは一体何なのか?
この形を成さない気持ちを確かめるために開店前のシーラカンスに行った。
ドアを開けた瞬間に答えは出た。
静が昨日、俺に言いたかったのはこの事だったのだろうか。
伊原と手を繋いだシズカを見た瞬間湧き上がった熱く焼け付くような感情、それは紛れもない嫉妬だ。静は伊原と付き合うことを、俺に言いたかったのだ。
伊原との逢瀬を見せてしまった俺に対して、静がオロオロと狼狽えるその様子に普段は感じないもどかしさや苛立ちが最高潮に達した。”シズカ”という呼び名で呼ばせることを承諾した、そんな些細なことにもつまらぬ憤りが込み上げる。
その感情を”長上の兄として”のプライドで無理矢理捻り伏せた。
『シズカのやりたいようにやればいい』・・・・そう突き放すように言い放った俺を、静はどう思っただろう?色を失った表情の中で鳶色の瞳だけが大きく開き自分を凝視していた。
もし、客がタイミングよく店に入って来なければ、言葉では足りない苛立ちを更にシズカにぶつけてしまっていたかもしれない。
俺の心は、一体、静に何を求め始めたのだろう。
実は、その答えは既に目の前にあり、決して触れてはならぬものとして、黙殺を繰り返してきた。 葉山を避けていたのは、享一との思い出のせいだけではない。
シズカに会うのを避けていた。
享一と決裂して静のマンションに転がり込んだあの夜、澄んだ瞳で自分をさり気無く気遣い接してくるこの男をいじらしく思い、混沌とした欲望のまま組み伏せたいという衝動を、弟のような存在である静に対して抱いた自分が許せなかった。
―――昨夜、俺は・・・シズカに、接吻けしようとしていた。
←前話 次話→
■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
亀のごとき更新の鈍さ・・・本当にゴメンなさい。前話、忘れてしまいますよね(汗
春めいてきて、そろそろ発動せねば・・・という気持ちになってきました。
でも、昨日はもう、完全に読み手になろうと考えていました。日々この繰り返し・・・
自分のペースを取り戻すためにランキングから離れているのに、この体たらく。
ダメな私です凹
更新していないにも拘らず拙宅を訪れてくださったみなさま、本当にありがとうございます。
もう少しペースを上げれるよう、がんばります。 紙魚
ブログ拍手コメントのお返事は、サイトの”もんもんもん”の
ブログ拍手コメ・メールのお返事からか、もしくは*こちら*から
亀のごとき更新の鈍さ・・・本当にゴメンなさい。前話、忘れてしまいますよね(汗
春めいてきて、そろそろ発動せねば・・・という気持ちになってきました。
でも、昨日はもう、完全に読み手になろうと考えていました。日々この繰り返し・・・
自分のペースを取り戻すためにランキングから離れているのに、この体たらく。
ダメな私です凹
更新していないにも拘らず拙宅を訪れてくださったみなさま、本当にありがとうございます。
もう少しペースを上げれるよう、がんばります。 紙魚
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そして、いらっしゃいませ。
お疲れのところを、わざわざコメントありがとうございます!!
足はもう復活されましたでしょうか?
J庭は予想通り盛況だったみたいですね~♪
>と、いうより、やっと認めたんですね!!自分の気持ち!!
うーん(ー_ー;)ゝ”、
折角、自分の気持ちを受け入れ始めた圭太なのに、
「静は伊原と・・・」って思う、このすれ違い、、
どうやって合致させればいいのか・・悩み中です(汗
どうしよう、どうしよう・・・更新早くしますって宣言したばっかなのに~
Kさま、今日もお仕事だったみたいで・・本当にお疲れ様でした。
今夜は、ゆっくりお休みくださいね♪